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 こちらは明治時代の教育者である川田鉄弥が明治41年(1908年)に欧米各国を訪れた時の旅行記(『欧米遊記』)で、興味深かった記述や当時の社会の様子が窺える記述をまとめた記事です。

 なお、引用箇所の一部には現代の基準だとあまり良くない表現がある場合もありますが、歴史的記述であることを尊重し一切手を加えていません。


<川田鉄弥>

土佐群初月村(高知市)出身。川田惣七・丑子の長男。 7歳の時に実父が死去し、坂本牛太郎が川田家をつぎ、その養子として育てられる。1892(M25)高知県尋常中学校(追手前高校)卒業後、上京して東京帝国大学分科大学に入り1899(M32)卒業。 同年9月文部省に入り、翌年1月陸軍幼年学校教官となり、東京専門学校(早稲田大学)講師を兼任。 教員生活で一貫教育の必要を痛感して退職し1903(M36)4月東京帝国大学卒業生として初の東京府小学校教員の免許を受け高千穂小学校を創立し、校長に就任。

川田鉄弥


川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校
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●こちらはアメリカ人と日本人の散歩の捉え方の違いについての記述です。
彼の國の人は、散歩に誘ふと、格別の差支がない限りは、必ず一處にやつて来る。元來運動のため、躓の向く處に逍遥するのであるから、理屈ばつた話などせずに、あたり障りない快活な話などしながら、歩いて歸(かえ)る。行先を聞いてから、それなら今日はよしませうなど云ふやうな人はない。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 pp.46-47

 こちらはアメリカ人の散歩は気楽なもので、日本人の散歩は理屈ばったところがあるという記述ですが、川田鉄弥が日本人は散歩をする時、目的地を尋ねてそれが自分の行きたいところと合致していなかった場合行くのを止めてしまうという指摘は当時の日本人の散歩感のようなものが垣間見れて面白かったです。

 あえて川田鉄弥がこのような例を挙げたということは、おそらく当時の日本では誰かを散歩に誘った時にこのような断られ方をするのがある程度一般的なものだったのではないかと推測できますが、もし仮にこれが当時の日本で一般的だったのであれば、現代とは散歩に対する考え方が随分違っているのではないでしょうか。

 現代の日本だと散歩というのは大抵の場合、特に目的地を定めることなくぶらぶら歩くというものとイメージされていると思うので、「外に出るのが億劫だから」という理由で断られることはあっても散歩の目的地を尋ねて断るということはあまりない気がします。子供の場合は散歩の目的地を聞いてきたりすることもありそうですが、大人の場合はそのようなことはまず無さそうなイメージです。

 この当時の日本人の散歩の捉え方について興味を覚えたので、他の文献も紐解いてみたところ、1902年発行の「家庭の和樂」では散歩について以下のような記述があるのを見つけました。こちらを見ても当時の日本人は散歩は用事があるからこそするものだという考え方が一般的だったのではないかと推測することが出来そうです。

用事もないにさうぶらぶらと歩かれる者ではない、とはよく聞く言葉であるが、それは矢張り籠城主義から割りだした考へで、散歩の必要を知らず、散歩の習慣を作らぬからである、用事のないに、ぶらぶらと歩くこそ散歩が面白いので、其面白みを覺えて來れば、少しの間を盗んでも、ツイちようと出て見たくなるものである。

堺枯川 『家庭の和樂』 1902年 内外出版協會 p.379



●こちらは海外旅行前に川田鉄弥が他の日本人から事前に注意された外国でのマナーについての記述です。
出發前先輩諸氏に注意せられたる事項二三を左に示さん。

其一 乘船切符購入の際、職名身分を詳(つまびらか)に申し出づべし。
其二 食卓着席順は、事務長の定むる所なるが、船長の右第一を上席とし、左第一を次席とし、身分に從ひ、交互順次に席順を定むる事と心得べし。
其三 料理店・旅館等に飲食物を持ち込まざるは、紳士の所爲(しょい)なるべし。船も一種の浮旅館なれば、ボーイなどに、日切料二十五錢乃至五十錢ほど與(あた)ふべき習ひなど思ひ合せば、バアーにて、欲しき飲料を買ふ方、却(かえっ)て經濟なるのみならず、紳士の體面(たいめん)を保つものと知るべし。
其四 邦人の打ち集ひて洋食せるを、外人より見れば。鳥の水を飲むが如く、頭を上下するが故に、體裁(ていさい)見苦し云々とかや。されど、上品に、行儀よく食すれば、本元の外國人に優ることあり。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 pp.27-28

 こちらは川田鉄弥が欧米を訪れる前に日本人から気を付けた方が良いと注意された海外でのマナーなどについての記述で、①が身分証明について、②がテーブルでの上座と下座について、③がチップについて、④が洋食マナーについての内容になっています。

 あえて上記のような注意を事前に受けたということは当時このような失敗をする日本人が多かったということなのでしょう。①②③は特に言及する内容ではないかと思いますが、④は当時の日本人がまだ洋食の際のマナーに不慣れだった様子が垣間見れて興味深い記述でした。

