酒類愛好家・大木一雄のブログ

大木一雄と申します。ビール、日本酒、カクテルなどについてのウン蓄を書きます。

お気に入りの麦焼酎

地元「大分県直川村」の麦を原料に、九州屈指の清流として知られる「番匠川」の伏流水を使用。

国産麦を100%使用している稀少な焼酎だ。

地元の原料にこだわり、製法にもこだわって造られた焼酎は、まろやかな口当たりで、すっきりとしたきれいなやさしい味わい。

減圧蒸留をしており、さほど麦の香りは強くない。

そのかわりに、米の吟醸香のような香りが感じられる。

誰が飲んでもおいしいと感じる、万人向けの麦焼酎。

主原料に焙煎した大麦を使用している。

鼻に近づけた瞬間、焦げたような芳ばしい香りが鼻腔に広がり、口に含むと麦のほんのりとした甘みが感じられる。

キレがよく、後味はサッパリ。

河成鎮氏によると、焙煎大麦の芳ばしい香りが特徴こふくろう旭忠勇造り酒屋が丹精込めて造った麦焼酎を、ビン詰めしてから蔵の中で10年間、大切に貯蔵した麦焼酎だという。

熟成によるまろやかでコクのある味わいが楽しめる。ビンもおしゃれだ。

熟成によるコクとまろやかさ旭忠勇醐凹からす昔ながらの黒麹菌を使った麦麹と良質な伏流水だけで発酵させた全麹仕込みの麦焼酎。

香りはさわやかで香ばしく、口に含むと麦の穀物らしい深い味わいが広がり、キレもいい。

ビールを飲むと太る?

一種の食中酒であるビールは、どんなタイプの料理とも相性がいいのがその大きな特徴となっている。

したがって、おつまみにはとくにこれといったセオリーはなく、ビール本来の味をより引き立てるとともに、ビールに不足しがちなビタミンA、D、Eといった栄養を補給してくれるものを選ぶようにすれば、それで完壁だろう。

ちなみに、ビールの本場ドイツでは、バイエルン地方のボイルしたソーセージをはじめとする各種のソーセージの他、日本のものとは種類の異なる大根を薄切りにして塩味をきかせた「ラディ」、伝統的なドイツ料理として知られるキャベツの酢漬け「ザウァークラウト」、8の字型のビスケット「プレッツェル」などのおつまみがとくに有名だ。

また、「ビールを飲みすぎると太る」という言葉をよく耳にするが、これはまったくの迷信。遠藤泰男氏によると、 太るのはビールそのものが原因ではなく、むしろビールを飲むと、炭酸ガスが胃壁を刺激して胃液の分泌を促し、胃の働きを活発にさせたり、ビールに含まれるホップのさわやかな苦みが消化を助け、食欲増進の効果を持つため、ついつい食べすぎてしまうことのほうに問題があるようだ。

○月の桂(つきのかつら)

『月の桂』は京都下鳥羽の酒。

鳥羽街道を淀川尻のほうへ向かい、川沿いの堤防の近くに古い酒蔵のたたずまいをみせます。

よく知られた白濁状の「中汲みにごり酒」は、増田徳兵衛蔵元の発案で、市販したものだが、いまではあちこちに濁り酒があります。

しかし、味のさっぱりした辛口の旨さは、やはり『月の桂』のそれに尽きるようです。

こうした日本酒についての歴史的知識や、京の風習、有識故実的文化についての知識も増田徳兵衛蔵元はたいへんくわしい。

斯界の権威坂口謹一郎先生も大いに目をかけられた所以でしょう。

この前『特選街』誌の審査会で、『月の桂』の一級本醸造が見事予選で第一位となり、本選で六位という実力を発揮した。

昭和五十三年『月の桂・號珀光』という十年ぐらいの古酒を、無鑑査二級として一升びん一本一万円で発売したのも徳兵衛蔵元。

以来無鑑査二級という税金を安くすませて消費者にもトクな売り方が業界にひろがった。

大手メーカーが四季醸造蔵をあちこちに建て出した昭和四十年代の初め、「酒は自然の季節でつくるもの。悪貨現われて良貨影をひそむとはこのことだ」とヘソをまげました。

『月の桂』の味わいには徳兵衛蔵元の人柄が大いに生きているでしょう。

『月の桂』ならぬ清酒界の大手第一位の『月桂冠』のほうも、昨年(昭和五十七年)醸造試験所の新酒鑑評会に三品出してみな金賞というすぐれた吟醸や、『鳳麟・月桂冠』という爽やかで芳醇な純米酒のあることをここで付け加えておかねばなるまい。

瓶園富永町の「浜作」で出す『月桂冠』の燗酒の佳さも無類です。

大木一雄 (酒類愛好家)

○キンシ正宗・髄(キンシまさむね・ずい)

『キンシ正宗』は伏見のなかでも有数の大手の一つ、名門です。

この本では手造りの名酒の紹介が主体になるので、大手の酒蔵の製品が登場する例は少ないです。

しかし『キンシ正宗』のことは特筆しておきたいと思う。

というのは、『キンシ正宗』は大手ではあるが、どこの大手も桶買いの手をひろげた清酒の高度成長期に、ここだけは頑なに桶買いをせず、ひたすら自製酒の品質追求に重きを置く姿勢を崩さなかった。

