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1: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:39:24.22 ID:TeqHcU600

ミリマスの入れ替わりモノ。
キャラ崩壊、Pラブ要素などに注意。





2: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:42:20.01 ID:TeqHcU600

1.ねえ叶えたいんだMy Heart


 「知らない天井だ」
 まず、自分の家の天井と今見ているそれが違うとわかる程度に俺が普段から天井に意識を向けていたことに驚いた。さらに、呟いた声がキュートな女の子のものだったことにもびっくりだ。とある芸能事務所でプロデューサーをしている俺は、20代も半ばの立派な成人男性だった。年相応かつ性別相応の声の持ち主でもある。キュートな声が出る声帯なんてないし、部屋だってこんなにガーリーじゃない。
 「まさか……」
 この声には聞き覚えがある。「ない」なんて言えばステーキを何切れ奢らされることになるかわからない。それほど、俺と声の持ち主は密接な関係にあった。
 さっきは「知らない天井」と言ったが、実のところ俺はこの天井を(うっすらと)知っている。声の持ち主が風邪を引いたとき、お見舞いをするために上がらせてもらったことがあるのだ。
 確信に近い感情を抱いて、枕元にあったスマホをのぞき込むと。
 「やっぱり!」
 真っ暗な画面に、俺の担当アイドルの1人、伊吹翼の顔が反射していた。



3: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:43:16.84 ID:TeqHcU600

単純に考えれば、俺の精神が翼の体に入ってしまっていることになる。そんな状況ありえない。ありえないのだが、俺の脳裏には昨夜美咲さんから届いたメールの内容が浮かび上がっていた。
 「プロデューサーさんへ。明日から50日間、『1日プロデューサー体験』期間が始まります! プロデューサーさんと入れ替わるアイドルの日程表を添付しますから、事前に確認しておいてくださいね!」
 衣装の作りすぎでとうとう頭がおかしくなったと思っていたが、これが真実だとすると現状を説明できるのだから恐ろしい。つまり俺の体には翼の精神が乗り移っているということで……。
 考えるのは後だ。とりあえず劇場に向かおう。今日は土曜日だが、俺も翼も仕事がある。



4: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:44:15.71 ID:TeqHcU600



 「プロ……翼、とってもよかったぞ!」
 悲しいことに仕事というのはグラビア撮影だった。テーマは「伊吹翼とドキドキ夏デート」。白いワンピースに身を包んだ俺は、レンズを恋人だと思って手を振ったり笑いかけたりしたわけだ。恥ずかしかった。誰だこんな仕事持ってきたやつは。俺か。
 そして目の前にいる男。そう、俺だ。正確には翼インザ俺だ。さっきからずっとニコニコしている。自分の笑顔というのは見ていてあまり気分のいいものではないのでやめてほしい。
 「なあ翼、これはどういうことだ?」
 「今のわたしはプロデューサーさんでーす♪」
 「ねえプロデューサーさん、これってどういうことなんですか~?」
 「どういうこともなにも、『1日プロデューサー体験』ですよ?」
 「俺はそんな話、まっっったく聞いてないからな」
 「プロデューサーさん、話し方が……」
 「いいよ別にお前は俺のフリしてないんだから!」
 何が悲しくて成人男性が女子中学生の口調を再現せねばならんのだ。




5: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:45:02.90 ID:TeqHcU600

 「だいたい、どうやって入れ替わりなんて現象を起こしたんだ?」 
 「黒魔術です」 
 「kuromajutsu?」 
 「えーっと、まず劇場に落ちてたプロデューサーさんの髪の毛を集めて~」 
 「あっ。やっぱり言わなくていいです。聞きたくないです」 
 「その髪の毛を飲み込ん──」 
 「聞きたくないって言ってるだろ!」 
 思わず大声が出てしまった。おそるおそる周囲をうかがうと、撤収作業中のスタッフたちが何事かとこちらを見ている。まずい。今の俺は俺じゃなくて翼だということを忘れていた。 
 「よし、話は劇場でしようじゃないか」 
 そこなら邪魔は入らないし、他のアイドルから話を聞けるかもしれない。一石二鳥だ。聞きたいことと言いたいことは山ほどあるのだから。



