2012年06月

日韓軍事情報保護協定(GSOMIA)の締結

昨年来の懸案だった日本と韓国との間の軍事情報共有のための協定が、来週にも成立する可能性が出てきた。

本来は、今年の5月に成立するスケジュールで進められていたのだが、韓国人の心底に今尚存在している植民地支配の頃の対日不信感に考慮して棚上げになっていたものである。

韓国政府が、協定締結に警戒感を示している一部輿論の反対を押し切ってでも今回締結に踏み込んできたのは、北朝鮮が軍事的な挑発を繰り返している実態に配慮したものだろうと報じられている。

さらに、対中国の包囲網として、日本・韓国・フィリピン・オーストラリア(中国はアメリカの対中U字体制と見ているようだが・・・)の結束を強化するため情報を共通する事の重要性を、アメリカが期待しているという背景もあったと分析されている。

わが国は2007年4月、アメリカとの間に「軍事情報保全包括協定(GSOMIA)」を締結しているが、これは相手国から受け取った情報を厳格に保全し第三国への機密情報漏洩を防止するための協定であり、保全が義務付けられている。
軍事情報活動の実態は、通常の情報収集(軍事衛星、レーダー、通信傍受などの手段による情報収集)の他に、諜報(スパイ等による重要書類の入手、秘密会議の盗聴など)、さらには謀略(相手を陥れて指揮機関などの破壊、混乱を誘導)の手段を組み合わせて使うのが通常で、相当きわどい手段も使われている。
また、そのような相手の情報活動に対して、これを無効化する対情報活動(自衛隊では保全といっているが)も活発である。

例えば、わが国内でもアメリカ・ロシア・中国・朝鮮半島等の諜報員が在日外国公館・民間企業・メディアの中に紛れて活動しているのは周知のとおりであり、外務・防衛のコンピューターへの不正アクセス、サイバー攻撃もしばしば起きている。

また、わが国周辺では、米軍の軍事衛星・ステルス偵察機による偵察、電波情報の収集、中国の調査船、潜水艦による情報収集、北朝鮮の拉致・工作船・潜水艇の潜入など、各国の情報戦・対情報戦が相当入り乱れて展開しているのが現実である。

日本は米軍・韓国軍から貰った情報を漏洩しないようにしなければならないが、わが国には機密漏洩を罰する法律が整っていないという基本的な問題がある。
現在、わが国の秘密漏洩に対する罰則は、一般には1年以下の懲役または3万円以下の罰金、日米安保条約に関連して、米軍の機密を漏らして米軍の安全を害したような場合には10年以下の懲役となっている。これに対して、米国はじめほとんどの国は、スパイ行為に対する最高刑は「死刑」である。

戦前までは、列国と同様の機密保護法が整っていたが、米軍の占領政策の一環として、刑法に規定してあった間諜罪・利敵行為罪(83条~86条)が削除され、また軍事機密法(昭和12年公布)、国防保護法(昭和16年公布)などの秘密保護特別法も廃止された。これによってわが国は、よく言われるように「スパイ天国」になっている。
これから頻繁になってくる北朝鮮のミサイルや大量破壊兵器に関する情報あるいは中国の軍拡に関する情報、南西諸島海域での活動など、緊密に米軍はじめ韓国軍の情報と連携することが重要になり、わが国の機密保護の信頼性を高めることが必要となってくる。
そのためには、関係諸外国と同程度の「機密保護法」を整備することが必須だが、一部の政党・政治家・メディアの反対で進んでいない。

これを機会に、「機密保護法」の整備を再び検討しなければならないのではないかと思う。

(松島悠佐)

習志野駐屯地見学

613日、陸上自衛隊中央即応集団の主力部隊である「第1空挺団」、「特殊作戦群」が駐屯する習志野駐屯地を見学させてもらった。

  「第1空挺団」は東日本大震災の災害派遣では、100日間にわたり福島第1原発の被災地で、被災者の収容や行方不明の捜索などに従事していた。

  放射能汚染の不安の中で、若い隊員がいかに真剣に任務を果たしたのか、現場の話を直接聞く事が出来た。

  放射能という目に見えない恐怖との戦い、自治体も警察・消防も全部避難した所に入って、瓦礫の山を片付けながらの捜索活動など、精鋭を誇る部隊にとっても大変だったようである。

  裏話だが、精鋭の第1空挺団を福島第1原発の近くに配備したのは、イザ原発が最悪の事態になった時に、突入させ緊急対処させる考えがあったようである。

  「特殊作戦群」は、その名前のとおりテロや要人暗殺などに備えて特殊な訓練を積んでいる部隊であり、多くのことは秘密になっている。「秘密はけしからん!公にしろ!」といっている人がいまだにいるようだが、こういう部隊は秘密にしておく方が正解だろう。イザとなった時には、役に立ってくれる部隊が、わが国にもいるのだと思って安心して頼りにしていればよいのではないだろうか。

習志野には、いざという時に役に立つ部隊がいることを確認して見学を終えた。

(松島悠佐)

