2006年02月28日

しめじ的文体練習3

こんばんは、しめじです。

今回は画像無しです。ちょいと疲れた頭をほぐすために文体練習デモして寝ようかなと思っています。

明日一日で50ページ近く文章を書かなくちゃいけないのですが(さっきまで書いていた)とりあえず、小説風情の文章も書かないとさびますからね。

まずは1 メモのおさらいを。

 

1 メモ

 

 五限目が終わり、東西線のホームは学生でひしめいている。三鷹行きの電車に無理やり乗り込む。目の前に真っ黒なギターケースを抱えた色の白い男。眼鏡をかけていて、縁は青。レンズは汚れていた。

 電車が揺れる。男は隣の乗客を睨んでいる。「楽器を蹴るな」と小さく呟くが、男の耳には聞こえていない。それもそのはず、男はイヤホンを差し込んでいる。やがて駅に到着し、男は降りる。

 

 三時間後。高田馬場を歩いていると、先ほどの楽器の男が酔いつぶれてしゃがんでいる。隣には腕の長い男。「ジンは飲むなって言っただろ。今度からは、カルーアにしろ」と言って長い腕で背中をさすりながら酒の飲み方を説明している。

 

 この文章を今回は「5 遡行」「6 びっくり」で書いていきます!!

 

 5 遡行

「カルーアにしろ、今度からは。ジンは飲むなって言っただろ」と連れの男が彼に言った。高田馬場のロータリーでの場面であったが、それ以前に彼を目撃していたのだ。彼はイヤホンをしている男に向かって非難を小さな声で浴びせ、睨んでいた。ちょうど彼の楽器が男に蹴られる前に、運悪く電車が揺れたせいだ。この眼鏡の薄汚い男は大事そうにケースに入った楽器を抱えていた。それは三鷹行きの東西線の中での一件。その日の五限が終わったころだった。

 

 

 逆から小説を書くというのは面白い手法ですよね。『風とともに去りぬ』なんか有名ですよね。最近でもないですが、クリストファー・ノーランの映画『メメント』『フォロウイング』なんかは映像で遡行をやっているからすごいですね。

 

 6 びっくり

 

 マジで東西線こんでる!! ありえないって! なにが? いや乗れないのもありえないんだけど、俺の目の前にいたやつがマジありえない! メガネがさ、まず青いんだぜ、しかも汚れてんの!! ここでワンポインツありえない。さらにありえないのは、隣の親父に喧嘩ふっかけってんだよ! しかもさ、完全無視されてんの。マジありえないって!! だってさ、親父はイヤホンつけてたんだぜ、気づかないのかよ! マジひいたわ。それでそいつ、電車が到着したとたんにありえないくらいの速さで走ってったよ。その走り方といったら!! お前もいればよかったのに!

 それから三時間後にまたビビった! 馬場のロータリーでなんだけど、マジありえなかった。何がって? そいつに会ったんだよ、相変わらずメガネ汚ねえ!! なんか連れと一緒にいて、連れもビビるくらい手が長いんだけど。見てみ、マジビビるって!! ありえないんだけどさ、そいつら何話してたと思う? 野郎二人でカルーアミルクの話してんだよ!! マジあほかって!! 

 

 うーん、なんともよく分らない文章になってしまいましたね。読む価値があまりないかもです。とりあえず感嘆符をつけるために若者語を使用してみましたが……上手くいってるんでしょうかね?  登場人物の書き分けの一環としては良い訓練になったかもしれません。ともあれ、どんどん書くことに意味があるのですから。

 

 

 次回は「7 夢」と「8 予言」をやってみたいと思います!!