6: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:45:59.47 ID:TeqHcU600

 「ほら翼、帰る準備を」 
 するんだ。そう言い切らないうちに、俺(翼)の腕が翼(俺)の肩を掴んでいた。……状況を説明するのがややこしいので、名前の呼び方は肉体ではなく心を参照することにする。 
 翼は俺の肩を掴んで、言った。 
 「翼、ご褒美にデートに連れてってやるぞ!」 
 「なにぃーっ!?」 
 今の翼の見た目は俺だ。周りにいるスタッフからは、俺が翼をデートに誘っているようにしか見えないだろう。そう思われるのは非常にまずい。主に俺の世間体が。 
 「おい翼、どういうつもりだ? 今の状況わかってるよな? いつも通りのことでも妙な誤解を招くことになるんだぞ?」 
 「プロデューサーさんこそ、状況がわかってないんじゃないんですか~?」 
 「え?」



7: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:46:44.34 ID:TeqHcU600

 「今のプロデューサーさんはわたしなんだから、わたしみたいなことをしないと……ほら」 
 翼が指を差した方向で、スタッフがひそひそ話をしている。 
 「翼ちゃん、プロデューサーさんがデートに誘ったのに、あんまり乗り気じゃなさそうだな……」 
 「ていうか珍しいな。プロデューサーさんが自分からデートに誘うなんて……」 
 「まさかあの2人、入れ替わってるんじゃ……」 
 なんでそんなに発想が柔軟なんだよ! 
 「入れ替わってること、ばれちゃうかも?」 
 「ぐ、ぐぐ……」 
 翼の言う通りだ。アイドルの体に男の心が入っているだなんて、発覚したらスキャンダルになりかねない。しかも黒魔術を使っているのが特にまずい。黒いし。 
 今の俺に残された道は、伊吹翼として自然に振る舞うことだけのようだ。 
 「……いいんですか~? わーい! デート! デート!」 
 「お、翼ちゃんすごく喜んでる」 
 「じゃあ入れ替わってなかったんだな」 
 騙されるなよ。



8: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:47:53.97 ID:TeqHcU600


※ 

 俺たちは町に繰り出した。腕を組もうとしてくる翼の手を払いつつ、気になっていたことを聞いた。 
 「で、なんでこんなことをしたんだ?」 
 「わからないんですか?」 
 「まあな」 
 「じゃあ、答えを教えてあげますね。……えいっ!」 
 「ぎゃーーーーーっ!?!?!」 
 背中から右の脇腹にかけて、何かがまとわりつく感触がした。翼が手を回してきたのだ。必死に抵抗したが全く通用しなかった。男女の腕力の差はここまで如実に現れるものなのか。引きはがそうとしてもびくともしない。ちょっと怖い。 
 「わたしたちみんな、プロデューサーさんにしてほしいことがあるんですよ? でもプロデューサーさんはイジワルなので、あんまりお願い聞いてくれないじゃないですか~。だから、わたしたちがプロデューサーさんになって、したいことをしようってことになったんです!」 
 と、可愛らしいことを言ってくれる翼。しかし悲しいかな。今の翼は俺だ。顔は俺の顔だし、声は俺の声だし、その他も全部俺だ。「女子中学生の口調で喋る自分」を見せつけられている形になっている。しかも自分に腰を抱かれている。きつい。 



9: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:48:51.33 ID:TeqHcU600


 「っていうか、みんなのお願いは結構聞いてると思うけどな俺」 
 「まだまだ足りないもん!」 
 「次俺の顔と声で『もん!』とか言ったら連絡先消すからな」 
 ……まあいいか。可愛いアイドルのささやかなお願いぐらい叶えなきゃプロデューサーの名が廃るというものだ。せめて1日くらいは付き合ってあげようじゃないか。 
 「あ、着きました~」 
 「やっとか。ずいぶん歩いたよな」 
 歩いていたのは20分くらい。いつの間にか人通りも少なくなっている。こんなところに何の用があるのだろうか。 
 「プロデューサーさん、あそこ! あそこに行きましょう!」 
 そう言って翼が指差したのは── 