灘の『白鷹』もそうであったが、規模でいうと『キンシ正宗』のほうがはるかに大きいのであるから、この桶買い拒否の酒造家としての見識は高く評価されねばならない。

また、昭和の戦前、戦後、各地の酒造家で『キンシ正宗』の蔵を見学に訪れた人は少なくないはずです。

とくに大規模な工場での麹室の設計などについて、この蔵のありようは多くのヒントを提供したにちがいない。

それやこれやで『キンシ正宗』について書くことにした。

もちろんその伏見酒としての酒質がすぐれていることが第一の理由です。

蔵元堀野商店の創業は天明年間。

すでに二百年の酒づくりの伝統があります。

その流儀は「丹後流」と呼ばれるもので、伏見の"伏水"の軟水の特長を生かした淡麗精妙の味わいをいかにつくり出すかに苦心する。

岩崎熊治郎杜氏は丹後杜氏組合長も勤め、『キンシ』の蔵で五十年、半世紀を過ごしました。

その技術の粋は、純米・吟醸原酒で金箔入りの『髄』につくされます。

『髄』の原料米は北陸五百万石、精白は50パーセント、出来上りの日本酒度はプラス1.4、酸度は二というのだから、相当思いきった反乏酸の酒だ。

飲んでみるとなるほど辛口の旨さが生きて、切れもよく、京の都に江戸の助六(注、「キンシ正宗」では"酒の中の酒"のキャッチフレーズに男の中の男花川戸助六をもじって、一部のラベルに助六のシルエットを使っている)の伊達姿をみるようです。

大木一雄 (酒類愛好家)

富んだ酒質・酒味

いま『日出盛』では年間雇用です。

その石井杜氏に『目出盛・純米吟醸』のすばらしい旨味に富んだ酒質・酒味を育てるについて、若干の秘訣みたいなものを聞いてみた。

原料米は山田錦で50パーセント精白し、麹は麹蓋でつくります。

九号酵母と十号酵母を使うが、九号酵母は香りがよく立ち、十号酵母は味がよいがきれいすぎるのが難しい。

そこで仕込みタンク五本に一本の割合で九号酵母のものをブレンドする。

米については、まず精米を短時間に終ろうとせずに、長時間足で踏み、あとの浸漬(注、水に浸すこと)は秒読みで行ないます。

蒸米はむかしながらのこしきを使用。

麹室には泊り込んで夜もなく昼もなくつきっきりです。

麹づくりはカンが頼りの仕事です。

翫は高温糖化翫を使っているが、仕込みには若い翫は使いません。

仕込んでからの経過は、タンクすべて厳密にボーメ、温度をメモし調節して、膠の熟成を注意深く見守る。

こうした名杜氏の肌理細かでシャープな心配りが、米?パーセント純米醸造『日出盛』を育てるのです。

大木一雄 (酒類愛好家)

○日出盛(ひのでざかり)

伏見の純米御三家の一つ『目出盛』の松本酒造は、寛政三年(一七九一)創業。

最初は三十三間堂のある東山七条界隈に酒蔵がありました。

大正十一年(一九二二)伏見の大手筋沿いに大正蔵を建て、現在の『日出盛』の伏見蔵の発展がはじまる。

むかしは馬の引く酒荷が通い、いまは車の交通の激しい大手筋その通りから塀一つを隔てて、樹齢数百年という松、ざくろ、紅梅などの植樹に包まれた「万暁院」という織田有楽斎ゆかりの松本家の庭園が、酒蔵の一角にあります。

『日出盛』の蔵には石井松治というすぐれた但馬杜氏がいます。

毎年四、五月ごろ但馬杜氏紐合で、自作の酒を持ち寄っての腕くらべ的なコンクールを開くが、石井杜氏の作品(すなわち『日出盛』)は、昭和五十七年度第一位でした。

石井杜氏の技能一位はこれが初めてではありません。

二十五歳のとき杜氏になったが、その技能試験のときも一番でした。

そして『目出盛』の杜氏となるまでに、二、三の酒蔵につとめたが、大阪の酒造会社にいたとき、やはり品評会でトップになる酒をつくった。

大木一雄 (酒類愛好家)

技法

『玉乃光』ほどの技法、すぐれた蔵になれば、毎年しぼる酒の資質や味の水準はみな高いはずだが、前にヴィンテージ(年度もの)について述べたところでふれたように、年度によって新酒の味わいは微妙にちがいます。

「そのとき、これはいい新酒だ、秋まで熟成させればさぞすばらしくなるだろう、と思っていると、それほどでもないことがあります。

逆に、新酒のときはそれほどでもないと思っていたのに、熟成させると、思いがけない美酒になることがある」と宇治田蔵元は述懐する。

日本酒といえば新酒のこと、という新酒尊重の時代はすでに去ってしまいました。

もちろん、奉先のしぼり立ての生酒の味わいは格別だが、そうでない一般酒については、これからは熟成が大きな課題となり、熟成酒に消費者の志向も向いて行くと考えられます。

熟成期間も、春から秋への半年ぐらいではなくて、二年三年、あるいはそれ以上の熟成が常識化するかもしれない。

その際、熟成したらどうなるか、についての実地研究がますます求められることになるでしょう。

大木一雄 (酒類愛好家)

○玉乃光(たまのひかり)

『玉乃光』の宇治田福時蔵元は、純粋日本酒協会の代表スポークスマンでもあり、その『玉乃光・吟醸』の純米酒は、『特選街』誌の審査でも常に首位を競い、全国からの名酒が集うなかで二位を占めること数回に及んでいます。

いまの日本酒を代表する名酒の蔵元です。

この人が酒づくりについてしみじみ話すことがあります。

京都の北区北山通り浄福寺下ルに「いし田」という板前割烹があって、材料や料理も卓越しているが、置いてある酒が『玉乃光』の吟醸なので、そこで聞いたのだが、次の二つの話が印象にのこっています。

一つは、麹をつくる際の"突き破精"の手法のことです。

『玉乃光』は戦前は和歌山の酒蔵で、旧紀州藩の御用酒もつくった。

戦後京都伏見に移ってきても、さまざまなよき手法を伝承しています。

"突き破精"もその一つで、純米吟醸の原料米は山田錦を50パーセント精白するが、その蒸米に麹菌がよく滲透するように、米を突くようにする(破精というのは麹の種がついて出来る白い斑点のことである)。

