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- 2020年06月21日16:00 / カテゴリ:明治時代関連
- イギリス商人「日本人の買物の仕方には『妙にひねくれた好み』がある」(明治時代の海外旅行記:杉村楚人冠『半球周遊』)ツイート
こちらは明治時代の新聞記者だった杉村楚人冠(杉村廣太郎)が明治41年(1908年)に「朝日新聞主催世界一周會附特派員」として欧米各国を訪れたときの旅行記(『半球周遊』)で、興味深かった記述や当時の社会の様子が窺える記述を取り上げた記事です。関連記事
なお、引用箇所の一部には現代の基準だとあまり良くない表現がある場合もありますが、歴史的記述であることを尊重し一切手を加えていません。
<杉村楚人冠>
杉村 楚人冠(すぎむら そじんかん、明治5年7月25日(1872年8月28日) - 昭和20年(1945年)10月3日)は、新聞記者、随筆家、俳人である。本名は杉村 廣太郎(すぎむら こうたろう)。
杉村楚人冠参考文献:杉村楚人冠 『半球周遊』 1909年 有楽社※先日、読者の方から「1冊1記事」ではなく「1テーマ1記事」にしてほしいという要望を受け、ツイッター上でアンケートを取ったところ70%で「1テーマ1記事」が支持されたのでこの記事から実験的にその形式にしています。(ツイッターでのアンケートのご協力ありがとうございました!)https://twitter.com/drazuli/status/1272825038161362944
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●日本人の好みはイギリス人から見ると変わっているという記述です。
或日一周會(かい)の人々を連れて、寶石(ほうせき)商の店に買物に行つたことがある、買物の翌日此處の主人は四方八方(よもやま)の談(はなし)の次手(ついで)に盛(さかん)に日本人の趣味の高きを賞(ほ)めた。『初(はじめ)は田舎のお客と侮つて、夫れに相應した品物が賣(う)れる積りで居たが、買ふ物も買ふ物も飾り氣のない淡泊な物ばかり、寶石入のピン一つと言つても、寶石は一つだけ入つたのよりは取らず、時計の鎖にしても簡単な物簡単な物と選る。夫で居て値段の張ることは一向厭はぬ。實(じつ)に妙にひねくれた好みを持つて居る。』と言つて笑つた。
其の時僕は、日本で普通羽織の表が木綿でも、裏には大抵絹地を使ふといふ話をしたら、主人は思はず之れある哉と言つた様な顔で、小膝を打つた。杉村楚人冠 『半球周遊』 1909年 有楽社 p.153
【要約】
イギリス人の宝石商が日本人は簡素な品物ばかり選ぶのに値段が高い事には頓着しない様子を見て「妙にひねくれた好み」をしていると述べ、杉村楚人冠がそれに対し日本人は表が木綿で裏が絹の羽織を着ると言ったところその宝石商から「なるほど!」と言われたという内容です。【備考】
前半部分も後半部分も現代の日本人が共感出来る部分は結構多いのではないでしょうか。 何となくのイメージですが西洋人と比べると現代の日本人も割合簡素なものを好んでいて、宝石がゴテゴテと飾り付けられたものはどちらかというと悪趣味で成金的なイメージがあるような気がします。
現代宝石店での売れ筋ランキングのようなものがあれば参考になるかと思いちょっと探してみましたが、残念ながら見つかりませんでした。もし宝石商のような人と知り合うことが出来たら日本人の好みの装飾品の傾向など是非聞いてみたいところです。
また、後半部分の見た目は簡素でも実はしっかりした品物という点も結構日本人好みの様な印象を受けました。少なくとも見た目が派手ではあるものの質は良くないという品物との比較であったら前者を選ぶ日本人は多いのではないでしょうか。
ただこの記述の場合、杉村楚人冠ら一行が訪れた店が宝石商であるという点もある程度考慮に入れておかないといけないかもしれません。明治時代の日本人は宝石というものにあまり関心を向けない傾向があったというような記述を眼にすることが多いからです。
この「半球周遊」の中でも上記に先立って、杉村楚人冠は次のように述べていますが、ここからも当時の日本人が宝石という物に対してさほど価値を置いていなかったことが読み取れます。
西洋の女は能く數珠(じゅず)玉のやうなものを身體(からだ)一面につけてぎらぎらと光らせて歩くが、夫れが何で面白からうか。
