花とマイセン
2021年04月13日
マイセン 藤の花の絵 自然主義様式の花 スケッチ 見本
が一斉に咲き始めます。公園や庭先などは
花がいっぱいで明るい気分になります。
藤の花はドイツ語でグリツィーネと言い、マ
イセンの自然主義様式の花絵付けのモチーフ
にもなっています。
写真1)マイセン スケッチ 1930年頃
写真1)はマイセンの花絵付けのために描かれ
た習作です。スケッチの右下にはマイセン所蔵
の印がありますが、プファイファー期の後、
1930年頃に描かれたものと推定しています。
写真2)二子玉川の藤の花
駅からショッピングセンターを抜けて二子
玉川公園に至る道には藤棚が続いており、薄
紫の花が咲き始めていました。写真を撮り
ながら思い出したのが、上のスケッチです。
写真3) スケッチのクローズアップ
藤は東洋の原産だそうですが、どのようにして
ドイツの入ったのでしょうか。藤の花というと
大きな房を作って藤棚から下がっているという
イメージですが、マイセンのスケッチでは花数
が少ないので、植木や苗として育てられていた
ものを描いたのかもしれません。
写真4)満開の藤
公園の近くの家の庭には早満開の藤が咲き誇
っていました。めでたい植物として家紋や工
芸品にも多く使われるモチーフですね。
マイセンにも藤の花をデザイン化した作品が
あります。
写真5)マイセン「ウィステリア」1989年頃
一見和食器のようですが、現代マイセンの文
様です。1986年に発表された作品で、デザ
イナーは「火の鳥」で有名なマンフレッド・
フィクゼルです。日本食を盛り付けてもぴたり
と決まりそうな趣ですね。現在ではほとんど
見かけないので、もう作られていないのかも
しれません。
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アンティーク アーカイヴ 東京 二子玉川
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2020年05月07日
マイセン 自然主義様式の花絵 コーンフラワー ヤグルマソウの花
前々回のマイセン自然主義の花の記事が好評
でしたので、今回もこの花絵付けを紹介致します。
写真1)マイセン オーバルプレート 1890年頃
今回の花は「ヤグルマソウ」です。漢字では「矢
車草」、「矢車菊」と呼ばれることもあるそうです。
ドイツ語では「コーンブルーメ」、麦畑などによく
見られる馴染みのある花で、マイセンの花絵付
けにも頻繁に登場します。
写真2)二子玉川公園で見つけたヤグルマソウ
今回も散歩中にこの花を見つけました。耐久性の
ある花で、ドライフラワーするとブルーがきれいに
残ります。
写真3)マイセンの見本スケッチ 1935年頃
写真3)は様式的な花絵付けの画法で描かれた
ヤグルマソウのスケッチです。いわゆるマイセン
フラワーと呼ばれる絵付けで、カップ&ソーサー
やプレートなどの食器にもよく使われます。この
スケッチは、3種類の花が描かれている「3つ花」
ですね。
写真4)マイセン「36種の基本の花」カタログより
マイセンには「基本となる36種の花」というカテゴ
リーが設定されており、ヤグルマソウはその17番
目の花として登場します。マイセンの花の絵付け師
は画学生の頃からこの「基本となる36種の花」を徹
底的に習得します。ベテランペインターは、全く見本
なしで自由自在にこれら花々を描けるそうです。また、
そうならなければならないと語っていました。
写真5)自然主義様式のヤグルマソウ
写真5)は上述のオーバルプレートのクローズアッ
プです。様式的な花の描写とは、まったく異なった
表現であることがお分かりいただけると思います。
制作は19世紀の終わり頃ですが、すばらしい絵付
けと思います。
この頃は時間があるのでよく散歩をしますが、小さ
な発見に心が和みます。
写真6)新緑の散歩道
写真7)新緑の散歩道
日向は汗ばむくらいですが、木陰に入るとスッと涼しく、
五月晴れのいい一日でした。
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2018年05月15日