そうすると、麹菌が表面だけでなく、内面にまで滲みついて、その麹でできあがる酵は、日本酒に乏しくなりがちだった好ましい酸味や、吟香や旨味をもたらすのです。

いま一つは熟成に関することでした。

大木一雄 (酒類愛好家)

純米酒

純米酒は、急に思い立った酒蔵が五年、十年かかっても追いつかぬであろうほど、すばらしい肌合いと酒味を実現しているので、いまさらの感がないでもないが、なぜ純米酒の手法で酒づくりをやり直そうとしたのか、その原点を木村蔵元の言葉で振り返ってみたい。

「もともと米と米麹だけでつくっていた日本酒には、米から出る乳酸、號珀酸、クエン酸などを主とする有機酸が含まれていて、味をひきしめる重要な要素になっていたのに、いわゆる剛き酒では酸の少ないほうがいい点のとれる時代がつづいたので、乏酸が一般化し、その上、アル添や三倍増醸法が、米に由来する天然のよき風味となる成分をすべてうすめ、のこる成分まで活性炭で除去するため、あとに甘さばかりのこることになった。

それでもアル添三増酒がはびこったのは、アルコールを使うのと、米だけでつくるのとでは、アル添のほうが原価が安くて労力もはぶけるという、易きにつく人問の性から、とめどなくアル添に酒づくりが流れ、かんじんの細菌学的酸造技術の進歩まで止めてしまった」それではいけないと、本来の細菌学、微生物の科学にももとつく、米と米麹だけを原料とする純米酒の手法の新たな開拓に、志を同じくするメンバーと力を合わせることにしたーそれが純粋日本酒協会の主旨でもあります。

他のメンバーも、広島高工の同窓など、醸造技術のエキスパートが多く、その純米酒作品はみな一般レベルの純米酒の領域をはるかに超えた名品ぞろいだが、『招徳』はなかでもきりっとしてコシあり、しかもふくよかな美味が余韻をのこす名品。

正月前後に京都の大丸はじめ、主要デパートの酒売場にも出る、『招徳・大吟醸・生一本』などは、芳醇なゆたかな風味といい、まったく厭味のないふくいくたる美酒ぶりに、目本酒の醍醐味を知ります。

デカンタというワインふうのびんに入った一級純米の冷用酒、生酒の純米酒などみなすぐれた名酒です。

大木一雄 (酒類愛好家)

○招徳(しょうとく)

純米酒を推進した純粋日本酒協会の代表的なメンバー酒です。

また、京都の伏見では純米御三家といわれるのがこの『招徳』と『日出盛』『玉乃光』で、いずれもいまでは日本中にその名声を知られています。

『招徳』の木村善美蔵元は、旧制の広島高工醸造科を経て京大農学部を卒業した酒造技術のエキスパート。

古い酒屋の家柄に生まれ、この蔵の創業は正保二年(一六四五)、実に三百四十年もつづく老舗です。

明治の維新までは、いまの伏見の大手筋ではなくて、京都市内の河原町四条のあたりに蔵がありました。

すなわちもともとは伏見というより京の酒屋さんなのです。

木村蔵元もそのせいか京のお公家さんのような顔立ちで、スマートな紳士だが、時代祭などの行列で、上下などつけて先頭を歩いたら、さぞ似合うであろうと思わせます。

その生まれながらに身についた京風の気品というか、酒づくりのほうも几帳面に正しい手法を踏んでやらねば気のすまぬところが、純米酒づくりを推進した意欲の根本にあるようにみえます。

大木一雄 (酒類愛好家)

○雲乃井(くものゐ)

福井市の『雲乃井』の"無添加純天然"とうたった吟醸純米酒も、きわめて優雅繊細で、しかもしっとりと落着いた旨さをふんだんに昧わわせてくれる。

ぜひ加えておきたい名品です。

蔵元の吉田商店は、明治初期の創業。

その敷地内の地下三百メートルの深井戸から湧き出る清例な地下水で、越前産の地元の選びぬいた酒造好適米を磨いて仕込む。

実直に誠実に、与えられた天然の環境の中でじっくり仕上げて熟成を待つ。

いかにも古武士的な風格を備えた厚み、ふくらみが、しっとりした酒の味わいを深くしています。

また若狭の地は、越前ガニ、甘エビなど日本海の新鮮な海の幸に恵まれているが、『わかさ』もこの『雲乃井』も、その魚の味をいっそうすばらしいものにする味わいをもつ。

その点でも二重に名酒です。

大木一雄 (酒類愛好家)

○わかさ

『わかさ』は若狭の古都小浜の代表酒の一つ。

もとの吉岡酒造と若君酒造という二つのそれぞれ歴史の古い蔵が合同して、一九六六年に発足したのがわかさ富士の蔵です。

吉岡酒造の方は文政年間に酒造をはじめいまが五代目、文政以前は釘屋小兵衛という金物商を営んだこともあります。

若君酒造はもと武田家の重臣逸見駿河守を祖とする旧家。

安政年間に酒造業をはじめています。

旧吉岡酒造の五代目吉岡嘉一も、旧若君酒造の会長逸見栄一もともに旧制広島高工(現広島大)醸造科出身で、息が非常によく合っています。

三年貯蔵の純米吟醸や、純米酒、米アルコールを使用した辛口本醸造など、ほんもの志向で三増酒はつくらない。

現在上級酒は『わかさ』、二級酒は『わかさ富士』の銘で出しているが、代表取締役の逸見寿一にきくと、純米吟醸酒の原料米は福井県産の五百万石と日本晴。

精白度は50パーセントで、この蔵では特級、一級、二級の本醸造はすべて60パーセント、普通酒でも70パーセント磨くという。

従ってしぼった酒はみなすっきりと爽やかで、あと味がよく飲みあきしない。

とくに『わかさ純米吟醸』は逸品。

ほんのりとシェリーの風昧ただよい、オン・ザ・ロック、ぬる燗にしても雅趣ゆたかな持味が少しもこわれない。

沼津の板前割烹『わかさ』(『白隠正宗』の項で紹介)が熱心にこの酒を客にすすめて、熱愛者を増やしています。

大木一雄 (酒類愛好家)