 食べる際に「頭を上下する」というのはスプーンを口元に持って行かず、顔を皿の方に近づけて食べていたということなのでだと思うのですが、現代だと日本の料理文化に洋食はかなり溶け込んでいるので十分浸透しているマナーと言えると思います。

 当時の洋食の作法がどんな感じだったのか興味が出たので色々調べてみましたが、1901年発行の「普通礼式」の洋食マナーの項目では「魚中心の日本料理とは違い、西洋料理では鶏肉などがよく出るのでちゃんと噛まないと消化不良を起こしてしまいます」といった感じのことから説明されていて、まだ洋食が一般的でなかった当時の日本の様子がよく分かり大変面白かったです。

 参考文献:香雲軒 『普通礼式』 1901年 盛林堂 p.50



●こちらは航海中の船内での日本人の様子についての記述です。
兎角(とかく)、日本人は、航海中も、船室に引込んで、内氣に流れるが、外人は甲板で、輪投げをやつたりして快活に活發(かっぱつ)に、善く遊んで居る。
今後、外人と共に、事業を營むことが増加するであらうが、或程度迄は同化してやらないと、全然性格を異にして居らるるやうに思はれる節がある。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 p.33

 日本人があまり船室から出て来ないという言及は他の旅行記でも見かけることですが、甲板に出て積極的に外国人と交流していたという言及がある記述も同様に多く見かけるので、おそらく外国人と比較すれば日本人は船室に籠りがちだということを川田鉄弥は言っているのでしょう。

 先日の記事で紹介しましたが、仲小路廉は「欧米巡遊雑記」の中で船旅で特に苦労したことについて船室が暗かったことを挙げているので、なかなか船室にばかり籠っているというわけにもいかなかったことだろうと思います。

関連記事
「米国での社会的地位は金で決まる etc」(明治時代の海外旅行記:『欧米巡遊雑記』)
薄暗き「キヤビン」内にて「フラフラ」痛む頭を押へ、「コツコツ」鞄を引き繰り返し底の方より衣服や「シヤツ」を引きずり出し、先づ一通り揃ひたる積りにて、例の如く「シヤツ」を引き被り襟を付け、紐を掛けて見れば這(こ)は如何(いか)に一つ釦(ボタン)が不足なるより更に又鞄を開き、中を掻き囘(ま)はし、漸(ようやく)にして搜し當(あた)れば、又外に不足の物を見出す抔(など)、始終如斯(かくのごとき)苦を爲すには實(じつ)に堪へ難き所にして、之れには流石の一行も染み染み閉口したる所なりき、

仲小路廉 『欧米巡遊雑記 米国之部』 1900年 長谷川友次郎 p.15



●こちらは当時の外国人の日本案内記についての記述です。
概ね皆海外人士の日本遊覧を試みんとする際に、極めて便利なる案内記なり。只惜むらくは、其内容、動(やや)もすれは、日本の実情を写し得ざるものあり。甚だしきは母国に於る忌むべき風儀を針小棒大に記載し、之を繙(ひもと)く者をして、日本、来遊の好奇心を高めしむるが如き事なきを保し難し。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 pp.36-37

 こちらはラフカディオ・ハーンやチェンバレン、シドモアなどの外国人による日本旅行記について内容の一部にちょっとしたことを大袈裟に記述して読者の好奇心を煽っているところがあると言った記述です。

 川田鉄弥がここで取り上げた外国人は当時の日本旅行記を書いた代表的な人物ばかりで、その内容も全体的には高水準な内容なのですが、それでも当時の日本人から見て大袈裟に記述している箇所があるという感想を抱いたというのはとても参考になる記述でした。

 現代の日本人から見てもある程度は分かる部分もありますが、当時の日本人とは随分考え方も違い、様子も様変わりしているので当時の人でないと気付けない違和感は多いはずなので、そういう意味でも外からの視点と内からの視点の両方に目を通すことの重要性を改めて感じました。

 同じことは日本人の海外旅行記についても言えると思いますので、日本人が見た当時の国の様子だけではなく、当時の外国人から見た自国の様子の記述についても触れて行く事が大事だと思いますので、この手の記事でもなるべく拾い上げて行くようにしたいです。



●こちらはアメリカの公園を観た感想についての記述です。
只咸(かん)じたことは、公園内に「入るべからず」など書いた立札の、一つも見當(みあ)たらなかつたことと、彼の國の人々は、日曜などに、うち伴(つ)れて、この公園に遊び、樂しく半日を暮す美風のあることで、兎角、人々が勝手なことをしない。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 p.46

 面白かったのは、川田鉄弥が別の箇所で「日本のやうに、戸毎に、多少の庭園を有せる都市では、比較的公園の必要もないけれども」として、一方で外国では建物が多いので植物が少ないので公園の必要性が高いという風に言及していたことでした。

 勿論、公園が緑を豊かにするという役割を担っていることはいうまでもありませんが、現代だと公園の役割はどちらかと言うと遊んだり、身体を動かしたりする場所と言うイメージをする人が多いのではないでしょうか。

