ぼくを葬る

  • author: driftingclouds
  • 2006年05月15日

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監督・脚本:フランソワ・オゾン 2005年 フランス

実を言うと、名作の呼び声高い『まぼろし』を、私観てません。
この映画はそれに続く“死”についての三部作の2作目なんだそうな。

31歳の若さであと3ヶ月の命と宣告されたロマン(メルヴィル・プポー)の最後の日々。
同じ題材を扱った映画はたくさんあるけれど、ちょっと違うのはロマンが周囲の人に自分が死ぬことを伝えないってこと。

恋人には一方的に別れを告げ、ギクシャクしている家族には何も告げず、祖母(ジャンヌ・モロー)にだけは秘密を打ち明ける。「お婆ちゃんと僕は似ているから。二人とももうすぐ死ぬ。」
その後に祖母が彼に提案した事が…………凄く…心に突き刺さるような切実な言葉で、ん〜なんて言ったらいいんだろう?表現する言葉が見つからないような深い深い言葉。
あの言葉をもらったから逆にロマンは残りの日々を生きる事が出来たんじゃないろうか?なんだか矛盾するようなんだけど。
ジャンヌ・モローはもう78ぐらいのはずなのに、二人がベッドに横たわる姿は何とも言えずなまめかしい。
彼女の存在感なくしては成り立たないシーン。

彼みたいに周囲に何も告げずに逝ってしまう事を、エゴイスティックだと思う人もいるかも。
でも、愛する人達に見守られて死にたいというのもそれはそれでその人のエゴなんじゃないのかしら?
死ぬ時は誰でも一人で死んでいく。死を見つめる事は自分の中の孤独と向き合う事、そう思った。
まあ、そうは言いつつ、もし自分がそんな事になったら実際にはジタバタしながら周りの人に迷惑掛けつつ死んでいくような気がするけどね。

ロマンもそんなに純粋に死に向かっていくわけじゃなくて、別れた恋人と最後に一度だけセックスしたいと言ってみたり、子供の出来ない夫婦に協力して自分の子孫を残してみたり(彼はゲイという設定)、そんな迷いとも見える行動を経て、そしてだんだん死を受けれていく。
肉体から肉が削ぎ落とされていく(演じるメルヴィル・プポーは大変だったろうなぁ、それも含めて彼の演技は素晴らしいと思う)のとともに透明感を増していく彼の存在。

周囲と完全に調和した中での死、ラストシーンはとても美しい。

まあ、こういう静かな作品を見たあとで言うのもなんなのですが、私がF・オゾンでいちばん好きな作品は実は『ホームドラマ』だったりします。ああいう初期の作品みたいな毒々しい映画はもう撮らないのかなぁ。
寂しいわ。

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  • [ 存在の耐えられない軽さ ] 2006年05月16日 00:08

この記事へのコメント

きょう、ここへKEIで恋人が矛盾するつもりだった。
でもきょうは、ここへ姿にギクシャクしないです。

1. Posted by BlogPetのlauchin 2006年05月15日 09:23

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