『ギャランツ(打擂台)』ティーチイン 26日

  • author: driftingclouds
  • 2010年11月02日

監督:郭子健(デレク・クォック)、鄭思傑(クレメント・チェン)

まずは、挨拶を

デレク:「この映画を日本に持ってこられて、皆さんにここで観ていただけてとても嬉しく思っています。出てくるのは年配の役者が多いんですけど、日本の映画にあるような、観た人を勇気づけるような青春映画として作りましたので、喜んでいただけたらうれしいです。」

クレメント:「平日の昼間にも関わらず、皆さん来ていただいてありがとうございます。きっとお仕事を持っていらっしゃるのに来ていただいて大変嬉しく思います。東京国際映画祭に自分たちの映画を持ってくるというのが10年来の夢でした。それがかなってとても嬉しいです。」

2回目のティーチインとあって、リラックスムードの二人、観客を逆に撮影しまくり、和やかな雰囲気に。(あとでfacebookにupしていたwww)

Q:大御所のカンフーアクション俳優たちを起用して撮影するのは大変だったと同時に楽しそうな気もするが、撮影中の面白いエピソードがあれば教えてください。

デレク:「撮影中は楽しいことの方が多かったです。確かに役者さんは年配で、大先輩ですが、皆さんとても心が若くて現場では大きくなりきれない子供が一緒に遊んでいるような、そんな現場でした。
実際、映画を撮る前に脚本を書いている段階でいろんな役者さんとはいろいろな話をしていまして、武術関係、アクション関係ではそのいただいた意見を盛り込んで脚本を仕上げたというのもあります。
実際の撮影では自分たちが演出するというよりも、先輩たちに助けてもらって撮ったという面が多かったように思います。
どちらにしても現場はとても楽しく面白く撮影することが出来ました。
ただ、大変だったのは撮影期間が短かったこと、資金が限られていたこと、それと暑さです。
武館の中では40度から50度ぐらいになっていたと思うんですけど、その中でアクションをしながらの撮影でしたので、それは大変だったと思います。」

ここで最初の質問者の方にオリジナルポスターのプレゼント。

デレク「少し付け加えさせてください。映画の中のアクションではまったくスタントを使っていません。しかも、ワイヤーも使ってません。役者さんたちは60歳を過ぎているのに、高温の中でスタントもワイヤーも使わず撮影したので、それが一番大変だったと思います。
大変だったのは私たちの監督業ではなく、役者さんが大変だったと思います、それに対しては本当に心から敬意を表しています。
プロデューサーの林家棟(ラム・カートン)の一日の一番大事な仕事は、役者さんたちを車で整体院に連れて行き、また迎えにいくことだったんです。
帰ってきた時は包帯でぐるぐる巻きの状態なんですけれども、いざ撮影となるとパッと外して撮影をして、特に最後の足蹴りのシーンありましたよね、あそこでは十何回も蹴るんですけど、出来れば自分たちは1回か2回のテイクで済ませたかったのに、本人が納得しなくて「いや、ダメだ!蹴りのシーンは自分にとってはいちばん十八番の技なので、今のでは満足できない、もっとやらせてくれ」ということで何度も何度も撮り直しをして、最後にはねん挫の状態になってしまい、そのあとはまた包帯をぐるぐる巻きにして撮影をしていました。」

Q:具体的に何日でいくらぐらいで撮ったのですか?

デレク:「18日、100万ドル(US$)以下です。」

Q:デレク監督の前作『野、良犬』『青苔』とはトーンがだいぶ違うが、今回は共同監督ということで違う雰囲気の作品になったのか?二人の役割分担も含めて教えてください。

デレク:「まずは私の前の作品を観ていただいてありがとうございます。私とクレメントとは自分たちがこの世界に入った時からの知り合いで、これまでの作品に関してもいろんなことを手伝ってもらいました。脚本で手伝ってもらうこともあれば、現場で手伝ってもらうこともありました。
作品のスタイルですけれど、最初の作品『野、良犬』『青苔』と今回の作品、私としてはテーマはまったく変わってないんですね。形式が違うだけで、テーマはずっと同じものを追求しています。
ただ、今回の映画に関しては、今までのが少し暗っぽかったので、カンフーコメディという形式をとりましたけど、底辺に流れているテーマ「世の中は悪いことが多い。人は運命に弄ばれたり、面白くないこともよくあるけれど、常に強い気持ちを持っていれば、きっといい明日がやってくる。」は同じなんです。
そのテーマに関しては二人とも好きなテーマで、ずっとやってきました。
今回の映画も、別にはっきりと自分はこれ、クレメンツはこれという風に分担をわけてるわけではなく、どちらかが忙しいときに、忙しくない方が手伝う、というやり方でやってきました。例えばカメラを2台回して、僕が1台、彼が1台という感じで撮ることもありました。」