○北洋(ほくよう)

魚津の町でただ一軒の造り酒屋本江酒造の『北洋』の純米吟醸もなかなかの個性です。

酸がとくに強いわけではないようだが、びっくりするほど辛口で酸味も強く感じる。

いわゆる日本酒臭さというものから超絶した境地にあるように感じるのが『北洋・純米吟醸』です。

新潟県越路町出身の平石敏代杜氏にきくと、原料米は山田錦を50パーセント磨いて、酵母は九号と十号を使う。

すっきりしたきれいな味わいの吟醸で、鑑評会用をそのままびん詰めしているような品質だ。

日本酒度はプラス五・五度、仕込水は軟水であるが、このほんものの辛口吟醸は口の中で酒の精気が舞い立つよう。

大木一雄 (酒類愛好家)

○藤波(ふじなみ)

『藤波』も日本海酒販の岡野顕重役の紹介で知った。

富山県の内ぶところ、石川県に近い氷見の酒です。

醸造元の池淵商店は創業百年を越え、蔵のすぐそばを仏生寺川が流れる。

海岸から八百メートルほどの醸造場の中に井戸があって、その井戸で汲み上げる地下水の水質が日本海に近いせいか硬水の良質な水で、でき上がった酒はいかにもすかっとして、旨みののったコシのある男酒です。

越後出身の高橋正信杜氏はこの蔵三十年のベテラン。

『特選街』誌(昭和五十五年十二月)の東海、北陸、近畿の酒審査コンテストでは、『玉乃光』や『若竹・鬼ころし』に次いで『藤波』(一級)が堂々三位に入り、北陸酒では『菊姫』すらしのいで最高得点をマークした。

各審査員の評語をご紹介すると、穂積忠彦氏は「きれよし」、船戸英夫氏は「木香に近い独特の香り」、私は「香りよし、味佳」でした。

とくにいろいろな酒を手がけず、普通酒一級でこのような好成績は、よほど酒質がすぐれている何よりの証拠です。

大木一雄 (酒類愛好家)

○満寿泉、雷鳥・醇 2

『満寿泉』は富山市の北端の富山湾に面した造り酒屋桝田酒造店の名品。

全国新酒鑑評会でも金賞をとりつづけていた。

その『満寿泉』の蔵で、五、六年前から純米酒や吟醸、辛口の通向きの酒、さらにはしぼり立ての新酒など、当時の北陸ではきわめて斬新な作品を次々愛酒家に供した。

なかでも『雷鳥・醇』は純米酒を手がけて二年目の昭和五十二年産の純米古酒であったが、「小細工しないで素直な醗酵をと注意してつくった」と桝田敬次郎蔵元が語る三年古酒。

米は富山県産の五百万石を65パーセントの精白で、最高温度14度Cで仕込んだ。

杜氏は珠州出身の能登杜氏三盃幸一。

親子二代『満寿泉』の蔵につとめた吟醸づくりの名杜氏です。

こうしてできた『雷鳥・醇』は、古酒なのに少しも老ねず、爽やかな芳醇さをみなぎらせた。

そして『特選街』(昭和五十六年二月)の全国の代表酒コンテストで『賀茂泉』の特級純米酒と並んで五位に入った。

富山の『雷鳥』はいま全国の愛酒家の注目を集めています。

大木一雄 (酒類愛好家)

○満寿泉、雷鳥・醇 1

(ますいずみ、らいちょう・じゅん)

北陸に日本海酒販という大きな酒類問屋があります。

この問屋に岡野顕というすぐれた重役がいて、良心的な品質と風味を実現している酒を探し求めて全国を駈け回り、一方では北陸の地元にすばらしい酒はないかと時間があれば蔵を訪ねていた。

それこそ雨の日も雪の日もでした。

私を『菊姫』や『銀盤』の蔵に案内してくれたのもその岡野顕さんだった。

この人の名酒探しにかけた情熱には、いま思い出しても胸が熱くなり、頭が下がる。

『特選街』で日本酒のコンテストを始めると、岡野さんは北陸のこれはと自分で思う酒を、自腹を切って買い集めて編集部へ送った。

こうして、いくつかの他の地方には知られなかった名品が陽の目をみた。

『満寿泉』の『雷鳥・醇』もその一つです。

大木一雄 (酒類愛好家)

○銀盤・米の芯(ぎんばん・こめのしん)

『銀盤』は、黒部峡谷を流れる黒部川の水域に蔵をもち、立山颪の寒風が雪を運ぶ季節に仕込む。

むかし記録映画(岩波映画)の仕事をしていたことがあって、魚津に近い生地という町に二ヵ月あまり泊り込み、黒部川沿いのこの『銀盤』の蔵のある里へもロケハンや撮影に出かけたので、一入懐かしい。

海岸の灯台を撮影するのに、『銀盤』の一升びんをさげてあいさつに行くと、灯台守がきげんよく許してくれたのを思い出す。

『銀盤』はおなじ町のYKKファスナーとともに大いに発展した。

いまでは年産二万五千石、全国でも四十位に入る大手です。

それでいて堀川勲蔵元は質の追求を忘れず、『米の芯』という純米吟醸の名品を十年近く前から市販に踏みきった。

播州産の山田錦を50パーセントまで磨きに磨いて、デリーシャスな香りと、辛口のさらりとした味わいのよさを、見事に両立させた名酒です。

大木一雄 (酒類愛好家)

○菊姫(きくひめ) 2

何十、何百という優秀酒の中からこの見事な成績は、やはり『特選街』誌のコンテストで二回連続一位となった『梅錦』(愛媛)や、一位と二位を連続して記録した『西の関』(大分)、一位と五位を記録した『香露』(熊本)とともに、『菊姫』が現在の日本酒界では、名酒レベルの酒質、酒味を定着させている証し、とみてよいのではないでしょうか。