40年の付き合い

  私事ですが、昨日、自衛隊幹部候補生学校の同期生会が新宿であった。昭和44年  すなわち1969年に奈良の幹部候補生学校に入校した22歳ぐらいの若者の集いである。もちろん今は、オジさんでもなく、ジイさんと呼ばれた方が良い年齢である。50人ぐらい集まり、夫人方も10人以上来られるので、夫人同士のお話を楽しみにしている方も多い。夫人方はいつまでもおきれいで若く、旦那方とは全く違う。(と言っておこう「危機管理」上)

会の名前は「69会」である。昨日は6月9日だったのでちょうど数字が一致した。

私はあまり欠席しない方なのだが、同期生会にもかかわらず、不思議と、いつも見たことがない人が2~3人いる。「69会」は防衛大学校出身者も、一般大学出身者も一緒に集う会なので、知らないもの、名前の出てこないものなどがあって当然なのだが、いつも2~3人は全然分からないのがいる。昨日の会では、頭の毛が少ない見知らぬオッサンがいて、(もちろん他にも頭の毛の少ない「見知ったオッサン」はたくさんいる)隣に座っていたU君に「あれ、誰?」と聞いたら「I君だよ!」という、結構甘いマスクのパイロットで、色男だったI君。しかも一般大学出身だから一緒の中隊にいたI君である。正直、驚きました。しかし、やはり40数年前、同じ釜の飯を食い、大部屋の2段ベッドで眠り、訓練をした仲間です。すぐに、「久しぶりだな、ずいぶん容貌が変わったなー」だけで、何の違和感もなく話せました。やはり40年の付き合いだなーと実感した次第です。

われわれ自衛官は、色々な形で、同期生会(同期生会にも色々ある)、勤務地が一緒だった者の集まり等々があり、基本的な考えを同じくしている仲間が、一緒に年を取り、お互いの近況を話し合える。そんなことが幸せだなあと思えます。人間一生は一回ですが、同じ道を歩む多くの仲間がいるということは、普通の社会の人々からすると、あまりないことだなと、40数年が過ぎた今、思います。

(島本順光)

防衛大臣のあり方

内閣改造で防衛大臣に民間からの起用が決ってから、防衛大臣のあり方についていろいろな意見が出ている。結論から言えば、防衛大臣は国会議員の中から選ぶべきだろう。

内閣は行政権執行の最高機関であり、その執行につき国会に対し連帯責任を負うことになっている(憲法6566条)。民主政治では自分の代わりにそれを執行してくれる人を選挙で選ぶことになっており、それが国会議員である。

大臣に民間人を起用する事を否定してはいないが、過半数は国会議員から選べと釘をさしているのはそのためである(憲法68条)。特に外国との関係が深い外務・防衛・財務など国政の重要な行政執行は、国民から権限を託された国会議員が行なうべきだろう。

大臣には、国政行政を担う見識と行政力・判断力・実行力が求められており、特に、防衛大臣には防衛行政を司る閣僚であると同時に、「陸海空の三自衛隊の指揮官」としての任務がある。

田中前防衛大臣はじめ、何代かの防衛大臣の罷免が続いたのは、自衛隊を直接指揮する指揮官としての見識と判断力・実行力が欠けていたからである。今回の森本大臣の起用はそれを補うものにはならないだろう。

学識経験者の意見を徴用するためには、大臣の諮問機関として有識者会議を設けたり、大臣補佐官として有識者を起用する方法などいろいろあって、これまでも実行されてきた。学者に意見を参考にしたければ方法はいくらでもある。

繰り返して言うが、防衛大臣に求められているのは「国政行政を担う見識と行政力・判断力・実行力、ならびに三自衛隊の指揮官としての指揮統率力」である。

全部を備えた人物を選ぶのも難しいが、一番必要な資質は「責任感と実践・実行力」だろう。

残念ながら、森本新大臣には、そのどれもが欠落しているように思える。

(松島悠佐)

陸上自衛隊朝霞駐屯地を訪問

昨6日、友人と共に陸上自衛隊朝霞駐屯地を訪問した。

まず駐屯地入口手前にあって、入館自由な「陸上自衛隊広報センター」を見学した。

ちょっと手狭な感はするが(拡張計画あり)陸上自衛隊の活動が非常に分かりやすく展示されており、3D映像を駆使した各種活動映像、ヘリコプターの展示とシミュレータによる体験等々、友人たちは興奮していました。近々、最新鋭の10式戦車も展示されるとのことです。子供さんには大変人気があるとのことでした。機会があればぜひ訪問していただきたい施設です。入場無料、和光市駅から徒歩15分ぐらいです。

その後、東部方面総監部、自衛隊体育学校を見学させていただきました。

東部方面総監部の正門から本部庁舎のみが東京都練馬区に所在し、その他は埼玉県になるとのことで、はじめて知りました。

これは1941年に市谷にあった陸軍予科士官学校が移転してきた際。予科士官学校には天皇が来られることがあり、東京府(~1943:その後は東京都)から出られると「地方行幸」になり、手続き、警備などが大掛かりになるため、東京内としたとのことです。

体育学校では、歴代の体育学校学生がオリンピックや、世界選手権などで獲得した各種メダルが展示されており、歴史の重みを感じました。

ご案内いただいた皆様方に深く感謝いたします。(島本順光)

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