2010年03月17日

0d2d078e.jpg貨幤改革の失敗その後… 北朝鮮 国境地帯に行く

北朝鮮で脱北者家庭が増えながら、脱北者を眺める目が大きく変わっていると対北関係者たちが伝えた。
また、去年貨幤改革以後、食糧難と物価急騰が重なり、今春から脱北者がまた大きく増えることと言う観測が出ている。

◆脱北者家族たち報告 「私たちも彼らのように」

娘を生めば 「娘を生んだな」
「脱北者がお金儲けする」といううわさ広がり、こんな冗談まで流行した… 「中国に行けば奴隷」だという宣伝を信じない。

去年、初めて豆満江を渡った咸境道出身の李某さん(48·女)は 「私が住んでいた地域では、二件向こうのある家が“脱北者家庭”だと言われながら 「中国や韓国に行った脱北者が、北に残った家族にお金を送って、よく暮らせるようにしてくれているときき、脱北者家庭を罵るどころか、むしろ羨ましがっている。」と語った。

李さんは 「息子が結婚する年齢になったが、周辺で “あなたの家は家族が外国に出て経済的にお金があるから娘を嫁に出したい”と言う人が多くて驚いた"と言う。

李さんは、北朝鮮に残った家族と中国から携帯電話でたまに連絡しており、このお正月にも通話した。

李さんは 「中国や韓国では、男性よりは女女性が簡単に働き口があるという事がわかり、北朝鮮で娘を生めば “娘を生んだ”や “人民元を生んだ”と言う言葉が流行語になった。 以前は脱北者を “裏切り者”と悪口を言ったものだが、今は機会さえあれば外国に出て金儲けしたがる社会風潮だ。」と言った。

北朝鮮はこのような風潮を阻むために、国境警備を強化する一方、中国から強制送還された脱北者たちを講演会に出して 「中国で人身売買にかかれば、奴隷よりひどい生活をするようになる」と宣伝しているが、北朝鮮住民たちがこれを信じていないと対北事業家たちは言う。

北朝鮮のムサン・恵山・会寧等の地を出入りするある事業家は 「北朝鮮の宣伝に対して住民たちは “奴隷で売られてもご飯は食べられる”とか "中国がそんなにも悪い所だったら、たくさんの脱北者たちがどうして帰って来ないのか”と聞き返すほどだと伝えた。

住民たちはまた 「中国では子犬でも白いご飯が食べるんだって」とか「白いご飯に牛肉スープをかけて食べる・・という金日成受領の遺訓を守る事ができないというのに」と言う金正日の言葉を皮肉っていると言う。

北朝鮮政府は、 90年代は脱北者家庭を処罰していたが、脱北者がこれほど多くなると、今では残った家族の処罰をもあきらめた。

◆貨幤改革の失敗… 市場は修羅場

丹東のある対北事業家は 「100対1での貨幤改革を断行したが、物価が暴騰してすべての物価が従来通りに戻った。 市場がまた開かれることは開かれるが、商人たちは “政策がどんなに気まぐれであるか、これからどうなるかもわからないから持っていても売ることができない”と言っている」と伝えた。
このため、闇市場では個人間で以前の貨幤基準で品物が取り引きされている。

物価も地域によって大きな差を見せている。
中国の物資が大量に入って来る新義州の場合、米 1圓硫然覆 300ウォン台(新貨幤基準)だが、咸北会寧とムサンでは 430ウォン、ユソンでは 520ウォン、清津では 600ウォンと貨幤改革以前の水準に戻った。

人民元の為替も、初めは 100元に対し 2500ウォンだったが、 6000ウォンまでいった。
これによって 100対 1に断行した貨幤改革の效果は完全に消えたのだ。
対北事業家たちは 「このような状態がしばらく持続するはずで、これは市場経済のコツを知り、それで暮らした人々がまた統制経済に戻ろうとすることに反反発している。」と解釈した。

今回の貨幤改革で一番被害を被った階層は、小規模商人たちだとわかった。

中国と貿易をする華僑や政府貿易機関幹部たちは、ドル、人民元などで財産を保有しているので大きな被害はないが、北朝鮮貨幤(旧貨幤)を持っていた商人たちは、貯めておいたお金が水の泡となったせいで、一瞬にして暮らしていく道がカラカラになったと消息筋は伝えた。