 

 それではまたー(^o^)

  

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2006年02月27日

しめじ的文体練習2

サッポロラガーしめじです。今回の写真は新宿の「思いで横丁」に行った時の写真です。

この瓶ビールよく見てください。ラベルに「SAPPORO」と印字されていますが、黒ラベルでもエビスでもありません。これはいまどき珍しい「サッポロラガービール」。飲み口はモルツに似て持ったりしているのですが、モルツよりも味が薄く、一番絞りより切れがない、中途半端な感じです。でも結構飲めました。

 

しめじは思いで横丁に入るのがはじめてで、どうもぼられるという噂を聞いていたものでひよっていたのです(^-^; でもかなり良心的なお店で、店員さんも美男美女で意外な感じ。お客さんもフレンドリーで素敵な空間でした。

思いで横丁2それでこの写真は「思いで横丁」裏側の写真。手前に共有トイレがありました。なかなか場末な感じ。新宿が整備されてからこの一帯だけは、時間が流れていないようです。寺山修司の「田園に死す」のラストシーンが頭を過ぎりました。

 

 

 

 さて、本題。今回は文体練習の2回目。「3 控え目に」、「4 隠喩を用いて」をやってみたいと思います。

 

 3 控え目に

 

 わたくしたちは、移動しておりました。とても品が良いとは判断しにくい青年が、隣の紳士を見つめております。電車から降りて、三時間ほど後に、わたくしは青年を再びお見かけいたしました。ご友人とお二人で、お酒の召し上がり方について語り合っておりました。

 

 控え目に語ると、意味がガラリと変わってきます。登場人物の語りという視点から考えれば、至極当然。しかし、これに気づいて文章が書ける人は以外にも少ないのです。この表現方法は、「黙説」というレトリックの応用かなと思われます。

 

 4 隠喩を用いて

 

 棺おけのふたが半開きになり、引きずり出された羊の腸の中にすし詰めにされた油虫の群れ。その中で白い蚕が油虫に向かって白い生糸を吐き散らしている。真っ白い繭を作った蚕を包む炎。あまりの熱に空間がひずみを生じ、中の蚕は消えてしまう。

 時は過ぎ、月の光が仄青く映し出しす、荒涼とした灰色の砂漠を。その中心にはあのときの蚕。針の山に向かって必死に生糸を搾り出している。隣で油虫がしきりに触覚を動かしていた。

 

 隠喩を用いてはやはりいいですね。バージョンを変えて何度も練習したいです。もはや原文を参照しても意味が分らないですよね。かいてて気持ちいいですね。筋となる文章を決めてから、隠喩を考える練習になります。「ここの言い回しに含みを持たせたい」というときのための良い練習になりそうです!!

 

 

 次回は、「5 遡行」、「6 びっくり」をやってみたいなと思います(^_^)

 

 それではまた。

  
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2006年02月26日

しめじ的文体練習

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場つなぎ写真(弟)です。

 

 しめじです。今回は前々に言っていた、「文体練習」をしてみようかなと思います。1回目の今回は、まず基本となるメモ書きからです。

 

 

1 メモ

 

 五限目が終わり、東西線のホームは学生でひしめいている。三鷹行きの電車に無理やり乗り込む。目の前に真っ黒なギターケースを抱えた色の白い男。眼鏡をかけていて、縁は青。レンズは汚れていた。

 電車が揺れる。男は隣の乗客を睨んでいる。「楽器を蹴るな」と小さく呟くが、男の耳には聞こえていない。それもそのはず、男はイヤホンを差し込んでいる。やがて駅に到着し、男は降りる。

 

 三時間後。高田馬場を歩いていると、先ほどの楽器の男が酔いつぶれてしゃがんでいる。隣には腕の長い男。「ジンは飲むなって言っただろ。今度からは、カルーアにしろ」と言って長い腕で背中をさすりながら酒の飲み方を説明している。

 

 

 とりあえず、クノーの真似をしてしめじバージョンを作ってみました。今度はこれをどう料理しましょうかね。やはり『文体練習』の順番どおりにやっていきましょうか。

 

 というわけで、2 複式記述で上記のメモをアレンジしていきます。複式記述とは、「頭痛で頭が痛い」というような記述様式。

 