10: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:49:40.42 ID:TeqHcU600


 「いや恋愛宿泊施設! 翼、あれ恋愛宿泊施設なんだけど!?」 
 「そうですよ?」 
 「そうですよ!?」 
 「プロデューサーさんと入ってみたかったんだ~」 
 「あ、ちょっと!」 
 腰を抱かれたまま、ずるずると引っ張られる。押しても引いても叩いても翼は俺を離さない。それどころか。 
 「暴れる悪い子はこうだぞ!」 
 とか言ってお姫様だっこされてしまった。 
 「翼、おい! 翼! シャレにならないって! ちょっと! だ、ダメぇ~~~~~!!!!」 
 そんなこんなで「1日プロデューサー体験」、すなわち俺の壮絶な戦いの日々が幕を開けたのである。 



11: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:50:12.57 ID:TeqHcU600


 「ちなみに、なんで翼が一番最初だったんだ?」 
 「わたし、じゃんけん強いんですよ! チョキを出したら、みーんなパーだったんです」 
 「それはもうじゃんけん強いとかそういう話じゃなくなってくるだろ」



12: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:53:34.66 ID:TeqHcU600

2.あなたを愛でイッパイにしたい! 

 「知らない天井だ」 
 俺の心は驚きではなく諦めが支配していた。ここ最近、目覚めたときに知ってる天井が目に入った試しがない。「1日プロデューサー体験」は今日で8日目。まだまだ序盤だが、そろそろ元の体が恋しくなってきた。 
 今日は美奈子の体にお邪魔している。予定ではオフということになっていて、昨日の打ち合わせでは彼女に「自由にしてもらっていいですよ!」と言われた。 
 自由と言われても休日の美奈子は実家の中華料理屋である「佐竹飯店」を手伝うことになっているはずだ。それを俺が勝手にさぼるわけにもいかないだろう。家族に怪しまれても困るし。 
 というわけで今日の俺は佐竹飯店の看板娘にならなければならない。そのために料理の手順を必死に覚えているところだ。開店は朝の10時。美奈子のノートにわかりやすくまとめられてはいるが、完璧に覚えるのは多分無理。俺自身の少ない料理の経験と、体に刻まれた記憶に頼ることになりそうだ。 




13: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:54:57.00 ID:TeqHcU600


 「顔でも洗うか……」 
 青椒肉絲のページを読み終わったところで脳が休憩を要求してきた。起床から勉強漬けで、もう2時間になる。身だしなみも整えないと看板娘にはなれない。俺は洗面所に向かった。ちょっと道(?)に迷った。 
 美奈子の顔は見慣れたものだが、自分のものとなると新鮮に感じる。髪を下ろしているのが原因かもしれない。 
 鏡に映るそんな姿を見て、邪な心がふつふつと湧き上がってきた。同時に罪悪感も生まれたが、すぐに消えた。そうだ、遠慮なんて必要ない。この体は俺の物なのだから。 


 というわけで好き放題ヘアアレンジを楽しませてもらった。写真もばっちり撮った。美奈子に限った話ではないが、みんなもっといろんな髪型に挑戦してくれればいいのに。いつだったか桃子と美也がおそろいの髪型にしてたやつ、あれはほんとにかわい── 



14: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:55:44.66 ID:TeqHcU600


 「美奈子ー?」 
 おっと、お母さんが呼んでいる。もうこんな時間か。結局レシピはあんまり覚えられなかった。ヤバい。 
 今日はこれまでとは別ベクトルで大変な日になる。そんな予感を抱いて厨房に入った俺の目に、カウンター席でドカ食いしている男の姿が飛び込んできた。 