 当時日本人が散歩や外での運動をあまりしていなかったということは外国人がよく指摘していることであり、日本人自身よく散歩をしている外国人を見て言及していることなので、当時の日本人だと「公園」という言葉からは身体を動かす場所というよりは、川田鉄弥のように庭園といった役割を担っている場所というイメージをする人がもしかしたら多かったのかもしれません。



●こちらはネイティブアメリカンについての記述です。
亞米利加印度人が、新大陸に住んでゐたが、其後、續々(ぞくぞく)と歐州文明人士が移住してまゐつたので、優勝劣敗の餘、銅色人種は、西北部に遂ひ込められ、人口も年毎に減少して現今は、二十五万人位になつたのである。博愛主義に豊かな米人は、それを氣の毒に思ひ、彼等の末路に同情を寄せ、一定の地を與へ、特に保留所を設け、保護せられて居る。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 pp.56-57

 こちらはそもそも取り上げるべきかどうかを悩んだのですが、現代的な視点で見ると大分考え方が違うので学術的関心という点で取り上げる価値があると判断して紹介しています。

 辺境に追いやられ人口が減少したネイティブアメリカンに対して、アメリカ人がそれを気の毒に思って保護したという内容ですが、最初これを読んだ時は川田鉄弥によるアメリカ人への極めて痛烈な皮肉なのかと思って前後の文章を何度も読み直したのですがどうやらそのような皮肉ではなさそうでした。

 アメリカ人が博愛主義に富んでいる可能性までを否定する気はありませんが、少なくともネイティブアメリカンを追いやった側であるアメリカ人をこのように評価するのは現代社会であれば炎上が起きることになりそうです。

 果たしてこういった考えが当時どれ程一般的だったからは分からないので、川田鉄弥個人の考えでしかない可能性も十分ありますが、本作を読む限り川田鉄弥は当時の他の日本人と比較して愛国心に若干富むものの充分常識的な範疇の考え方をする人物という印象だったので、かなり衝撃的な部分でした。



●こちらはイギリス人が列を作ることについての記述です。
其門扉の開かるる迄、到着の順序に、斯(かく)の如く、後へ後へと並び、秩序正しく二列になつて居た。是れは、英國の慣習である。上下を通じて、斯くもあるかと、美風を羨ましく思つた。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 pp.125-126

 こちらはイギリスの劇場前でイギリス人がきちんと行列を作って始まる時間まで待っている様子を見て川田鉄弥が羨ましい習慣だと思ったという記述ですが、当時からイギリス人がきちんと行列を作っていたという点と、それを川田鉄弥が羨ましがったという点は興味深いものでした。

 現代の海外掲示板を覗いているとイギリス人はよく行列をつくる国民だとネタにされており、このサイトでも何度か紹介したことがあるのでご存知の方も多いと思うのですが、当時からイギリス人がきちんと行列を作っていたというのは、時代によって変わらないイギリス人の習性が見られるようで面白かったです。

関連記事
外国人「イギリス人は何処だろうと無意識のうちに列を作ってしまう」海外の反応 
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 また、川田鉄弥がイギリス人がきちんと行列をつくっている様子を見て羨ましいと思ったことからは当時の日本ではそれが一般的ではなかったということが窺える記述で大変興味深いものでした。

 現代だと海外掲示板などでは日本には列を作る文化があるという指摘はよくされていますし、むしろ旧聞に属する話ではありますがこれが日本では比較的新しいものだというのは意外なものでした。
 関連:Japan Earthquake and Tsunami 2011, a Queue, Crowd Control, How You Can Help



●こちらは当時のイギリスの習慣の変遷についての記述です
近時、其風俗が、以前に比べ、稍々(やや)移り変つたらしい。
(一)婦人の間に、喫煙の兆しあること、
(二)男女手を携へて、往来する風習減少せること、
(三)衛生上、接吻の害を説き、日本流のお辞儀を必ずしも非認せざること、
(四)シルクハツトを濫用せざることなどは、以前に比べ、著しい相違であるさうだ。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 p.133

 当時のイギリスの習慣がそれまでと違い幾つか変わったという指摘ですが、現代から過去を見た場合どうしても時代区分はざっくりと分けるしかなく、当時の風習の変遷なども鈍感になってしまいがちですが現代でも数年経てば流行が全然違っているように、当時であってもそれが変わらないことは文献などを読んでいても明らかです。

 この記述での習慣の変遷はあくまでも「らしい」と伝聞形なので実際は違っていた可能性はありますが、それでも当時のイギリスの様子を窺うことのできる興味深い記述であると感じました。



●こちらはフランス人と日本人の身長についての記述です。
英米二國の人士に比べると、佛國人士の身の長けが、日本人と比べて大差なきに、心を慰めつつ一口に西洋人とは云ふものの、男も女も、米に・英に・佛に・獨に・露に、各々多少の相違あるを認めた。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 p.142