 2 複式記述

 

 五限目が終わり五時五十分を過ぎて、時計を見ると六時前。東西線の地下鉄の駅のホーム、電車を待つ部分は、既に大学生と学生でひしめき混んでいる。西船橋から三鷹を結んでつなぐ東西線の公共電動運送車地下鉄電車に無理やり強引に乗り込んで乗車した。眼前の目の前には真っ黒ブラックなギターケースである弦楽器の箱を大事そうに慎重に抱え持った、色が白く肌が焼けていない若い青年が立ってスペースを確保している。

 地下鉄電車が揺れ震えする。若者の青年は隣の横に乗っている乗客を睨み見ていた。「ギター楽器を足蹴にして蹴るな」と小さくかすかな声の口調で呟き非難するが、その乗客の男の耳には届いておらず聞こえていない。それもそのはず、理由はその男の乗客は耳にイヤホンをさして詰めていたからというのが原因だ。やがて気がつけば、電車が止まる駅に至って着いた。若くて青年な男は急いで慌てて輸送地下鉄を降りて降車する。

 

 百八十分が経過した三時間後。高田馬場駅前のバスが止まる場所であるロータリーで、その若い未熟者を再びもう一度見かけて目撃した。酒の飲みすぎで酔いつぶれて座ってしゃがんでいる。真横の隣では腕が長くて手が長い若い青年。彼の仲間の友達だろう。連れの同伴者はしきりに何度も後ろの背中をさすってこすりながら、酒とアルコールの飲んで呑む方法についてアドバイスと助言をしている。

 

 

 これは中々疲れますね(^-^; 絶対に間違えている言葉使いをしなくてはならないのは逆に正しい言葉の意味が分ってくる気がします。こいつは勉強になりますね。

 

 

 次回は「3 控え目」にと「4 隠喩用いて」をやりたいと思います。

 

 それではまた。

 

 

  
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2006年02月24日

2月23日の夢日記

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 しめじです。リリィ・シュシュを思い出す写真。帰省したときに家の近所で取ったものです。蒼井優は興味深い俳優さんです。

 

 なんだか、今月は異常に忙しくてブログ・HPともに更新できない日々がつづいとります。とりあえず今月がひとつの山場です。

 

 そして、3月からはなんと、芝居の脚本を共同執筆する仕事が飛び込みました!! しかもかなり大きな仕事。詳しく決ったらその都度報告していきます。

 

 さて、今回はまた夢日記。はやく文体練習もしたいのですが、はやる気持ちを抑えて、今日見た夢についてです。というのも久しぶりに小説のネタになりそうな妙な夢を見たので記録しておこうと思っているからです。

 

 車の中で映像を見ている。それはとても恐ろしい映像。薄暗い書斎が映っていて、奥には白いドアがある。ドアは思い切り誰かに叩かれている。隣に座っている男に説明を聞く。「アビス(深淵・地獄)からの使者だ」とぶっきらぼうに呟く。やがてドアは散々に引き伸ばされて、壊される。破片はゆっくりと開かれた黒い空間へと吸い込まれていった。

 怪物が立っていた。黒いマントで胴体を包み込み頭の部分には人間の手のひらが乗っている。掌の部分に大きな一つ目がついており、指は十本生えている。怪物は静かにフレームから消える。

 隣の男は葉巻をふかしながら、窓の外を見ている。街全体ビル化していて、どこにも土はない。音を立てずに車は走っていく。

 

「今の世界は間違っているんだ」

 男は吸いかけの葉巻を窓から捨てて、おもむろに語り始める。

「アビスの使者は浄化をこの世界に与えてくれる。今の人間達はなんだ。どこを見ても腐った性交のことしか考えていない。それも自然な形の性交ならばまだ健全だが、機械としかセックスをしない。快楽以外に彼らを存在させている理由がなくなっているのだ」

