文学界にかんする考察

日本社会に、強い潜在的影響を及ぼす文学界について、考察していきます。

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マダムNの覚書」 に 2016年11月25日 (金) 21:00 投稿した記事の再掲です。
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現在、はてなブログ「マダムNの連載小説」で純文学小説を連載中で、ブログの趣旨について述べた「はじめに」で次のように書いている。

まだ専業主婦が多かった時代に執筆した小説を今読み返すと、さすがに時代を感じさせます。
ですが、現代の日本社会で「ママカースト」などという恐ろしい――ある意味では滑稽ともいえる――流行語が生まれていることから考えると、小説で描こうとした問題が決して古いものとはいえず、また小説に描いた時代はわが国が格差社会に突入した日本の転換期でもありました。
つまり、16年も前に書いた小説であるにも拘わらず、挑んだテーマは現代日本で流行語になっているママカーストと同じものなのです。
こうした作品の内容から、古い作品だからと切り捨てる気にはなれません。「地味な人」のような小説は、今のわたしには書けません。当時は、ママカーストという言葉だけでなく、ママ友という言葉もありませんでした。

また、小説の「前書き」では次のように書いている。

日本社会を震撼させた音羽お受験殺人事件(1999年11月22日)に着想を得、2000年5月に脱稿した作品ですが、事件を再現しようとしたわけではありません。
子育て中に底なし沼……にはまってしまう女性もいるに違いないと思われたので、その底なし沼を何とか表現したいと考えました。
2005年になって、たまたま事件現場の近くを訪ねたので、現場に隣接する寺に行ってみました。日中でしたが、寺に面した通りは人通りが少なく、静かでした。娘が受験して途中で落ちた大手出版社が同じ通りにありました。
ワープロで感熱紙にプリントアウトした作品の保存状態が悪く、このままでは読めなくなりそうでしたので、改めて校正しつつ連載形式で公開していく予定です。
「織田作之助賞」で三次落ちした、原稿用紙100枚程度の小説です。

具体的にいうなら、「地味な人」は当時の日本社会の動きの一端を流通業界に勤務するサラリーマンとその家族を通して描こうと目論んだ作品である。

流通業が日本社会に与えた影響をテーマに描いた作品には、ノンフィクションの分野では、例えば、佐野眞一の秀逸な作品『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』(日経BP社、1998)』がある。純文学系小説家の作品では知らない。

音羽お受験殺人事件に着想を得た作品というのであれば、「織田作之助賞」に応募した作品の中には結構あったと聞いた。

事件の背景は複雑であるのが普通だから、事件のどういった側面に光を当てて創作しようと思うかで、内容の違いが生まれてくる。

いずれにせよ、受賞したのはあの事件とは何ら接点の感じられなかった作品であり、他の文学賞受賞作品やプロの純文学系作家の作品にもあの事件を考えさせるようなものをわたしは知らない。

わが国の文学界が「純文学など、ない」キャンペーン(純文学弾圧)を盛大に繰り広げた時期があったことを考えれば、仮にこうしたテーマで世に出ることができたとしても、その小説も作家も遅かれ早かれ潰されたに違いない(純文学を弾圧した連中が何者であったかが、今、明らかになってきている)。

「地味な人」を連載しながら改めて、あの時代が如何に日本社会の転換期であったかを考えさせられている。

わたしが流通業界に勤務するサラリーマンとその家族を通して小説を描こうと考えたのは、その世界しかよく知らないということもあったが(わたし自身は総合スーパーの衣料品部、某百貨店の食品部、某百貨店の出張所で働いたことがあるだけだが、夫を通じても流通業界に縁があった)、流通業が如何に日本の法律を変え、街並みを変え、文化に影響を及ぼしてきたかをつくづくと考えさせられたからだった。

