プルートで朝食を

  • author: driftingclouds
  • 2006年07月04日

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Breakfast on Pluto
監督:ニール・ジョーダン 2005年 アイルランド=英国

自分探し、なんてのが一時期流行ったことがあったけど、パトリック・”キトゥン”・ブレイデン(キリアン・マーフィー)の場合、ちょっと話が厄介だった。なぜなら彼女(?)は男の身体に女の子の心を持って生まれてきてしまったから。

だけど、キトゥンは普通の人以上に困難な“私らしく生きる”を堂々と実に軽やかにやってのけてしまう。
もちろん、その過程には様々な障害が待っています、恋人には裏切られ、IRAのテロ犯と間違われ、娼婦に身を落として客に殺されかけ…と文章にするとかなり悲惨な出来事なのだけど、これが時代時代のヒットソングとPOPな映像で語られるのであまりそういう感じはしません。(このへんが『嫌われ松子の一生』と比較されるゆえんかしら)
だいたい、“深刻”とか“真面目”はキトゥンのいちばんキライなことだし。
しかし、時代はアイルランドにとって激動の50年代から70年代に設定されており、そういう時代に生きていながら、流されず自分を押し通そうというのは覚悟のいること。

たとえば、IRAと間違われたキトゥンは刑事たちから暴力をふるわれるのだけど、そこで彼女は泣き叫んだりせず、おちゃらけを言い続けることで相手を屈服させてしまうのよ、そう、不真面目を貫き通すのも楽なことじゃないのよ。それこそ真面目にやらなきゃ。

性別とか、社会的役割とか、主義主張とか、そういうものにぶつかりつつも「それでも私は私」と言い切れることの強さ。
なによりも、どんな目に遭おうとも決して卑屈になったりせず、昂然と顔を上げて進んでいく彼女自身が持ちまえのユーモアと優しさでいろんな障害を越えていくのが痛快なのだ。

キトゥンの遍歴はそもそも自分を捨てた母親探しの旅だったんだけど、最後に彼女は父親と”家族”を手に入れる。いや、実はもともと身近にあったのだけど、最後にそれに気がつくと言うべきか。
ん、だとするとこれは『嫌われ松子の一生』でもなく、『母を訪ねて三千里』でもなく、『青い鳥』なのかしらん?だからコマドリなのか!(たぶん違います)
彼女がその新しい家族とともに、ある人と病院ですれ違うラストシーンは何とも爽やかな風が吹いているようだった。

キトゥンを演じたキリアン・マーフィーは『バットマン・ビギンズ』の悪役も印象的だったけど、これは本当に素晴らしかった。
もともと男性にしては華奢な体つきと肉感的すぎる唇の持ち主なせいか、ほとんど完璧な女装というだけじゃなく、複雑な内面を持つ人物を軽やかに演じていたと思う。
後半のきらびやかな衣装もいいけれど、学生時代の制服にいっぱいボタンやら何やら縫い付けてあるのが可愛かったな。

キトゥンをめぐる男たちでは、手品師のスティーブン・レイが相変わらずいいくたびれ具合で(笑)○。
彼女をIRAと間違えてさんざん痛めつけておきながら、結局ほだされて面倒を見てしまうイアン・ハートの刑事もイイ。
だがしかし、ブライアン・フェリーはなぜあの役を……?
そして、”ファーザー”リーアム・ニーソン。この人ってすごく真面目くさったカオして冗談をいう人みたいなイメージがあって、だから真面目一辺倒の役はつまんなかったりするのだけど、これはまさにはまり役ですね。
キトゥンの妄想シーンでエロ神父やってる姿も楽しそうだったし(笑)

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