マイセン プレート 自然主義様式の花絵付け ナスタチウムとアスター
これを紹介しようと思います。
写真1) マイセン プレート「自然主義様式の花」 1890年頃
まるで水彩画のように柔らかく描かれた「自然主義様式の花絵」
です。19世紀末は、マイセンの花絵付け師ブラウンズドルフ教授
が、マイセン付属素描学校ので教えていた時代で、彼の絵付け
技術や様式を製品に強く反映させていました。
マイセンの愛好家や研究家の間では、最も素晴らしい花絵付け
の時代と評されている期間で、出来のいい作品はアンティーク
市場でも大変に高価で取引されています。
写真2) 同上 クローズアップ
白い紙の上に、摘んできた花をポンと置いて描いたような自然な
表現が「自然主義様式の花」です。現在でもマイセン花絵付けの重要
なカテゴリーであり、とても格式の高い絵付けです。
本作はナスタチウム(キンレンカ)とアスター(エゾギク)がモチーフに
なっています。
写真3) ナスタチウムの絵付け
写真4) ナスタチウムの花と葉
写真3)4)でお分かりの通り、植物学的にも正確な表現で
描かれています。花芯や丸い葉の形状など、柔らかいタッチ
でありながら、絵付け師はきちんとこれを捉えています。
写真5) アスターの絵付け
写真6) アスターの花
アスターの花絵付けは、本作のハイライトでしょう。微妙な彩色で影
をつけながら、見事な立体感を描いています。こうした表現が植物
の生命を感じさせるのでしょう。
自然主義様式の花絵は、筆数を極力抑えて、最小限のタッチしか
使っていません。この時代ならではの、最高の表現と考えています。
写真7) 同作品 窓絵の表現
紺の地色にカールトゥーシェ(ロココ風の渦巻き文様)の窓、中心に
自然主義様式の花絵をあしらった表現を「アムステルダム様式」と
呼びますが、これはマイセンの花絵の中でも最高の花(FFブルーメ)
というカテゴリーに入ります。
現在でも作られており、とても高価な値段がつけられていますが、
こと花絵に関しては、19世紀後半の作品には遠く及びません。
写真8) 同作品 裏面の剣マーク
最後にマークをお目にかけます。マークや絵付けから、19世紀末に
作られた作品に間違いないと推察しています。
どうぞ、当店にて実際にご覧ください。
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2017年05月14日
マイセンの花絵付け 様式的な花 古典画法の花 最上級の花
下さっているようです。先日もホビーペインターの方から、通常の
花絵と古典画法の花絵の違いが、先生に聞いてもよく分からない
とのご質問を頂きました。
今回は本ブログで、より具体的に見ていきたいと思います。
今回は以下の3種類に花を取り上げます。
*様式的な花束の絵 装飾番号 110110 大型ベース
*花と果物の絵 古典画法 装飾番号 210113 28cmプレート
*FFブーケ 最上級の花絵 装飾番号 204032 25cmプレート
写真1) ブーケ花束の絵 様式的な花
写真1)は所謂「マイセンフラワー」とか「様式的な花絵」と呼ばれる
マイセンでは最も一般的な花絵です。本作が大型ベースの絵付け
ですが、6種類以上の花が描かれたブーケの絵付けです。
明るい色調で生き生きと描かれていますが、この花束の構図でその
まま自然界に存在するものではなく、マイセンの長い歴史の中で作
られてきた磁器装飾ための構図です。マイセンの作品の中でも私
たちが最もふれる機会の多い絵付けでしょう。
写真2)花と果物の絵 古典画法
写真1)と比べると、はっきりと違いがお分かり頂けると思います。
渋い色調は、絵の具を混ぜ合わせる事によって作られます。18世紀
当時の銅版画を手本としているので、様式的な花よりグラフィックな
線描で花や果物が表現されています。様式的な花の軽やかなタッチ
と異なり、写実的な描写とは離れて細密に描きこんでいます。
写真3)FFブーケ 最上級の花絵
写真3)も古典画法の花絵ですが、写真2)の描法をさらに推し進め
た究極の古典画法といえるものです。線描の細さ精密さは、磁器絵
付けにおいては、これ以上不可能とも思える出来です。マイセンの