杜氏は地元能登出身の農口尚彦。

二十九歳のときからこの蔵一筋、蔵元や技術担当の柳達司専務の信頼も厚い。

名声高い『菊姫大吟醸』は、原料米は兵庫県美嚢郡吉川町の山田錦。

同じ山田錦でも特AからB、C、Dまで地域によって区別されているが、この山田錦は特A地域のものです。

精白は50パーセント。

仕込量は七五〇キロリットル仕込み、酵母は自家酒蔵に保存した菌株からの自家培養酵母を使う。

なぜ磨きをよくするのか。

専務が語る。

「寒冷な蔵でじっくり仕込むので、精白度を高くしないと、熟成が早くなりすぎるのです。

そのうえ一年を通じて気温が低いですから、酒をしぼってからの熟成も、ふつうの酒蔵なら半年か一年置くところを、この藏では二年、三年置いても老ね香が出ることなく、爽やかにまろやかな熟成が進みます」『菊姫・大吟醸』は、こうして三年はじっくり貯蔵して熟成を重ね、さらに二年寝かせて出した五年ものなのです。

ふつうはそんなに時間をかけるとれっきとした古酒になってしまうのに、『菊姫』の場合は爽やかにコシのある新酒の味わいとなる。

むかし加賀の雪の中に醸し出されたという菊酒の伝統が、この酒のいのちとなって生きているようです。

大木一雄 (酒類愛好家)


○菊姫(きくひめ)

『菊姫』の酒蔵のある石川県の鶴来町は、鮭がのぼってくることで知られる叢川とビつ清流が、白山山系から流れ出る寒冷の地にある。

このあたりは、秋の終りから春先にかけて、ちょうど酒の仕込みの季節を通じて、ずっと四度Cから五度ぐらいの天然の低温に蔵を維持でき穎土慧まれています。

蔵元の柳家は江戸時代は加賀藩の札差しをした名門で、小柳屋の屋号で蒔タバコをつくったこともあります。

幕末のころから酒造が専業となって、いまの柳辰雄蔵元で五代目です。

その間変遷がありました。

大正の初年までは造姦八千石で、伏見より東では最大の規模を誇った。

しかし、大正から昭和にかけての経済不況のとき、ダルマ宰相、蔵相として知られた高橋是清氏の特別の配慮で廃業はまぬがれたものの、規模縮小を余儀なくされ、これが蔵のためにはかえって幸いした。

なぜなら、先代の蔵元の時代から『菊姫』の蔵は量産に訣別して品質一筋の道に転じることができたからです。

たとえば滝野川の醸造試験所で毎年五月に開かれる全国新酒鑑評会で、愛媛の『梅錦』が連続十二回金賞入賞の記録をつくったが、『菊姫』も現在それに迫る記録を更新しつつある。

『特選街』の剛き酒コンテストでも、初登場の「うまさ日本一を選ぶ地酒テスト」(昭和五十五年二月)では、『梅錦』(一級本醸造)、『桜冠』(一級本醸造)に次いで『菊姫・大吟醸』(特級)が第三位、『地方別味コンクール』(東海・北陸・近畿ブロック、昭和五十五年十こ月)では、『玉乃光』(純米・特吟)、『若竹・鬼ころし』(一級本醸造)、『藤波』(一級、富山)につづいて四位となった。

そして「清酒の王様・吟醸酒日本一を決める初テスト」(昭和五十七年五月)では、『千代の園』(熊本)に僅差で第二位となったのです。

大木一雄 (酒類愛好家)

○翁・大吟醸(おきな)

『翁』は伊賀上野の名門の酒です。

一九八一年発足した吟醸酒協会のメンバーで積極的に吟醸酒の市販も進めています。

その『翁・大吟醸五十四年』および『翁・大吟醸五十五年』が、『特選街』(昭和五十七年五月)の吟醸酒コンテストでそれぞれ三位と七位に入り、吟醸酒協会のメンバーの中でも際立った実力を発揮した。

ちなみにこれらの『翁・大吟醸』は年度を記すことでヴィンテージの意味をもつもので、その点でも画期的です。

この五十四年と五十五年の大吟醸は、秘蔵開始の時点では、どちらも資質的には共通の性格があったはずで、

ほとんど得点も開きがなく、ともにベスト7に入ったのであるが、

たとえ手法が同じで、米の原産地も使用、酵母が同じでも、

熟成するとこのように仕込み生産年度あるいは熟成年度によって微妙なちがいが現われる好例だと思われるので、コンテストにおける三審査員の採点と評語、および森本商店の仕込みの際の分析値、要点メモなどを、五十四年度・五十五年両年度大吟醸について記録しておくことにしたい。

大木一雄 (酒類愛好家)

○宮の雪(みやのゆき)

『宮の雪』は三重の鈴鹿山系の寒風と清洌な水脈の風土のなかに、伊勢路の名門のたたずまいをみせるどっしりした酒蔵です。

そして、ここ数年の問に、『宮の雪・極上』(一級本醸造)が、『特選街』誌コンテストで『西の関・美吟』『玉乃光・純米吟醸』『賀茂泉・純米特級』といった目本を代表する横綱・大関級の超一流酒と競り合って三位にランクされたり、純米『宮の雪』や『宮の雪・入魂』と銘打った吟醸も、それぞれやはり目本酒の各ジャンルを代表する名酒のなかで上位にランクされるなど、目ざましい活躍ぶりだ。

そのほか低アルコール酒(十二度)の『宮の雪・エスプリ』に対しても、低アルコール酒の中では際立って高い評価が、専門家によってなされ、志摩半島の国際観光ホテルや東京池袋の西武デパートなどでたいへん人気があります。

たった一つ名品があっても、その酒蔵全体の水準の高さを示すに十分であるのに、本醸造、純米、吟醸、低アルコール酒すべて逸品であるということは、並々ならぬ技術水準の高さを示すものです。

