短絡的な思考


今は「片手落ち」とか「びっこ」という言葉は障害者を傷つける表現として使わないことになっている。だが、広島の原爆被害や戦争への反省の言葉を聞いていると、どうしても「片手落ち」としか思えない。戦争も原爆も悲惨であり、このことを語り継ぐことは必要なのだが、それではどうしたらそれを防ぐことが出来るのかはまったく全く語られない。

ただそうならないように祈るだけだという。違うのではないか。そうならないようにする方法を考えることが大事なのではないか。悲惨さを語り継ぐことだけでは「片手落ち」と言わざるを得ない。その表現がまずければ「短絡的な思考」とでも言うのだろうか。

あの悲惨な戦争を起こさないために、あの悲惨な原爆が再び投下されないためにどうするのか。それが安全保障の基本である。

私は「抑止力の確保」が基本だと思っているが、その他の考えもあるだろう。そのことをもっと掘り下げて国民的な議論を啓発してもらいたいのだが、それを自らの任務と心得ている政治家もメディアも少なくなった。

話は変わるが沖縄海兵隊のオスプレイがオーストラリア近海で墜落した。機体の異常か人的なミスなのか、原因はまだわかっていない。だがオスプレイの沖縄配備に反対している沖縄県知事は直ちに「オスプレイ撤去」を要求している。

これも「短絡的な思考」ではないか。わが国の安全、なかんずく南西諸島の安全を確保するにはどのような施策が必要なのか。それをしっかりと考えることこそ知事の責任ではないのか。「短絡的な思考」で責任を回避するのはいい加減にして欲しいと思っている。                    

(2017・8・8 松島悠佐)