応募小説を執筆するときには、夫にお世話になった。夫は流通業界に身を置く一サラリーマンにすぎなかったが、貴重な話を聞き、資料や本などを借りることができたのだった。

100枚内の小説にそう多くのことを盛り込むわけにはいかず、また専門的な説明は極力少なくするようにしたため、今読むと、もう少し説明があったほうがよいと思われる箇所が出てきた。

しかし、本文に加筆しすぎると、別物になってしまい、小説の雰囲気が壊れてしまうだろう。従って、脚注を利用して説明に幅を持たせることにした。

そうやって、連載14回まで終え、15回となって、流通業の基本理念となってきた「経済民主主義」について、脚注で説明を加える必要を覚えた。

流通業界の理論的指導者であった渥美俊一が経済民主主義を唱えたことは有名だ。彼はペガサスクラブを設立した。その影響の大きさを知るには、ウィキペディアの次の解説を引用するだけで足りるだろう。

1962年設立当初のペガサスクラブの主なメンバーは、ダイエーの中内功、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊、ジャスコの岡田卓也、マイカルの西端行雄・岡本常男、ヨークベニマルの大高善兵衛、ユニーの西川俊男、イズミヤの和田満治など30代の若手経営者が中心。会員企業数は急速に伸び、1969年には1,000社を超えた。渥美は、メンバーの経営者を率いて毎年アメリカ視察を行うなど、アメリカの本格的なチェーンストア経営システムを日本に紹介し、流通革命・流通近代化の理論的指導者として、草創期にあった戦後日本を代表する多くのチェーンストア企業を指導した。

ウィキペディアの執筆者. “渥美俊一”. ウィキペディア日本語版. 2016-09-11. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B8%A5%E7%BE%8E%E4%BF%8A%E4%B8%80&oldid=61114514, (参照 2016-09-11).

経済民主主義について、わたしは応募小説執筆時は詳しく調べなかった。小説では次のように書いている。

「A…という日本のチェーン・ストアの理論的指導者がいてね。彼は《経済民主主義》を唱えるんだ」
「え、ケイザイ何ですって?」
「ケイザイミンシュシュギ。富める者も貧しい者もほしいものは手に入る社会を築こう、という精神のことをいうのさ。国民のすべてがほしいものは手に入る社会を、という意味。それには物価を下げればよいという理論なんだよ。(略)」

執筆しながら、民主主義という言葉が入っているものの、左派臭い理論だと思った。当時はインターネットが今ほど普及していなかったということもあって、疑問はそのままになっていた。

今回調べたところ、オンラインで閲覧できる論文がヒットした。その論文から経済民主主義の成立と歴史を端的に解説した部分を引用させていただく。

フリッツ・ナフタリの『経済民主主義』(1928年)は,ドイツ・ワイマル期の社会民主党系労働組合運動の理論と経験の中から生まれた。その後,ナチズムの時代には歴史の舞台から抹消されたかに見えたが,しかし第2次大戦後には,当初,旧西ドイツのモンタン産業において成立した被用者の同権的共同決定制度が,いまやドイツ資本主義の発展とともに労働者の経営参加及び超経営的参加として企業のなかに定着するとともに,ナフタリの『経済民主主義』は,労働者の同権的参加思想の源流と見なされ,この分野における「古典」(オットー・ブレンナー)としての評価が与えられてきた。

山田高生「カール・レギーンと経済民主主義の生成」成城大學經濟研究 159, 133-146, 2003-01-20 <http://ci.nii.ac.jp/naid/110004028031>(2016/11/12アクセス)

やはり左派系理論である。ダイエー創業者の中内功が毛沢東の心酔者であったことなども有名な話で、流通業界はわたしが想像した以上に左派の影響を受けているようだ。

前掲書『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』で描かれる中内功にはひじょうに純粋なものが感じられた。

経済民主主義には利点も難点もあるだろう。

ちなみに、ナチスが共産主義者を弾圧したためか、右派と勘違いしている人も多いようだが(安倍首相をヒトラー呼ばわりする左派の人々ってナンだろうか)、それは左派内の抗争といってよいもので、ナチスの正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」である。ユダヤ人の虐殺の仕方から見ても、単純な唯物論に毒された左派系思想の持主以外には考えられない。

