戦争

政治家とメディアの虚言

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「政治家とメディアの虚言

 

テロ準備罪の法案が成立して私は良かったと思っている。これでテロがなくなるとは思えないが、テロを阻止するために少しでも役に立つと思うからである。

だが、法案に反対の野党とメディアは、内閣の強硬な手段によって法が成立されたと批判し、この法律によって日本は国民の自由な発言まで規制され、共産主義国家のように告げ口が横行する国になると騒いでいる。メディアはこれに反対する文化人などを取材して自由な発言ができなくなることを強調し日本がすぐにも統制国家になるとのキャンペーンを繰り返している。だがそうはならないだろう。

先年の集団的自衛権の審議でも、戦争法だと批判しすぐにもアメリカの戦争に巻き込まれる危険な事態になるとキャンペーンを繰り返していた。だがそうはならない。むしろ反対に中国や北朝鮮の軍事的圧力を和らげる効果が出ている。この類のキャンペーンは野党とメディアの虚言といわれても仕方がないだろう。

これは今に始まったことではない。私が記憶しているだけでも昭和30年代以降の安全保障の法案審議の時にはいつでもこのような虚言のキャンペーンが繰り返しされてきた。日米安保改定の時もそうだったが、すぐにでも「アメリカの戦争に巻き込まれる」との主張だったが果たして結果はどうなったのか。あの時「巻き込まれ論」を主張していた人達は今ではみんな口をつぐんで知らん顔をしている。だが、起こりもしないことを起きるように主張して国民を扇動した結果について何らかの責任を取るべきではないだろうか。

しかし、朝日が流した慰安婦の虚偽報道について何の責任も感じていないようだからそれを期待しても無理なのだろう。今回の虚言も多分そうなるのだろう。

政治家もメディアもこのような虚言を振りまいて恥ずかしくはないのだろうか。まぁ、恥ずかしいと思う人ははじめからこのような虚言・うそはつかないのだろう。

私は日本人の一人として、このような虚言を見たり聞いたりするだけで恥ずかしい限りと思うのだが・・・。                

 (2017・6・23 松島悠佐)


憲法改正論議

「憲法改正論議」


5月3日の憲法記念日になると毎年のことだが憲法改正の議論が少し熱くなる。

今年は安倍総理が具体的な考えを提示したので少し進むのかと期待している。

私は陸上自衛官だったので、非常事態の既定の無い現行憲法では対応が難しいことが多くて、早く改正して欲しいと思っていた。特に有事法制が不備だったので防衛計画を作っても実行が伴わず机上の空論になることが多かったことを憶えている。

例えば戦闘準備を整えても平時の火薬取締法の既定があるため、弾薬の移動や集積も十分に出来ない状態だった。結局イザとなったら何とかなるだろうと思って諦めてしまうしかなかった。

平成15・16年、小泉・安倍総理の時に有事法制が作られたが、現行憲法のもとでは十分なものにはならなかった。例えば武力攻撃事態が起きても、国民は現行憲法で保障されている基本的人権に支障の無い範囲で政府の非常措置に協力するとなっている。

国家の非常事態に対する認識はこの程度のものであり、これでは非常事態の対応など出来ないだろう。

国家の非常事態では万難を排してこれに対処する国家的措置が最優先されなければならないのではないだろうか。公のために私権が制限され、時に不公平も我慢せざるを得ない。ここに平時の法制では処置できない有事の法制が求められる理由がある。

現行憲法は平和国家を宣言していれば戦争は起きないのだという観念論が中心になっており、国家防衛という言葉はどこにもない。勿論自衛隊の事も書いていない。

国家防衛が法律に出てくるのは『自衛隊法』や『防衛省設置法』であり、したがって多くの国民が国家の防衛は自衛隊がやることだと思っている。国家の防衛は国民の義務であることが忘れられている。


今年こそは枝葉末節な議論を止めて、国家観に根ざした本質的な議論をして欲しい。

(2017・5・12  松島悠佐)


軍事に関する研究は悪なのか

「軍事に関する研究は悪なのか」


「大学の研究機関は軍事に関する研究をしない」あるいは「してはいけない」という議論が行われていた。自国防衛に対する戦後のわが国の偏見の縮図のような議論である。

大東亜戦争後のアメリカの占領、なかんずく東京裁判や国家神道の廃止・日本史の否定などの影響を受けて、戦争を起こした日本の歴史は間違いであり軍事は悪であり抹殺すべきものとして、マッカーサーの占領政策が行われた。占領直後のわが国ではそれを呑まざるを得なかった事情もあり、終戦直後はその考えが正しいこととされてきた。

しかし年を経ると共に、自国の防衛はそのように簡単に放棄できるものではないことが解ってきた。中国や北朝鮮の軍事力をわが国への脅威と認識し、自衛隊を持ち日米安保を強化して、その脅威に備えなければならないと考える国民も増えてきた。


日本学術会議は日本の科学者の集まりであり、言わば知能の高い研究者の集まりだと思うのだが、「軍事利用は避けるべきだ。昔決定した事を尊重するべきだ」と声高に主張する研究者を見て被占領時代に戻ったような錯覚に陥り、「マッカーサーの教え子が健在だったのか」と思ってしまった。

多分ご本人は「俺はマッカーサーの教え子なんかではない」といわれると思うが、本人が気付つかない間に洗脳が進んでいることに今更ながらマッカーサーの占領政策の上手さに感心する。


宇宙開発も同様に、戦後ずっと「宇宙開発の平和利用」を標榜し軍事利用を避けてきたのだが、国際的な開発の遅れから数年前にこれを撤回し、今では防衛用の情報収集衛星や通信衛星を打ち上げている。

軍事に関する研究の是非についての議論は、防衛省の研究助成制度の適用をどう考えるのかということが発端だったが、被占領間に刷り込まれた「戦争は悪、自衛戦争といえども日本には戦争を許さない。」というマッカーサーの教えが今も生きていることに驚かされた。

自国の防衛は国民みんなの義務であり、もうそろそろ被占領時代のアレルギーから脱出してよいのではないかと思う。

国民が国家防衛の義務を怠ったら誰がやるのだろうか?国民の英知を集めて立派な防衛態勢を作る事こそ国民に課せられた課題だろう。だとすれば研究でも教育でも、国民の総力を発揮すべきではないのか。

立派な防衛態勢を作ることが悪ではなくて、それを誤って使うのが悪につながるのだろう。

だったら他の国がうらやむような立派な軍事力(防衛力)を作って、それを正しく運用できるような国家になることを標榜すべきではないだろうか。

もういい加減に目を覚まし、「自国の防衛をいかにすべきか」もっと素直に且つ真剣に考えるべきではなかろうか。

(2017・2・23 松島悠佐)


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