≪私的天気概況:台風6号TOP私的天気概況:台風6号2報目≫

2004年06月21日

コスモスというテレビ番組、セーガン博士の遺したもの

1980年の冬、それは僕にとって決して忘れることのできない年。当時はマイコンブーム花盛りで、さすがに既製品の、現在でいうところのパソコンは買えなかったけど、雑誌に載っていた回路設計をそのまま用いて、CRTも無いいわゆるワンボードマイコンを作ったりなんかして、LEDを光らせては喜んでた。

サイエンス方面はどうだったかというと、パイオニア/ボイジャーによる太陽系探査の話題が、しょっちゅうニュースを賑わせ、マイコン馬鹿になっていた僕は、とりわけその技術的側面に心を躍らせていたのでした。

そしてある頃から、「アメリカのカールセーガンという偉い博士が、宇宙科学の大テレビ番組を作成し、日本でも放送するぞ」なんて話が伝わり、沸き上がるのは、NASAの秘密技術(苦笑)がここに明らかになるに違いないという期待。僕はテクノロジー馬鹿と化していたから、まあ仕方のないことなんだけど。w

「宇宙科学の大テレビ番組」というのは、もちろん「コスモス」のこと。1980年の冬、その日は、いやその1週間はやってきた。そしてテクノロジー馬鹿になっていた僕は、画面を通してセーガン博士が繰り返し訴えるメッセージに、徹底的に打ちのめされたと、なんとなく気が付いていた。当時はそのとき何に感銘したのか、まだ子供だったから上手く言葉に表すことができなかったけれど。

コスモスという番組の中でセーガン博士は、技術的な子細に踏み込むのではなく、あらゆる物事を包括する巨視的な視点で、今あるこの世界をそれこそ子細に説明していく。惑星物理学者という肩書きから想像しがちな範疇をはるかに超えて、星々のあり方はもちろん、社会的な問題も、生命の仕組みも、文明の興亡も、全てを包括して宇宙なんだと言ってるようだった。

セーガン博士が繰り返し繰り返しやってみせるのは、俯瞰するという行為だ。地球の歴史を俯瞰し、生命の歴史を俯瞰し、そして人類そのものを俯瞰する。コスモスは言うなれば、様々な視点から俯瞰し、宇宙へ進出するにあたって、僕らはどういう立場に立脚すべきなのかを、丁寧にそして子供にも解りやすく説いた番組だ。

俯瞰する行為はコスモスにとどまらない。太陽系の惑星公転面に直交する方向へ飛ぶVoyager1(ボイジャー1号)が、ぐるりと振り向いて太陽系を撮影したのは有名な話だけど、このミッションにもセーガン博士が関与している。それはCGで観る擬似的な位置関係の惑星系みたいに、濃密で豊かな空間ではなく、荒涼として青い地球はもちろん、太陽ですらわずかな光点に過ぎないものだ。彼は何をみせたかったのか、もちろん太陽系を俯瞰する視点を僕ら人類に与え、僕らは反目し合う存在ではなく、こんなにわずかではあるけれど、まるで奇跡のような場所に、共に生きる存在なんだと伝えたかったんだろう。

俯瞰すること、それはすなわち、より客観的でグローバルな視点に立脚せよというメッセージだ。理解し合い共に生きるという世界が実現したときこそ、僕ら人類にはその視点が手に入る。コスモスという番組の中で、セーガン博士は対立し合う人類を嘆いていた。あれから20余年、残念ながら僕たちは未だに理解し合えていない。理解し合うということは、決してイデオロギーや己が信じる正義を押しつけ合うことじゃない。ましてやその理由が、経済的な欲求によるものだなんて、愚の骨頂だ。理解し合うってことは、互いに受け容れ合うということ。もちろんそこで思考停止するのではなく、少なくとも、まずはそこを出発点にしなくちゃならない。

そんなのは楽観的すぎる理想論だと、よく人から嗤われる。Love & Peaceを説いたジョンレノンだって、結局は射殺されたじゃないかと嗤われる。だとしても、まずは理解し合ってみなくちゃ何も判らない。イデオロギーや正義を押しつけ合わなければいられないほどの情熱があるなら、それを宇宙に振り向けて、共通の目標にしてみようよ。宇宙は太陽系ひとつとってみても、深くそして険しい共通目標になるはずなんだから。

あのときコスモスをみた子供たちは、社会的に影響力の強い世代になりつつあるはず。僕はセーガン博士の求めた世界が、実現できないなんて、これっぽっちも思わない。僕は社会的な影響力なんてさっぱりの落ちこぼれだけど、コスモスに薫陶を受けた僕たちの世代は、あるものはその影響力を駆使し、あるものはたとえ世界のほんの片隅からでも、あのとき見えた、目指すべきものは何かということを、伝え続ける義務がある。


Posted by dpr_japan at 12:37│Comments(2)TrackBack(2)Science

この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/dpr_japan/2133082
この記事へのトラックバック
DPR-Japan さんの記事「コスモスというテレビ番組、セーガン博士の遺したもの」にトラックバック。この記事でDPR-Japan さんは 俯瞰すること、それはすなわち、より客観的でグローバルな視点に立脚せよというメッセージだ。理解し合い共に生きるという世界が実現したときこ.
人類が自分たち自身を俯瞰することの大切さ【なんでも評点】at 2004年06月24日 02:52
最初のスタンプカードが一杯になったときもらうレコードは 少し前から決めていた。Yes/「Close To The edge」だった。 理由は説明するとかなり長くなるが、いまだに良く覚えている。 当時テレビ朝日系列でシリーズ特番放映された「COSMOS」という サイエンス番組があった。
ギタリストへの道 〜第4章 プログレとの出合い1〜【Progressive Cafe】at 2004年07月13日 17:50
この記事へのコメント
毎度どうも。携帯からです。共感できる部分多々あり、です。また改めて。
Posted by miccckey at 2004年06月22日 01:56
始めまして。
関連記事と言うことでTBさせていただきました。
当時中学生でしたが「COSMOS」はまりました。
その後本も買って読んだ覚えがあります。
Posted by francofrehley at 2004年07月13日 17:53