左派の問題点をわかりやすく指摘した投稿を「余命三年時事日記」で閲覧した。以下に引用させていただく。

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http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2016/11/25/1327-11%ef%bc%8f25%e3%82%a2%e3%83%a9%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%88%ef%bc%92/

鬱田高道
余命様、日本再生大和会の皆さま、告発作業お疲れ様です。
 日本の左翼といい、アメリカの反トランプリベラルといい、なぜ左翼は自国を破壊しようとするのか。そしてなぜ彼らは国民国家を無用の存在と考えるのか。左翼の価値観である自由・平等・人権・民主主義・反差別・反戦平和といった概念は、日本やアメリカという国民国家が無くても守れる、むしろ国民の自由や人権を規制し、外国人を差別し、そして武力によって国家間の問題を解決しようとする日本やアメリカやその他の全ての国々がこの地球上から無くなった方が、左翼的価値観をより守れると彼らが考えているからでしょう。
 左翼連中は自らの信じる左翼的価値観を守るために、本能的に国家を敵と認識し、破壊しようとしているのです。しかし本当に国民国家無くして左翼的価値観や世界平和は守れるのでしょうか。
 18世紀の大哲学者であるエマニュエル・カントは、フランス革命後「永遠平和のために」という著書を発表しました。どうすれば永遠の世界平和(カントの言う永遠平和)を実現出来るのかを考察した本ですが、カントはその方法として二つの仮説を提示しています。「世界国家」と「平和連合」です。
世界国家とは、個々の国家を潰して、地球全体を一つの国家とする方法です。
 国家が無くなって地球全体が一つの世界国家になれば、この世から戦争が無くなり、世界平和が実現しそうですが、カントはこの方法を真っ向から否定しています。
 人間は住む土地(つまり国)によってその持っている価値観に違いがあり、一つの世界政府が世界国家全体を画一的に統治すれば、必ず世界中の人々が反発を起こし、それが全世界的な戦争に繋がるからです。世界平和のために建設した世界国家が、世界中で戦争を発生させる原因になっては本末転倒だという訳です。ヨーロッパ版世界国家であるEUが、イギリスの反発と離脱に逢って崩壊の危機に直面しているのを見ても、世界国家は非現実的であるというカントの指摘は正しいと思います。
 カントがその世界国家の代案として提示したのが平和連合です。平和連合とは世界中の国家がその枠組みを維持したまま平和的に連帯し、世界平和を実現する方法です。20世紀の国際連盟や現在の国際連合は、このカントの平和連合のアイデアを下敷きにして生まれた組織です。現在の国際連合が色々問題があってもそれなりに世界平和に貢献し機能しているのを見ても、平和連合こそが現実的な永遠平和の方法であるというカントの指摘は正しいと言えると思います。
 ではカントの言う、住む土地ごとに異なる、人々が持っている特有の価値観、とは何か。それは伝統的価値観、つまり「保守主義」でしょう。カントは保守主義こそが現実的な世界平和の基礎だと言ってるんですね(笑)。
世界平和を守っているのは、本当は自称反戦平和主義者の左翼連中ではなく、我々余命支持者のような保守主義者たちなんです。
世界平和は保守主義を基礎とした国民国家の連帯によって守られている。その現実を否定し、世界中の国民国家を破壊し、世界国家を建設して、人類を全世界的な戦争とテロの泥沼に陥れようとしているのが、自称平和主義で反差別主義者の左翼たちです。まったく愚かとしか言いようの無い連中です。
 国民国家はその国の伝統的な所有者(マジョリティ、多数派)が、差別によってその数的優位を維持しなければ崩壊します。ナチスドイツのユダヤ人虐殺のような過激で非人道的な差別は駄目ですが、国民国家の枠組みを守るための人道的・道徳的な範囲内の差別は必要です。
 地球上の全ての国民国家が崩壊し、世界政府が世界国家を統治する世界とは、ちょっとイメージすれば分かりますが、それは地球全体が一つの独裁国家になった状態です。少なくともそうなる危険性は多分にあると思います。
 左翼よ、なぜ国民国家の破壊と「独裁世界国家」の建設が、世界平和を実現するんだ?
 国会が幾つもの政党に分かれて、お互いにその行動をチェックし批判し合う事で、国の自由や平等や人権や民主主義が守られているように、世界が複数の国に分かれて、お互いにその行動をチェックし合う事で、世界中の自由や平等や人権や民主主義は守れているのではないか?
 地球上から国民国家が消滅すれば、左翼的価値観である自由や平等や人権や民主主義も、この地球上から消えて無くなるのではないか?
 実は国民国家を守ろうとしている我々保守主義者こそが、保守主義だけでなく、世界の左翼的価値観すら守ってあげているのです。
 世界中の左翼連中が行っているのは、ただの無意味な破壊に過ぎません。
 保守主義と国民国家と平和連合(国際連合 )さえ有れば、世界平和も左翼的価値観も自動的に守られるのですから、左翼主義者や左翼政党や左翼マスコミなど、もうこの世に必要無いのかも知れません。
長文、失礼しました。