北朝鮮政府は、貨幤改革の失敗による民心離反を阻むため、職場別の民兵組職である労動赤緯台を 20日ごとに動員し、軍事訓練を実施することがわかった。

◆今春、脱北者は大きく増加する

最近、咸鏡南道地域に行って来たある対北事業家は 「食料品の価格が高騰したうえに、それさえも手に入りにくくなった年寄り層から餓死者が増えているという話を聞いた。外部からの食糧支援とならなければ、深刻な状況が来るだろう。」と言う。

これによって住民たちは 「どうせ死ぬというのなら、いっそ中国に逃げてから死ぬ。」といい、北朝鮮からの脱出する意思を明らかにしており、脱北者増加は 「もう始まっている」と事業家は語った。

北朝鮮から脱出することと関連して、韓国から風船につけて送る 「ビラ」を見て、北朝鮮からの脱出を決心したという人が多く、その影響力が非常に大きいことと伝わった。

ある脱北者は 「金日成·金正日を批判した内容を見て、初めは衝撃を受けた。しかし、火のないところに煙は出ないということかとも思った。北朝鮮では韓国のビラに対して反発している」と言った。
人民たちの目をかすめていたが、ビラが彼らの目を開くという。
ビラとともに伝達する学用品などが北朝鮮の住民たちの間で人気が高いという。

◆「中国の携帯電話を阻め」

脱北者家族たち、携帯電話入手…
山に上って密かに通話
腹立つ北朝鮮政府が取り締まりに血眼

北朝鮮政府は、最近、脱北者たちが伝えた中国の携帯電話を通じ、脱北した者の消息がすぐに外部に知られることに反発。強力な取り締まりに出たと伝わった。
この携帯電話は、中国の通信網を利用するため、韓国はもちろん、アメリカや日本、ヨーロッパなど全世界と通話が可能だ。

そこで北朝鮮政府は、 3~4年前からドイツ製と中国製のコードレス電話の探知機を導入。車に積んで走り、携帯電話の信号を追跡し、ひどくは対話内容まで録音して通話者を探し出している。

このために脱北者家族たちは、携帯電話電波がよくつながる山に上がり、ちょっと通話した後、すばやくその地域から逃げる方式で取り締まりを避けている。

中国の携帯電話に通話し、摘発されれば 150万ウォン(旧貨幤基準)を罰金として払わなくてはならない。
特に韓国·アメリカと通話したことが発覚した場合“敵線”と分類され、政治犯として処罰される。

◆“TVは笑わせてくれるなぁ”

搖れる金正日体制 「中国は犬でさえも白米を食べている・・・金正日は何をしているのか」
人民たちの嘲弄
教師らは、学生からのお金も横取り

「2003年にTVで工場内部を紹介したが、工場さえ稼動すれば中国よりもよい暮らしができるようになる・・と大々的に宣伝したが、工場技術は成功することができず、すぐ閉鎖した。」

「ある漁場に金正日が視察に来た。漁場幹部たちが外地から魚を何台かのトラック積んで来て、荷台から下ろしていたが、金正日が帰ると、またそれらの魚をまた載せ、運送していった。」

中国にいる脱北者たちと対北事業家たちは、北朝鮮政府が TVを通じて宣伝する国営企業の生産現場の大部分は、 “TVショー”に過ぎないと言う。

多くの国営企業が駄目なので、逆に稼動されることのように偽装し、他の地域の生産を督励しているということだ。
ある事業家は 「会寧の製紙工場も資材やエネルギーがなく、稼動されない」と伝えた。

このため、政府機関や国営企業幹部たちが会社の名義を利用し、貿易をしたり、商売をして暮らしている。
この過程で、脱税と腐敗がはびこっていると対北関係者たちは口をそろえて言う。

ある事業家は 「最大の事業体が北朝鮮人民軍であり、彼らは農産物工産品だけではなく、ひどくは麻薬まで取り引きする。韓国から食糧支援をもらえば最初に軍隊に入って行くが、配給量が法外に不足しており、各部隊自らがお金を儲けて解決するしかない」と語った。

ある脱北者は 「TVでは “民間人の物は米一粒も手につけない主体軍隊”の清廉性を強調するが、実際は、軍人たちが民間人の食品や物品をたくさん盗み、軍隊を “強盗”と呼んでいるし、住民たちの間で軍隊に対する怨みの声が非常に強い。」と伝えた。