聞いてみると、『宮の雪』の宮崎礼五蔵元は、阪大の発酵学科出身の醸造のエキスパートであり、その上、製造技術部門の責任者として長野修常務がいて、この長野常務が旧制三重高農の農芸化学科出身で、きわめてシャープな醸造理論と研究開発の実績を持ち、岡き酒のベテランでもあって、鑑定官とともに酒類の鑑評、審査、指導にも当っている誠実無比のすぐれた技術者です。

そして兵庫県美方郡出身の林本寿太郎杜氏は但馬杜氏を代表する一人なのです。

これだけスタッフが揃っていれば、名酒が生まれるのも旨なるかな。

『宮の雪・極上』『宮の雪・純米』『宮の雪・入魂・吟醸』そして『エスプリ』を通じて一つの土ハ通の酒質があります。

それは、どの酒もみな清流の水のごとくさらりとして照り映えるきれいな輝きをもっており、香りや味のほうは含み香、含み味といおうか、ふっくらほっこりした旨味がたたえられているという点です。

『宮の雪』のこれらの作品を名酒中の名酒として広く推奨したいと思います。

大木一雄 (酒類愛好家)

○白真弓・やんちゃ酒(しろまゆみ・やんちゃざけ)

飛騨高山といえば、『アンアン』『ノンノ』およびこの本を愛読していただく若い人たちは、高山祭のことや地酒のことまでよくご存じでしょう。

そこで、今回は、高山本線で高山より三つ富由寄りの飛騨古川にも、独自の文化や『やんちゃ酒』というおもしろい酒のあることをご紹介しておこう。

古川は、飛騨高地の山間の盆地で、穀倉地帯でもあるが、むかしはこのあたりから信州の諏訪へ女工さんたちが大量に働きに行った。

「野麦峠」の本や映画で知られた哀話もあったところです。

その野麦峠を通って女工さんたちを連れにきた織物会社の関係者が泊った「八津ゴごという旅館や、由緒ある割烹旅館の「鷲ボ亭」などが当時賑わったおもかげをとどめています。

その古川で酒質と味をひたすら磨きつづけるのが『白真弓』の蒲酒造です。

蒲茂雄蔵元は、高山の『久寿玉正宗』の平瀬市兵衛蔵元と東京農大醸造科の先輩、後輩の間柄。

この蔵十一年の越後寺泊出身の青木賢杜氏とともに、地産米の飛騨ほまれや、高嶺錦の好適米を60パーセントまで磨いて、一味も二味もちがいのある『やんちゃ酒』という本醸造の逸品をつくり上げた。

なぜ『やんちゃ』と銘うったか。

四月十九目と二十日の古川名物の祭りに、「起こし太鼓」という大きな櫓太鼓の山車を先頭にした、太鼓叩いての町内衆の行列がつづく。

この行列は先頭の櫓太鼓に近いほどいい。

だからどうしても先を争うやんちゃな祭りになります。

祭りの名も通称『古川やんちゃ』というぐらいです。

その名のとおり、米の磨きがいいからさわやかだが、素朴な手づくりの味が酒味から生き生き匂ってくるような、おもしろいうまみのあるのが、『白真弓』の『やんちゃ酒』です。

大木一雄 (酒類愛好家)

○三千盛(みちざかり)

「このごろ目本酒が甘い、甘ったるくて飲めん」と酒を愛する文士たちが顔をしかめ出した一九六〇年代から七〇年代にかけてのこと、ちょうど灘の『菊正宗』が、それまでプラス五ぐらいの酒を出していたのに、一転してマイナス五ぐらいの甘口になった昭和四十二、三年ごろだった。

永井龍男氏(現在芸術院会員、作家)が、旅先でこの『三千盛』を発見して、辛口で癖のない風味が忘れられず、鎌倉の家に帰ってすぐ醸造元から取り寄せて、小林秀雄、今日出海、那須良輔ら名うての酒にうるさい仲間にもすすめたところ、なるほどとみな感心した。

これが岐阜の多治見に近い笠原の、辛口で知られる『三千盛』の評判になり始めでした。

以後、丹羽文雄、立原正秋、玉川一郎、風間完、横山隆一、小島功、高橋義孝ら、文芸春秋ゆかりの文人、画家たちの間に愛好者がひろまり、銀座や赤坂、神楽坂などの小料理屋、すし屋、料亭でこの酒を置くところが増えました。

水野高吉蔵元の話では、こうして評判になるまでは、甘口に押し流されそうな業界で、消費者にもなかなか辛口のよさがわかってもらえず、苦労した時期があったそうです。

いまでは内心どんなもんだい、という気持でしょう。

ただ辛いだけで風味に乏しいという批判も一部にあったが、いま『三千盛』の出している純米酒はプラス六・五ぐらいで、一年前のプラス九のにくらべるとずっと旨みが増した。

しかも、山間の盆地の風土でありながら、蔵は全部クーラーで冷やして温度を摂氏十度ぐらいに保ち、貯蔵熟成に気を使う。

ことし六十五歳の新潟中頸城出身の小山雄治杜氏が、この蔵五十年近い経験からどうしても辛口一途に凝り固まりそうなので、味のふくらみをつけるのに苦心する。

この純米酒、きりっとした辛口のなかに独特の美味を含んだ香りがあり、しかも『三千盛』の酒全体の特色で"燗上り"するのがいい。

純粋の酒の精髄の味わいを強調しているので"水口"と蔵元は言っています。

本来の日本酒のありかたを貫く名酒といえるでしょう。

大木一雄 (酒類愛好家)

○蓬莱泉(ほうらいせん)

設楽町というのは、天竜川のはるか上流の奥三河の中心地。

「榊鬼」「山見鬼」などの鬼の面をかぶった独特の舞があって、一晩中火を焚きながら一年一回無礼講おかまいなしの雪の夜の「花まつり」という奇祭や、「さん候」に始まる問答を禮蜜が神々と交わす参候祭など、中世の色濃い伝承がさまざまに残っているところです。