わたしは左派系思想に強い影響を及ぼしているイルミナティ思想こそが問題だと考えている。以下は当ブログの過去記事より。

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2016年11月13日 (日)
ドナルド・トランプ米大統領の誕生と戦後体制の瓦解
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/11/post-7bd2.html

トランプ米大統領の誕生で、あちこちで崩れかけていた戦後体制が一気に崩れそうな気配がある。

戦後体制を築いたのはいわゆるリベラルといわれる人々で、この中にイルミナティの思想の入り込んでいるのが問題だった。

1776年、アダム・ヴァイスハウプトによってつくられたイルミナティ結社の思想はひじょうに粗悪なものである。

ヴァイスハウプトの著作の内容自体がひどいものだから、そうならざるをえない。しかし、一方、テロの原理原則となったその方面の方法論だけは秀でていたのだから、イルミナティの思想の危険度は推して知るべし 。以下の過去記事を参照されたい。

2016年9月12日 (月)
トルストイ『戦争と平和』  ④破壊、オルグ工作の意図を秘めたイルミナティ結成者ヴァイスハウプトのこけおどし的な哲学講義
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/post-6501.html

2016年10月 6日 (木)
トルストイ『戦争と平和』  ⑤テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/10/post-7e01.html
(……)しかし、イルミナティを結成したアダム・ヴァイスハウプトの著作に表れた思想は人類に光をもたらすような思想ではない。
アダム・ヴァイスハウプト(副島隆彦解説、芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』(KKベストセラーズ、2013)を読んだ限りでは、彼の著作はテロを目的とした堅牢、それゆえに非人間的な組織作りの指南書であるにすぎず、ヴァイスハウプトは哲学教授でありながら哲学に極めて貧弱な理解力しか持っていなかった。
ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」は、言葉だけのまやかしのものだとしか思えない。
『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』の中の次のような文章が印象的である。
1930年代後半に吹き荒れたスターリンの政治粛正の嵐によって、アナーキストの神殿騎士団も様々なオカルト集団もソビエト社会から根こそぎ抹殺された。そしてロシアの大地に地下の秘密組織も反抗する者も存在しない全体主義の政治体制と平等主義の社会――均質で眠るように穏やかで静寂な精神世界が確立された」(植田,2014,p.284
それはまるで墓地のような精神世界であるが、要するにそれがアダム・ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」なのである。
(……)

イルミナティの思想はフリーメーソンを侵食したことで規律、品格を含む様々な要素を取り込み、やがてイルミナティのラジカルな思想の影響を受けたマルクス主義や新自由主義が世界に拡散したのである。

