2019年03月

わが国防衛上の視点から憲法改正がなぜ必要なのか

 

「わが国防衛上の視点から憲法改正がなぜ必要なのか」 

 

行憲法には9条に戦争放棄と軍隊不保持の定めがある。 

「第9条①日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。交戦権はこれを認めない。」 

憲法策定の当初この「軍隊不保持という定めは国家の自衛という事態でも適用されるのかという問題が提起されていた。たとえば他国から武力侵攻を受けた場合に日本はこの憲法があるため武力をもって対抗できないのかという問題である。だが、自衛の権利は国連憲章にも保障されている。 


国連憲章第51条(抄)
 

「国連加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安保理が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利(the inherent right of individual or collective self‐defense)を害するものではない。」 

したがって自衛の権利は憲法以前の国家固有の権利であり、憲法に軍隊不保持の規定があっても自衛のための武力は保持できるという解釈によって自衛権は確保され、その後自衛隊創設され、政府は合憲と判断した。しかし、当時の野党だった社会党と共産党は「自衛隊は憲法に違反する」と主張して、自衛隊をめぐる憲法論争が始まった 

この論争を契機に政府は憲法解釈の見解を発表しその一つが「専守防衛」だった 

専守防衛は、昭和45年の防衛白書で正式に使用して以来、わが国の安全保障の基本理念として政府が掲げてきたものだが、これによってわが国の防衛力の行使が非常に抑制的なものになってしまった。国会での政府答弁を要約すると、「わが国は、相手から攻撃を受けた時にはじめて防衛力を行使し、その対応も自衛のための必要最小限度にとどめる。防衛上の必要からも相手の基地攻撃をすることなく、もっぱらわが国及びその周辺において防衛を行う」のが、専守防衛の概念となっている。 

したがって、わが国が保有できる自衛力は憲法に抵触しない専守防衛の範囲内に限られ核・敵地攻撃などの戦略的作戦機能の多くは米軍にゆだねている。 
北朝鮮のミサイル攻撃に対して、果たしてこの防衛の理念で対応できるのだろうか 
北朝鮮は、大量破壊兵器やミサイルの開発・配備・拡散を行って、わが国への脅威を作り出している。これに対応して、わが国は弾道ミサイル防衛システムを整備し、さらに地上配備のイージスアショアの配備も検討している。
だが、これだけでは国土の安全は十分ではない。と言うのも、イージス艦もペトリオットミサイルの配備も首都圏・阪神地区など主要な政経中枢の防護に限られ、初動は準備した弾道ミサイル防衛網で何とか対応できたとしても、北朝鮮が100~200基も配備していると見積もられているミサイル攻撃には十分に対処できないと思われるからである。引き続く攻撃に対しては相手の発射基地を攻撃し破壊することが必定になるだろう。 


そういう状況を考えると、専守防衛のように相手の基地
を攻撃しないという考えでは有効に対応できないことは明らかである。 
現在相手の基地を攻撃する機能は、結局米軍に依存することになるのだが、自国の決定的な安全を他国に委ねるような体制は、国際間で主導的な地位を占める日本が看板として掲げるような政策ではないだろう 

 

憲法は国体を決める基本の法律だから防衛事態の対応に触れておくのは当然だろう。また自衛のために国力に見合った十分な力を持っておくのも主権国家として当然のことではないだろうか。 

だが現行憲法は敗戦後アメリカの占領下に作られたから、国防など国家緊急事態の対応は米軍がするという前提だったので関連の規定は欠落している。 

したがって、1947年に占領の時代が終わり独立した時点で改憲すべきだったのだが当時の政治情勢ではそれも出来ず、現行憲法がそのまま残ってしまった。 

大東亜戦争の反省から戦争に訴えてでも主張を通す「国権の発動たる戦争」を放棄するとしても、自衛権に基づく自国の防衛はまっとうしなければならないだろう。 

現行憲法に戦争放棄と軍隊不保持を謳っていることは自衛権行使の権限をも放棄したと解釈され、日本は自分の国を自分で守らずアメリカに頼っているとの評価も受けかねない。このような状態が続くと国家としての主権まで疑われ同盟国(アメリカ)の属国になりかねない。 

