ある人になぜセラピストという肩書きを外したのですか?と聞かれた。

私もそうだったし多くの人たちもそうだが私達は自分に肩書きを付けて枠にはめたがる。曖昧な状態が恐いので肩書きをつけた方が安心なのだ。

相手を安心させるためとか、色々な理屈をこねるのだが私の場合肩書きにこだわっていた頃をふりかえるとただ単に自信がなく不安だったのだ。

その自信の無さや不安から逃げるためにこだわっていたに過ぎない。要するに自分に対する不信感なのだ。

面白い事に肩書きや資格をもらってしまうと自分が外の何かに免罪符をもらったので(認められたので)自分が完成されたように勘違いしてしまう。

残念ながら幻想斬りの目的は存在としての自分そのものになるということなので肩書きが無いといられないということはすでに私という存在そのものからずれていることになる。

自分という存在そのものではダメだと思っているから肩書きをつけることによって認められた何かになろうとしているのだ。

そもそも私という存在そのものは肩書なんかで証明できない。

肩書きを付ければ付けるほど価値が上がるとか自分に意味がついてくるとみんな思っているが逆なのだ。

その前提は自分は価値がないとか意味がないというのがある。だからそれらをつけることによって価値や意味ある存在になろうと必死になってしまうのだ。

自分という存在そのものに気付きそれで生き始めた人は、あいまいな状態でも事実生きているし、あいまいだろうがなんだろうが出来る事は出来るし出来ないことはできない。だからやれる事をやっていくしかないという現実対応を始める。

自分に能力が無いとかダメとかではなくて与えられた自分の肉体とかこの環境で今できる事をやっていくしかない。それ以上、それ以下でもないとなっていく。

つまりそのものに価値があるのだから証明なんてしないし、そのものとして出来る役割をどんどんやり始めているのだ。

簡単に言うと課長が上司に認められないと何も出来ないってやっているのじゃなくてすでに課長なのだから今の状況で課長としてやれる事をどんどんやってくださいってことなんだよね。自己証明なんてしてないでやることやってってこと。

って言いながらもこの幻想斬り士という肩書は何なのよってことになるが、ぶっちゃけノリでつけちゃいました(^_^;)すんません。

全く知られていないし、権威もない。なにそれ?という感覚でどうでもいい肩書きなのよね。

しかしまあ、これをつけたその当時、肩書きおっさんって出来なかったのよね(^^ゞまだまだだよね。