mds_2013_6_13やっと梅雨らしい天気となってきましたね。今日は、人間工学の話からコンピュータに関することまで少し徒然に書いてみたいと思います。


現在、経済社会のインフラは既にツールとなっています。その時に考えなければならないのがアウトプット。最終的にインフラを使用するのは人間です。私たちが使用してそのインフラがうまく動かなかったら意味がありません。

我々の元々のビヘイビア(特性)とは何なのか?それを考えていかない限りは次の段階に進みません。
例えば、人間工学は必ず(歴史を紐解いていくとわかるのですが)何かの「疑似」となっています。


つきつめていけば、各アングルはほとんどが人間工学で言うところの筋肉、関節となっています。ロボット工学などは効率を上げていけばいくほど、「人間のつくり」に近いものになっていきます。

人間の身体のつくり、形が理に合っているわけです。


ROBOT












これをコンピュータのシステムで考えていけば、想定外・想定内で壊れる、壊れないということになりますが、例えば、自然界はすべて想定内でしか動きません。私達人間が扱うものはある種、生物として未熟なために想定外のことがまま起こります。工業の世界でも現在では「何かあった場合の対処学」的なことが多くなってきています。しかし、これは本質ではありません。

本質を考えていくと、例えば DTS が現在進めている自立分散コンピュータなどは人間の細胞と同じように基本的にポアする・・・自分が消失することが次の新たな技術を生むという概念のうえに成り立っています。通常の工業製品などは、自分でポアすることが不可能です。これが結局はシステムの大きな欠陥を生むことになります。