 トイズトイと呼ばれるアンドロイドとの行為に夢中の人間達はもう仕事もろくにしない。雑事はすべて機械が処理をする。性交は既に生殖行為と切り離されて考えられる。医療の進歩によって誰でも永らえるようになったせいで、子孫を残す必要がなくなったからだ。

「いま、料理人を養成しているんだ」男は口元に笑いを作る。

「アビスの使者は恐怖を撒き散らす。純粋な性交をしていないおろかな人間達は、アビスの使者を見たとたんに醜い姿へと変容する。人間とは完全に差別されるほど醜い生き物になる。そいつらを料理する料理人を養成しているんだ」

 男が言うには、必ず機械の故障によって、ろくなものが食べられなくなり、食糧危機が訪れる。その際に差別化された人間の肉を食らって生き延びる。これが「アビス計画」の流れなのだと説明していた。

「この計画の一番の味噌はデフォルトで、生き残る人間が無敵になるということだ。醜い人間達はただ食われるためだけに生産されるようになるだろう。そこには教育も何も必要ない。快楽だけ与えておけばいいのだから」

 男は握手を求めてくる。あきれたようにあくびをすると、しめじは車から降りた。乾いた風が喉にからまり目が覚めた。

 

 

 よくある安いSF小説のような夢だったのですが、最後のデフォルトで人間が無敵になるという件がかなり気に入ってしまったので、何かに流用したいなと考えています。

 

 それではまた不定期更新していきますのでよろしうです(^-^;

 

 

  
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2006年02月16日

文体練習

文体練習
文体練習

ついにきましたレーモン・クノーの『文体練習』これはよいですよー

なんせもう万人向けの奇書ですからね。

 気になる内容というと……

 S系統のバスのなか、混雑する時間。ソフト帽をかぶった二十六歳ぐらいの男、帽子にはリボンの代わりに編んだ紐を巻いている。首は引き伸ばされたようにひょろ長い。客が乗り降りする。その男は隣に立っている乗客に腹を立てる。誰かが横を通るたびに乱暴に押してくる、と言って咎める。辛らつな声を出そうとしているが、めそめそした口調。席が開いたのを見て、あわてて座りに行く。

 二時間後、サン=ラザール駅前のローマ広場で、その男をまた見かける。連れの男が彼に、「きみのコートには、もうひとつボタンを付けたほうがいいな」と言っている。ボタンを付けるべき場所(襟の開いた部分)を教え、その理由を説明する。

 この何の変哲も無い日常の風景をこの本ではまさに99通りの文体で表現し、いったい文章の意味とはどこにあるのか? という問題をまざまざと突きつけてきます。

 たとえば、17合成語では、

 白昼都心的な自空間のなか、わたしは満雑混踏うするバスデッキで、編み紐巻き帽かぶりしたひょろ首の小癪者と、隣立ちしていた。その男は「ぐい押し、わざ突きしないで欲しい」と言ったあと……

 というように、意味不明な言葉の嵐です。

 また、41荘重体では、

 曙の女神の薔薇色の指がひび割れをおこし始める時刻、放たれた投げ槍もかくやと思われんばかりの素早さでわたしは乗り込んだ、巨大な体躯に牡牛のごとき眼を備え、うねうねと蛇行する道を行くS系統の乗り合いバスに。……

 というように、ホメロスを思い起こさせる荘厳な文体で書かれたりと、99通り様々な文体で日常の風景を描いています。

 

 本当に文章の意味とは、美の意味とは、そして芸術性とは曖昧なものだと気づかされる作品です。

 

 これからこのブログでしめじ的文体練習もやっていこうかなと思っています。

夢日記も面白い夢を見た日には必ず書くようにしたいですけど(^-^;

 

 それではまた次回に。

  
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2006年02月10日

2月9日の夢日記

たーちゃんやつしめじです。

今回の写真は場つなぎです。

 