 アメリカ人やイギリス人と比べるとフランス人の身長は日本人と同じくらいで心が慰められたという記述ですが、1900年頃の日本人の平均身長は以下のサイトによれば男性が157.0cm、女性が147.0cmだったとのことなのでフランス人の身長が低めだったということが意外でした。
 関連:https://graphic-data.com/page/sport/001.html

 テュービンゲン大学の研究によると1810-1980年(出生年基準)までのアメリカ人、イギリス人、フランス人の平均身長の推移はこのような感じらしいので、確かにアメリカ人、イギリス人と比較するとフランス人は身長が低いので川田鉄弥が心を慰められたのも理解出来ました。
 キャプチャ
 https://ourworldindata.org/human-height

 現代の平均身長の比較だとフランス人の平均身長はwikipedia(2003-2004年)によれば男性が175.6cm、女性が162.5cmで、日本人の平均身長(2010年)はこちらのサイトによれば男性が171.5㎝で、女性が158.3㎝とのことでした。



●こちらはイタリア人と日本人が似ていることについての記述です
途中の各驛(えき)で、伊國人を見る都度、身の長(た)け、略(ほ)ぼ日本人と同じいばかりでなく頭髪も黒きにつけ、巴里で買物にまゐつた際に、伊國人にやと尋ねられたも、無理でなかつたと思つた。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 p.166

 こちらはイタリア人が日本人に似ているという記述ですが、明治時代の日本人の海外旅行記を読んでいると外国人からイタリア人と間違われたという話や、イタリアを訪れると日本と似ていて驚いたといった記述はよく見かけます。

 また単なる外見的特徴だけでなく文化や習慣などについてもイタリア人は日本人と似ているとされることが多く、例えば1918年に発行された日本青年教育会編の「世界一周」では日本人とイタリア人の似ている所について次のように触れられています。

伊太利という國は頗るよく我が國に似た點が多い。

(中略)

人間やら田舎の家のつくりやら洗濯物を干す工合やら、何から何までよく似通つてゐる。水田が開けてゐ、苗を植ゑたりする有様やら、食べ物なども魚を澤山用ひ、佛蘭西あたりの料理よりも日本人の口に適ふ。又マカロニ―といつて日本の饂飩によく似たものまでも出來てゐる。
火山が多くて地震が頻繁であるなども、よく似てゐるが、言葉までも總べて語尾が母音で終つてゐるので、無意味に聞いてゐると日本語かと怪しまれる。

日本青年教育会編 『世界一周』 1918年 日本青年教育会 pp.107-108

 現代だと日本人とイタリア人が間違われるという話は聞いたことがないので、海外のネットでそういう話は出ているのか軽くググってみましたが特にそう言う話は見つかりませんでした。

 ただ検索したとき予測検索で表示されたのが「japanese italian fusion」で、これは一体何のことかと思ったらイタリア料理的な要素が日本料理に取り込まれたものをそのように呼称しているようです。以下の記事の筆者はそういう料理のことを愛情を込めて「日本のスーパーマリオ料理」と呼称していました。
 関連:Super Mario Cuisine: Italian-Japanese Fusion at its Best!



●こちらはドイツ人が犬を愛好することについての記述です。
犬を伴れて居る紳士淑女の少からぬことである。然るべき家には、必ず犬を飼ひ、其犬に、人間同様の食物を食はせて優待するものと見える。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 pp.187-188

 ドイツ人が犬を愛好するというのは割と有名なことなので知っている方も多いと思いますが、「帰ってきたヒトラー」という映画の中でもドイツ人の犬好きについて触れている部分があり、ドイツではそれほど犬を愛好する文化があるのかと感じ入った経験があります。

 この文化が100年以上前のドイツにも存在していたというのは大変興味深かったです。この歴史については定かではありませんが、ドイツの知識人(ショーペンハウアーなど)は犬を愛好しているというイメージがあるので、結構古い文化なのかもしれません。



●こちらは日本人とドイツ人の移民の特徴についての記述です。
海外至る處の都市に、獨逸(ドイツ)移住民の多いのは、其發展(はってん)驚くべきことであるが、之等の人々は、家族制度の下に生活してまゐつた日本人などとは、大に其趣味を異にして居らるる點(てん)がある。

それは、如何なる點であるかとふと、多少の資本を携へて、海外に出掛け、商店を設け、其の處で多少の利益を見定め、一端落付くと、本國のことはうち忘れ、全くその土地に歸化(きか)した人同様になることである。

川田鉄弥 『欧米遊記』 1908年 高千穂学校 p.190

 ドイツ人は外国に移住したら本国のことをさっさと忘れてしまう傾向があるという内容ですが、川田鉄弥がこれを日本人と対比させているように、当時の文献を読んでいると日本人は移住をしてもなかなかその土地に馴染もうとしないとする言及はよく見かけるので国民性の違いが現われているようで興味深い記述でした。

 当時の日本人の著作を読んでいると海外で働き金銭を得て、それを日本に持ち帰るという意識が全体的に強いのでそういったところも影響しているのではないかと思いました。





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    1.     2020年06月02日 12:17  ID:qox2ASK20 このコメントへ返信
    >当時日本人が散歩や外での運動をあまりしていなかったということは外国人がよく指摘していることであり