これを払拭するには次の3点を憲法に明示することが必要だと思う。 

自衛権の保持の認定 

②自衛権確保のための自衛軍の保持 

③防衛事態(国家緊急事態)の対応は国民の義務 

 

現行憲法にはこの3点が欠けている。これを早急の正すことが必要であり、そのために憲法を改正しなければならない。これが現政権が追及している憲法改正だと思う。 

憲法改正に反対を唱える人たちもいる。その中に憲法を改正すると戦争を起こす国になるという意見があるが正しくないと思う。戦争が起きないのは抑止力があるからであり、その中心になっているのが日米の防衛協力体制である。強力な米軍と小さいながら機能的な自衛隊の共同が十分に発揮して日本の安全を守っている 

 

昭和の時代は極東ロシア(当時はソ連)、平成になると中国が軍備を強化し、北朝鮮も核とミサイルを開発し脅威になってきた。 

最近では中国が軍をさらに強化し、わが南西諸島に脅威を与え日米の防衛体制を揺るがすようになってきた。現行憲法から演繹された「専守防衛を基本とした必要最小限度の戦力」では対応に限度がある 

わが国の防衛力も、いつまでも米軍に依存しすぎてはならない。尖閣諸島や南西諸島あるいは北朝鮮のミサイルやテロの脅威にはわが国が主体性を発揮して対処しなければならない。 

実際の防衛力の整備は時の政府が政策として決めるものであり、脅威が高ければ強くするし、低ければ弱くするだろう。 

それよりも主権国家として無用な自衛権論争を引き起こす原因を作り、自衛の手段を築く足枷になるような憲法は改正すべきだと思っている。 

 

2019・3・2    防衛システム研究所代表   松島悠佐 

 

 

 

 

 

 

 

「安全保障の視点から憲法改正がなぜ必要なのか」

 

「安全保障の視点から憲法改正がなぜ必要なのか」 

 

現行憲法には国家緊急事態が想定されていない。このことが危機管理に対する国民の意識を喪失させる大きな原因となっており、これがいわゆる「平和ボケ」を作りだしている。 

日本丸という船が順風で走っているときはよいが、一旦台風や時化にあったら如何に対応すべきなのか、国民一人ひとりの課題として考えておかなければならないことである。 

憲法は国家最上級の法律だから、国政の基本的なことはここに掲げるのは当然であり、 

そこに書かれていることは学校教育においても繰り返し教えられており、基本的人権の尊重、議会制民主主義、三権分立などの考えは国民の間に深く浸透している。 

他方、国家緊急事態については国民の意識はまったく欠落したものになっている。 

国家緊急事態について法律がないわけではないが、たとえば外国からの武力攻撃を受けた場合には、武力攻撃事態対処法や自衛隊法に、また、国内騒擾事態については、自衛隊法や警職法に規定されているが、いずれも国民の視点ではなく自衛隊や警察機関の対処要領が主体になっており、一般の国民にとってはほとんど目にすることもなく、専門家以外読まれることも少ない。 

また、大規模震災については、阪神大震災や東日本大震災の経験から国民に直接降りかかる事態として認識されてはいるが、一過性の感覚も強く、被災直後はメディアを含めて関心が強いが、数ヶ月経つと忘れ去られてしまうのが現実のようである。 

このままの状態では、国家緊急事態が起きても、自衛隊・警察・消防など関係機関が対応することだと思っている国民が多く、国民自らが対処すべきことだという意識は育っていない。 

国民が国家緊急事態についての認識を持つためには、憲法に掲げ学校教育を通して国民の意識として浸透させることが必要である。 

現行憲法を改正しなければならない最大の理由はこの点にある。憲法に国家緊急事態を想定することによって、基本的人権や三権分立と同様に、緊急事態に備える国民の意識が育ち「平和ボケ」といわれるような風潮もなくなるだろう。 

 

目下わが国には、外からは中国・北朝鮮の脅威が現実のものになりつつあり、内からは大震災などへの備えも欠かせない。時間の余裕もさほどないと思われ、早急に検討して早期に憲法改正の実現を図らなければならないだろう。 

 