15: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:56:20.59 ID:TeqHcU600


俺だった。 



16: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:57:53.04 ID:TeqHcU600


 「いや何してんの!?」 
 正確に言えば俺の体、つまり美奈子だ。一心不乱に料理を貪っている。話を聞こうと服を引っ張るが、全然気付いてくれない。仕方がないので料理の方を動かすことにした。豚になる直前の千尋の両親かお前は。 
 「聞け!!」 
 「……ん? わっ、すごい! 私がいる!」 
 「テンプレなリアクションどうもありがとう」 
 じゃなくて。 
 「美奈子、俺の体で何してるんだ?」 
 「はい! せっかくプロデューサーさんになれたので、今日は限界までカロリーを蓄えようと思って!」 
 「無駄だよ! たかが1日で人間が太れるわけないだろ!」 
 「無駄にはなりません、カロリーは裏切らないので! それにプロデューサーさんの胃袋の限界も調査できますし」 
 え、こわ。 
 だが来てくれたのはありがたい。美奈子が手伝ってくれれば俺の穴を埋めることができる。店に迷惑をかけることもないに違いない。 



17: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:58:34.04 ID:TeqHcU600


 「頼む美奈子。厨房の仕事を手伝ってくれないか? 情けないけど、やっていける自信がないんだ」 
 「うーん……。そうしたいのは山々なんですけど、今の私は1人の体じゃないんですよね。動いたらせっかくのカロリーが逃げちゃう……」 
 「気にすんなそんなこと。俺が許可するから、な?」 
 「でも、カロリーを逃がさないためにここまでタクシーで来たんですよ?」 
 「え、タクシー?」 
 えっと、俺のマンションからここまでだと……おっと、結構なお値段になるのでは? 
 いや、それ以前にだ。目の前にあるこの大量の料理っておいくら? 



18: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 22:59:27.63 ID:TeqHcU600


 「なあ美奈子、タクシー代とご飯代、誰の財布から出てると思う?」 
 「もちろん返しますよ! 私の口座から好きなだけ持っていってくださいね!」 
 「なんでそんなに気前がいいの?」 
 「だって、私のお金は実質プロデューサーさんのお金みたいなものじゃないですか~」 
 「実質ほど信用できない言葉を俺は知らないけどな」 
 実質無料とか。 
 「暗証番号は0910、ですよ」 
 「なんで俺の誕生日……いや、なんかもういいや」 
 つついたら藪からとんでもない大蛇が出てきそうな気がする。 
 「って、話が逸れてるな。美奈子、俺を助けてくれ。頼む、この通りだ! なんでも言うことを聞くからさ!」 
 「……わかりました! 後はドーンと任せてくださいね!」 



19: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:00:24.98 ID:TeqHcU600

※ 


 「いや、プロデューサーさんすごいじゃないですか! こんなに料理ができるなら言ってくれればよかったのに!」 
 「おたくの美奈子ちゃんを預かっているんですから、これくらいは当然ですよ!」 
 「これなら佐竹飯店の将来も安泰ですな! ガハハ!」 
 「わっほ……ええ! 是非とも任せてください! このお店も、美奈子ちゃんのことも!」 
 みるみるうちに外堀が埋まっていく。口を挟む暇もない、お父さんと美奈子の会話。思うにこれは、全て美奈子の手の平の上だったのではないだろうか。 
 そもそも今日、美奈子はこの店に来る必要があったのか。カロリーを摂りたいなら、俺の部屋の冷蔵庫に残っていた食材を使えばよかった。料理によるカロリー消費を嫌ったなら出前を呼ぶという選択肢もあったはず。それでも美奈子が来たのは、この状況を作るためではないのか。 
 なんて、今はもう、考えても仕方のないことだが。 