ちょっと、言わせていただきたいのですが。

クレメント:「こうやって皆さんが梁小龍はじめ、往年のスターの演じる作品を喜んで観てくださったことに、とても自分たちが嬉しく思います。
実は、この映画を撮る時に自分たちの近しい友人たちであるとか、映画界の先輩たちには「いや〜これはマズいんじゃないか、自殺行為だ」と言われたんですね。
ただ、私たちは映画が好きですし、この役者たちが好きですし、自分たちがファンでもあるんですね、だからこうやって観客の皆さんが、自分たちが選んだ映画、キャストを楽しんでくださったことを、彼ら以上に嬉しく思います。」

Q:お尻を出してるシーン、よく先輩たちにあんなことやらせるなぁとびっくりしたんですが。

クレメント:「自分たちがあんな演出はとてもとても出来ません。自分たちは役者さんたちに比べて体格は大きいけれど、カンフーは出来ないし、変なこと言って気に障って鉄拳が飛んできたら大変だと思ってたんですけれども、さっきデレクが言ったように現場ではとても、皆さん可愛らしくて、ノリ始めると自分たち以上に子供なんです。
で、あそこの場面でも自分たちでお尻を出して「監督見て見て〜!」って言うので、まあ面白いから撮ろうかという感じだったんです。」

Q:テーマ曲が「ドラゴン怒りの鉄拳」だったと思うんですが、ブルース・リーに対する二人の想いを教えてください。

デレク:「自分が生まれた時はもうブルース・リーはこの世にはいませんでした。
自分が一番最初に観たのは梁小龍の「陳真」というTVシリーズだったんです。それを見てのめり込んでアクションを覚えて、真似してけんかしたりしていたんです。
その後、映画祭でブルース・リーの回顧上映があって、そのときまだ10歳にもなってなかったと思うんですけど、そこで初めて『ドラゴン怒りの鉄拳』を観まして、ああ、昔テレビで見ていたのはブルース・リーのことだったんだ、と知りました。
それから、彼の考え方とか哲学にも嵌っていき、彼の出演作は全部観ました。
人間的にもとても興味を持って、彼の動きを研究していつも真似をしてました。
この映画の中で「アチョーッ!」という声が入りますが、あれは私の声です。(実際に真似してみせるww)
ただ、今は太ってしまったので動きは出来ませんが、声はまだ出ます。
テディ・ロビンの会社でよく動きを真似していた時はクレメントが写真を撮ってくれて、当時はまだ腹筋もいくつかあったんですけど、今は、ひとかたまりぐらいになってしまいました。(笑)

クレメント:「自分は80年代に育って、自分にとってはブルース・リーというのは凄く古くさいものだったんです。
一面的にしか知らなくて、あの声を聞いて(ここで今度はクレメントが物真似w)バッカじゃないの?と思ってたんです。
子供の頃から外国にいて外国で育ってたんですが、その時にまわりにあまり中国人がいなくて、他の外国人と知り合うとみんな「ブルース・リー知ってる?知り合い?」とか「カンフーできる?」とか言われたんです。
世界の人みんながブルース・リーを知っているんではないか、というくらい聞かれました。
少し大きくなって、映画を観て、彼の哲学を知るようになって、彼は非常に特別である、面白いと思うようになりました。
哲学やカンフーの使い方など、他の人には出来ないこと、彼にしか出来ないことをやっていると感じたんです。
それについては非常に尊敬すべき人だと思っています。」

ということで、2日間、良い質問が出てとても有意義なQ&Aでした。
出来ればデレクにはもう少し簡潔にしゃべってもらって、もう2、3問答えて欲しかった気もするけど。
幕張のとき、こんなに話し長かったっけ?と思ったのですが、あの時は通訳さんが北京語しか出来ず、デレクもあまり得意ではない北京語で話さなければならなかったために、割と短かったのでした。(笑)

この作品を大きなスクリーンで、大勢の人と楽しむことが出来て、本当に良かった!
出来れば一般公開もしてくれたらいいのにな、と思います。

ちなみにデレクが子供の頃、夢中になったという梁小龍の「陳真」はこれですね。

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