無料教育を誇る北朝鮮の学校に学費はないが、 “経済資金”“子供資金” など各種名目で学生たちに雑費をおさめさせ、その一部を教師らが着服していることがわかった。
“経済資金”と言うのは、国家の大型工事に必要な装備購入費などのことを言い、“こども資金”と言うのは、冬季の軍人たちに送る兎毛などを子供たちが納めることを言う。

学生たちは、学用品も市場で高い中国産を買って使わなければならない。
それでも農村や地方都市の学校では、授業もまともにしないという。
ある脱北者は 「学校は形式的に開くが、先生たちが “授業をするつもりはないから、家に帰って、卒業時に来なさい”と言う」と伝えた。

人糞まで盗む 北朝鮮人民… 肥料不足に人糞盗み
「どうせ死ぬなら、脱出した方がましだ」

南北関係の悪化により、韓国の肥料支援が打ち切られると、北朝鮮政府は、人糞を肥料として使うために職場ごとに ‘人糞収去運動’をしている。
しかし、人糞が不足した住民たちがジレンマを経験していると、2009年12月に北朝鮮を訪問したある対北事業家が語った。

咸境道の国境都市に親戚がいるこの事業家によると、政府の無条件的な人糞収去に北朝鮮住民たちは反撥しているし、ひどくは ‘人糞泥棒’まで出たと言う。

この事業家の親戚の甥は、家トイレの人糞が不足し、共用便所の人糞を盗む事にして、親が人民班長を呼んで食事をもてなしている間に共用便所の人糞を密かに盗んだというのだ。

北朝鮮住民たちは 「アパートの共用便所を見れば、中国人が来たのかすぐ分かる。中国人の便は黄色くてつやがあるが、北朝鮮人のは真っ青で死んだ色」と言っているとこの事業家は伝えた。


durihanamission at 10:372010年3月 

2010年03月16日

二回目の試み

2004年 9月中旬、教会の伝道師から脱北者たちを韓国に送る正確な団体が分かったという電話を受けた。

彼らは韓国定着に成功した脱北者たちが作った団体として、今まで何回かにわたって多くの脱者たちを領事館に進入させるのに成功した組職である。
しかし、韓国領事の言葉だけを信じて、脱北者たちが難民の地位を認められ、堂々と暮すことができるそんな日が来ることをただ待つことはできなかった私は、もう一度妻を韓国に送ってみる事にした。

今度は正確なルートだから信じても良いという伝道師の言葉をそのまま信じた私は、 4歳になった子供も一緒に送りたいと思って、息子と妻を連れて沈陽に行った。
そこで待っていた伝道師に彼らを引き渡し、急いで延吉に帰って来た。

当時、ロシアへ出張の日程が決められていた私は、翌日、ロシアに入って行った。
スブナ--ウスリスク行きの列車は国際列車であった。

夕方遅くにウラジオストックのあるホテルに到着し、一日の長い旅の疲れを癒そうと横になったが、なぜか私にはモンゴル公安で起こったことが目の前にありありと浮び上がり、眠ることができなかった。

今度は子供まで連れて送ったので、必ず無事に領事館への進入に成功しなければならないのだが。
あらゆる考えが浮かび、寝つけず、朝になって朝食をを食べようと食堂に行ったが、やっぱり心細く、まったく食事が出来なかった。
電話でもしてみなくてだめだろう。
長い呼び出し音のあと、落ち着いていなさいという低音に聞こえる伝道師の声が、むしろ私を緊張させた。

北京と電話がつながらないと胸を痛めていた伝道師は、もしかして・・・という心で今朝の KBS ニュースを見ていたら、北京のアパートに潜伏の中だった脱北者 60人余りが中国公安に取り締まられたという事を知った。
多分、今回も駄目だったようだとすまないと言う。
その瞬間、気が狂ってしまうようだった。
伝道師とどう電話で話したかもわからなかったほどだ。
ひたすら頭の中では「公安につかまれたら中国の国籍を持っている息子はどうなるのだ?」という考えだけだった。

それから二日後、心細い心でももしや・・・という考えで中国にいる二番目兄に電話をし、妻から何か消息がないかときいてみると、兄さんは「馬鹿か!そんなに危ない事に子供まで送って!正気か!」と怒っている。
妻から電話があったが、北京で捕まった60 余名の脱北者たちは、夜中に丹東辺方部隊に護送され、子供や年配の何人かを除いた大部分人々が、翌日すぐ北送になったという。
妻は、子供が中国国籍を持っているので、家族で北送する3日以内に子供を迎えに来なければ、子供も北送させると言っていたそうだ。