20: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:01:15.51 ID:TeqHcU600


 「よかったな美奈子! プロデューサーさんはお前との結婚を前向きに考えてくれているそうだ!」 
 「わ、わっほ~い……」 
 「ん? あまり嬉しそうじゃないな。……まさか、中身が誰かと入れ替わってるんじゃ!」 
 だから、なんでそう発想が柔軟なんだ! 
 すっかりノリノリになったお父さんに気付かれないよう、ため息をつく。もうどうにでもなれといった感じだ。 
 「そうだ、プロデューサーさん。約束は『1日プロデューサー体験』期間が終わってからで!」 
 「なに、約束って」 
 「さっき『なんでも言うことを聞く』って言ってくれたじゃないですか! 忘れたとは言わせませんよ!」 
 「……お前、どこまで計算してたんだ?」 
 ハンカチで汗を拭く。仕事でせわしなく動き回ったにしては、ずいぶんと冷たい汗だった。 



21: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:02:24.62 ID:TeqHcU600

言い忘れてたけどアイドルの家族像を捏造してるので注意。



22: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:03:19.01 ID:TeqHcU600

3.かき乱されるその香り 



 「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」 
 脳を直接殴られたような衝撃で目を覚ました。知らない天井だとか、そんなことはどうでもいい。 
 空気の匂い。ベッドの匂い。服の匂い。天井の、壁の、床の、家具の匂い。それらすべてが俺の鼻を刺激する。いや、刺激なんてレベルじゃない。これは暴力だ。匂いという不可避の暴力。不可視の凶器。 
 別に臭いわけじゃない。むしろ甘くていい匂いだと思う。匂いそれ自体ではなく、受け取る側に問題があるのだ。 
 「どうした可憐!? 大丈夫か!?」 
 「可憐ちゃん! 無事!? 無事なの!?」 
 ドアの向こうに匂いの塊が2つ。大声を聞いた両親が心配して来てくれたらしい。 
 もうおわかりだろう。今日の俺は可憐だ。もちろん形容動詞ではなく固有名詞、人名である。 
 



23: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:04:09.62 ID:TeqHcU600

※ 


 両親は寝室に戻っていった。無事を伝えたとはいえかなり心配していた。そういう匂いがした。可憐の両親はかなりの心配性だが、それとこれとは話が別だ。深夜に奇声を上げた自分の娘を心配しないようならもはや親とは呼べないだろう。 
 時刻は午前0時22分。両親を納得させるのにかかった時間がそのまま22分だ。入れ替わりは0時ぴったりに起こることが今日でわかった。何の役にも立ちそうにない事実だ。 
 「ふう……」 
 ため息をつき、ベッドに腰かける。眠気は吹き飛んだが気分は落ち着いてきた。 
 今の俺は鼻の穴にティッシュをぎゅうぎゅうに詰め、さらに何枚も重ねたマスクで鼻と口を覆っている。可憐は嗅覚が鋭敏なあまり、脳が人よりも多くの情報を処理する必要があるのではないか。だから凡人の俺は可憐の脳の働きに耐え切れず、心がパンクしそうになった。今俺が平気でいられるのは、匂いのほとんどがティッシュとマスクで占められているからだろう。脳が処理する情報量が減ったおかげだ。 
 「あれが、可憐が生きてきた『世界』なのか……」 
 常日頃から可憐の鼻には驚かされているが、間違いなく今日が過去最高だ。嗅覚はほどほどでいいな。 



24: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:05:07.71 ID:TeqHcU600


 しかし、息苦しい。鼻を完全に封鎖したせいで口呼吸せざるを得ないのだが、マスクに阻まれてわずかな空気が入ってくるばかり。もっと多くの空気を求めて呼吸を増やすと、口元の二酸化炭素濃度が危険域に達してしまう。可憐の体で酸欠になるのはまずい。とはいえティッシュとマスクを外してあの感覚を味わうのもまっぴらごめんだ。さてどうしようか。 
 うだうだ考えていると、インターフォンが鳴った。2人分の匂いが玄関に向かったかと思えば、3人分の匂いが部屋に近付いてきた。そのうち2人は両親だとわかるが、もう1人がよくわからない。どこかで嗅いだことがあるのは間違いないんだが……。 
 「可憐、プロデューサーさんが来てくれたぞ」 
 そりゃ匂いを知ってるわけだ。 
 「ど、どうして……?」 
 「やっぱり心配で……。『救急車は呼ばなくていい』って言ったから、代わりにプロデューサーさんに電話したんだ。そしたらすっ飛んできてくれたんだぞ」 
 「そ、そうなんだ……。あ、あの、ぷ、プロデューサーさん……あ、ありがとうございます……。よ、夜も遅いのに……」 
 「き、気にしなくていいんです……じゃなかった。いいんだよ、プロ……か、可憐……」 
 お前はもうちょっと俺の口調再現を頑張れよ。 