では、国家緊急事態の規定をどのように定めるのか 

緊急事態への備えを平素から定めておくことは、いわば主権国家として当然のことであり、主要列国では、憲法や基本法などに明文化している国がほとんどである。 

何をどのように定めるべきかは、憲法・基本法・個別法の制定の仕方によって変わってくると思われるが、最小限次のことは明らかにしておかなければならない。
 

① 国家緊急事態の区分と事態認定の権限および手続き 

② 国家緊急事態の認定と内閣総理大臣の権限強化 

③ 緊急事態対処体勢の確立 

④ 対処の基本方針 

 

(1)国家緊急事態の区分と事態認定の権限および手続き 

国家緊急事態は、一般に他国からの侵略による防衛事態や、国内の騒擾事態あるいは大規模災害事態など種々のものが考えられ、一例として区分すれば次のようなものになる。 

 

(国家緊急事態区分の一例) (国家緊急事態区分の一例) 

対外的緊急事態 

防衛事態 

 

いわゆるわが国に対する武力攻撃事態であり、防衛関連規定の適用、民間の一部行動統制等が必要と認められる事態 

緊迫事態 

武力攻撃事態には至らないがわが国の存立を脅かす事態であり、防衛事態に準じた関連規定が認められる事態 

同盟・集団安全保障事態 

日米安保条約及び国連安保理決議等により行動を求められる事態である。 

 

対内的緊急事態 

騒擾(治安)事態 

わが国の政権、地方自治体の存立を危うくする事態 

災害事態 

自然災害、重大な災厄事故 


(2)国家緊急事態の認定と内閣総理大臣の権限強化 

国家緊急事態においては、平素と同様な法的措置や行政権の執行では対応できないのが常であり、事態を認定し、緊急な行政執行が出来る体制を作らなければならない。 

また緊急事態においては、通常強力な国家統制が必要となり、他の行政権や個人の権利を制約する結果を生じるため、その認定の権限や手続きについての基本的な事項は憲法に明記することが必要である。 

原則的には行政府の長である内閣総理大臣が判断し、立法府としての国会が承認する形になるのだろうが、事態の特徴によって、例えば対応の時間が極めて制約されるミサイル防衛事態や、事態が流動的で且つ相手も不明確なテロ事態では、通常の防衛事態とは対応が極端に異なるため、事態の特徴に合致した認定と対応の方法を決めておかなければならないだろう。 

事態認定後の行政執行権については、迅速な対応が求められるという特質を踏まえれば、内閣総理大臣に行政権を集中するとともに、関係省庁・地方公共団体・指定公共機関を統制し、必要な指示を速やかに出来る態勢を作ることが必要である。 

特に現行の行政権は合議体としての内閣に属しており、首相の指揮監督権も閣議の方針に基づくこととされ、しかも慣例として閣議一致制がとられているため、時間的に制約される国家緊急事態の対応には問題が多く、「国家安全保障会議」は、これを補うものとして期待できるだろう。 

 

(3)緊急事態対処体制の確立 

現行の武力攻撃事態対処法では、内閣に総理大臣を長とする対策本部を設置して、対処に関する総合調整を行うことが決められている。 

この対策本部は有事になって急遽作るものであり、恒常的な指揮組織ではないので果たして有事の対応に迅速に機能できるかという問題がある。 

「国家安全保障会議」の機能を強化し、政府としての意思決定だけではなく、対処体制もとれるようにしておくことも必要だろう。あるいは防衛省に平素から安全保障の総合的な機能を発揮する権限を付与し、各省が司る行政を国家安全保障という見地から総合的に調整できる機能を保持させることも一案である。 

いずれにしても緊急事態対処は国家の総合的な機能を迅速に統合し、一元的に対処することが求められており、9・11テロの後に米国が設置した総合安全保障省のような、各行政機関を横断的に統制する組織を平素から備えておくことが重要であり、緊急事態が起きてから急遽作るのではなく、恒常的な組織を定めておかなければならないだろう。 

加えて、平素における政府の危機管理体制にもいくつかの問題点がある。 

例えば、わが国では海上警備行動や治安行動などは警察権の範疇で処理するとの考えに立っており、また、小規模部隊による隠密侵攻事態など、いわゆる領域警備については法律も未整備である。 