昨日の夢について補足

しめじは鈴木杏のことを結構好きらしい。

しめじはロイヤル系のお店で6年間バイトをしている(ロイホではない)

しめじは牡丹鍋がすきである

しめじが見ていた外の景色は常に曇っていて、夕方だった。

 

などなど、夢分析ができるかた、是非分析してください(他力本願)。

 

さて、今日見た夢は実はパソコンに打ち損ねました。

感じとしては、暗い塔の螺旋階段をひたすら下りているという夢だった記憶があります。

あとは、なんだかピストルで打ち合いをしていたような……

 

うろ覚えなので、明日にかけましょう。

それではまた明日。

 

(なんじゃこのブログは(^-^;)

 

 

  
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2006年02月09日

2月8日の夢日記

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 しめじです。

 なんだか夢日記ならば毎日かけるといいながら、まだ1日も書いていないこの状況(T.T) そんなものですよね。

 今回の写真は大久保の韓国料理屋さん「水宝館」で食べたタコプルコギです。

 写真では分りにくいかもしれませんが、この鍋のでかさといったら、二人前しか頼んでいないのに、直径70センチ近い鍋が出てきたので驚きました。これでお値段1,800円也。

 東京近辺にお住みで韓国料理好きな方は是非「水宝館」に行ってみて下さいな。「水宝館」のHPはないので、「新宿韓国料理店ガイド」(http://www.skrg.net/suibokan.html)で紹介されているアドレスを載せて起きます(^o^)

 

 

 さて、今日は昨日の晩に見た夢を紹介したいと思います。最近たいした夢を見ていないので、ブログに載せるのも微妙なのですが、のちのち自分がチェックするという意味を込めて、書きたいと思います。

 

 香川の繁華街である瓦町と大宮を足して2で割ったような駅前の空中歩道を歩いている。なぜか視界がブラウン管の外側に回り、CMが流れ始める。CMはいまいた場所がロケ地。鈴木杏が主演でキットカットかカロリーメイトのCMだ。「世界は繋がっている」といってみな手を繋いでいる。一瞬のうちに空中歩道に戻り、その輪の中に入る。

 しかし、肝心の真ん中が開いている。そこは鈴木杏の右隣で、ワハハ本舗の梅垣がその穴に入ってきてCMが終わる。

 その後、なぜか鈴木杏と手を繋いで町を歩き出す。彼女としめじは旧知の仲で、ここの風景が変わったね、などとたわいも無い会話を交わす。

 どこかのスープ屋(ロイヤルホスト系列)がつぶれて改装されたという話、ニューヨークの友達がどうのと言っていたが、ここは香川と埼玉を足したような土地だったので、話半分に聞いていた。いつの間にかお互い肩を組みながら歩いている。はじめはふざけて、徐々に真剣に。「モスバーガーがついに198円になったね」「デフレだから仕方ないよ」などといいながら2人は苦い顔をする。

 「蛍を見に行く約束だよ」といって腕を絡めてくる彼女。赤いコートにチェックのマフラーをしている。遠くで虎が猪を追い回しているのが見える。ずいぶん先なので、恐怖感は無い。仏生山公園という香川の地元の公園に行くときに通る二股の道に差し掛かる。左側がくだりで、右側は平坦な道。祥さんというネット上の知り合いに左の道へ行けばいいと教わっていたので、迷わずに坂を下りだす。道路はいつの間にか桜並木の砂利道へと変わっていた。

 虎が猪を痛めつけている。猪は黒い毛をもじゃもじゃとはやしていて、わき腹から赤黒い血を流している。手負いの獣は危険だと彼女に注意を促しながら、道の端を歩く。急に猪が脇にあったつつじの茂みに飛び込んだ。彼女を後ろ手にかばいながら、虎と対峙する。改めてみるとその虎は胴が細く、やせた猫のような印象。青黒い瞳でこちらをしきりに警戒している。背筋が凍る。しかし、虎はしめじたちを無視して、猪を食べ始める。