25: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:05:53.83 ID:TeqHcU600


 「あの……可憐さんとお話させてもらってもいいですか? で、できれば、ふ、ふふふ、2人きりで……」 
 俺が親だったら部屋どころか家にも入れないほど挙動不審(声だけでわかる)だったが、あっさり入室許可が出た。娘(俺)を安心させたい一心だろうか。……いや挙動が不審じゃなかったとしても娘を密室で男と2人きりにさせるなよ。 
 両親が部屋から離れたのを確認し、可憐が話を切り出す。どうやら俺の可憐モノマネに納得がいかないらしい。 



26: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:06:34.86 ID:TeqHcU600


 「私、そんなにどもってますか……?」 
 「いや、案外あんなもんだって。自分じゃわからないかもしれないけどさ」 
 「で、でも……」 
 「お前がやった俺のモノマネよりはマシな自信があるぞ。ってかそもそもモノマネできてなかったし。声が俺なだけの可憐だったし」 
 「そ、それは……ごめんなさい」 
 「ドア越しだから確信は持てないけどさ、お前絶対モジモジしてたよな。俺の体で。ホント、通報されなくてよかった」 
 「つ、通報って……いくら何でも大げさじゃないですか……?」 
 「いやいや、わからないぞ。『男だったら人生ヤバかった765プロアイドル』といえばお前と亜利沙のことだからな」 
 「私、亜利沙ちゃんと同レベルなんですか!? あ、亜利沙ちゃんですよ!?」 
 「そんなに驚いたら亜利沙がかわいそうだろ!」 
 ちなみに『男だったら人生ヤバかった765プロアイドル』には真が含まれることもある。こっちは2人の「ヤバい」とはベクトルが違うが。 



27: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:07:33.97 ID:TeqHcU600


 「そういえば、なんで来てくれたんだ? 家がまあまあ近いとはいえ大変だっただろ。夜も遅いし」 
 「ず、ずっと思ってたんです。私と入れ替わったら、プロデューサーさんはびっくりするだろうなって……。こ、こんな鼻ですから……。そしたらお父さんから電話が来て、『やっぱり!』って思って……」 
 「それで来てくれたのか、ありがとな。俺は見ての通りだよ。あのままだったら発狂してたな」
 さっきからずっとティッシュとマスクは外していない。外すつもりもない。絶対に。 
 可憐は立ち上がり、机の引き出しの中から箱を取り出した。ずいぶん厳重に梱包されてんな。 
 「このアロマを焚きましょう」 
 「それは?」 
 「せ、先々月のお給料とお小遣いを全部つぎ込んで手に入れた……とっておきです」 
 「おおう……。ちなみに、今そのアロマを使う意味は?」 
 「…………」 
 「可憐?」 
 「このアロマには、心を落ち着かせる効果があります。き、きっと今のプロデューサーさんにはぴったりですから……」 
 「とっておき、効果しょぼくない?」 
 もったいぶって言うことでもないだろうに。まあせっかくの可憐の厚意だし、ありがたく受け取らせてもらうことにする。 