 

(4)事態対処基本方針の明示 

現行の武力攻撃事態対処法では、緊急事態と認定された場合には、内閣総理大臣は対処基本方針を作成し、閣議決定を経て国会承認を受け公示することになっており、定めるべき基本方針として次の3点を挙げている。
 

① 事態の認定及び認定の前提となった事実 

② 事態対処に関する全般的方針 

③ 対処措置に関する重要事項 

だが、事態発生後に定める方針は、時間の制約があることから当面の対応を主としたごく限られたものにならざるを得ないと思われ、その根拠となる基本的なものは平素から十分に審議して予め定めておく必要があるだろう。 

  国家安全保障会議において、平素からの緊急事態対処態勢の整備に合わせて、各事態における基本的な対処方針の検討を行なっておくことが肝要である。 

 

わが国の有事法制は、平成14年(2002年)に小泉総理の下でようやく制定実現に動きだし、平成15~16年(2003~04年)にかけて「武力攻撃事態対処法」ならびに「国民保護法」など一連の法律が制定された。 

しかし折角できたこれらの法律も、現行憲法の下で、それに抵触しない範囲で法令化されたため、国家緊急事態という概念が希薄なままで有事の対応が検討されているところが問題である。 

例えば、国家緊急事態になっても、国民は基本的人権を損なわない範囲で政府の定めた施策に「協力する」との規定になっている。 

国家緊急事態では、万難を排してこれに対処する国家的措置が必要不可欠になると思われるのだが、この法律では国家緊急事態になっても、個人の権利と自由を最大限に確保することに主眼を置いて、国民の権利を努めて圧迫しないような措置を考えることが中心になっている。 

憲法で保障された個人の基本的人権を抑制することには、抵抗感があるかもしれないが、そうせざるを得ない状態が起こり、公のために私を我慢せざるを得ない事態が起こる。それが有事・国家非常事態だとの認識を持つことが必要である。 

また、当時の国会審議では食糧・エネルギーの確保といった物的資源(国家備蓄)に関する議論は全く行なわれていない。経済・産業・交通・食料・医療・エネルギーなどに関する国の統制力を一時的にせよ強化することは、産業統制の問題が絡んでくることから検討の範囲外とされ、全くの積み残し状態となっている。 

国家緊急事態においては、必要な救援物資・生活関連物資等の確保は、国民保護の観点から不可欠であり、これら物資の確保について十分議論し、国家としての考え方を整理しておくことが必要である。 

自衛隊は志願制であり、防衛事態において自由意志に基づく隊員募集が出来ない場合にはどのように緊急徴用するのか。また、戦闘装備品・整備補給用部品・燃料・弾薬などの緊急調達をどうするのかという問題もある。 

自衛隊が保有する燃料や整備補給部品など、平時のランニングストックが精一杯の状態であり、戦闘損耗を補充する余力のないものがある。また弾薬なども昨今の防衛費の圧迫から、弾種によっては戦闘のための備蓄が不十分なものもある。これをどのように緊急生産し調達するのか、その財政負担をどうするのかなど、自衛隊の戦力発揮のための国家的施策は殆ど出来ていないのが実情である。 

平時の行政施策では、不利益を被る者が出ないように配慮し、時間は掛かっても皆が納得できる公正さが追及される。非常事態ではそのような訳には行かず、例えば武力攻撃を受けて国が危急に瀕する時には整然と公平な施策を行なうことも難しく、時に拙速の措置で私権を制限し不公平も我慢せざるを得ないこともある。ここに平時の法制では処置できない法制が求められる理由がある。 

わが国では、有事法制を整備することが軍国主義や全体主義の復活につながるとの考え方が長く続き、いまだにそういう考えを持っている政党・議員がいて、有事においても人道・人権を正面に立てる議論が支配的になっており、現在の有事法制は国民の権利保護の考えが強く前面に出ている。 

非常事態での法的規制は、平時のそれとは全く異なることをもっと真剣に考えておかなければならない。 

 

2019.3     防衛システム研究所代表   松島悠佐 

 

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