4歳ほどの息子が母親と一緒に北送される場合、中国種子を連れてきたといって、北朝鮮保衛部や拘留場でひどい虐待を受けなければならない息子。
他国にいる関係でただ彼女が北送されることを現実として認めなければならない自分があまりにも嘆かわしかった。
私は兄さんに苦労をかけるが伝道師と一緒に丹東に行って、子供だけでも連れて来てくれと頼んだ。
もしも母親と面談できたら、北送された後に、どんな場合でも韓国行きを試みたということを認めず、ただつかまったと言うようにと伝え、電話を切った。

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durihanamission at 11:322010年3月 

2010年03月15日

モンゴルへ行く

彼女はこの状況でできることが1つもないのか?
すごく苦しい。
それさえ幸いであることは 「どんな状況でも、絶対に脱北者であることを認めず、中国人だと言い張りなさい」といいきかせた私の話を彼女が実行してていることだ。
彼女を救出できる方法を捜せる時間を儲けられた現実がありがたいだけだ。
私は彼女の身分証明を確認することができる方法を考えた。
急いでいる時ほど、沈着ではなければならない。
しかし、いくら考えて見ても誰かの身分を借りなくてはならない。公安たちを信じさせるようにする方法がまったく浮かばない。
この時、再び鳴った携帯電話の音は私の思索を中断させた。
「スンフンパパ?」 彼女の声だ。
北京にいる時、戻ってこいといった私の言葉を聞いて、戻らないと言った彼女を少し恨んだ私の心とは違い、電話を通じて聞こえる彼女の声は、ただ嬉しかった。
"病むのはアンアッスムカ?. .. .
息を上げて「本当にごめんなさい」そうしていれば捕まらなかったと話した。

彼女は、軍人たちに頼んで通話していると言い、事の始末を説明した。
領事館への進入を結局あきらめたブローカーが、モンゴルの国境を越えた後に道案内をしてくれる朝鮮族の老人一人を連れて来て、先発組をとニ組に分けてモンゴルに送った。
モンゴル草原に到着すると、老人が導き、次第に草原であちこち迷い、結局、羊や馬が遠く逃げだすことができないよう設置した牧場用の鉄條網を約十個ほど越し、国境を超えたと間違いして、休んでいる途中、この光景を怪しく思った地元の民により辺方部隊に申告された。
北京で先発組の消息を待っていた彼女を含んだ人々は、モンゴル辺方台からの連絡を受けた北京公安に捕まり、モンゴルまで移送された。
彼女は泣きべそをかきながら、スンフンパパが教えてくれたとおり、臨時居住証にある名前を言って中国人だと言い張っているので早く助けてほしいと言った。

そうか、私がなぜその考えられなかったか?私は早々と友達に電話をした。
ありがたいことに、その友達とその弟の助けで戸籍謄本と身分証謄本を手に握った私は、すぐ郵便局に駆け、ファックスでモンゴル公安に送付した。
それから二時間後、再び鳴った携帯電話からは、「あなたの妻の身分が証明できたから罰金 1万5000元を持って来て、妻を連れて行きなさい。」と言っていた。安心のため息が出た。

救出に失敗した場合、息子が受ける哀しい傷を思い、非常に悩んだ私であったが、これは本当に嬉しい消息であった。

私は息子が通う幼稚園に電話し、何日間だけ預かってほしいと頼んだ後、モンゴルに入って行く準備をした。
まず友達に頼んで不足な金を用意したし、駅へ行って北京行きの汽車のチケット二枚を買った。

それは、今回のルートを紹介し申し訳ないとい、一緒にモンゴルまで行ってくれるという教会の伝道師の頼みを受け入れたからだ。
翌日、北京に到着した私たちはモンゴルまで行く汽車のチケットを用意し、事の状況をも少し把握して見ることにした。中国の公安に逮捕されたブローカーのご主人を救出するために韓国からやって来た韓チォルホさんの妻に会いに彼女が泊っている民宿に向かった。
韓チォルホさんの妻は、三歳になった子供を連れていた。

