「軍事に関する研究は悪なのか」


「大学の研究機関は軍事に関する研究をしない」あるいは「してはいけない」という議論が行われていた。自国防衛に対する戦後のわが国の偏見の縮図のような議論である。

大東亜戦争後のアメリカの占領、なかんずく東京裁判や国家神道の廃止・日本史の否定などの影響を受けて、戦争を起こした日本の歴史は間違いであり軍事は悪であり抹殺すべきものとして、マッカーサーの占領政策が行われた。占領直後のわが国ではそれを呑まざるを得なかった事情もあり、終戦直後はその考えが正しいこととされてきた。

しかし年を経ると共に、自国の防衛はそのように簡単に放棄できるものではないことが解ってきた。中国や北朝鮮の軍事力をわが国への脅威と認識し、自衛隊を持ち日米安保を強化して、その脅威に備えなければならないと考える国民も増えてきた。


日本学術会議は日本の科学者の集まりであり、言わば知能の高い研究者の集まりだと思うのだが、「軍事利用は避けるべきだ。昔決定した事を尊重するべきだ」と声高に主張する研究者を見て被占領時代に戻ったような錯覚に陥り、「マッカーサーの教え子が健在だったのか」と思ってしまった。

多分ご本人は「俺はマッカーサーの教え子なんかではない」といわれると思うが、本人が気付つかない間に洗脳が進んでいることに今更ながらマッカーサーの占領政策の上手さに感心する。


宇宙開発も同様に、戦後ずっと「宇宙開発の平和利用」を標榜し軍事利用を避けてきたのだが、国際的な開発の遅れから数年前にこれを撤回し、今では防衛用の情報収集衛星や通信衛星を打ち上げている。

軍事に関する研究の是非についての議論は、防衛省の研究助成制度の適用をどう考えるのかということが発端だったが、被占領間に刷り込まれた「戦争は悪、自衛戦争といえども日本には戦争を許さない。」というマッカーサーの教えが今も生きていることに驚かされた。

自国の防衛は国民みんなの義務であり、もうそろそろ被占領時代のアレルギーから脱出してよいのではないかと思う。

国民が国家防衛の義務を怠ったら誰がやるのだろうか?国民の英知を集めて立派な防衛態勢を作る事こそ国民に課せられた課題だろう。だとすれば研究でも教育でも、国民の総力を発揮すべきではないのか。

立派な防衛態勢を作ることが悪ではなくて、それを誤って使うのが悪につながるのだろう。

だったら他の国がうらやむような立派な軍事力(防衛力)を作って、それを正しく運用できるような国家になることを標榜すべきではないだろうか。

もういい加減に目を覚まし、「自国の防衛をいかにすべきか」もっと素直に且つ真剣に考えるべきではなかろうか。

(2017・2・23 松島悠佐)