2015年10月

米国の南シナ海での行動について

米国の南シナ海での行動

27日夕、南シナ海で中国が埋め立てて領土と主張している海域を米軍の艦艇が通過した。もともと公海なのだから当たり前のことなのだが、わが国のメディアが今回の安保法制改訂と絡めて「大変なことだ」とふれ回るので、メディアに乗せられ易い人たちが騒いでいる。

日本もアメリカもこれまでも主張してきたように、すでに相互是認している現在の領土・領海を力によって拡張するような行為は国際法に違反しており認めるわけにはいかない。

中国との摩擦を避けたいオバマ政権だが、この原則を崩すわけにはいかないだろう。

安全保障に 相当の見識を持っている人でも、アメリカは中国が領土だと主張している海域を通るだろうかと疑問視していた人もいた。だが、逆にいまアメリカが毅然とした態度を示さなければ、中国の主張を認めたことになり、永久に中国の主張に追随せざるを得ない。やや力が弱まったとは言え、アメリカはそれほど「柔(やわ)」ではない。

地政学の視点から見ればアメリカは当然のことをやっているのだから、さして騒ぐことでもないのだろう。

さらに付言をすれば、アメリカのこのような行為に対して中国はしばらくの間ぶつぶつ言うだろうが何か実力行動を起こすことはないだろう.と言うより今の中国にはアメリカを相手にして事を構える力はまだないのが現実である。

(松島 悠佐)



太田 隆閣下をしのぶ

去る1015日18:15、元東北方面総監 陸将 太田 隆閣下が逝去されました。


私は、故 田村秀昭参議院議員の秘書をしていた時代から、太田閣下に直接お目にかかりいろいろご指導いただきました。

自衛隊の現職時代も田村秀昭空幕装備部長の子分として、色々な場面で近くにおりましたが、当時、陸幕 防衛部長が故竹田 寛さんで監理部長が太田 隆さんでした。田村さん竹田さん太田さんと空幕監理部長 西山 幹男さんの4名で麻雀卓を囲んでおられた時、太田閣下にお会いしたように思います。私は軽輩でしたので、雑用係でしたが、太田閣下に初めてお会いしたのはその当時だったと思います。

竹田閣下、西山閣下はその後田村秀昭後援会の要職を務められましたので、直接ご指導いただきましたが、太田閣下は商社の「丸紅」顧問として勤務されていましたので、直接のご指導を頂くようになったのは後年の事になります。

最初のうちは議員会館の議員室入口にアポなしで突然来訪され、「田村居る?」と言ってこられるのが常でした。私はその時点ではあまり存じ上げなかったので何とも感じなかったのですが、よくよく考えると、何時も田村さんが居るか、直ぐに帰ってくるときに来られたように思います。多分、アポは取られないのですが、予定などを把握されていたのではないかと思います。

秘書の現職時代には、田村さんの3期目の選挙の時、東日本の担当責任者として、選対本部長と西日本担当責任者を勤めて頂いた松島悠佐元中方総監(現 防衛システム研究所代表)と共に田村秀昭さんの当選に大きく貢献していただきました。

太田閣下は2師団長として旭川勤務をされた時を、ことのほか大切にされておられたように感じます。お供をして北海道を訪問した時の記憶が鮮明に思い出されます。北海道は数十回訪問していますが、いわゆる「名物にうまいものなし」で「うまい!」と思った事はあまりありませんでしたが、太田閣下にごちそうになったときは、全て大変おいしかった記憶があります。太田閣下は今で言うグルメで、食べ物に対しても大変含蓄をお持ちでした。後年、赤坂周辺で私が、お店にご案内し、太田閣下に「うまい!」といって頂いたときは大変うれしく感じました。

太田閣下は部下を大変大事にされる方で、中隊長、連隊長、地連部長、師団長、富士学校長、東北方面総監と官位を極められてからも、ずっと連絡を保ち、時折懇談されていたようです。「島本、うまい肉を食わせる店はないか」と尋ねられ、田村さんの同期生がやっておられたお肉料理店を紹介したこともあります。

後年は、お好きだった麻雀とゴルフで直接厳しくご指導を頂きました。とにかく負けず嫌いで私がついて勝った時などはご機嫌が悪かったですが、それが嫌味ではない「大人(たいじん)」の風格のある方でした。聞くところによると、病床につかれてからも「麻雀がしたい」とおっしゃっていたそうです。私が最後にお目にかかったのはまさに麻雀屋さんでした。

私は18日日曜日に営まれたお通夜には行けませんでしたが、19日の葬儀に出席させて頂きました。陸上自衛隊普通科の将軍としての業績については、前西方総監 番匠幸一郎さんが弔辞で話されました。かなり長いお話でしたが、まったく無駄のない素晴らしい弔辞でした。私も陸上自衛官、陸上自衛官OBとしての、太田閣下の業績について認識を新たにしました。私も少し知っていた「イラク派遣時の文房具プレゼント」についても述べられましたが、現地指揮官だった番匠さんが本当に感謝されるとともに、太田閣下の先見性を讃えていました。

弔辞の最後に番匠さんが太田閣下の病床にお見舞いに行ったとき「番匠君ひとつ頼みがある、俺の葬式では消灯ラッパをやってくれ」と言われたそうです。番匠さんは「とんでもない、お元気になって引き続きご指導ください」と言われたそうですが、「ご遺言どおり実行します。」とのことで「消灯ラッパ」が吹奏されました。最後までアイデアマンであり、人の心に響くお人柄だったと思います。女性参列者はもちろん、男性でも目頭があつくなった方は多かったと思います。私自身かなりの葬儀に出席しましたが、最も印象深い式でした。高いところに飾られていた太田閣下の写真は多分ご自分で選ばれたものだと思いますが、厳しい中にも優しげな凛としたお姿でした。少なくとも私は一生、太田閣下を忘れることはありません。合掌

(島本順光)



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