マダムNの覚書」 に 2016年11月13日 (日) 16:37 投稿した記事の再掲です。
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8日に投開票が行われた米大統領選挙は、共和党のドナルド・トランプ候補が民主党候補のヒラリー・クリントンを下した。

わが国のマスコミはクリントン一択であるかのように世論を誘導していたので、疑わしく思っていたら、アメリカ第一主義(自国第一主義)を掲げる不動産王トランプ氏が大統領になってしまった。

トランプ氏には大統領としての資質を疑ってしまう発言もあるが、案外現実を直視した、まともと思われる発言も少なくない。

安倍首相はオバマ大統領の懸念をよそに日露関係を重視してきたように見えるが、これは警戒が必要な日中関係と次期大統領がトランプになる可能性を考えての行動だったのでないだろうか。

本来なら民主党の基盤だった中高年のブルーカラーが、トランプに投票したという。オバマ大統領が如何にそうした層の人々を失望させたかを物語る選挙結果だ。

ヒラリー・クリントンは国務長官時代に私的サーバーを使って機密情報をやりとりしていたという事実が暴露され、これには唖然とさせられた。

それまでは、公務経験のないトランプよりクリントン氏のほうが無難ではないだろうかと思っていたので、わたしにはアメリカの大統領選はもう訳がわからなくなってしまっていた。

ヒラリー・クリントンは以前からISをつくったとか、江沢民と関係が深かったといったようなことがいわれていたので、クリントンが大統領になればなったで、気持ちが悪いと感じていた。

江沢民といえば、法輪功に対する迫害行為を知ったときは戦慄させられた。以下の拙基幹ブログにおける過去記事を参照されたい。

2015年6月11日 (木)
失われたと思っていた中国五千年の芳香 ①弾圧される人々
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/06/post-c356.html

2015年6月13日 (土)
失われたと思っていた中国五千年の芳香 ②ジェノサイドを見て見ぬふりをするしかない日本
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/06/post-4872.html

改めてヒラリーについて新情報を含めてざっと整理すると、彼女は戦争によって私利をむさぼる死の商人で、江沢民派と通じ、ISをつくり、日本を抑えつけるために中国の軍拡を後押ししていた……国家機密を私的に利用するために個人サーバーを使わざるをえなかった……何とも恐ろしい女だ。

要するにヒラリー・クリントンは軍産複合体の利益の代弁者だったわけで、私欲のためなら自国も同盟国も売ることを厭わない、正真正銘の売国奴だったのだ。

ただ、ヒラリーが大統領になったらUFO情報が開示されるのではないかという期待があったので、この点ではちょっと残念な気もする(彼女にはUFOに関する発言がある)。

いずれにしても、トランプが大統領としてどのような政策を実践しようとし、アメリカの議会はそれに対してどう反応するのか、今後の動向から目が離せない。

トランプ米大統領の誕生で、あちこちで崩れかけていた戦後体制が一気に崩れそうな気配がある。

戦後体制を築いたのはいわゆるリベラルといわれる人々で、この中にイルミナティの思想が入り込んでいるのが問題だった。

1776年、アダム・ヴァイスハウプトによってつくられたイルミナティ結社の思想はひじょうに粗悪なものである。

ヴァイスハウプトの著作の内容自体がひどいものだから、そうならざるをえない。しかし、一方、テロの原理原則となったその方面の方法論だけは秀でていたのだから、イルミナティの思想の危険度は推して知るべし 。以下の拙基幹ブログにおける過去記事を参照されたい。

2016年9月12日 (月)
トルストイ『戦争と平和』  ④破壊、オルグ工作の意図を秘めたイルミナティ結成者ヴァイスハウプトのこけおどし的な哲学講義
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/post-6501.html