数ある花絵付けの中でも、「印象主義様式の花絵」と共に最上級の
位地にあるため、この名称で呼ばれます。
いかがでしょうか。
本ブログでは絵付け技術的な解説は省きますが、一般の様式的な
花絵と古典画法の花絵の違いがお分かり頂けると思います。
熱心なホームペインターのために、以下バラの花だけをクローズ
アップしてご覧にいれます。3種の描法の違いをより具体的に感じて
頂けるのではないでしょうか。
写真4)様式的な花 バラのクローズアップ
写真5)古典画法の花 バラのクローズアップ
写真6) 最上級の花 バラのクローズアップ
写真4)から順に手の込んだ描法であるのが明らかです。西洋の一
般的な価値観では、手がかかればかかるほど価値が上がっていく
ので、古典画法の花絵はとても高価になります。古典画法は様式的
な花絵の2~3倍の手数を要すといわれ、価格もそれに比例してい
ます。ましてや最上級の花絵の価格は驚くほど高いものです。(因み
に、現在、コーヒーC&Sで、1客100万円近くします)
一見、同じような花絵でも、実はこうした大きな違いがあるのです。
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2017年03月14日
マイセン付属素描学校 東独時代の記録帳
マイセン磁器製作所付属素描学校の生徒の古い記録帳です。
この学校はマイセン工場の敷地内にあり、マイセンの絵付師や
職人を養成する目的で設けられました。「Zeichenschule」 は
養成学校とも訳されますが、これまで素描学校で通っているので、
今回はこれを採用しました。
写真1) マイセン付属素描学校の様子 東独時代
今回紹介するのは、この学校の生徒が残した学習の記録です。
マイセンの職人がどんな教育を受けてきたのか、非常に興味が
あります。今回はその一部を紹介しますが、これはあくまで東独
時代のものであるという事をご理解ください。
2) マイセン素描学校 記録帳
写真2)がノートの表紙です。付箋の部分には生徒の名前があるの
ですが、公開にあたってプライベートな事項は伏せる事にします。
写真3) ノートの見出し
ノートは1959年から4年間に記録されたもので、計4冊になります。
今回紹介するのは、その一冊目の最初の部分です。マイセンで学
校の生徒たちがどんな教育を最初に受けるのかを見ていきます。
先ず、名前と生年月日、出生地が記されています。この生徒は19
40年の8月、マイセン市の生まれです。教育の目的は、磁器芸術の
習得とあります。入学は1959年、4年間の教育を受け、1963年の8月
末日に終業予定です。
下段には養成所に住所が書かれています。マイセン国立磁器工場
内の素描学校とありますが、VEBというのは、人民公社という意味
です。これは東独時代のマイセンの正式な名称です。
このノートは、恐らく東独時代の共通の報告書記録書であったよう
で、マイセン工場のためだけのノートではないようです。寄宿舎の
住所などもありますが、これもマイセン工場内です。
最後にはノートのNo.1である事、1959年に9月1日から記録を始め、
1960年の8月31日までつけていたことを示しています。
写真4) 2ページ
一日ごとの作業報告が書かれています。
一番下には、実習に対する先生の評価がなされています。
赤字で2+という評価ですね。
写真5) 提出された素描
写真6)3ページ 学習の内容と感想
この生徒は、先ず、鉛筆画とペン画で植物の日向と陰の描写を
学んだようです。マイセン素描学校の生徒は、デッサンの試験を
通って入学しますから、さすがに端正な描写です。
写真7) 次の課題である花の絵 彩色と鉛筆画
次の課題は鉛筆と彩色された花の素描です。慣れたタッチに見えます。
写真8) 木の葉の絵 水彩
写真9) 同上
写真8)9)は提出された課題作です。水彩で木の葉を描いています。
もちろん、これらにも学習の過程や学んだ事をレポートの形式で、詳
細に書き綴っています。
尚、写真9)の濃茶色の木の葉は本物で、この生徒が本物の木の葉
を傍に置きながら、デッサンの習得に励んでいた事が伺われます。
今回は以上ですが、さらに高度な修練が延々と4年間続きます。
