朱麗葉與梁山伯(ジュリエット・イン・ラブ)

  • author: driftingclouds
  • 2005年07月20日

julieteinlove

導演:葉偉信(ウィルソン・イップ) 監製:馬偉豪(ジョー・マ) 編劇:鄒凱光(マット・チョウ), 葉偉信(ウィルソン・イップ)
美亞電影製作有限公司, 2000

このカテゴリ(香港映画)使うの久しぶりだなぁ。

茱迪(呉君如/サンドラ・ン)は乳がんで乳房を失い、それが理由かは判らないが夫は去っていき、今は祖父と暮らしている。女性としての幸せをあきらめ、ただ生きているだけの日々。
佐敦(呉鎮宇/ン・ジャンユー)はいい年をしてうだつの上がらないチンピラをやっている天涯孤独な男。
この二人がひょんな事からボス(任達華/サイモン・ヤム、手下は林雪/ラム・シュー!)が愛人に生ませた赤ん坊を預かることになる。
慣れない育児にあたふたとしながら、なんとはなしにそれに幸せを感じるようになっていく茱迪と佐敦。
しかし、ボスが赤ん坊を連れにきてつかの間の日々は終わり、そして…

この映画の舞台になっているのは香港でも郊外の新界というところ。
中国本土との境界に近く、中央とはちょっと雰囲気が違う。ベッドタウンとして急速に開発が進んでいるらしい。
タイトルのうち“朱麗葉”は『ロミオとジュリエット』の“ジュリエット”のこと、そして“梁山伯”というのは中国の『ロミオとジュリエット』と言われる『梁山伯と祝英台』から取られている。
舞台になる場所も、タイトルも、様々な人が流入し混じりあい大きく変化していく香港そのものを表しているのかと思う。

そういう場所ではイケイケドンドンな立回りの上手い人が居る一方で、どうにも不器用でいっつも貧乏くじを引いてしまう人達もいるわけで。
茱迪も佐敦も不器用な方の人間たち。
自分がそういう人間だと判っていて、こんなものさ、と達観して見せているつもりでも本当は誰よりも理解しあえる人が欲しいと思っている。
だから、つかの間の家族ごっこに夢中になるのだよね、ふたりとも。
赤ん坊が居なくなってしまって元の生活に戻ったものの、3人で過ごした日々の思い出が二人に気がつかせるんだ、相手が自分にとって掛け替えの無い存在になっていることを。

この先はネタバレしてます。

だからって素直に好きだ、と伝えるには二人とも屈折しすぎてて、不器用過ぎて…やっとやっとお互いの気持ちが通じてそれで…
サンドラが「こんな女をでもいいの?」と手術した胸をジャンユーに見せた(一応ネタバレ)ときのジャンユーの目!目が!あれで泣かない女は居ないよ、たぶん。というか号泣してしまいました、私。今までの中でこのジャンユーが一番好きかも。
サンドラも決して美人とはいえないんですが、それだけに説得力があるというか、ほんとにいいんですよ。
最後まで不器用で間が悪かった佐敦だけど、茱迪のこれからは今までとは違うんだよね。
想いはちゃんと茱迪のもとに残されたから、もう彼女は孤独じゃないんだ。
それにしても最後に出てきた子供はいったい誰だったんだろう?もしかして…?なんてね。

他の人について。
葛民輝(エリックコット)は何の為に出てるのかちょっと判らなかったなぁ。
ヤムヤムのちょっと調子のいいボス、というのは新鮮でした。
それに林雪、出てると思わなかったので登場した時おもわずうわっ!とか声が出ちゃったよ。本当にあちこち出まくってますね、この人は。
あと、サンドラのおじいさん役の人(名前判らず)がとっても素敵だったな。「No coke,no life」ってのが口癖で、止められてるのに隠れてコーラを飲んでて、それがさりげなく映画の中で効いてるんだよね。
見終わるとコーラが飲みたくなります。それもビンにストロー挿して。
でも私コーラ飲めないんだけどさ。

あ〜それにしてもなんでこれが公開されてないのか、と調べてみたらフィルメックスで『ジュリエット・イン・ラブ』というタイトルで一回だけ上映されたらしい。
なんだよ〜、せっかく字幕付けたんだから出せばいいのに

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この記事へのコメント

きょうはKEIが山へ製作すればよかった?
ただ香港へKEIは女性を達観するはずだった。

1. Posted by BlogPetの「lauchin」 2005年07月22日 09:56

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