バベル

  • author: driftingclouds
  • 2007年06月04日

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Babel
監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ 2006 アメリカ=メキシコ=フランス

ずいぶん長いことサボってしまいました。
おかげでまた文章力が退化したように思います…ああ…

『ブラッド・ダイヤモンド』の時も書いたけど、この映画を見てやはり世界は繋がっている…という想いを強くした。
私たちは様々なものに隔てられているけれど、それでも、本人たちの想像もしないところで、人々は繋がっているのだ。

日本のハンターが気軽な気持ちで贈った銃が少年たちの手に渡り、ちょっとした好奇心と対抗心から放たれた弾がアメリカ人観光客に当たってしまう。
妻の身を案じる夫は、息子の結婚式という一生に一度の大事な席に出席したいという乳母の頼みを聞いてやる余裕がなく、乳母の甥は国境での執拗な追求に日頃の鬱憤を爆発させ、国境突破という無謀なことをしてしまう…
そうやって陥った世界の混沌のなかで、人々は苛立ち、嘆き、怒りをぶつけあう。
バベルの塔を作ろうとした人類は神によって言葉を乱され、バラバラにされた、けれど、いま私たちがバラバラなのは言葉のせいだけじゃない。
こうなってしまった原因は、言葉が通じないことでも、文化が違うことでもなく、他者に対する想像力を無くすこと。
自分だけがこんなに苦しんでいる、自分だけが不当な扱いをされている…そんな思い込みが人と人とを隔てる障害になってしまっている。

チエコの話は一見するとちょっと他のエピソードから浮き上がって見えるのだが、孤独で、他人とのコミュニケーションに困難を感じていて、内部に様々なものを抱え込みながら、声なき悲鳴を上げ続ける彼女の存在は、やはり映画の中心であり、他のエピソードはその変奏曲なのだと思う。
そういう風に見えないところがこの映画の弱点だ、と思ってしまうのだけど。
『アモーレス・ペロス』のように、エピソードを一つづつ積み重ねていく方がこのテーマには合っていたような気がする。
それはともかく。
だからこそ、希望も彼女に託されたのだ。
全身全霊で人との関わりを、ぬくもりを求める彼女に、黙って手を差し伸べること、ひいては傍らにいる大切な人を抱きしめること、それは、きっとそのむこうの世界へ繋がっているはずなのだ。

それにしても、日本では不幸な形で公開されてしまったな、とつくづく思う。
いいかげん、作品の内容とは別のところにばかり注目する報道の仕方はやめてもらいたい(そういうことが宣伝になると容認する配給会社も同罪だ)

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