28: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:08:36.19 ID:TeqHcU600


 可憐がテキパキと作業を終えると、部屋はすぐに良い香りで満たされた。 
 「プロデューサーさん……はぁ、はぁ……マスクを、は、外してください」 
 「ほ、本当に大丈夫? だいぶ怖いんだけど……」 
 「だ、大丈夫です。はぁ、はぁ……」 
 「じゃあ……」 
 「ぶふっ」 
 「なんだいきなり吹き出して」 
 「だ、だって、鼻にティッシュが……」 
 「仕方ないだろこうでもしないと匂いを防げないんだから! ……よし、取ったぞ」 
 「それでは、ゆっくりと深呼吸をしてください。ゆっくりですよ、ゆっくり……。はぁ、はぁ……」 
 まだ怖いが、言われた通り慎重に呼吸をしてみる。(ていうか可憐、息荒くね?)するとどうだろう。ありえないほどの匂いが鼻に流れ込んできたものの、さっきのような暴力的な勢いはなかった。アロマの匂いがクッションになってくれているような、そんな感じだ。 
 「すごいな、これ……。本当に気持ちが落ち着いてきた」 
 「ほ、他には、どうですか……?」 
 「え? 他にはって言われても……」 



29: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:09:20.09 ID:TeqHcU600


 ドクン。 
 「……!?」 
 突然、心臓が跳ねた。 
 体が、熱を帯びる。 
 呼吸が、荒くなる。 
 俺は、今──ムラムラしている。 
 「はぁ、はぁ……。こ、このアロマ、本当は催淫作用があるんです……」 
 押し倒される。俺の手首を押さえている可憐の手には激しい熱が宿っている。 
 「可憐、まさか、最初からこのつもりで……!?」 
 「て、抵抗してもダメです……。私の体ですから、こうすれば……」 
 押し付けられた胸板。濃厚な俺の体臭が俺の脳を支配した。全身から、力が、抜けていく。 
 「私の体ですから……ぷ、プロデューサーさんの匂いには、逆らえません。……てへへ♪」 
 くそ、俺の分際で……いい匂いじゃねえか。 



30: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:11:00.59 ID:TeqHcU600

4.崇められるほどに自由を失った 



 劇場には地下倉庫がある。過去に使われた大掛かりなセットを保管するためのものだ。 
 規模が大きい公演の前後を除いて開かれない扉へ、1歩、また1歩と近付いていく。 
 むき出しのコンクリート。冷えきった空気。ぼんやりとした蛍光灯の灯り。いつも通りの不気味な廊下だ。この先に、とても恐ろしいものが待っているような予感がする。 
 だが、胸を張って歩く。恐れるものなんて今の俺にはない。 
 この先には罠がある。俺が仕掛けた罠だ。だから大丈夫。何かいるとしても、それは捕らえられた獲物にすぎない。だから、大丈夫。 



31: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:12:00.17 ID:TeqHcU600


 灯りを点けると中の様子が明らかになる。塔のように積まれた段ボール。数え切れないほど多くの棚。ブルーシートで覆われた、巨大な何か。 
 そして、中心。パイプ椅子に縛り付けられた男がこちらを睨んでいる。 
 「プロデューサーさん? いったい、どういうつもりですか~?」 
 男とは、俺の体のこと。だが心は違う。『1日プロデューサー体験』は45日目。今日の俺は天空橋朋花と入れ替わっている。 
 「どういうつもりも何も、わかるだろ? 今日1日、お前にはそのまま過ごしてもらう。飯は8時、12時、19時の3回。トイレは──」 
 「そんなことが知りたいのではありません~。聖母にこんなことをして、ただで済むとでも~?」 
 「今のお前は聖母じゃない。俺の体だぞ。俺の自由にして何が悪い」 
 最初から。最初から、こうしておけばよかった。気付くのがあまりにも遅すぎた。悪いとは思っている。だが、せめて今日を含めた6日間だけでも俺は平穏を手に入れる。拘束はそのために必要不可欠だ。 



