2017年03月

組織犯罪処罰法改正案(テロ準備罪法案)の国会審議

 「 組織犯罪処罰法改正案(テロ準備罪法案)の国会審議」


テロ対策の一環として国会で審議されていた「テロ準備罪法案」が、いよいよ終盤の審議に入ってきた。

この問題については、2月に「トランプ大統領のテロ対策」でも少し触れたが、テロを未然に防ぐには性善説で検討するには限界があり、性悪説に立って対処しないと出来ないことも多いと思う。

この審議では、「対象を拡大して捉えないとテロを捕捉出来ない」とする意見と、「あまり広げると一般の人や労働組合などまでが対象になりかねない」と警戒する意見があり、対象組織を絞り込むのが難しかったようである。

具体的な検討は難しいが、テロを阻止しようとすれば「一般の人や組織」もまず疑って掛からなければならないのではないかと思う。

つい先日ロンドンで起きたテロも事態の直前まで「一般の人」として車を運転していた人が、突然歩道を暴走し市民を跳ね警察官を殺害した。

街に据えられた監視カメラも「悪い人も一般の人」も分け隔てなく監視している。それがプライバシイの侵害になると言う人もいるが、その位のことは我慢すべきだと思っている人が殆どだろう。

イスラエルに旅行した時のことだが、飛行機の手荷物検査は徹底していた。出発の2時間前に空港に来いと言われてそのとおりにしたが、荷物を全部あけて調べていた。

「俺は怪しい者ではない」と言いたかったが、敵性国家に囲まれたイスラエルだから仕方のないことだと思って諦めた。


9.11事件や地下鉄サリン事件、あるいはアジア・ヨーロッパで起きている爆破事件などどれを見ても、平常の生活では考えられないことが起きている。

テロを阻止するという視点から見ると「一般の人や組織」もまず疑って対応してもらう方が、安心なのではないだろうか。

“疑ったらきりがなく、普通の人まで疑われるようになる”として人権侵害を盾に、主張する政党や政治家もいるが、テロの本質はそこにつけこむのが狙いだろう。

テロ組織はあらゆる機会を利用して実行の機会をうかがっている。テロに備えるためには「性善説ではなく性悪説」、「一般の人や組織も多少の犠牲や不便を強いられる」ものだと理解することが大事だろう。

(2017・3・24 松島悠佐)


シビリアンコントロールを誤解するな!

「シビリアンコントロールを誤解するな!」
 

国会で稲田防衛大臣が集中砲火を浴びている。

森友学園の事や南スーダンのPKOの問題など、個々のことはわからないから意見を言うこともできないが、南スーダンの問題を採り上げて、野党の議員が「大臣として自衛隊の行動をよく把握していないのはシビリアンコントロールが機能していないのではないか」と質問しているのを聞いて、シビリアンコントロールがよく理解されていないのではないかと感じている。

軍事の問題、特に武力の行使は専門的な知識と技術が必要なので軍人の専管事項になることが多いが、それを発動するか否かの問題は極めて重大な国家の判断であり、政治がそれを決めるのがシビリアンコントロールの原則である。

今回の問題は、南スーダンで起きている部族相互の戦闘状態はPKO派遣の原則に照らして平穏が維持されている状態なのか、派遣を合法と考え継続するのか、それとも原則に合わなくなったので撤収をすべきなのかという問題だった。現地の日報はその状況を正しく伝えていたと思うが、それを知った政治家がどう判断したのかが問題であり、問われるのは大臣の判断力だろう。

現地の日報を大臣に報告しなかったとか、隠したとかが問題になっているが、私の拙い経験からすればそのようなことはないと思う。政治家として「今はこの問題は出さないほうがよい」と判断することはあるだろう。それは政治判断であり、あながち悪いとも言えない。

野党として正すべきは大臣としての政治家の判断力であり、その資質である。少なくともシビリアンコントロールの問題ではないだろう。

自衛隊は頑なにシビリアンコントロールを守っているし、不平があっても耐えながら任務についている。

シビリアンコントロールが機能していないなどという質問は見当違いもはなはだしい。

(2017・3・17 松島悠佐)


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