日本でも貴婦人といふ手合には、衣物や襟に仰々しい寶石をちりばめて得意がつて居る者が大分出て來たが、斯ういふ貴婦人に限つて、多くは役者狂ひを事として居る奴原(やつばら)であるといふことを、僕は貴婦人の仲間中から聞いた。
杉村楚人冠 『半球周遊』 1909年 有楽社 p.152
杉村楚人冠がこの時欧米を旅行したのは明治41年(1908)年で、明治の後半にもなると日本人の間でも大分宝石が流行し始めており、そのことは上記の「寶石をちりばめて得意がつて居る者が大分出て來た」という部分からも読み取れますが、幕末や明治の初めの頃だと日本人の宝石への関心の薄さは特に顕著で、当時来日した西洋人が日本人が宝石などに興味をほとんど示さないことに驚いている記述をよく見かけます。
例えば、江戸/明治時代に来日したメイランやフィッシャーによる次のような記述からでも、当時の日本人の宝石に対する見方が窺えるのではないかと思います。
日本人たちには、我々が宝石と名付けているものについての概念がまったくない、というよりはむしろ、それに対してまったく何の価値も認めていないことは特異なことである。彼らの目の中では一片のガラスと磨かれたブリリアントカットのダイヤモンドの間に、何の違いもないのである。また宝石を装飾に用いるという習慣もほとんどないのである。
G・F・メイラン 『メイラン日本』 2002年 雄松堂出版 pp.114-115
西欧人にとって宝石に当たるものは、日本人にとっては金色漆塗りの製品である。宝石には日本人はたいして金を出そうとしないし、女性ですらあまり高く評価していない。(わたしは彼女たちのそうした考えは、たいへん価値あるものと思う)
アドルフ・フィッシャー 『明治日本印象記 オーストリア人の見た百年前の日本』 2001年 講談社 p.86
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通や金持ちは一点、アクセント程度にしかブランド物は使わない。そのかわり見る人が見ればわかるような素晴らしさを身に纏う。
なんて言いますわな。
真珠のネックレスとかやたら通販で売ってるけどしてる人はほとんど見ないし
一テーマ一記事いいね、すごく分かりやすい
例えば、英国王室のバッキンガム宮殿と、日本の皇室の皇居。
金細工やガラス張りなんかの宝飾の品々が所狭しと並ぶ、豪奢で煌びやかな欧州宮殿。
どれも一流・一級品で誂えながらもそれらの品を人に見せるのは最低限に留め、それ故に拘りが強く、また最高の品で飾る皇居。
どちらも美しく、ただ絢爛か、幽玄かの違いってやつだろう?
粋だとかそういうものは「赤」を使わずにどれだけ格好良く、色っぽく
見せられるかというような。
フランス語の「シック」に少し似てるのかなぁと思うけども。
内容集めるの大変だっていうのならこのままでも
ここにも既に新聞記者という人種の特性が出てるw
明治期には新聞ネタにしてた悪趣味の成金の立場に、今では新聞等メディア側が立っている皮肉ww
リーマンの癖にポルシェを乗り回すテレ朝の玉川とかw 多くのTVコメンテーター芸人とか、腹の中では庶民よりも遥かに上と自惚れた夜郎自大の手合いばかりww
それらを組み合わせて精緻な細工を施された実用品に加工される事、つまり職人の仕事と手間にこそ真の価値があるって考え方があった
そして実用品である以上、用途の邪魔をするような装飾は蛇足、つまり欠陥だ
ごてごてと飾り立てた品は、盗賊や物乞い、あるいは俗に言うセコケチなどの良からぬ族を引き付けやすい、これもまた欠陥だと考えられた
誰しも多かれ少なかれ「自分がどのようなものであるか理解されたい」という承認欲求みたいなものはあって、装飾品はその表れでもある
多すぎる装飾品は自己顕示欲の大きさを物語っているので敬遠されるが、1~2点の「解る人には解る」ものを身に着けるのは本当の「同好の士」に出会いたいというサインでもあるんだよね
実は日本人は、徹底した幸福合理主義者なのではないか?と考えます
宝石なんかいくら散りばめても、生活そのものは全く快適にはならないし幸福にもならない
その金でおいしい食事や心地よい住環境を整えた方がはるかに幸福になれる
アニメやゲームといったサブカルや、またAV機器が極度に発達しているのも、
できるだけ安価にしかも楽しく生活を楽しむためにはどうしたらよいのか?