彼女の話によれば、公安側でブローカーである夫は、韓国籍を取得した韓国人という理由で脱北者たちとは違う地域に監禁されており、釈放させようとすれば多くのお金を準備しなければならない。

彼女は急にお金が必要になり、彼女が直接韓国行きを望む脱北者を募集するといい、この私にモンゴルから妻を救出した後、今度は彼女を信じて韓国に送ってみなさいと言っていた。
あなたも元々は同じ脱北者だし、16名にもなる脱北者たちが、あなたのご主人の誤った判断によって、現在、北送される危機に処しているという状況なのに、ご主人を助けた後に、再び脱北者たちを相手に勝算もない冒険をするという彼女がなんだか恨めしいほどだった。

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durihanamission at 11:212010年1・2月号 

2010年03月13日

都市への移住

99年の春から北朝鮮の食糧難がより一層ひどくなり、再び国境沿いの村には、脱北者数が増えた。
以前には、20〜30代が主流をなしたが、食糧事情が極度に難しい人々は世代を越えて来るほどになっていた。
北朝鮮のひどい状況を垣間見ることができた。

当時、脱北者たちを通じて聞いたところによると、北には飢え死する人が数知れぬ程多かったようだ。いちいち棺を用意することができず、ゴザみたいなものに死骸を包んで埋葬するほどだと言っていた。

3月のある日の朝、朝ごはんをこしらえて食事をしようとすると、突然、犬のほえる声が騷騷しく聞こえた。
その時、ちょうどトイレに出た妻は、軍人たちに追い回される村の脱北者たちを見、自分のところにも追って来る軍人たちを見て驚き、他の脱北者たちと一緒に走った。

結局、いくらも走らないうちに田畑で包囲され、彼女を含めた脱北者たちは全員捕まってしまった。
その日、私の村だけでも10数人の脱北者たちが辺境の車に載せられ、つれて行かれてしまった。
彼女が捕まったことをあとで知った私は、自転車に乗って辺方部隊に行き、幹事だった友達を捜してみたがいなかった。
他の幹部たちを尋ねて、事情を話して見ても無駄だった。

部隊は一時、多発的に多くの村を襲い、その日の午前中だけでも数十人の脱北者がつかまえた。辺境には彼らを収容できる場所が不足しており、そのため移送をしたと言う。
辺境地帯に移送になってしまい、中朝の税関を通って北送されることは明白だった。
結局、妻が北朝鮮から一日も早く釈放されて帰って来るよう待つしかなかった。

それから何日後、渡ってきた脱北者を通じて彼女がつかまったという消息をム山にいる彼女の家族に知らせた。
彼らは私が送ってあげていたお金と、彼女が持っていたお金で幸い易しく釈放された。
数日後、再び川を超えて中国に入って来た。続きを読む

durihanamission at 11:432010年1・2月号 

2010年03月10日

c27c1f1b.jpg一部の中国人たちが脱北者の子供たちを人質としてお金儲けをしていると、民間団体と宗教団体関係者たちが憂慮を表した。
一部の子供たちは性暴行被害まで受けていることもわかった。

韓国で非常に活発に北朝鮮人権改善運動を広げているある団体は、最近、後援者たちに助けを訴える電子メールを送りました。

中国某地域にいる 10 歳前後の一部の脱北少女たちが、中国人保護者たちから性暴行にあっており、そのつらさに直面。そして、そこからの救出が至急だというのです。

匿名を要求したこの団体関係者は、 3日 ‘アメリカの声’ 放送に脱北子供たちの状況が非常に劣悪だと語りました。

「支援だけ受け、その子供達はまともにご飯も与えてもらえず、床に寝かし、韓国へ渡ってきた母親が中国人に連絡すると、うちの子供を面倒見てくれとお金を送る。でも、子どもは人質であるんです。受け取った中国人らはそのお金を所有し豊かに暮らしています。」

この関係者は、中国人たちが脱北者の子供たちを保護する代価として人権団体や宣教団体にお金を要求しているという情報を継続して流しています。

「アメリカや韓国から宣教師たちがお金を送ってくれるんです。子供を保護していると言えば、お金を送ってくれる。よく保護しなさいと言われ、それを望んでいるというんです。」

