≪H-IIA打ち上げ再開は静かに見守れTOPうわ、すごく揺れたな≫

2005年02月16日

冥王星発見75周年

Google Newsを見てみると、結構な数のメディア(ただしほとんどはアメリカのローカルメディア)が取り上げているのに、日本国内のメディアでさっぱり取り上げる気配のない話なのだが、今年は冥王星発見75周年なんだそうだ。

アメリカのローカルメディアがこぞって話題にしている理由は、冥王星を発見したのが、1930年当時の若きアメリカ人天文学者、Clyde Tombaughさん(故人)だからだ。発見当時、天王星や海王星の軌道観測データから、9番目の主惑星があるはずだとの推測があり、そしてその通り冥王星を見つけたのが、Tombaughさんだった。しかしその大きさが、前提となった推測を満足させるほど大きくなかったため、冥王星発見後、第10惑星(Planet X)があるはずだと、盛り上がったそうだ。

まあ結局、前提の推測に誤りがあることが判ったため、第10惑星騒動は一旦沈静化するのだが、おそらく宗教的/文化的背景から(それ故主惑星にはギリシャ神話の主だった神の名が付く)、欧米各国は主惑星の存在に対し、ナーバスといえるほど敏感で、近年でも小惑星Sedna(セドナ)発見の折りに、すわ!第10惑星発見ナリ!と大騒ぎだったのも、記憶に新しい。

現在理科教育でどのように教えているのか知らないが、発見以来冥王星は長らく主惑星の地位にあった。小学校で、「スイキンチカモクドッテンカイメイ」と暗唱した覚えのある人も多いだろう。しかしそのあまりの小ささなどから、海王星以遠に存在するといわれる、エッジワース-カイパー・ベルトという天体群のひとつではないかという見方が強くなっている。冥王星はPluto(プルート)、ギリシャ神話でいうところの、冥界王ハーデスの名を頂いているにもかかわらず、主惑星の座が危うくなっているのだ。

主惑星の座とかいっても、ぴんとこないかもしれない。まあ、主惑星だ小惑星だと区別することにこだわることこそ、宗教的あるいは文化的な主従構造を天体に求める、幻想に他ならないわけだが、先に書いた第10惑星騒動といい、超越的な存在を筆頭とする、厳格な階層(あるいは身分)構造が存在することを、天体を含めたこの宇宙全てに希求する宗教観は根強い。宗教観というと怪しげだが、そうした宗教観を背景にした文化に根ざす、無意識の欲求と言い換えることもできる。特定の宗教文化を背景に持たない日本人の僕らには、あまりなじめないところではある。



Posted by dpr_japan at 03:26│Comments(0)TrackBack(0)Science

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