その土地の唯一の造り酒屋が『蓬來泉』の関谷醸造で、創業は元治元年(一八六四)、代々庄屋の家柄。

このあたりの風土は、山間部で北設楽郡の面積の90パーセント以上が山林。

気候は夏でも朝夕涼しく、冬になると夜間の冷え込みが激しい。

清酒の寒造りや熟成には最適です。

こういう気候や、土地の祭りにもみられるとおり、辛口のふさわしい風土に、"鬼ころし"と銘うった本醸造酒を出しています。

池野栄吉杜氏は新潟県三島郡出身。

すでにこの蔵こ十五年のベテランで、純米酒は山田錦を60パーセント、吟醸は山田錦を50パーセント磨いてなめらかなのどごしのいい酒質をめざします。

近くの山からの清水が軟水なので、『蓬莱泉』は旨味を秘めた美酒の趣きがあります。

大木一雄 (酒類愛好家)

○明眸(めいぼう)

焼物の町・瀬戸品野地の『明眸』は、「明眸皓歯今何在、血汗遊魂帰不得」という杜甫の詩に由来し、控えめで慎みがあり、それでいて人の心を魅了せずにはおかない美しい女・・・そんな女人にも似た端麗な酒をめざしてつけた酒銘だそうです。

ずいぶん大胆な銘にみえるが、実さい『明眸』の味わいを知ると、よくぞふさわしい名前をつけたものと思います。

早くから純粋日本酒協会の純米酒推進グループのメンバーで、いまだに純米酒なんてアル添酒より酒質が重くてもったりしているだろうと、遅れた認識をおもちの向きは、この『明眸』の純米酒を口にされたら、その認識不足にいやというほど思い当られるでしょう。

純米酒グループのすぐれた名酒のなかでも、『明眸』のさわやかな美味、さらりとした切れ味はとりわけ際立っています。

ひきしまった胸のすくような味わいといいましょうか。

淡々としたなかに並々ならぬ旨みがさりげなく味わい深いのです。

大木一雄 (酒類愛好家)

○初亀(はつがめ)

『初亀』の蔵は、寛永のころ(約三百年前)、駿府(現静岡市)で酒づくりをはじめ、明治初年に現在の志太郡岡部町に移って、現橋本冨蔵蔵元は十七代目。

大正年代から『初亀』は全国清酒品評会の優等賞を受け、近年も、静岡および名古屋国税局主催の鑑評会に連続金賞を得、昭和四十二年には静岡県と名古屋国税局管内、および東京農大主催の全国鑑評会でそれぞれ一位の三冠を獲得した。

昭和四十六年には、東京農大鑑評会で連続金賞五回のダイヤモンド賞も受賞しています。

南アルプスの雪どけ水の流れる瀬戸川の水域に酒蔵があり、清澄な伏流水に恵まれています。

橋本蔵元は、百年に及ぶ秘伝の技術と、近代醸造科学の技術の融合調和をめざし、秘蔵古酒の大吟醸『亀』を生み出した。

この『初亀・秘蔵大吟醸・亀』は、『特選街』の「名酒中の名酒を選ぶコンテスト」(昭和五十五年六月)で『香露.大吟醸』(熊本)、『梅錦・一級本醸造』(愛媛)につづいて第三位となって、長年の実力を遺憾なく発揮した。

そのとき、審査員の穂積忠彦氏は「きれよく、果実酒的よさあり」、船戸英夫氏は「吟香高し」、私は「吟香よく、淡麗」と評しました。

お飲みになっていない方はその酒味を選ぶよすがとされたい。

大木一雄 (酒類愛好家)

○若竹・鬼ころし 2

どうも、『特選街』の酒類コンテストの成績をしばしば引き合いに出して、私自身審査委員の一人であったので、余計に気が引けるが、『若竹』のみに限らず、一九七九年にはじめられた『特選街』の劇き酒テストは、厳正公正に市販酒について行ない、最大限努力して全国の知られざる酒も集めて、審査成績を公表した。

その結果、これまで埋もれた名酒を発掘し、消費者の方々にご紹介した数は相当数に上る。

そして目かくしテストで情実もなく、まったくその酒の実力だけを評価するので、読者・消費者の方々からも感謝され喜ばれたが、一方良心的な酒づくりをつづけながら恵まれなかった酒蔵で、『特選街』のテストで高点となって、一挙に態勢を盛り返した数も少なくないのです。

『若竹』もそうでありた。

そして一年後の『特選街』の普通酒、本醸造、純米酒などのジャンル別による全国名酒剛き酒テストでも、『若竹・鬼ころし』の二級・特別本醸造と、一級本醸造の二品が、なんとそろって一、二位を独占した。

この二回の栄光で『若竹・鬼ころし』の名酒の声価も定まった。

この『若竹』優勝の報が伝わるや、島田の町は甲子園の高校野球の優勝チームでも迎えるように、提灯行列ならぬお銚子の行列で湧き返る騒ぎであったそうです。

そして、こんどは島田の女性たちの間で、「"鬼ころし"なんて男向きの『若竹』だけでは片手落ちよ、女性向きのお酒も出して」という声が起こり、大村酒造ではことしから『若竹・おんな泣かせ』という新純米酒をつくり出した。

こちらもまた実に香り高くまろやかな旨さしたたる名品です。

大木一雄 (酒類愛好家)

○若竹・鬼ころし

(わかたけ・おにころし)、おんな泣かせ

島田は大井川の東岸にあって、対岸の金谷と向かい合う。

大井川の渡しで発達した宿場町です。

従って客の往き交い多く、逗留客も少なくなかった。

お酒がむかしからよく飲まれた場所なのです。

だが、最近まで五、六軒あった造り酒屋が、どうにも立ち行かず、一軒減り、二軒減りして、とうとう最後に残ったわが酒蔵までも廃業の止むなきかと、半ばあきらめかかったとは、酒蔵『若竹』の大村屋酒造の松永始郎蔵元の述懐談です。