それをとことん追求した結果なのかもしれない
要らねえだろって作らないようにしようとしたら周囲がうるさく「いや絶対作れ」「後で恨まれるぞ」「不倫疑われるぞ」だの言ってくるからしぶしぶ作ったけど
結局不潔だし邪魔だしで結婚後もテキトーに仕舞い込んじゃってお互い全く嵌めてない…
なんなんだよ…
ここはコメ欄も含めて本文なところあるから両方含めた長さで考えると良いのではないだろうか
一個だけ装飾がないの欲しくて聞いてみたら売り物じゃなかったらしいんだけど「これしか欲しくない…」って話になったら売ってもらえた
明治期、輸出用に西洋に合わせた工芸品がだいぶ出たらしいけど、当時の好みのすり合わせ大変だったろうな
真珠は冠婚葬祭どれでもいけるので派手な宝石より需要がある
だから販売もよく目にするかと思われ
良く言えば皇室の美しきミニマリズム
悪く言えば他が価値をつけぬなら価値はない、ブランドロゴがついてればパチモンでも構わんという現代日本人の習わし
ちょっと調べてみたら、古墳時代に貴金属等の副葬が禁止されたために廃れたみたいね。その後は実用的なものの範疇でお洒落したって感じなんだね。これも日本人たらしめる独特な文化だよなあ。
大昔は全身に入れ墨をしてたって話だし、日本人も変わったよなwww
歌舞伎役者のように各種派手なので飾り立てるより、一点物で飾りたてる方が好きだからじゃないか?
服のコーデで色の主張が激しすぎるとダメなように
墨絵のように一色でも濃淡や明暗であっても強弱が引き立てられるようにする方が見栄えはいいだろうし
勾玉とか貴金属を飾ったのは、服装がシンプルだったり染色・刺繍の技術がなかった頃の話かと。
平安時代にはすでに染色技術はかなりなものだったし(襲の色目に名前がついてたり)、
装飾品はあっても宝石とかが主体のものじゃなくなってるよね。
希少価値だから高値がつくのと、小さくて持ち運びしやすいので
いざという時に持って逃げるのに適してる<宝石とか金銀の価値とおなじ
もちろん、美しいというのもあると思うけど。
>ちょっと探してみましたが、残念ながら見つかりませんでした。
>もし宝石商のような人と知り合うことが出来たら日本人の好みの装飾品の傾向など
>是非聞いてみたいところです。
宝石ランキングは1位ダイヤモンド、2位真珠、3位ルビー、4位サファイヤ
5位エメラルドみたいです。
ttp://drazuli.com/upimg/file18285.jpg
具体的には「お前金持ってる様だから借りてやる(返すつもりはない)」と言われる
あと、宝石のような動産より不動産に投資した方が効率がいい土地柄なんで
持っては逃げられないけど逃げるならそもそも耕さない方がマシってほど
田畑というのは労働力を投下することを要求するしそれに応えた収穫をもたらす
ヤクザの高級車・腕時計・宝飾品は換金できる物を持っている
そして情婦も風呂に沈めて前借りを得るため
特別に良い服を着ているわけではないけど
袖の下には・・・。
これに対する好みがそれほどないのは、日本は特にそうだろうが、ある程度は東洋共通のような気もする。
中国はそれなりに派手好きなはずだが、宝石というか「玉」や「璧」といえば、まずは翡翠や瑪瑙になるはず。
これに真珠と珊瑚と象牙を加えても、全て不透明かせいぜい半透明で、西欧のジュエルのような「透明」なイメージがない。
なるほどなあ
着る服やTPOを選ぶし…
庶民的な服に合わせようものなら宝石だけ悪目立ちするだけだし、わざわざ欲しいとは思わないな
日本人が全身に入れ墨…?