 彼女をかばいながら、虎をわき目で見ながら、急ぎ足で歩く。腕を引かれた彼女はいっこうに不安そうな様子は無く、どうしたの? と首をかしげている。

 やがて古くて小さな階段に辿り着く。そこを下れば目的地だった。ゆっくりゆっくり階段をおりはじめる……

 そこで目が覚めた。

 

 

 夢分析などは後回しにして、今日からどんどん夢日記を書いていきたいと思います。

 それではまた。

  
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2006年02月03日

夢について

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 しめじです。

 今回の写真は寺山修司脚本・監督の映画『田園に死す』のサントラのジャケットです。

 これは夢見がいいのですよ。これをかけて寝ていると十中八九夢を記憶しています。なので、今回からの夢日記にはもってっこいです。

 枕元にパソコンを待機させ、『田園に死す』をかける。これでもう間違い無しです。

 

 手違いで長々と書いたブログが消えてしまい、ショックなので、また明日今日見た夢を報告したいと思います(T.T)

 

それではまた明日(ToT)/

 

  
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2006年02月02日

無意識は目に見えるもの!? 後編

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 しめじです。

 今回の写真は知る人ぞ知る名曲喫茶「ライオン」の概観写真です。

 ここはいいですよー 中世の古い洋館を思わせるような内観(中は写真NGです)、静かな館内には最高の音質で鳴り響くクラシックの名曲。非常に創作意欲が沸き立てられます!!

 しめじは詳しくないのですが、きっとオーディオマニアには涎ものなスピーカーみたいで、それだけでも行く価値があるそうですよ。

 そして、リクエストもやっていて、お好きなクラシックを最高音質で聞けるという粋なサービスつきです。しめじはヴィヴァルディの『四季』の夏がすごい好きなのですが、なんとなくメジャーすぎて頼むのもなーいやだな(かっこつけしいですね)と思って他の曲を頼もうと思っていたんです。そしたら、他の方がリクエストしてくれて、久しぶりに震えました。今まで夏は嵐の激しさだと思っていたのですが、夏の日差しの激しさともとれますよあの演奏は。もうただただ眩暈が襲ってくる。プレストの激しさ。最高でした。

 ともあれ、あの時代ですから、農民の日照りの厳しさというよりは貴族が熱くて辛いというような共感しかない季節だったのでしょうが、ヴィバルディはやってくれますね。

 この他の方がリクエストしてくれたというのが今回のラカンの話に関わってきます。ラカンの用語に「転移」というものがあります。これは欲望がクロスする、つまり他者と自分との間で欲望の交換が行われるという考えなのです。まさに今回しめじがライオンで経験したのは見知らぬ誰かにしめじの欲望が「転移」したと考えても差し支えないと思います。

 

 前置きが長くなりましたが、今回は前回に引き続きラカンの無意識の捕らえ方についてです。

 

 前回は「象徴界」の話まで進んだかと思います。今回はその他者が住む「象徴界」について詳しく掘り下げていきたいと思います。

 

 「象徴界」とはずばり言葉の世界です。世界は言葉で成り立っているとウィトゲンシュタインが述べていますが、ラカンも似たような立場を取ります。大人の世界・ルールは全て言葉が作っているとラカンは考えるのです。

 この考え方は、アルチュセールというマルクス社会学者が『イデオロギーと国家のイデオロギー装置』という論文の中で「呼びかけ」に答えた人間は呼びかけた人間が属する共同体のイデオロギーに自動的に属すると考えを元にしていると思われます。全ての社会的認知は言葉によって出来上がる。そしてその言葉を作るのはイデオローグである共同体の統治者であるのです。

 たとえば『太平記』を例に挙げてみましょう。『太平記』は戦前には必ず楠正成が「七生報国」を誓って死ぬ場面が教科書に取り上げられていたそうです。しかし、戦後の教科書には一切『太平記』を載せていません。これはイデオローグが天皇から国民国家を統治する内閣総理大臣に移ったからに他ありません。つまり、子供への伝える話をコントロールすることによって国民の価値観を操作することが可能だということです。