マイセンの絵付師は、こうした修行の連続ということがよく分かります。
マイセンの絵付けには、こうした高度な教育の裏づけがあるのです。
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2015年06月23日
高島屋のバラとマイセン
いつも見かけます。今日はこのバラの包装紙についてのブログ
です。
写真1) 高島屋のバラの包装紙
高島屋といえば、このバラの包装紙はあまりにも有名です。
おなじみの方も多いでしょう。あまりよく見ることもないくらい
見慣れてしまっていますが、実は芸術的にもとても素晴らしい
作品と評価されています。よく観察すると分かりますが、まるで
香ってくるような花絵で、柔らかで迷いの無いタッチは、見事
と言うほかにありません。
この原画を描いたのは誰でしょう。
実は、バラのリースの7時ごろの位置に、サインがあるのです。
写真2) 同包装紙のバラにある作者のサイン
印刷になってしまっているので、よく読めませんが、実は、フォルク
マール・ブレッチュナイダー、その人です。
「エエッ!」と思った方、かなりのマイセン通です。
「知ってるよ」と思った方、すでにマイセン病です。
サインは「、V.Bretschneider 1980」 と記されています。
マイセンファンならフォルクマール・ブレッチュナイダーの名前は
ご存知でしょう。ハインツ・ヴェルナー等と共に、マイセンで「芸術
的発展のための集団」を結成し、20世紀のマイセンを芸術的に
リードしたアーティストの一人です。彼は花絵付けの名手であり、
マイセンでも花絵付けで彼に右に出る人はいない、と言われた
人物です。特にバラの絵は自由自在です。
ブレッチュナイダーは1980年に初来日しています。
この年(昭和55年)は、高島屋で「マイセン磁器300年展」が開催さ
れました。これは記念すべき日本初のマイセン単独展であり、また
高島屋創業150周年でもあり、大きな規模で非常に充実した内容
の催事でした。
写真3) 1980年(昭和55年) マイセン展のチケット半券
当事のドイツは西と東に分断されており、互いに独立国として覇権
を競っていた時期です。マイセンは東独に属していましたが、日本
と東独は1973年に国交が樹立されたばかりで、両国共に文化的
経済的な関係を強めようとしていた時代でした。
この意味で本催しは単なるイベントではなく、国家単位の重要な
文化交流あり、東独から政府関係の要人も来日していました。
写真4) 1981年当事のV・ブレッチュナイダー
フォルクマール・ブレッチュナイダーもマイセン側の芸術分野を代表
とする要人として来日していました。そして、これに際し、この包装紙
のデザインの元となった飾り皿を高島屋に贈呈しました。マイセン磁
器は東独を代表する贈り物として使われていましたので、この時に
ブレッチュナイダーのバラが採用されたのもよく理解できます。推測
ですが、マイセン側も高島屋のバラの包装紙を知った上で、この飾り
皿を贈ったのではないでしょうか。とすれば、この作品をバラ絵付け
の名手であるブレッチュナイダーに描かせたのは、とても納得ゆく事
です。
写真5) 高島屋 高岡徳太郎による旧包装紙のバラ
2007年、高島屋新宿店のリニューアルオープンを機に、包装紙の
バラのデザインが一新されました。この時に選ばれたのがブレッ
チュナイダーの絵付けからのデザインでした。
それまでは洋画家高岡徳太郎のデザインが採用されていました。
高島屋ではこれを、「モダン・ローズ」から「イングリッシュ・ローズ」
への変更とコメントしています。
余談ですが、このときに一緒に来日していたハインツ・ヴェルナーは
高島屋に関する絵画を残しています。
写真6)絵画 「高島屋の女性」 H・ヴェルナー 1980年
高島屋のデパートの女性がヴェルナー独特の筆致で描かれて
います。きっと高島屋での体験がヴェルナーの印象に強く残った
のでしょう。
この後、ブレッチュナイダーは何度か日本を訪れる事になります
が、このときの話はまた折に触れて語る事にしましょう。
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