星野桃BEST

 ギャルっぽい感じと華奢で小さな体がかわいいなと思って借りた一本。
 ムーディーズの人気シリーズ何作かのダイジェスト版、全体的にはげしめのカラミだったというか、全部生カンのように見えた。星野桃は演技がうまく、あえぎ声もちょうどいいトーンと強さで、体の動きもしなやかだった。顔は整形しているのかもしれないけど、バランスが取れていてかわいかった、一方、体は、骨格は華奢であるが、お腹はたるんでいて、肌もきめが少し粗くて浅黒かった。でも、その体のアラが人間らしさというかリアリティというか、そんな感じのものを僕に感じさせ、興奮するファクターのひとつとして重要なポジションを担っていた。作品としてはとても満足できたんだけど、僕は以前はAVを選ぶ際の絶対的な条件として女優が色白であることというのが自分の中にあったんだけど、最近は色白よりもヒサロで焼けている人や自黒の人を好むようになってきている。まー色白も依然としてすきなんだけど。これはこだわりが弱くなってる、好みが変化してるってことなのかなぁとも思う。
 好みの変化っていうのは日々起こっているなぁというのを最近すごく考えていて、たとえば、以前は音楽、映画、小説なんかが大好きで、熱心に聴いたり観たり読んだりしてたんだけど、最近はこの三つに全然興味がなくなってきた。また好きになる日が来るのかもしれないけど、そういうことに時間をかけて、自分なりに分類して、それぞれのカテゴリを深く掘っていくって作業に面白さをみだせなくなっている。
 おもしろいことってのはなんだろうかって考える。ちょっと前、1、2年前ならよりたくさんの女性とエロいことをして、よりたくさんの気の合う友達と遊ぶことが人生で最もおもしろいことだって即答できてたけど、最近はよくわからなくなってきた。
 おもしろいことはないわけではない、たとえば、友達と酒を飲んでしゃべったら気分は高揚するし、音楽はあんまり聴かなくなったけど、ポッドキャストなんかは楽しく聴く、露天風呂から風景を眺めたら気持ちいい、漫画は面白い、でもなんか予想ができちゃう。あのとき体験したあれに似てるとか、過去に似た経験をしていることが多くて。
 年をとるごとに将来が不安定な感じもなくなってくる。僕はいま20代半ばなわけだけど友達も僕も定職について、学生時代みたいに夢を語り合うこともなくなったりして、D[di:]さんの名作『キぐるみ』のなかの
 ”かなうかどうかわからないけど『夢』について語り合うのはあまりにも甘い蜜の味。若者に与えられた特権的ナチュラルドラッグ。”
って一節を思い出したりする。若者じゃなくなって、夢をかたるのがむなしいことになってしまったかなしさと恐怖を日々感じたりもして、こういう悲しさと恐怖を感じるってことは他人の目を気にしすぎているせいなのかも知れないとか考えたり、でも他人と他人の間でしか自分は生きれないんじゃないのかというのも考えたりしたり。
 夢と現実の二択なんてないようなきがして、どっちかっていうと、孤独にたえれるかどうかってことのような気がする。
 ポッドキャスト『ラジオ版学問のススメ』に脳の研究をしている人がゲストで出ていて、まず脳が勝手に行動を起こす、んで、その行動に後から心が意味をつけていく、みたいなことを言っていた。運命は存在するような気がする、でも環境を強引に変えたら運命も変わる気もする。

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