2013年11月

岐阜基地航空祭

1124日(日)、岐阜基地航空祭に参加してきました。好天に恵まれ、多くの観客が岐阜基地を訪れました。というより、押し寄せました。これは、航空祭の人気が高かったためでもありますが、事前に「MV-22(オスプレー」が来るという情報が流れていたからでもあるようです。

実際MV-22は飛来、展示する予定でしたが、例によって、わけのわからない反対運動により、各務ヶ原市役所から、中止要請が出され、防衛省も断念したようです。

米軍の最新鋭の輸送ヘリコプターが飛来するのがなぜ悪いのか、私の先輩である市会議員が質問しても、市当局は「しどろもどろ」だったそうです。

来場者は20万人ぐらいいたそうですが、みなさんMV-22を見たかったと思います。

今回は特に混雑がひどく、最寄駅から基地までなかなか到達できず、中には、岐阜駅でかなり待たされた人々もいたそうです。

これまでなかった、持ち物の「セキュリィティチェック」が実施されたのも、混雑に拍車をかけたようです。

しかし、快晴であったので、航空機の飛行は順調で、ブルーインパルスの曲技飛行をはじめ、飛行開発実験団独特の「異機種混合飛行」も圧巻でした。

会場では、開発中のXC-2新型輸送機も展示され、新しい時代を感じました。(島本順光)

防空識別圏(ぼうくうしきべつけん:Air Defense Identification Zone,ADIZ)

new009_06「防空識別圏」は、各国空軍が、自国の領土を航空攻撃から守るために設定している空域である。

これは、航空機の速度がきわめて速いことから、対象機が領空侵犯してからでは対応が遅れるためである。ある程度の距離を領空の外側に設定するのが通常である。十分な領域が取れないほど、領空が近接している場合には、一応、中間線上に設けている場合が多い。

我が国周辺の防空識別圏は、第2次世界大戦後、米軍が設定したものとほぼ同じである。

事前の通告なしに、防空識別圏に接近する航空機があり、対応を要すると判断した場合、緊急発進(スクランブル)で対応する。このため、航空自衛隊の各基地では、武装して待機する航空機が準備されている。スクランブル発進した自衛隊機は、対象機が領空侵犯しそうになると、「通告」「警告」「警告射撃(自衛隊では「信号射撃」という)」「強制着陸」などの「対領空侵犯措置」をとることになる。

中国が最近、にわかに尖閣諸島周辺を含む「防空識別圏」の設定を発表した。「防空識別圏」を設定したからといって、領土領空を得るわけではないが、逆に領土、領空を主張する以上、「防空識別圏」を設けるのは、当然のことである。中国はこれに気が付いて、突然の設定発表となったのであろう。このことは、今後、中国が尖閣周辺海域に、監視のための船舶を常駐させ、さらに領空侵犯対処のための航空機などの準備を進めるであろうことを意味する。

いち早く反応したのが米国である。先に述べた我が国周辺の防空識別圏設定の経緯にも関係するが、防空識別圏の性格上、尖閣諸島周辺での緊張を高め、偶発的衝突を生じる危険性がきわめて高いからである。

旧ソ連時代、大韓航空機(民間旅客機)はソ連領空を侵犯したため、スクランブルしてきた戦闘機にロケット弾で撃墜されてしまった。1983831日に起こった、いわゆる大韓航空機撃墜事件である。269人が犠牲になっている。

これが戦闘機同士の遭遇になればどのような状態になるか予想できない。

 このことを、米国は熟知しているから「地域の緊張を高める」と強い懸念を表明しているのである。

一方、中国は米国や、日本に「誤りを認めろ」などと開き直っている。

今回の「防空識別圏」設定発表は、かつて、中国が、尖閣諸島周辺で領有権を主張しだした経緯と酷似している。

今回の中国の行動は「後出しジャンケン」であるにもかかわらず、「勝ったのは俺だ」と主張する、わがまま国家であることを国際的に証明している。

生起するであろう事態について考慮せず、自国の主張のみを強引に正当化する中国の無法ぶりは今回の「防空識別圏」設定で、より一層明確になった。

集団的自衛権先送りの問題

安倍政権では、防衛の基本を正す検討を行っているが、その一つが集団的自衛権の問題である。だが最近になって公明党や内閣法制局との調整が進まず、今年中に回答を出すのは間に合わないようになってきた。この集団的自衛権の問題は、防衛計画の大綱や日米ガイドラインの基礎になるので、早急に結論を出して欲しい問題である。

有識者会議でも具体的なケースを想定しながら検討を進めてきたが、段々と複雑になり分かりづらくなって来たように感じる。

自衛権は、国家・国民を守るために自然に備わっている権利であり、いわば動物の本能のようなものだからもっと単純に考えた方が分かりやすいだろう。

 

「集団的自衛権」とは、同盟国が攻撃された場合にも、自国の防衛と同様に自衛権を発動し武力行使する権利を認めるべきであるとして、第2次世界大戦以降付け加えられた権利であり、集団安全保障体制下では当然のことである。

同盟関係を結んだ各国にとっては、自国と同様に同盟国を守ることは、いわば「同盟の義務」であり、その義務を果たすため権利を持つことは国際的には常識になっており、したがって、日本以外では何処の国でも問題になっていない。

 

米軍との共同防衛体制を採っているわが国としては、米軍が損害を受ければわが国の防衛に直接影響するのだから、それを自国への侵略と同じと考え防衛するのが自衛の権利でもあり、同時に同盟国アメリカに対する義務でもある。

 

素直に考えればごく当たり前のことなのだが、わが国では「戦争を放棄し交戦権を認めない」憲法があるので、それに抵触せず合憲とするために、ひねくり回して難しくしてしまったのが実態である。

集団的自衛権の裏づけになっているのは「同盟国として義務」であり、「権利はあるが行使しない」という考えはとりもなおさず「義務はあるが履行しない」と公言しているのと同じであり、これはいささか理不尽なことだろう。

来援した米軍が被害を受ければ、わが国の防衛にも被害が及ぶのは当たり前であり、守るのが当然の義務であり権利だろう。もし実際にこのような事態が発生すれば、現地にいる自衛隊の部隊は建前の法律解釈に固執して米軍に手を貸さないことが出来るだろうか。これが自衛隊のジレンマになっている。

集団的自衛権を行使するとは、同盟を結んだ仲間を助ける義務を果たすことであり、本来は自然権に基づく単純な話である。

わが国はどこかで間違ってしまった。原点に返って何処で間違ったのかを考えるべきだろう。                           (松島悠佐)

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