軍事

軍事研究の回想録

『軍事研究の回想録』


昨年5月から約1年にわたって『軍事研究』に「一陸上自衛官の回想録」を書いてきた。

これはジャパン・ミリタリー・レビューの横田社長から依頼を受けて書いたものだが、私の回想録というより私が勤務した時代の陸上自衛隊の回想録を主体にして安全保障法制・防衛力整備・日米防衛協力などについて当時の状況を振り返って書いてみた。今年の6月号で14回になったので終わらせてもらった。当時の自衛隊の姿の一端を理解してもらえれば幸いである。

記載した分量もページ数も多くなったので、別途本にして配ろうと思っている。その際にはまたご連絡いたしますので、ご興味のある方は読んでください。


安倍総理が憲法改正に当たり、自衛隊の合憲化を自らの使命として具体的な議論をしていきたいと表明していることは、安全保障を真剣に考えている証左だろう。

反対に学者の多くが憲法改正には『国民的議論』が必要だと指摘しているが、この『国民的議論』が曲者で結局何もしないで半世紀が過ぎた。


自衛隊は憲法違反といわれ日陰に生まれ世を忍んで育ってきた。だが諸先輩のご努力で精神の支柱はしっかりと育っている。

回想録の最後に書いた言葉は

「陰に生き 今を忍びて鍛えつつ なお失わず日の本の心」である。

これが私の体験した自衛隊の姿だった。      

(2017・5・10  松島悠佐)


軍事に関する研究は悪なのか

「軍事に関する研究は悪なのか」


「大学の研究機関は軍事に関する研究をしない」あるいは「してはいけない」という議論が行われていた。自国防衛に対する戦後のわが国の偏見の縮図のような議論である。

大東亜戦争後のアメリカの占領、なかんずく東京裁判や国家神道の廃止・日本史の否定などの影響を受けて、戦争を起こした日本の歴史は間違いであり軍事は悪であり抹殺すべきものとして、マッカーサーの占領政策が行われた。占領直後のわが国ではそれを呑まざるを得なかった事情もあり、終戦直後はその考えが正しいこととされてきた。

しかし年を経ると共に、自国の防衛はそのように簡単に放棄できるものではないことが解ってきた。中国や北朝鮮の軍事力をわが国への脅威と認識し、自衛隊を持ち日米安保を強化して、その脅威に備えなければならないと考える国民も増えてきた。


日本学術会議は日本の科学者の集まりであり、言わば知能の高い研究者の集まりだと思うのだが、「軍事利用は避けるべきだ。昔決定した事を尊重するべきだ」と声高に主張する研究者を見て被占領時代に戻ったような錯覚に陥り、「マッカーサーの教え子が健在だったのか」と思ってしまった。

多分ご本人は「俺はマッカーサーの教え子なんかではない」といわれると思うが、本人が気付つかない間に洗脳が進んでいることに今更ながらマッカーサーの占領政策の上手さに感心する。


宇宙開発も同様に、戦後ずっと「宇宙開発の平和利用」を標榜し軍事利用を避けてきたのだが、国際的な開発の遅れから数年前にこれを撤回し、今では防衛用の情報収集衛星や通信衛星を打ち上げている。

軍事に関する研究の是非についての議論は、防衛省の研究助成制度の適用をどう考えるのかということが発端だったが、被占領間に刷り込まれた「戦争は悪、自衛戦争といえども日本には戦争を許さない。」というマッカーサーの教えが今も生きていることに驚かされた。

自国の防衛は国民みんなの義務であり、もうそろそろ被占領時代のアレルギーから脱出してよいのではないかと思う。

国民が国家防衛の義務を怠ったら誰がやるのだろうか?国民の英知を集めて立派な防衛態勢を作る事こそ国民に課せられた課題だろう。だとすれば研究でも教育でも、国民の総力を発揮すべきではないのか。

立派な防衛態勢を作ることが悪ではなくて、それを誤って使うのが悪につながるのだろう。

だったら他の国がうらやむような立派な軍事力(防衛力)を作って、それを正しく運用できるような国家になることを標榜すべきではないだろうか。

もういい加減に目を覚まし、「自国の防衛をいかにすべきか」もっと素直に且つ真剣に考えるべきではなかろうか。

(2017・2・23 松島悠佐)


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