2016年10月 6日 (木)
トルストイ『戦争と平和』  ⑤テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/10/post-7e01.html
(……)しかし、イルミナティを結成したアダム・ヴァイスハウプトの著作に表れた思想は人類に光をもたらすような思想ではない。
アダム・ヴァイスハウプト(副島隆彦解説、芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』(KKベストセラーズ、2013)を読んだ限りでは、彼の著作はテロを目的とした堅牢、それゆえに非人間的な組織作りの指南書であるにすぎず、ヴァイスハウプトは哲学教授でありながら哲学に極めて貧弱な理解力しか持っていなかった。
ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」は、言葉だけのまやかしのものだとしか思えない。
『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』の中の次のような文章が印象的である。
1930年代後半に吹き荒れたスターリンの政治粛正の嵐によって、アナーキストの神殿騎士団も様々なオカルト集団もソビエト社会から根こそぎ抹殺された。そしてロシアの大地に地下の秘密組織も反抗する者も存在しない全体主義の政治体制と平等主義の社会――均質で眠るように穏やかで静寂な精神世界が確立された」(植田,2014,p.284
それはまるで墓地のような精神世界であるが、要するにそれがアダム・ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」なのである。
(……)

イルミナティの思想はフリーメーソンを侵食したことで規律、品格を含む様々な要素を取り込み、やがてイルミナティのラジカルな思想の影響を受けたマルクス主義や新自由主義が世界に拡散したのである。

「マダムNの覚書」 に 2016年10月25日 (火) 00:52  投稿した記事の再掲です。
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前の記事でお知らせしたように、はてなブログ「マダムNの連載小説」で平成12年(2000)5月に脱稿した「地味な人」の連載を開始した。

100枚程度の短編小説なので、3枚強ずつ毎日更新したら、ひと月で完結する。

この小説をブログで公開するか、電子出版したいと思いながら、気が進まず、清書しかけては中断、を繰り返してきた。

要するに、ダークなテーマであるため、自分の小説であるのに、扱うのが嫌になってしまっていたのだ。

しかし、感熱紙の印字がいよいよ薄くなってしまった今、このまま主人公を失っていいのか、といううろたえる思いが自分の中で湧いた。

16年も前に書いた小説であるにも拘わらず、挑んだテーマは現代日本で流行語になっているママカーストと同じものである。尤も、当時は、そのような言葉はなかった。ママ友という言葉もなかった。

小説を連載しながら改めて、ママカーストの実態をリサーチしたいと考えている。物質主義社会のなれの果てといってよい現象なのか、反日勢力の工作が絡んだ現象なのか……

わたしのママ友関係には、幸いママカーストに当たるような出来事は起きなかった。

同じアパートで、夫が流通業に勤務する似た経済状態にある女性たちが子供を介して交際していた。個人的に合う合わないといった自然な感情は当然存在したが、それだけのことだった。遠く離れても、当時がなつかしく、葉書のやりとりがある。

そうした意味では幸福な子育てだった。ところが、落とし穴はあるもので、別の場所でママカースト現象に当たるような体験をした。だから、小説が書けたのである。

現在執筆中の歴史小説でモデルにしている萬子媛は江戸時代に生まれた方だが、彼女の小伝を書いた義理の息子が「大師ハ華冑ニ生ルルモ、富貴ノ籠絡スル所トナラズ、志ヲ斯ノ道ニ鉄ス」と書いたように、高貴な生まれでありながら(後陽成天皇の曾孫女で、左大臣・花山院定好の娘)、そのことに絡めとられることなく、求道者としての道を貫き、衆生救済のために断食入定した。

日本は、過去にこのような人物を生んだ国でありながら、何て情けない国になってしまったことか。

ママカーストなんてやっている人間は、畜生以下だろう。日本人なら、恥を知るがいい。自らの行いはすべて自分に返ってくる――仏教を通して古来、日本人にはそうした認識があった。

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純文学小説「地味な人」「救われなかった男の物語」「銀の潮」をはてなブログで連載することにしました。