    これ、日本人は明治になるまで武術とか馬術の類い以外で体を動かすということがなかったという問題があった。
    体育研究、教育が現れるのが、明治11年の体育伝習所が創設されてから(筑波大学の前身の1つ)。
    当時の学生がわりとよく体を壊すんだけど、この原因の1つとして、運動不足が挙げられていた。
    ここをなんとかしようというので、帝国大学の学生を中心としたクラブ活動ができる。
    2. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 12:24  ID:qox2ASK20 このコメントへ返信
    >堺枯川 『家庭の和樂』 1902年 内外出版協會 p.379

    堺利彦やんけ。飼っていた猫の名前はナツメといったそうな。夏目漱石(の吾輩は猫)であるにちなんでいる。
    3. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 12:24  ID:HO.PvWXp0 このコメントへ返信
    今でも散歩に誘われたら、何処行くの?って聞くと思いますが。

    河原に行くとか、海を見にとか、店を冷やかしにとかによってどの程度の距離で時間がどのくらいでって判断して、誘われた方は今後の予定と見合わせて承諾したり断ったりとか普通かと。
    誘った方も、ふらふら歩くにしてもどっち方面とか言うでしょう。
    全くそういうのを気にしなくて良いのは、頻繁に一緒に行動していてだいたい何処へ行くか見当が付く仲間内や融通の利く家族相手だけかと。
    4. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 12:33  ID:I9lOC2Fp0 このコメントへ返信
    ttp://drazuli.com/upimg/file18210.png
    アメリカ先住民を居留地へ入れたのは、もしかすると当時の川田鉄弥から
    見れば、自分と違う人種をちゃんとした家や学校に入れ、税金で保護したから
    博愛だという考えだったかもしれない。アボリジニは白人に絶滅させられたから
    一見アメリカ人はマシかと思われているが、実際は同化政策の一環で現在でも
    アメリカ社会に馴染めない先住民は自殺や獄死などで数が減っているみたい。
    しかもヒドイのが海外に寛容をアピールしているカナダでは先住民や有色人種の
    行方不明者は早々に捜査を打ち切り、見殺しにして計画的に数を減らしている。
    やはり本音は先住民を増やさせないで、移民で上書きしたいと思っているのだろう。
    5.    2020年06月02日 12:43  ID:stTDcWNl0 このコメントへ返信
    日本の散歩→近所に行く(目的地がある)
    目的地が無い散歩→徘徊

    これが日本の定義じゃね?
    6. んん   2020年06月02日 13:30  ID:S0kq6LjQ0 このコメントへ返信
    散歩していただけです、お巡りさん
    7. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 13:36  ID:78N09fH40 このコメントへ返信
    >伊國人にやと尋ねられたも、無理でなかつたと思つた


    これかな?
    ttp://drazuli.com/upimg/file18211.png
    8.     2020年06月02日 13:38  ID:bJe0VOzi0 このコメントへ返信
    イタリア人と日本人が似ているという話だと、テルマエ・ロマエを実写映画にしたときに古代ローマ人を演じるメインキャストを「濃い顔日本人」で揃えた話があるね
    イタリアは古代ローマを撮るためのすごい撮影地があるんだけど、そこで現地エキストラと濃い顔日本人で撮ったらしい
    そこで結構「日本人?ほんとに?」って驚かれたって話が原作者インタビューにある
    映画に対する海外の反応でも結構驚かれてたかな
    9. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 15:02  ID:qox2ASK20 このコメントへ返信
    ※6

    マッドなお医者さん「散歩は、もともと五石散という漢方薬を服用すると、体が熱くなってきて、これを維持するめには、そこらへんを歩かなければいけないというものだったそうです。そして、歩かないと死ぬそうなんですよ。ちょっとみてみたいですね。ということで、さあ、来い」
    10. ひふみ   2020年06月02日 15:11  ID:cpMv.K8T0 このコメントへ返信
    面白い記事なんだけど、原文を読むモチベーションが上がらないので、原文部分を現代文に意訳してから考察を書いてくれるとありがたいです。もちろん原文を読めば良いんですけどね……。
    11. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 15:52  ID:AG4maFcS0 このコメントへ返信
    ※8 そしてそこで北村一輝が死ぬほどモテた。
    12. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 15:59  ID:AG4maFcS0 このコメントへ返信
    ※1
    日本人は割と昔から体操水泳(と科学)が得意だったから、なんか意外だね
    13. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 16:44  ID:UHIUr3Yi0 このコメントへ返信
    1900年初頭って、世界では植民地やら帝国主義が普通な時代なわけだし
    戦って勝ち取った土地はむしろ正当な所有権を有しているのが当たり前の時代なのでは
    だから先住民族が追いやられているというより、負けた人にも救いの手を差し伸べているのは偉いなというのはむしろ当時として普通の感想になるのではなかろうか
    14. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 17:36  ID:xU4kuC.K0 このコメントへ返信
    ※11
    東アジアを煮詰めた顔ではある
    でも煮詰まっていない火加減が絶妙