何の話だかわからんのだが
く~もり~硝子の向こうは~風の街~
魏志倭人伝の『男子無大小、皆黥面文身。(男は大きい小さいにかかわらず、皆顔や体に入れ墨をする)』のことかと。
幕府の改革(享保、寛政、天保)とかでもでてるけど、どこの大名も財政安定のために大体倹約令を出し、この倹約令が庶民にも及ぶので、簡素を求められる。
華美禁止なので、外見は簡素、中は高いものを好むという趣味になっている(着物の裏地が派手とか高いとかは江戸時代の話である)。
実用性重視、使いやすく判り易いデザインが為されたものが評価されるべき。
で、陶磁器は中華発祥だったにも関わらず伊万里の人気を見た中華が技術を逆輸入して伊万里風陶磁器を生産し出した
日本人としては伊万里好きな人もいるけど、質素な茶器の方に価値が高くつくのも感覚の違いかな
ダイヤは人造ダイヤの質が向上したので今後、価値は下落すると思う。個人的にはオパールとか好き。
だけど、宝飾品で銀だと酸化するし劣化も早いので、見た目は銀と大した違いがないけど銀よりも高価なホワイトゴールドやプラチナの素材にする。
日本人は見えない所のお洒落や一点豪華主義になっていったみたいな事書いてたな。
日本は無いからな
幕末〜明治でもいいし、大正〜昭和でも、令和の今でも。でも令和で切り取るサイトなんかたくさんあるからあえてそこに混じらなくていいのでは?
陶磁器や漆器、髪飾りはかなりゴテゴテしてるから
日本人がみんなゴテゴテしたの好かないってことはないと思うね
宝石細工より漆器ものが好きなんだろ
着物の柄も派手なのたくさんあったし、結局どこを派手にするかの差じゃない?
革命で父と娘が逃げていた
父「何もかも無くなったな」
娘「ちょっとの宝石なら隠し持ってきました」
父「どこに?」
娘「恥ずかしくて言えません」
父「そうか お前のかぁさんなら何倍も隠し持って来れただろうに」
仏教的には、七宝があって、金、銀、瑠璃(ラピスラズリ)、玻璃(水晶)、シャコ(シャコ貝)、珊瑚、瑪瑙とか、金、銀、瑠璃、玻璃、シャコ、真珠、マイカイ(不明)とかがある。
日本の場合、金銀に全振りした感がある。鉱物だと、国内で、ほかの宝石が、産出しづらいしなあ(翡翠、水晶くらい)。
ああいうのは白人や黒人の肌に似合う色
日本人の肌に合うのはシルバープラチナ真珠オパールだね
オーストラリアの宝石商のTV番組で店主が 「日本人ほどのオパール好き国民はいない」 って言ってたな
江戸幕府がしばしば行っていた極端な倹約令(奢侈禁止令)に対する江戸っ子なりの答えだったんだよね。
同様に、幕府から大きな雛人形を作るのを禁止されたら
小さいけれども細工にこだわった物に変化させたりも。
「日本の重要な美術品である刀が盗難された。」
といって出てきた刀の画像が柄と鍔に宝石がどっさりついてて、あぁ向こうの宝剣とかのイメージ
だとこうなるのかwって笑った覚えがある。
大陸から伝来した文物の中にも仏具を除けばあまり宝石類が無かったことやそもそも日本で採れる宝石類は種類が限られていたことなどが原因ではないか
しかし宝石の希少価値や加工技術が知られていない日本では、まがい物として見られてたのかもしれないね
横からですが、縄文人は刺青がデフォですよ
寺社などが金装飾で絢爛豪華だったのを見ると日本人でも着飾りたい心理ってのは昔でもあっただろうね
カンザシやクシなど高級品は売れてたからな
ただガラスに付いては、価値が認められてたからね
明治の産業革命の時にはいち早くガラスの製造も行われたし、その価値は、もう少し後になってから理解出来たんだと思うよ、当時はビードロやビー玉などと同じ感覚だったんじゃないかな
これ、今日の豆な
日本人が江戸時代にタイで日本刀を作ってたのは、そんな感じだよ、金と宝飾品で飾られてる
今でもタイ国王の即位式とか大事な式典には、その日本刀が使われてるよ
火消しも着物を裏返せば刺繍があったりするのが流行してたりしたからね
いまでいう成金趣味やギラギラなモノは傾奇者とか言われたな。
まぁそれはそれとして、表は質素でも内は豪奢ってのは、江戸時代の贅沢禁止令なんかも関係しているかもしれない。
景気が良くなって、江戸市民などが際限なく放蕩な事をするってんで贅沢なモノは禁止ってしたところ、見た目は質素でも、内張を高級なものにしたり、普段は見えない衿の内側に豪華な刺繍模様をほどこしたり・・・
