夢千夜一夜

こんな夢を見た~じゅんこの夢日記

夢に関する覚え書き

夢を記述することについて

 毎夜の夢を記述して残そうという試みは、私ならずとも多くの人が体験する試みだろう。しかし、それには大きな障害が立ちはだかる。すなわち夢とはイコール忘れるものだからだ。夜の間に見た夢を効率よく覚えていられる人はいない。ここまで夢を極めた私ですら、この障害ばかりはどうしても克服できない。むしろ目が覚めて、「おもしろいっ! これは傑作だ!」と叫んでガバッと起き上がったとたん、きれいさっぱり忘れてしまうのが普通だ。
 実際、ここに記録した夢は、もちろんすべて本当に私が見たことは間違いないのだが、今読み返してみて、そんな夢を見たということすら覚えていないものがほとんどだ。(だからこそ記述しておく価値があるのだが)
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 しかし、どんな完璧に夢を記憶していても、どうしても再現できないものがある。それは視覚、聴覚、触覚など五感に訴える部分である。こればかりはどんな文才のある人でも完全に文章に写し取ることはできない。なぜなら、夢の多くの部分は現実からの借用であるとはいえ、それでもなお、かなりの部分が現実には存在しない、つまりこの世の言葉では形容しきれないものだからだ。
 私は視覚について特にそれを感じる。夢の中には話そのものはどうでもいいような日常生活の夢なのに、その背景だとか窓の外に見える光景だけが、絶対この世にはありえない、とてつもなく美しいとか異常な情景だということがよくある。ところがその風景が私のつたない筆ではどうにも伝えられなくて悔しい思いをすることが多い。続きを読む

 私の夢日記は私の「日記」同様、日記とは名ばかりで、日付けもなければ、毎日規則正しく書いているものでもない。厳しい条件を付けてしまったので、書けるのはせいぜいが月に1本くらいである。それに選別をしているので、内容の正確さはともかく、記録としてはいささか偏りがある。
 それならば、私はふだんどんな夢を見ているのか? 以前から私は、毎日その日に見た夢のすべてを記録してみたいという考えを持っていたのだが、今回それを実行に移してみることにした。もちろん、仕事があるときはのんびり夢を見ている暇もないし、起きてそれを記録する暇もないので、これを1年間続けるのは不可能である。そこで朝寝ができて、しかも起きてすぐ執筆に取りかかれる休み中を選んで、やってみることにした。

 ここから9日間は、とにかく覚えている限りの夢を、おもしろい・つまらないを問わず、すべて書き残した。日付けは目が覚めた日の日付けである。夢の順番は必ずしも見た順ではなく、いちばん鮮明に覚えているものから書き始めている。それでも当然、本篇とちがって記憶がはっきりしないものが多いのはやむをえない。


 【追記】
 今回、これをブログに書き写すに当たって読み直してみたが、ランダムに抽出したわりには、ちゃんと筋が通っていて、けっこうおもしろい夢が多いのに驚いた。これはあくまで一種の実験のつもりで、毎晩、何ひとつ覚えていない、あるいは覚えてはいたが、どうでもいいようなつまらない夢だけという事態も想定していたのだが。
 というのも、普段書いている夢日記は、これでもかなり厳選しているつもりだったからだ。覚えていても、書くほどのものではないと思ったら書いてないし、それ以上に覚えていられないことが多くて、普通は月に一度、他に心配事などがあるときは何年も中断したりしている。

 意外な大漁の理由はいろいろ考えられる。

 まず思ったのは、実は毎晩、これぐらい筋の通った、なおかつ長い夢は見ているのだが、日常の雑事にまぎれて覚えていないだけなのではないかということ。
 実際、たっぷり寝た暇な日はこれぐらいの夢はいつも見ている気がする。ただ、他にもいろいろと気を取られることがあって(トイレへ行きたいとか、喉が渇いたとか、猫が餌をほしがってるとか、同居人が何か言ってるとか、仕事のことを思い出してしまったとか)、わざわざ起きるやいなや机に向かって書こうという気になれないだけだ。
 ところが、この期間はいやでも夢のことを意識して寝るし、書かなければというプレッシャーがあったので、いつもより多く夢を想起することができたというだけ。つまり、毎日の夢を記述しようという行為そのものが夢に影響を与えてしまっていることだ。

 これは夢を研究する上では避けられないことだと思う。私はよく夢を擬人化するようなことを言うが、実際、まるでこちらの考えを見透かしたような夢を見ることはよくある。もちろんそれも現実の私の意識が夢に影響を与えているだけなのだが。


 この9日間の記録には「リアルタイム夢日記」のタグを付けておいた。

 母が亡くなってから、母の夢を多く見るようになった。というより、目覚めたとき「ハッ! 死んだはずなのに」と思ってびっくりするので、想起率が高くなったというだけのことかもしれないが。しかし私の夢ではもともと家族がひどく冷遇されていることを思うと(父や弟や祖母はほとんど出ない)、この出現率は異常に高い。
 死んだ人が夢に出てくるというと、何やら霊的なものを想像してしまうが、夢の母はまったく幽霊らしくなく、自分でも死んだなんてまるで気づいていないようだし、私も夢を見ている最中は母が死んだなんて、それこそ夢にも思っていない。