    15. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 18:12  ID:qox2ASK20 このコメントへ返信
    ※12

    明治初期の高等教育での体動かす系の話は、ほとんど剣術の話なんだよね。あと、弓。
    まあ、当時の政府関係者が武士階級ばっかで、高等教育を受けに来たというのが、圧倒的に士族が多かったというのもあるんだけど。
    帝国大学ができて、クラブ活動とかが盛んになってだんだんかわっていく(ボート、野球、陸上とかが出てくる。柔道も後発で、柔道部ではなくて、講道館(明治15年開設)とかでやっていたみたい)。
    去年の大河ドラマで出ていたのは、これ以降の話になる。嘉納治五郎がいろんなところに押し出しがきくのは、帝大卒とか、軍の偉いヤツに弟子がごろごろいたからというのがある。

    水泳はやってる人が多いんだけど、古式水泳で、スポーツじゃなくて武術の類いだった(大正年間の中学生の話で、古式泳法していたという話があるので、昭和になってもあるんじゃないかねえ)。

    スポーツが、民間に普及しだしたのが、徴兵制のからみがあって、学校で、健康な男子を育成して、兵隊になれるようにみたいなのが背景にある。りんちゃんの話で、体格調査があるけど、これは多分、徴兵の体格調査だと思う。
    16. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 18:31  ID:PJGhQJe00 このコメントへ返信
    ttp://drazuli.com/upimg/file18213.jpg

    散歩のマンガ面白い。キャラもかわいい。
    ロケハン場所がそのまま出てくる方式だけど
    プラットフォームを貸し出せば全国、全世界バージョン
    だって作れるから無限の可能性を秘めた作品。
    アニメ化したらいけると思うんだけどなー。
    17. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 18:41  ID:ijWE.G8S0 このコメントへ返信
    ※16
    ちい散歩とかブラタモリとか、孤高のグルメとかもある意味では散歩ものだわな。
    内容的には散歩というよりも、散策の体をした小旅行的内容だけど。
    これも「目的をもって散歩する日本人」的なモノなのかも。
    娯楽フィクション作品だから、ただ歩くシーンだけでなく周りを見るなどのネタが必須なのはともかくとして。
    18. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 18:50  ID:SETfMbGj0 このコメントへ返信
    「現代日本人の散歩観」については、オコジョ氏の見解は当たってないように思う。

    現代人も足の向くまま気の向くままってのは少数で大抵はやっぱり何か目的(目的地)があって歩いてる、そしてそれを散歩と呼ぶ。むしろそんな「理屈ばったところがある」のは昔の人も同じだったんだな、と自分は受け止めた。
    コンビニまでぶらぶら歩くとか、運動不足の解消とか(さらに発展すると本格的なウォーキング)、御近所の庭木や草花を愛でる(それが高じると路上観察やブラタモリ)とか、ただ歩くだけでも何か目的があるし理由を求めたがる、逆に言うと動機付けがないとわざわざ歩かない。それが(少なくとも近代以降)一貫して日本人の散歩。

    「おや、どちらまで?」「野暮用で、ちょっとそこまで」という古典的なやり取りがあろけど、言葉遣いは変われど「どこ行くの?」「あー、ちょっとね」って割とよくある会話だと思う。
    これこそが日本人の散歩で、歩くからには何かしら用事がある、仮になくても用事があるかのように振る舞うのが自然な事だったのは昔から変わってないんじゃないかな。
    19. 参謀猫   2020年06月02日 19:33  ID:ijdZ5XKd0 このコメントへ返信
    ちょっとそこまで散歩に行って来ます。

    大ぜうぶですよ。重要事件以外起きませんから。
    20. 管理人です   2020年06月02日 20:01  ID:JvPdF5nr0 このコメントへ返信

    皆さんコメントありがとうございます。

    >>3、>>5、>>18さん
    とても参考になるご指摘ありがとうございます。
    あまり目的地を定めて散歩しない自身の経験を当てはめ過ぎたようでした。
    こういう認識は指摘されないとなかなか気付けないので有難く思います。

    >>10さん
    ご意見ありがとうございます。
    以前の記事でも同様の意見を頂いたので簡単な内容の要約を入れるようにしているのですが
    現状だと要約が簡潔過ぎるでしょうか?
    この辺りのさじ加減がまだいまいち掴めてないので、ご意見有難く思います。

    21. 参謀猫   2020年06月02日 20:13  ID:ijdZ5XKd0 このコメントへ返信
    ※20 散歩に良さそうな曲を

    ドラムのフィルまで感じつかんでる。細野さんから、最近アメリカ人が
    日本語のままカバーしてるよと聞いてたけど、ほんとなんだね。(松本隆)

    風をあつめて (Gather the wind) - Happy End Cover

    ttps://youtu.be/QeWtMZYjnCE
    22. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 21:17  ID:ZoLp8cG00 このコメントへ返信
    英語よりもイタリア語のほうが日本人には勉強しやすいというのは、今でも聞く。