32: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:13:01.48 ID:TeqHcU600


 「今すぐほどくなら、許してあげますよ~?」 
 「黙れ! もうこうするしかないんだよ!」 
 ぷつん、と頭の中で何かが切れる音がした。緒だ、堪忍袋の。 
 「昨日までの44日間、『俺』は何回女と手を繋いだ? 何回腕を組んだ? 何回キスを迫った? 何回家に連れ込んだ? 何回押し倒した? 何回求婚した? 何回実家へ挨拶しに行った? 何回婚姻届けに実印を押した? お前にわかるのか! ……もう限界だ! 俺は『俺』を縛ることにした。そうすれば好き勝手されることもない」 
 「自分で、自分を?」 
 「まさか。協力者は3人。亜利沙、まつり、そして千鶴さんだ。昨日俺と入れ替わっていた亜利沙を椅子に座らせて3人で縛った。『これまでの撮影でボツになったすべての写真』で亜利沙は買収されてくれたよ。あとの2人は『アイドルのプライバシーを守るため』という俺の崇高な理念に賛同してくれた。『1日プロデューサー体験』に参加してなかったし、そもそも反対派だったんだろう」 
 「……考えを改めるつもりは」 
 「ない」 
 「なら、仕方ありませんね~」 
 朋花はそう言って目を閉じた。勝った。勝ったのだ。俺の計画は成った。これで今日を含めた6日間、俺の体で変なことをされる心配はない。残りのメンツは朋花、琴葉、恵美、風花、歌織さんとあずささん。『俺』はもう『彼女たち』と過ちを犯すこともないのだ。そう思うと涙さえ出てくる。 



33: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:13:54.05 ID:TeqHcU600


 「それじゃ、レッスンに行ってくるよ。大丈夫、怪我だけはしないようにするからな」 
 俺は扉に向かって歩き出し── 

 「『ワカレイ ワカレイ ルルルルル』」 

 「は?」 
 珍妙な、呪文のような言葉を呟いた朋花。その瞬間、視界が変わった。視線は、ちょうど椅子に座っているくらいの高さになり、体はまるで縛られているかのように動かない。 
 「黒魔術で入れ替わっている、という話は聞きましたか~?」 
 状況を理解するには十分すぎる言葉だった。 
 「まさか、また黒魔術で意識を入れ替えたのか!?」 
 「正確には魔術を解除したのですが……結果は同じですね~」 
 「そうか、俺は戻ったのか……」 
 縛られている体に目をやる。間違いない、俺の体だ。1ヶ月とプラスアルファ。寂しい思いをさせたな、『俺』……。 



34: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:14:55.58 ID:TeqHcU600


 「じゃあ朋花、このロープをほどいてくれよ」 
 「は?」 
 「え?」 
 「プロデューサーさん、何か勘違いしていませんか~?」 
 「勘違いって?」 
 「私がどうして魔術を解除したのか、わかっていませんね~」 
 「え? 俺の想いに胸を打たれたからじゃないのか?」 
 「お仕置き」 
 「え」 
 「聖母を縛る不届き者に、お仕置きをするためですよ~」 
 一歩、また一歩と朋花が近付いてくる。言い知れぬ迫力を感じた俺は椅子から立ち上が……れない! 体が縛られている! 誰だこんなことしたの! 俺か。 



35: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:15:36.67 ID:TeqHcU600


 「報いはその体で受けてもらいますね~」 
 むき出しのコンクリート。冷えきった空気。ぼんやりとした蛍光灯の灯り。聖母が、近付いてくる。 
 俺は叫んだ。 
 「やめて!」 
 「惑わせて」 
 「来ないで!」 
 「抱きしめて」 
 「『Maria Trap』じゃねーよ!」 
 ほどかれ、引き抜かれるネクタイ。眼前に立つ朋花がいつもより大きく見える。彼女は俺のワイシャツのボタンを1つ1つ外していった。 



36: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:16:36.29 ID:TeqHcU600

※ 


 この日、暗い倉庫の中で、6日間に及ぶ俺の壮絶な戦いの日々が幕を開けた。大人しく入れ替わりを受け入れるのと、はたして楽なのはどちらだったのか。それはもう、誰にもわからない。 


(完)



37: ◆ncieeeEKk6 2019/09/20(金) 23:18:22.17 ID:TeqHcU600


終わり。渋にも全く同じ内容のものがあります。 
ライブ楽しんできてね。 






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