 夢の中の母は現実に死んだ年齢よりかなり若返っている。というより、夢の人物にふさわしい年齢不詳性を獲得したように見える。せいぜいが私(40代)と同じくらい、時には私より若く見える。母親らしいふるまいをすることもめったになく、それより私の友達か姉妹のようだ。
 救いなのは、夢の母がとても幸せそうなことだ。現実にしばしばそうであったように、口うるさく小言を言ったり、グチを言ったり、イヤミを言ったりなんかまったくしない。それどころか、夢の彼女は(外見の如何にかかわらず)まるで少女のようだ。自由奔放で、好奇心旺盛で、バイタリティにあふれ、気まぐれで、わがままで、少しもじっとしてない。
 まるで、現実の重み(つまり私たち家族)のせいで、長年にわたって蝕まれ、徐々にすり減って埋没していた本来の彼女の姿が、現実から解放されたせいで、手つかずのまま解き放たれたかのようだ。そういえば、そういう姿は現実の中にもほんの時折垣間見ることはできたし、私もそれを一部受け継いでいるのだが。
 そういう溌剌とした彼女を見ていると、「死ぬってことはいいことなんだ」とデニス・ニルセンみたいなあぶない考えを持ちそうになる。そうじゃなくても、死んだ人がこれほど生き生きとして存在感を持っているのを見ると、まるで生や死なんてかりそめの一時的な事象で、夢のほうがその人物の「本当の姿」、現実としての重みを持っているような気がしてくる。だから死ぬのはこわくない‥‥とまでは行かないが、私は少なくとも現実でも「夢の私」をできるだけ失わずにいたい。

 この夢はこんなふうに始まる。仕事から帰るなり、倒れるように眠ってしまったのだが、覚醒直前の異常に鮮明な夢。キンキン声の小さい男の子から電話がかかってくる。
「ぼくだよ、ぼく!」
私は子供に知り合いなんかいるはずがないので、間違い電話だろうと思って、「ぼくってどなた?」と訊ねる。すると相手はイライラした様子で、
「ぼくだってば! 忘れちゃったの?」続きを読む

 私は日頃から「映画を見るのは夢の素材を集めるため」と言っているが、実は映画よりもっとストレートに夢に影響を与えるのはゲームである。

 なんで映画かということを解説しておくと、夢というのはやはり現実の体験の寄せ集めであり、まったく見たことも聞いたこともないものというのはなかなか見られない。
 でも現実に体験できることには限りがあるので、なるべく不思議でぶっ飛んだ夢が見たい私は、可能な限りそういう材料を集めておくことにしている。そして現実世界で、いちばん夢に近く手っ取り早いものが映画ということだ。続きを読む

 これは「夢に関する覚え書き5」とちょうど対になるタイプの夢の話である。あれは寝起きのぼんやりしたときに夢と現実が混ざり合う話だったが、こちらは眠りに落ちる直前、うとうとしているときに見るタイプの夢。夢日記概論のここに書いた入眠時幻覚の一種かもしれない。

 私はベッドに入るときは必ず小説かマンガを持って入り、眠るまで読むのが習慣だ。親の家やワンルームに住んでたときは、同様にベッドで映画を見たり音楽を聞いたりしていたが、今の家ではベッドルームにAV機器がないので。
 若い頃はこれでマンガの1冊ぐらいは読んでしまうのが普通だったが(文庫本なら4分の1冊)、年のせいか、最近は読み始めるとすぐ寝てしまう。気が付くと本がパタッと手から落ちているのだが、そういう状態のときに不思議な体験をするようになった。続きを読む

 今回は行き着けなかったが、この種の「私だけが知っている(私だけが入れる)秘密の場所」は、昔から私の夢によく出てくる原型である。原型というのは、まったく無関係な夢に共通して出てくる、あるいは異なる夢の中で共通の記憶として出てくるという意味である。
 この場所は必ず架空の場所で、現実には存在しない。ただしその場所は一箇所ではなく、年齢とともに変化してきている。たとえば、以前よく見たのは、「森の奥に鍵のかかった扉(鉄柵)があり、その先に何かすばらしいものがある」夢だったが、最近何度も見るのがこの川の夢である。続きを読む

 夢を思い出し記述する方法については、この覚え書きの最初に書いた通りなのだが、その通りやってもなかなかうまく行かない理由について考えている。
 最近またたくさん夢を見るようになった。朝寝ができる休みの日が理想的なのだが、そういう日は、だいたい午前4時ぐらいから1時間か2時間おきに目が覚め、そのつど非常に鮮明な夢の記憶を持って起きる。それで目が覚めるたびに「今日は豊作だ!」と思うのだが、残るのはここに書いてあるレベル。続きを読む

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