    その一つには、ほぼローマ字どおりの発音という点もあるが(てか、現代英語は日本語でいう歴史的仮名遣い並みに発音と表記が乖離してしまったまま放置されてる感が…)、やっぱり母音がしっかり付く響きが馴染みやすいというのも大きいらしい。
    23. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 22:39  ID:p4I81dNt0 このコメントへ返信
    散歩感というか、、アメリカ人の気さくさに感動を覚えたみたいなことではないだろか?
    現代の日本人だって道で知人にあったからといって
    「ちょっとそのあたり歩きませんか」なんて言われたら、
    なにか相談したい悩み事でもあるのだろか?と少しドギマギしてしまう
    しかしアメリカ人は気さくに応じて適当な雑談をして、それじゃまた、となる
    おそらく最初は著者のほうがそういう雑談交じりの散歩に誘われたのだろう
    当時はまだ日本人は珍しかったはずで、アメリカで疎外感を感じていたところ
    あちらから気軽に声をかけて散歩に誘って話をしてくれた
    その体験に感銘を受けたかなにかだったのかもしれない
    24. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 22:49  ID:SETfMbGj0 このコメントへ返信
    ※20
    18です。
    普段は「上手いこと言って笑いを取る」ことを目指してコメしてますが、今回のように自分なりに考える(そして書く)土台をも提供してくれる暇劇、ほんと大好きだ。これからも楽しみにしてます。

    あと、折角の機会なので… 
    幕末明治を生きた古老からの聞き書きをまとめた、篠田鉱造の一連の作品、いわゆる「百話シリーズ」、あれは名著ですね。暇劇の最近の企画に触発されて、20年位ぶりにちらちらと読み返してます。一篇一篇が短いので拾い読みも楽しい。
    25. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 22:55  ID:9DenJEqM0 このコメントへ返信
    学生時代知らない土地を歩き回って田舎道や雑然とした住宅街をうろつくのが好きだった。どこにいるのかわからなくなってきた頃にふと前歩いた場所に戻ってきたりすると一気に土地勘が開けてくる。いまやると不審者だが当時の経験は3.11のとき夜中知らない道を歩く時の助けになったと思う。
    26. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月02日 23:59  ID:z.GQDTFQ0 このコメントへ返信
    ttp://drazuli.com/upimg/file18214.jpg
    日本は散歩より旅行に比重を置いてるんじゃないかな?
    27. 名無しのミリヲタ(ワニ)   2020年06月03日 00:15  ID:YGFhVVL30 このコメントへ返信
    ※6
    今から『散歩』しに行ってやるワニ。
    ttp://drazuli.com/upimg/file18215.jpg
    (徘徊型兵器の画像にしようと思ったけど、見た目が地味なのでやめたワニ。)
    28. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月03日 01:01  ID:NFH4T4Zb0 このコメントへ返信
    出典がゴルゴ13読んだだけの知識で申し訳ないが
    若き日の毛沢東とスパイが出会う話があって、その中で毛沢東がジョギングかなんかしててそれを見つかってごめんなさい鍛錬しているのをみんなに黙っていてくださいと言うわけだ。
    そこの注釈に当時の中国の常識では無為に体を動かすことは悪いことだという風潮であったと書かれていた。
    日本と中国の違いはあれど、100年足らずの前ですらそんな風潮があったのかとびっくりした記憶がある。
    東アジア圏ではもしかして、健康や鍛錬のために体を動かしましょうなんて言う今の感覚が数千年なかったのかね?
    29. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月03日 02:49  ID:jwrsKmvp0 このコメントへ返信
    原文を注釈やルビ無しにて一息に読み下さば、複雑なる絡繰を解き明かしたるが如くまるで頭が善くなつたやうに感ぜられ気分が善いので、オコジヨ氏にはクソ程面倒なる原文のタイピングを引き続き頑張つて戴きたく……
    30.    2020年06月03日 05:23  ID:8WrdQ8Dg0 このコメントへ返信
    >>4
    カナダで酷いのは先住民の女性が行方不明になる事件が多い事。
    まじで闇が深い。
    31. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月03日 05:32  ID:06S.uxvh0 このコメントへ返信
    すっげー読みづらい
    こんなに下手くそなまとめってできるんだな
    原文の引用部分だけまとめて最初に載せて口語訳を次に最後におまえの見解を載せろよ
    途中途中におまえのどうでもいい見解があってきつすぎて最後まで読めなかったわ
    32. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月03日 06:12  ID:Ok0.xG2U0 このコメントへ返信
    ※31
    このサイトが読みづらいなら、普段からロクに本などを読まないんだろうな。
    君のコメントの方が、よっぽど下手な文章だよ。
    33. まあちゃん   2020年06月03日 07:07  ID:beAZ.hzd0 このコメントへ返信
    5 <当時の日本人移民は外国で働いて日本に帰るという意識があったのではないか?
    鉄工所で20数年外国人と一緒に働いていて附に落ちる点です。
    20数年前のブラジル人労働者は「日本で稼いだ金でブラジルで家と農場を買った」と豪邸の写真を見せてくれる人が多かったのですが、10年くらい前から「(日本で生まれ育った)子供を連れて帰ったら半年間ずっと『日本に帰りたい。ブラジルは嫌だ』と泣かれて諦めて日本で家を買ったよ」とこじんまりした一戸建ての写真を見せてくれる人が増えました。
    34. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月03日 09:22  ID:ELzYyTg00 このコメントへ返信
    日本の昔の散歩といえば最寄りの神社仏閣へのお参りかと
    とは言え、社会階級や生業そして性別によっても差異がありそうだなぁ~

