カポーティ

  • author: driftingclouds
  • 2006年10月16日

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Capote
監督:ベネット・ミラー 2005 アメリカ=カナダ

『冷血』という本はカポーティの作品の中では異様、と言いたくなるほど浮き上がった存在の作品です。
そんな作品がどうやって描かれたのか。
映画は、彼が新聞の小さな記事に目を留めてから、作品が完成するまでを描いています。

不幸な少年時代を過ごしてきたカポーティの小説は、その哀しみが底に流れているように感じることが多いです。
社交界のトリックスターとして脚光を浴びる姿も映画では度々登場しますが、その姿はどこか演技めいて見えます。
本当の自分ではなく、そうなりたかった自分を演じているように。

そんな「傷ついた子供」の部分でペリー・スミスに感応し、一方で小説家としての冷静な観察眼と名声欲で彼を利用する。
二律背反する感情が彼を苦しめ、均衡を失わせていく様子をフィリップ・シーモア・ホフマン(以下フィル君)は見事に演じきっています。
フィル君の演技があってこそ成り立っているような映画です。


そもそも、なぜ、カポーティはあの小さな記事に心惹かれたのか?

自覚しているいないに関わらず、人は誰しも心の中に昏い部分を抱えているものです。
彼は自分の心の昏い奥底で、何か引っかかるものを感じたのかもしれません。
そして、実際にペリー・スミスという人物に会って話をするうちに、見てしまったのでしょう。
スミスにもう一人の自分の姿を、そして、自分の心の裡にある深い深い暗闇を。
カポーティは言います。『僕と彼は同じ家に育ち、僕は表玄関から出て、彼は裏口から出た』と。

一度暗闇を覗いてしまったものは、それを見なかったことには出来ない。
カポーティがその後長編を書くことが出来なかった(短編は書いているので、まったく書けなくなったかのような映画の表現は間違い)というのは、そのもうひとつの自分とどう折り合いをつけるか悩んでいたからなのかもしれません。
彼がもう少し長く生きていたなら、それを乗り越えて傑作が生まれたかもしれない、とは言っても詮無いことですが。

ちなみに、実際の動くカポーティを見たければ『名探偵登場』を観るといいでしょう。
フィル君そっくりの(てか逆ですけど)本人が役者として登場しています。

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