はてなブログを現在二つ持っていますが、無料で三つまで作ることができるので、神秘主義的エッセー、それ以外のエッセーに続き、小説ブログとして残りの一つを作ることにしたのです。

といっても、作るのはこれからなのですが。

実は、前掲三作は古い作品で、ワープロで清書していました。パソコンでフロッピーが開けなくなったこともあって、Kindle ダイレクト・パブリッシングで電子出版したいと考えています。

しかし、まずはパソコンで作品を打ち込むことから始める必要が出てきました。平成12年(2000)5月脱稿に脱稿した「地味な人」から打ち込むことにしました。

「地味な人」は感熱紙の原稿しかなく、印字が薄くなってしまっています。感熱紙原稿のコピーをとるか、パソコンで清書するかで迷い、再校正しながら清書することにしたのでした。

清書の作業と並行してブログで作品を公開して読んでいただこうと思い、2010年4月26日にそうしかけたところで、なぜか中断してしまっています(記事は下書きとなっていました)。

まだ専業主婦が多かった時代に執筆した小説を今読み返すと、さすがに時代を感じさせます。

ですが、現代の日本社会で「ママカースト」などという恐ろしい――ある意味では滑稽ともいえる――流行語が生まれていることから考えると、小説で描こうとした問題が決して古いものとはいえず、また小説に描いた時代はわが国が格差社会に突入した日本の転換期でもありました。

こうした作品の内容から、古い作品だからと切り捨てる気にはなれません。

「地味な人」のような小説は、今のわたしには書けません。

他の執筆作業の合間に行うことになるので、遅々として進まないでしょうし、また中断するかもしれませんが、とりあえず始めます。

気がむけば、当ブログでも連載することにしますが、まずはお試しで第1回。いずれにせよ、はてな小説ブログを開設、更新したときには当ブログでお知らせします。

ライン以下に、あらすじ、前書き、連載第1回があります。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

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「マダムNの覚書」 に 2016年10月14日 (金) 06:03 投稿した記事の再掲です。
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ノーベル賞に、レコード大賞ができたのかと思ってしまった。

が、そうではなく、シンガーソングライターのボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したのだという。

もうだめだろう、この賞は。ノーベル賞全体では権威を保っているのかもしれないが、ノーベル文学賞はハルキが騒がれ出したときから――大江健三郎がとったときから、といってもいい――おかしいとは思っていた。

ノーベル文学賞という純文学形式の文学作品に与えられていた賞は、別物になった。

「風に吹かれて(Blowin' In The Wind)」を久しぶりに聴きかけて、いつもそうであるように、単調なボブ・ディランの声に飽き、途中でピーター・ポール&マリーで聴き直した。

これがとるんなら、デヴィッド・ボウイがとったって。あ、死んじゃってたか。それにしても、ボブ・ディランも年とった。皺いっぱい。締めはジャニス・ジョプリンで……。

ボブ・ディランの歌詞は説教臭くて、如何にもポピュラーソングの歌詞という感じがする。

ボブがディラン・トマスに傾倒してディランと名乗るようになったのだとは、知らなかった。なるほどね。

歌詞を曲から切り離して評価することには戸惑いを覚えるが、あえてそうするなら、ボブ・ディランの歌詞はある快さを伴ったイデオロギーにすぎず、ディラン・トマスの詩にあるような――名詩が特徴とする――発見がボブの歌詞にはなく、詩作の過程にはあるはずの結晶化を経ていないように思われる。

ディラン・トマスにノーベル文学賞というのなら、わかる。『世界文学全集――103 世界詩集』(安藤一郎・木村彰一、生野幸吉、高畠正明編、講談社、1981)所収ディラン・トマスの詩から断片的に引用してみる。

ぼくはばかの唖で吊り下がっている男に言えない
どのように絞首刑執行人の生石灰がぼくの肉体で出来ているかを。
(「緑の信管を通って花をひらかせる力」)