    と改めて自国の文化に興味を持ったよ
    知ってるつもりで全然自国の事を知らないと思い知らされるのが諸外国との比較記事ですわ
    35. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月03日 14:59  ID:OmZFNzbi0 このコメントへ返信
    ※13
    琉球やらアイヌとか考えると、きっともってる常識が違ったんだろうなとおもうとともに、
    逆によくそれが今のような人権意識になったなと。それとも根本は変わっていないのかな。
    36.    2020年06月03日 15:34  ID:AYJ7C5dc0 このコメントへ返信
    目的地の無い散歩は散策やと思ったわ
    37. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月03日 16:51  ID:TAJ4UNo90 このコメントへ返信
    うどんで笑ってしまった
    コシのあるマカロニーだったんだろうねえ
    38. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月03日 18:57  ID:QaFDmwFy0 このコメントへ返信
    ※30
    ある種の民族浄化じゃん
    39. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月03日 19:07  ID:QaFDmwFy0 このコメントへ返信
    ※12
    かつての栄光も今やいずこ あっちに行っちゃった人のいたユニット
    ttps://www.youtube.com/watch?v=gmnw6mrNGaY
    40. TKMOV   2020年06月03日 22:43  ID:yQjSc01a0 このコメントへ返信
    > 現代だと海外掲示板などでは日本には列を作る文化があるという指摘はよくされていますし、むしろ旧聞に属する話ではありますがこれが日本では比較的新しいものだというのは意外なものでした。
    西日本地方都市在住ですが、このあたりでも列を作るのは最近30~40年くらいの事と思います。昔は電車待ちでも並ぶことは無く、地方紙のコラムに「東京では電車を待つのに並ぶらしい」と書いてあるのを見て「へー」と思ったものです。そう思うと、イギリス人の行列好きは筋金入りですね。
    41. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月03日 23:03  ID:QaFDmwFy0 このコメントへ返信
    ※21
    夕方のお散歩にこんなのはどう?
    "Waterloo Sunset" ttps://www.youtube.com/watch?v=N_MqfF0WBsU
    53年前の曲だけどな
    42. ししとー   2020年06月03日 23:31  ID:ezK2BY5N0 このコメントへ返信
    日本食では背筋よく、頭を動かさないように
    「食器を持ち上げて」食べるのが良いっていうマナーで
    洋食は食器を持ち上げることがむしろすごくマナー悪いって扱いだから事前に注意されてたんじゃないかな
    43. 参謀猫   2020年06月04日 21:29  ID:RU.9tanR0 このコメントへ返信
    ※41 古いブリティッシュロックは知らなかったから
       興味深かったよ 聴いてみたらLolaとか落ち着いた
       良い曲が多かった。
    JAZZ好みなので、波長が似ていると思った。
    44. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月08日 13:04  ID:2r.vbWba0 このコメントへ返信
    散歩について、無暗に外出するものではないと有る事と、当時の生活を考えると
    家事に取られる時間が多く、外出する暇が無かったのでは。
    また当時日本に来る外国人なら使用人が居て、散歩する暇は有ったでしょう。
    45. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月09日 12:01  ID:.U5dn5iR0 このコメントへ返信
    滅茶苦茶興味深い。ありがとう管理人さん。
    46. 無味無臭なアノニマスさん   2020年06月18日 23:54  ID:BjO2MBzm0 このコメントへ返信
    遺伝子、ハプログループ、日本はD系、地中海沿岸はE系。
    D系もE系もかなり減ってるとはいえ、もともと地中海と日本は兄弟みたいなもん。
    長い歴史でだいぶ容姿は変わってきちゃったけど。。。
    ベリッシモ氏あたりで分かる通り、日本人にもいる顔だったりね〜!
    おそらくローマ人は、マジで阿部寛氏とそっくりな人がいたはず!!
    47. 無味無臭なアノニマスさん   2020年07月06日 17:21  ID:jr7IhuZ10 このコメントへ返信
    ※17
    ブラタモリは東京限定だった頃は歴史番組的な感じが強かったけど、全国展開になったらすっかり地学番組になったな。
    48. 無味無臭なアノニマスさん   2020年07月06日 17:23  ID:jr7IhuZ10 このコメントへ返信
    ※22
    発音は英語よりイタリア語の方が日本人には簡単だけど、文法含めた言語としての難易度はイタリア語の方が上だと思う。世界共通語が英語でよかった。ラテン系言語と違って男性名詞女性名詞とか覚えなくていいし。