文体練習
ついにきましたレーモン・クノーの『文体練習』これはよいですよー
なんせもう万人向けの奇書ですからね。
気になる内容というと……
S系統のバスのなか、混雑する時間。ソフト帽をかぶった二十六歳ぐらいの男、帽子にはリボンの代わりに編んだ紐を巻いている。首は引き伸ばされたようにひょろ長い。客が乗り降りする。その男は隣に立っている乗客に腹を立てる。誰かが横を通るたびに乱暴に押してくる、と言って咎める。辛らつな声を出そうとしているが、めそめそした口調。席が開いたのを見て、あわてて座りに行く。
二時間後、サン=ラザール駅前のローマ広場で、その男をまた見かける。連れの男が彼に、「きみのコートには、もうひとつボタンを付けたほうがいいな」と言っている。ボタンを付けるべき場所(襟の開いた部分)を教え、その理由を説明する。
この何の変哲も無い日常の風景をこの本ではまさに99通りの文体で表現し、いったい文章の意味とはどこにあるのか? という問題をまざまざと突きつけてきます。
たとえば、17合成語では、
白昼都心的な自空間のなか、わたしは満雑混踏うするバスデッキで、編み紐巻き帽かぶりしたひょろ首の小癪者と、隣立ちしていた。その男は「ぐい押し、わざ突きしないで欲しい」と言ったあと……
というように、意味不明な言葉の嵐です。
また、41荘重体では、
曙の女神の薔薇色の指がひび割れをおこし始める時刻、放たれた投げ槍もかくやと思われんばかりの素早さでわたしは乗り込んだ、巨大な体躯に牡牛のごとき眼を備え、うねうねと蛇行する道を行くS系統の乗り合いバスに。……
というように、ホメロスを思い起こさせる荘厳な文体で書かれたりと、99通り様々な文体で日常の風景を描いています。
本当に文章の意味とは、美の意味とは、そして芸術性とは曖昧なものだと気づかされる作品です。
これからこのブログでしめじ的文体練習もやっていこうかなと思っています。
夢日記も面白い夢を見た日には必ず書くようにしたいですけど(^-^;
それではまた次回に。