2006年12月04日

ジェンソン・バトンの思い出5

久しぶりにの更新ということジェンソンについて書きます。

彼と出会ったのは(知ったのは)2000年イギリスGP。
母国の若きあふれる才能を持つジェンソンはイギリスでは注目の的です。
当時ジェンソンは20歳。
先のブラジルGPでは最年少ポイント獲得というギネス記録更新。
そのイギリスGPではクルサードが優勝しました。
しかし、ジェンソンもしっかり5位入賞。
母国のクルサードが優勝したにも関わらず僕にはジェンソンのほうが断然輝いて見えさらに感動を覚えました。
そしてその年のスパでは予選3位。
素晴らしい。
日本GPではテクニカルコースにも関わらず先輩ラルフよりも良いリザルトを残し、素晴らしい才能を発揮しました(ジェンソンいわく鈴鹿は素晴らしいサーキット)
初年度は思い返してもこのぐらいしか思い出せませんが素晴らしく感動した年だったということは頭から離れません。


2001年はベネトンにレンタル移籍。
デビューの2000年はウィリアムズから鮮烈デビューを果たし結果を残したのにモントーヤにシートを奪われました。
2001年はジェンソンにとっての屈辱の年でした。
チームメイトはフィジケラ。
マシンは遅く下位のチーム。
フィジケラが1度表彰台を獲得する中でジェンソンの走りから光はほとんど見られませんでした。
そしてさらにウィリアムズは01年調子がよく、多数優勝を記録しました。
シートを奪ったモントーヤはイタリアGPで初優勝をし、ベネトンにいたバトンは見ていて何ともやりきれない気持ちになったに違いないでしょう。
自分がまだウィリアムズにいれば優勝出来た、僕もそう思っていました。

2002年、ジェンソンはベネトンにいましたがルノーがベネトンの株式を買収。
ルノーとして参戦しました。
2002年で一番印象に残っている(悔しかった)GPはマレーシアです。
ジェンソンは終盤まで3位表彰台圏内を走っていましたがサストラブルで残り3周(?)、ミハエルに表彰台を奪われてしまいました。
あのGPは本当に悔しかったです。
その年のチームメイトはトゥルーリ。
ジェンソンはチームメイトよりもポイントランキングで上位になりました。
しかし、ルノーの来年の選択はアロンソ&トゥルーリ。
ブリアトーレの決定です。


2003年ルノーから放出されたバトンはBARホンダに拾われました。
これがホンダとジェンソンTAGの始まりです。
海外的にはジェンソンはホンダに拾われた的な反応でしたが、僕個人としてはホンダとジェンソンの組み合わせは願っても見ないサプライズでした。
チームメイトの元ワールドチャンピオンのジャック・ビルヌーブを圧倒。
その才能を思う存分に見せつけ株も一気に急上昇!
ビルヌーブはジェンソンの走りを賞賛せず、理由は「速い走りを1度もしていない」ということです。
これはジャックとチームメイトを離れた以降も度々批判されてきた点です。
速い走りとは言葉では言い表せない領域ですが、ジャックの言いたいことはジェンソンを応援してきた僕からすれば頭の中では分かるような気がします。
ジェンソンはもっと成長してジャックに速さを認めさせてもらいたいです。

2004年はジェンソンにとって更なる飛躍の年であり、我慢の年でした。
この年はフェラーリの独走でしたが、ジェンソンのBARホンダもコンストラクターズランキング2位になる大躍進。
この年で僕にとって忘れられないいい思いではサンマリノでのジェンソンのポールポジションでした。
フェラーリの聖地イタリアのイモラでポールポジション。
しかもミハエルのミスまで誘った完璧なラップ。
決勝ではミハエルに劣ったもののしっかりと2位。
素晴らしいと思いました。
序盤はミハエルを引き離す大健闘。
ポールを取ったレースでジェンソンが表彰台にあがったのはこのサンマリノだけではないでしょうか。
2004年は何度も表彰台に上がりましたが、初勝利ならず。
ここでウィリアムズとの契約問題が浮上し、ジェンソンに裏切られた気持ちでいっぱいでした。
2004年で初優勝できたとすればトゥルーリに押さえ込まれたモナコだったのではないかと思います。


2005年はサンマリノで車両重量規定違反、2レース出場停止処分。
サンマリノでせっかく挽回と思っていたのにこの裁定には納得がいきませんでした。
このこともあり、このシーズンは後半挽回するも不甲斐ないシーズンに終わってしまいました。
このシーズンでベストレースを挙げるとすれば個人的には車両重量規定違反でリザルトが剥奪になったサンマリノGPです。
このGPでは2004年の輝きを取り戻していました(チームとしてもジェンソンとしても)
なので車両重量規定違反がなければ2005年シーズンは全然別物になっていたに違いないでしょう。
2005年はカナダでポールもありましたが期待を裏切る散々なシーズンだったと思います。

そして2006年。
ハンガリーでジェンソンは初優勝を果たします。
オーストラリアではポールを取るもタイヤの温まりのせいでグリップ力がなく、リスタート時にアロンソ、ライコネンに次々に交わされ見ていて屈辱物でした。
その後チームは勢いを失っていき今シーズンはダメかと思いました。
そして、地はハンガリー。
テレビをつけたら君が代が流れ、ジェンソンがポディウムの頂点にいました。
ジェンソンが初優勝のレースで自分がテレビをつけていなかったことにとても後悔しました。
しかし逆を言えばバトン優勝などとメールで起こしてくれた友人に感謝しています。
ビデオを見直した感想はジェンソンの正確なライン取り、さらにはホンダのチームとしての戦略の手堅さが素晴らしく優勝できたのだと実感しました。
このGPはうれしかった反面見ていなかったことに後悔しています。
その後ジェンソンの走りは自信に満ち溢れ、その後のGPではポイントをシューマッハに続き獲得したらしいです!
ジェンソンが前半にこの走りができたらなぁと思います。
ブラジルのライコネンをオーバーテイクしたシーンも印象的でした。
ズバッとインに切り込むあのオーバーテイクは素晴らしかったです。
2006年ジェンソンは素晴らしく成長したと思います。
どん底をチームと味わい、そして一転初優勝。
ジェンソンは今乗りに乗っていると思います。
この勢いを2007年シーズン維持しさらに上を目指してバトンイヤーにしてもらいたいですね!!!


dualnotes_systems_21 at 16:41│Comments(1)TrackBack(1)clip!F1 

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この記事へのコメント

1. Posted by BELL   2006年12月04日 19:35
久々の日記&長文お疲れさまでした今回はバトンのF1人生を知ることができ、バトン初心者の私にとってかなり親しみやすい内容でした
やはり私が一番思い出に残っているバトンは06年度のハンガリーGPのときですねあれは衝撃的でした始めから全部見ておけばよかったと何度後悔したことか……衝撃でいえば06年日本GPに及ぶものはありませんが
何だかんだ言ってもバトンのこれからの活躍を信じるとともに応援しつづけたいと思います

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