2007年06月

2007年06月30日 12:34

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困ったなぁ。

また私の呟き?かな。

自分を知っている人のほとんどが、『夢ファク』の事、高田は何時、書くのかと想っていると思う。
中には待っている人も、居るのだろう。
このブログを始めてから何度かプロレス界の事や『夢ファク』の事を書いたが、続かない。
連載にしようと想ってもみたが、プロローグ程度のモノしか書いていない、いや書けないのだ。
自分の人生で、一番大切で、良くも悪くも濃密な時間だった数年間。
あの頃を多くの人に知ってもらいたい、そう思う気持ちも、勿論旺盛だ。
なのに書けない。
これはもう、私にとって『みすてりぃ』
嗚呼、ため息ばかり。


2007年06月15日 12:43

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困ったなぁ。

私の呟き?かな。
先日のブログの事、商標登録の。

法的に言うと私の文章は私の意を伝える事にはならないそうである。
だからもう一度、私の気持ちを正しく理解してもらう為に、補足しておきます。

6月10日、
『格闘夢工場』で書いたことは、私の心の思いを率直に書いたつもりなのだが、読む人が読めば商標権という観点からは微妙な内容になる、と言うことらしい。
私は、経営状態の悪化した団体を再建するために断腸の思いで、道場を手放し、選手の退団も個々の意志に任せ、出来る限り身軽な状態にした。

矛盾を感じる、とのご意見も有るのだろうが、当時、極貧と言っても過言では無い状態の私にはこの選択しか無かったのである。
選手個々の事情もあり、私と行動を共に出来ない者は去って行き、その中には私の方から本人の希望する団体に入団を斡旋した選手もいた。

私には団体に対しての定義が有った。
それは、
『道場無きは団体に非ず』と云うことである。
人様の事情をとやかく言うつもりは毛頭無い。
私が自分に課した言わば、私の義である。
道場を仕方ない理由とはいえ、失った『レッスル夢ファクトリー』は、その時点で羽を失した渡り鳥であり、エンジンを外したF1マシンなのである。
そして私は営業活動を中止し、億単位に膨らんでいた債務の返済と再興するための資金力を付けるために、何よりも私の家族に─育ち盛りだった二人の子供に─ちゃんとした食事をさせるために、私は新しい職を見付けた。
その後、私を裏切った選手達に忘れたとは言わせない。
『借金を返し、資金をつくり必ず興行は再開する。私は団体を辞めたりしない。』

私は周囲の人間にもはっきりと言っていた。
当時の私の発言の何処にも、『辞める』的な発言は無い筈だ。

だが、私が再起する事を信じていたのは残念なことに、私だけだった。

少し長くなった、今日はこの辺にしておこう。


2007年06月13日 00:52

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嬉しい話です。
今週の週刊プレイボーイ。
セクシーDVDの不朽の名作ベスト5なるページになんと、私の会社に所属しているRyuちゃんがセレクトされていました。

しかも、しかもですよ!ベスト5のうちの、な、何とべ、べ、ベスト1ですよ…あなた。
この娘もやっとチャンスが廻って来たのかも。

体調不良で仕事から少し遠ざかっていたRyuちゃんこれをキッカケに露出が増えると良いのになあ

2007年06月10日 04:36

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あまりこのブログで書いてはいないが、私はかつてプロレス団体を経営していた事が有る。
団体名は…
『レッスル夢ファクトリー』
当時としては、かなり変わった名称だったようである。
名付け親は私。
1995年3月31日埼玉県熊谷市で旗揚げした。
旗揚げ記念パーティーやら、阪神淡路の震災のチャリティーイベントやら、旗揚げ興行はローカル局ながらテレビ放映された。
いろいろな事が有った。
それもみんな過去の思い出になってしまった。

……と!思っていたら、最近やたら当時のことを書かないかと声をかけられる事が多くなった。
その都度、丁重に断らせていただいて来たのだが、先日、私の団体に所属していた或る選手のブログを覗いていたら、ファンの書き込みのひとつに『夢ファクトリーの当時のことを知りたい…』などと云うコメントを見つけ、やはり一度はあの頃の事を書き残した方がいいのかなあ、と考えるように成った。

この商標登録証は私が団体を辞めて何年も過ぎてから出願し、平成15年に認められたもの。
費用は、大体30万円程度は懸かったと思う。
もうその時はプロレス業界からは退いていた訳で、団体も実際には有名無実になっていた。
『弱小中の弱小』などと自認し、それをキャッチコピーにしていたような団体である。

他から無断で使用するところなど絶対と言っていいくらいないと思う。
では何故そんな団体の商標登録などにムキになったのだろうか…。

そこら辺りから、書いてみようか、そんな今日この頃です。


2007年06月09日 01:30

00ef4c0b.jpg板橋の駅の近く、偶々所用で行った場所です。
猫の額ほどの墓所に出くわしました、小さい墓所のわりに由緒ある風情を漂わして居る。

ここは、江戸末期、時代の嵐とも言える維新の大きな動きに抗い、自らの信念に殉じていった、新撰組隊長、近藤勇とその片腕とも言える副長、土方歳三そして永倉新八の墓所でした。
それぞれ別の場所で死んでいるので、特に土方は函館の五稜郭ですし、多分、後世の人が彼らの意をくんで後から一緒に葬ったのでしょう。
ところで、コノ写真。
近藤勇の立像何ですが、後ろの建物の二階の窓をよく見て下さい、なんか変なのが写ってるように見えませんか?

拡大出来たらしてみて下さい…〓