原詩を読んだことはないが、邦訳版でも充分に伝わってくるだけの思索の深みを感じさせる。このような作品はディラン・トマスにしか書けない。

ぼくが千切るこのパンは かつて燕麦[からすむぎ]だった。
異国の樹になる この葡萄酒は
その実[み]の中に飛びんだ。
日中は人間が、また夜は嵐が
作物を倒した、葡萄の歓びを砕いた。
(「千切るパン」)

この詩を読んでいると、本当にパンや葡萄の香りがしてくる。ノーベル文学賞を受賞したガブリエラ・ミストラルの「パン」を連想した。

ほかのいくつかの渓谷でいっしょに
パンを食べていた亡き友人たちは味わっている
刈り入れのすんだカスティリャ地方の八月の
そして挽き砕かれた九月のパンの呼気を。
(『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』田村さと子編・訳、小沢書店、1993)

彼らの味わっているパンが特別な清らかなパンに思えてくる。パンの呼気をわたしも感じる。

最初の死者と地下深く ロンドンの娘は横たわる、
永劫の友だち、
年齢をこえた時間、母の暗い静脈に包まれて、
海へ注ぐテムズ河の
悲しむことのない水のほとりに秘[ひめ]やかに、
最初の死のあと、もうほかの死はない。
(「ロンドンの空襲により焼死した子供を悼むことを拒む詩」)

空襲で焼死した子供を、流れる時間のただ中へと釘づけるようなトマスの詩作……

ボブ・ディランの歌詞は単純だから単調で、それゆえに曲を必要とする。彼の歌詞は曲と一体となってこそ真価を発揮するものであって、独立した詩とみなすには無理があるのではないかと思う。

作品の優劣以前の問題として、文学作品とはいえないのではないだろうか。文学作品であるような詩は、音楽的な調べを言葉のうちに含んでいるものなのだ。

次のリルケの詩からの引用は、山崎栄治の秀逸な邦訳によって、その詩に内在する音楽性が現代日本語として可能な限り高められている。

薔薇よ、おお、おまえ、この上もなく完全なものよ、
無限にみずからをつつみ、
無限ににおいあふれるものよ、おお、やさしさのあまり
あるとしもそこにみえぬからだから咲き出た面輪
[おもわ] よ、

おまえにあたいするものはない、おお、おまえ、さゆらぐ
そのすみかの至高の精よ、
ひとのゆきなやむあの愛の空間を
おまえの香気はめぐる。
(Ⅲ)

一輪の薔薇、それはすべての薔薇、
そしてまたこの薔薇、――物たちの本文に挿入
[そうにゅう]された、
おきかえようのない、完璧
[かんぺき]な、それでいて
自在なことば。

  この花なしにどうして語りえよう、
わたしたちの希望のかずかずがどんなものだったか、
そしてまたうちつづく船出のあいまあいまの
ねんごろな休止のひとときがどんなものだったか。
(Ⅵ)

(『新潮世界文学32 リルケ』新潮社、1971年、山崎栄治訳「LES ROSES 薔薇」よりⅢ745頁,Ⅵ746頁)

「薔薇」には24編が収められている。この詩に値する曲など存在しないと思わせられるほど、音楽的な詩である。下手に曲がつけられたリしたら、幻滅を招くだろう。

賞は文化の振興に役立つものだが、使い方を間違えれば、それは直ちに文化破壊の道具となる。

文学作品とはどんなものをいうのかさえ、わからない人々が選んだのではないか――という危惧さえ抱かせる今回のノーベル文学賞。

もうノーベル賞は理系に限定したほうがいい。

賞ではないが、賞に似た文化振興の役割を果たしてきたユネスコも今や完全におかしい。

2014年11月に、岩間浩『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』(学苑社、2008)を読んで、神智学協会の理念がユネスコの精神的母胎となったことを知った。今のユネスコの動向から、その精神を感じることはできない。

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