 話がそれてしまいましたが、言葉の力というのはそれだけ大きな力を持っているとアルチュセールは考えたのです。発話される言葉一つをとってもなんらかの権力の力が加わっている、そう考えて出した答えが呼びかけ論でした。

 

 さて、話を戻します。そのような強い影響力を持つ言葉。しかしそれ自体まったく意味を持っていないと考えたのがウィトゲンシュタインです。彼の後期の言語ゲーム論からは言葉の成り立ちは全てメトニミー構造(言い換え)で出来上がっている考えたのです。

 たとえば「美しい」という言葉の意味を表してください。という質問を受けたときにどう答えればいいでしょうか? きれい、可愛い、見た目がいい、そして美しくないものではないものと堂々巡りが繰り返されます。仮にシャガールの『レジスタンス』の絵画が美しいと答えたとしても、それは対象であり、意味ではなく。しかも「美しい」という単語がなければ「美しい」対象にもなりえないのです。

 つまり、言葉はどこまで行っても言い換えを繰り返さなくては意味を成すことができないのです。これはどことなくインターネットの世界に似ている気がします。インターネットはつながりがなくては存在する意味すらない。他人と共通の言葉があるからこそ成り立つ言語ゲームと言えなくもないのではないでしょうか。

 

 少し話が飛躍しましたが、そこでようやく「象徴界」に戻ってきます。「象徴界」とは言葉の世界。言い換え可能な「主体」を手に入れる世界です。「美しい」という言葉同様に「私」という「主体」も他人に言い換えられることによって成り立つ世界です。言い換えられるということは同時に意味を失っています。

 ここで意識と無意識の関係に戻ります。意識は意味を持った存在、無意識は意味のない存在。言葉はどうですか意味がある存在でしょうか? 言い換え可能な言葉の群れはひとつひとつでは意味を成しません。つまり無意識の群れ……逆に意識はいつのまにか無意識の裏側に回っている。人間が無意識を認知できるのは、言葉という無意識がそこらじゅうに飛び回っているからだとラカンは考えます。言葉だけではありません。

 たとえば顔。顔の裏側の筋肉を動かすことはできても表に表れている表情はコントロールできません。しかし、コミュニケーションをする上では筋肉よりも表情を読み取ることに意味を見出します。そこには顔の持ち主が想定していない表情も表れます。いきなり写真を撮られたときに物凄い間抜けな顔で写っていることがよくありませんか? それは全て無意識です。その無意識を読みあいながら人間はコミュニケーションをしているのです。

 ラカンは「象徴界」という言葉の世界に移ることでようやく大人になれると考えました。その世界は常に無意識と向き合う世界です。

 

 しかし、しめじは置き忘れた「鏡像」と「象徴界」での他者としての私にはどこか相容れないズレがあると思います。他者と同じであるのに違うという奇妙なズレを感じながら私たちは生きていかなくてはなりません。そのはけ口、主体を探す旅は表現行為にあるのではないかなと思っています。

 

 今回はかなり長くなってしまいましたね(^-^;

 明日からは夢日記をちょいとやってみようかなと思っております。

 安部公房は夢を小説の題材に使っていたそうです。『笑う月』には夢を捕まえるためにテープレコーダーを枕元においたなんておいうエピソードも。本当かどうかこの人は分りませんけどね(^-^; ダリなんかはカンバスの前に座ってスプーンを持ってねたらしいですよ。ともあれ、起き抜けにかけるように枕元にパソコンをスタンバイ状態で置いておこうかなと。ちなみに今朝はまんまと成功しました。しかし、あまり面白い夢ではなかったですねー

 ともあれそれならば毎日更新できるだろうという目論見でひとつやってみることにします。

 

 それではまたー

  
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