今日、東京都立川市にある「東京賢治の学校」という
シュタイナー教育を実践するNPO法人が運営する学校の
オープンスクールに行ってきた。
久々(20年ぶりくらい!)に小中高校生と接する機会だったので、
とっても新鮮でした。
いくつか、学びを得た日でした。
ある高校生の発表があったのですが、その学生がこんな風に言いました。
「考えるのは後でも出来るので、そのときは、
感じ取ることに集中していました。」
目からウロコでした^^;
つい、先に考えてしまいがちのですが、それだと、
きちんと「いまここ」ができない。
つまり、一緒にいる人たちとの一体感がもてない。
自分の世界だけに入ってしまうと思ったんです。
恐らく、一体になっているつもりなのですが、
そうなれてはいないのでしょう。
僕も、感じ取ることに集中するようにしているのですが、
ついつい考えてしまいます。
でも、「考えるのは後からでも出来る」という考え方は
発想にもなかったし、到達していなかったので、
正直、大分楽になれた気がします。
急いで、考えなくてすむのですから^^
素直に、謙虚に、その場を感じ取ればいいのですから。
実はそうなれば、自然と考えられると思うところもあります。
見る、聞く→ 感じ取る → 感じ取る
これが、素敵な流れかな、と経験から、直感的に思えるからです。
そうしないと、
「その場が、起きている流れが、何を求めていて、
誰の、どの思いを汲み取り、取り上げればいいか」
という最高の場づくりができないだろうな、と思いました。
というのも、今日も感じる前に考えながら話をしてしまい、
相手が何を求めているのか、感じ取ることができなかったんです。
ついつい、「いいことを言おう」というエゴが、
無意識に出てしまっていたのです、恥ずかしながら^^;
だから、相手がいった一言を敏感に察知し、
本当は聞けていたらよかった、「その心は?」が
聞けなかったのです。
あとから電車で一人で振り返り、分かったことでした。
「考えるのは後でも出来るので、
そのときは、感じ取ることに集中する。」
大切ですね。
常日頃、心がけたいと思いました。
シュタイナー教育を実践するNPO法人が運営する学校の
オープンスクールに行ってきた。
久々(20年ぶりくらい!)に小中高校生と接する機会だったので、
とっても新鮮でした。
いくつか、学びを得た日でした。
ある高校生の発表があったのですが、その学生がこんな風に言いました。
「考えるのは後でも出来るので、そのときは、
感じ取ることに集中していました。」
目からウロコでした^^;
つい、先に考えてしまいがちのですが、それだと、
きちんと「いまここ」ができない。
つまり、一緒にいる人たちとの一体感がもてない。
自分の世界だけに入ってしまうと思ったんです。
恐らく、一体になっているつもりなのですが、
そうなれてはいないのでしょう。
僕も、感じ取ることに集中するようにしているのですが、
ついつい考えてしまいます。
でも、「考えるのは後からでも出来る」という考え方は
発想にもなかったし、到達していなかったので、
正直、大分楽になれた気がします。
急いで、考えなくてすむのですから^^
素直に、謙虚に、その場を感じ取ればいいのですから。
実はそうなれば、自然と考えられると思うところもあります。
見る、聞く→ 感じ取る → 感じ取る
これが、素敵な流れかな、と経験から、直感的に思えるからです。
そうしないと、
「その場が、起きている流れが、何を求めていて、
誰の、どの思いを汲み取り、取り上げればいいか」
という最高の場づくりができないだろうな、と思いました。
というのも、今日も感じる前に考えながら話をしてしまい、
相手が何を求めているのか、感じ取ることができなかったんです。
ついつい、「いいことを言おう」というエゴが、
無意識に出てしまっていたのです、恥ずかしながら^^;
だから、相手がいった一言を敏感に察知し、
本当は聞けていたらよかった、「その心は?」が
聞けなかったのです。
あとから電車で一人で振り返り、分かったことでした。
「考えるのは後でも出来るので、
そのときは、感じ取ることに集中する。」
大切ですね。
常日頃、心がけたいと思いました。