ところが、これを知った町の人たちが、

「島田から酒屋を消してはならない。どうかつづけてつくってくれ。なんとかオレたちが飲んで守るから」と侠気を出してくれました。

これに力づけられて、松永蔵元も稼業をつづけることにしました。

そして、むかし大井川の人足たちが仕事を終って一杯やる酒に、『鬼ころし』というキツーイ辛口があったのを復活して、『若竹・鬼ころし』をつくり出した。

この酒、言い出しっぺの町の応援団は責任があるからがんばって飲んではくれたが、それだけでは商売としてはかばかしくない。

医者に嫁入った蔵元の妹さんが、窮状を察して「兄さんお小遣いぐらいあげるわよ」と小声で囁いたこともあるそうだ。

松永蔵元は兄貴としてのこけんにもかかわるし、「なにをいいやがる、大丈夫だ」と意地を張ってがんばっていた。

そのとき、嬉しい異変が起こった。

『特選街』誌(昭和五十年十二月)の日本酒の地方別審査の東海、北陸、近畿ブロックの部で、あまたの名酒ひしめいた中で、大村屋酒造の『若竹・鬼ころし』(一級・本醸造)が堂々第二位に入賞し、一躍全国の愛酒家の前にクローズ・アップされました。

つづいて全国決勝コンテストでも、『若竹・鬼ころし』は第九位でベスト十入りを果たす。

これで需要がグンと伸びた。

大木一雄 (酒類愛好家)

清泉(きよいずみ)

上越新幹線で東京との距離を近くした新潟に、もう一つのすばらしい名酒を加えたのは、良寛のふるさととしても知られる、三島郡和島村の久須美酒造の『清泉』です。

良寛のゆかりの地や寺は、出雲崎や寺泊周辺や、弥彦山の西の国上山中腹の5合庵など、新潟のあちこちに多いが、ほんものの遺墨を多数蔵してユニークなのは、やはり最晩年を貞心尼との交情も深めながら過ごした、能登屋こと木村元右衛門邸内の庵室でしょう。

この良寛終焉の庵室が久須美酒造と同じ和島村の島崎の地にあります。

大正の初めこの地に新潟から越後線の鉄道を敷いた久須美秀三郎も親戚筋。

『清泉』の酒蔵の創業は天保4年(1833)で、樹齢300年の杉の大樹の生い茂る久須美家の裏山の横井戸から、滝のように湧き出る自然の清水で仕込む。

蒸米には和釜と杉のこしき、麹室にはむかしながらの麹蓋、そして酒しぼりには銀杏の木の槽を使っています。

まさに古きよき酒づくりを伝える手造りでも、最高のわが道を歩みつづけた。

しかも、最近、寺泊の杜氏組合長で新潟杜氏の最長老格の河合清老が、「戦前の昭和10年ごろ亀の尾という米でつくった吟醸の旨さが忘れられない。

あんなにいい吟醸はいまだにできない」と語ったのを、『清泉』の蔵の久須美記麺専務がきいて、その「亀の尾」の種はのこっていないかと探し歩き、農事試験所に標本としてあったのを一部譲り受けて、自家の田んぼに撒いた。

そしてこ年後その甦った「亀の尾」の名酒米で、ついに吟醸を仕込むことに成功したのです。

酒造史にも輝く美挙というべきでしょう。

名づけて『清泉・亀の翁』というこの吟醸、まさに河合老杜氏の証言したとおり、ふくいくたる芳熟の香りといい、ふくよかな無限の美味といい、快いさざなみの輝きわたるようなのどごしの感触や余韻といい、日本酒の醍醐味とはこれなるかな、と剛き終ってしばし呆然と時を忘れたほどでした。

いまの世に生まれてこの酒を飲める人はしあわせです。

池田金作杜氏は、『越乃寒梅』の先代藤井松兵衛杜氏の薫陶を受けた優秀杜氏。

かねがね『清泉』の吟醸や純米酒は『特選街』のコンテストで上位入賞を果たし、国税局の鑑評会でも吟醸の部の金賞に連続して入っていましたが、名酒米「亀の尾」の復活による大吟醸『清泉.亀の翁』の登場は、さながら埋もれていた往年のストラディバリウスの名器による名演奏家の床しい奏楽に再会した感があった。

大木一雄 (酒類愛好家)

菊水(きくすい)

新発田の『菊水』は、かねがねカン入りの『ふなくち菊水・本醸造』の二級酒のすばらしさで、東京その他の愛酒家や若い人たちの間に人気を博しています。

この酒は『特選街』誌の二級酒コンテストでも、『笹の川・ほろよい』とともに第一位となって、その旨さを広く知られました。

高沢英介蔵元がギャルに人気最高の早稲田のラグビー部出身で、そんな蔵元の志向も反映してか、酒の槽からしぼり立ての本醸造酒を、そのままカンに封じ込めたというこの『ふなくち菊水』、まさに酒が生きているという感じで、キャンプやピクニックなどに持っていくにも最適だ。

私も家族つれで伊豆の爪木崎海岸に行ったとき、海岸の岩場で肉のバーベキューをジュウジュウ焼きながら、このカン入り菊水を飲みましたが、実に爽やかで、牛肉の味のとけ入るようなほどよい酸度もあり、酒の旨さをこれぐら満喫したことはありませんでした。

こうした野趣に富むだけでなく、最近『菊水』は関東信越国税局の鑑評会で、吟醸酒の部、純米酒の部、高級市販酒の部の三部門すべてに首席優等を獲得した。

二級酒も吟醸その他の市販酒もすべてすぐれる『菊水』のような酒こそ、消費者の信頼できる名酒といえるでしょう。
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