限られたルールの中での抜け道を楽しむっていうか、そういう傾向とかも、続くことによって「粋」だと扱われるようになった可能性もあるんじゃないかな。
それが当時の日本人には理解出来なかったんだろうね
日本でも価値が、わかってたのは戦前は華族くらいでしょ
戦後に西洋の文化が一般化した時に価値が理解出来たんだと思うよ
江戸時代の影響って、すごい。
絢爛豪華より、質素で高価。
日本は、本質の追求傾向が強い。
しかし珊瑚やらは普通に珍重されてたっぽいのよなぁ。
日本の着物に宝石は合わない
晴れ着自体がデザイン性に富み、美術品だから
そこに宝石をつけても目立たない
かんざしにしても、黒髪に似合うのは真珠やサンゴなのでしょうか
それから日本人は控えめなので、光を反射しすぎる宝石は、自己主張が強すぎると思われるのかもしれない
又、日本人は互いにはっきりものを言わないので、会話の時は相手の表情や態度、声色に注意を集中する必要がある
その時に、ギラギラ光る宝石は気が散って邪魔になる
江戸時代に法律で、庶民の贅沢が禁じられていたからで、その時代が長かったから
習慣が残っていた、というのと
誰もが分かるような贅沢なデザインにすると、盗まれてしまうから、という理由でしかない
つまり、日本社会の横暴さと、日本人が盗人というのが原因であるのに
それを、美意識という事にすり替えて美談にするのは、いかにも日本人らしい歴史修正思想でしかない
アジア支配を目論んだのも、白人支配からの東洋の解放、と言い張り
韓国に侵略したのも、未開な韓国人に文明を与えた、と言い換えて
正しい行為にしようとしているのと、同じ事
ああ日本人に生まれないで良かった、とつくづく思う
中国では古代から入れ墨は蛮族か犯罪者の証だった
縄文以来卑弥呼の時代、弥生時代末期から古墳時代初期までは当たり前だった日本の入れ墨も、中国の権威や価値観を取り入れていく過程で廃れたのだろう
趣味は人それぞれで良いだろう
ttps://www.nicovideo.jp/watch/sm8387534
いや大体の人は表裏わかってると思うし、どうせそういうコメントすんなら知識となるものとセットにしてよ…わざわざそういうコメントやめてほしい…。
ダイヤはギラギラしていてあんまり好きじゃないけど、水晶は様々な種類もあって好きです。あと細工されたものじゃない限り、石の方が好きですね。大きい結晶は原石がどうだったかが気になるのは正道じゃないんでしょうが。
綺麗な原石って手に入りにくいのが残念…。少なくともライト層は色んなものには手を出しにくい。
贅沢禁止令の影響は自分も考えたし大多数が考えたろうけど
江戸時代以前はゴテゴテが好まれたか?と考えると違うし、
たかが数百年前でしかない。それ以前から日本文化は存在する。
茶道が侘び寂びを定義化するよりはるか前のものですら、
現代人の好みと同じ美的感覚を見て取れるのに。
江戸文化をちょっとかじった程度で日本文化を理解した気になるのは愚かだ。
あとな、未開人に文明を与えた、と言い換えて正しい行為にしようとするってのは
欧米の植民地政策の話だし、日本も狙われてたよ。うちらは戦って独立を貫いた。
戦地では逃げ回るくせに首相を暗殺するような卑怯者の集団が正義を語るなよ。
日本で鼈甲細工が盛んに作られるようになるのは江戸時代からだといわれてるもんね
サンゴも根付や簪の飾りによく使われてるし(長崎の桃サンゴ、土佐の赤サンゴが有名になるのはギリギリ明治からなんだよね、一応幕末に見つかったという話もあるけど)
鉱物でも赤メノウなんかは人為的に作られるようになったし、真珠・水晶は昔から海外には知られている(明の記録に人の頭ほどもある黄色いメノウが贈られたというのがある)
日本の装身具は身に着ける習慣が平安以降減っただけで、仏像には頻繁に使われてる
戦国時代はヨーロッパの影響で首飾りするのが流行ってたし、江戸時代になると簪なんかは派手なのが多い
幕末頃になると指輪しだしてるし
江戸時代はそれ以前と比べると、地味とは思えんね
品がよくてシンプルだから流行り廃りの影響が少なくて、
石自体もいいからいつでもどこでもある程度売れるって。