外国から来た宣教師たちや人権活動家たちが脱北者子供たちを直接保護しにくい点を利用して、お金儲けをしているというのです。

脱出者の子供たちは、たいてい親が中国政府に逮捕されて強制北送になったとか、韓国に先に渡って行った脱北者たちの子どもたち。または中国人夫と北朝鮮脱北女性の間に生まれた子どもたちであることとわかっています。続きを読む

durihanamission at 16:042010年3月 
彼女に会う

私が彼女に会ったのは、北朝鮮からの大量脱北が始まった 1997年 9月中旬であった。

ある日、昼に食事のため家にかえって来て見たら、家に美しい娘が来ていた。家にいた父に問いて見たら、北朝鮮から中国の親戚を尋ねようと川を渡って来た人だという。一般の脱北者に比べて彼女はこぎれいな運動服を着た身なりであったし、きれいで爽やかで、姿も顔もとてもきれいだった。

昼の食事をしながら、彼女が捜している人が叔母といとこのお兄さんと言うことが分かえい、中国が大変だった当時、北朝鮮を訪問した親戚らに対し、両親たちが多くの助けをしてくれたことから、捜せばいくらかの助けも受けることができると言う。
私は彼女が持っていた住所を頼りにあちこちうわさを聞きながら捜したあげく、彼女のいとこのお兄さんを尋ねることができた。嬉しく心で自動車に彼女を乗せて親戚の家の村に行った。
村に到着して親戚を確認しようと彼女を残したまま私が先にお兄さん家に入った。彼女が教えてくれたとおりに、彼らを尋ねて来るようになった経緯を詳しく説明すると、親戚が会うと言う。

何日を苦労した甲斐があったようで 「今、外の自動車にあなたの従弟が乗っている」と言って彼女を呼ぼうと玄関を開けようとすると、横にいたいとこお兄さんの家内が 「妹が来たと言っても、助ける都合もならないから、私に適当にあしらって北朝鮮に返してほしい」という。

あっけなかった。
血肉だと信じて、助けを少しでも受けようと死線をくくりぬけて尋ねて来た親戚なのに、いくら都合がないとしても家に呼び入れて肩を抱くこともせずに、適当にあしらって北に戻してくれという彼らの仕打ちを到底理解出来なかった。
外に出て彼女に事の顛末を告げると、軍から今除隊したという彼女の自尊心が手強い,{中国の大変な時にご両親たちが多くも助けてあげたけれども、自分たちは助けないということか?これからは助けてと言っても助けないぞ} とそのまま帰ってきた。

そのように色々と日々苦労して捜した親戚は、彼女が家に入ることまでも拒否して、苦労が一瞬にして水の泡として終わった。また彼女を乗せて家に帰って来ることで幕を閉じた。


私たちが家に帰って来た日の夕方、彼女が私に人民元 2 百元貸してくださいと頼んだ。

お金がどうして必要なのかと問う言葉に彼女は、北朝鮮に帰って、両親に米を含め必要な生活必需品を買って上げ、また中国に入って来て働いて返すと言う。
すさまじい飢饉の中で、家族を生かしたいという思いで娘の身で死線を越え、中国の親戚を探しに来たその殊勝な勇気に感動し、私はお金をあげた。
夜に豆満江を渡らせた。
それから何日か後、彼女は約束どおりまた川を越えててきた。家で農作業を助けていた他の脱北者たちと一緒に秋の取り入れを手伝った。

そうしたある日、秋期に必要な農機具を修理している横で手伝ってくれた彼女が笑いながら 「お兄さんは恋人がいるの?」ときく。 まだ結婚を考えていないという私の返事に 「まめで存在感があるお兄さんみたいな人と結婚する女は幸せだと言う。」「それじゃ、スニさんが私と結婚すれば良いね?」という私の冗談に彼女は恥ずかしいように顔を赤くした。
顔もきれいで、なおかつ善良な気立てにもう惚れていたが、北朝鮮から来たという1つの理由のため、悩みに悩みを繰り返えしていた。

しかし、両親や兄弟たちからのひどい反対は当然の事、そして中国政府が脱北者を難民と認めない限り、脱北者と人生を約束するというのは、まことに難関をかきわけなければならない事であるだけに愼重なのがあたりまえだった。

ひどくなる公安の取り締まり

脱北者との婚姻を承諾することができないという両親と兄弟たちを苦労しながら説き服して、彼女と一生をともにすることを約束した。
幸せだった時間もつかの間、村では品物を盗んだり、人を殺したり、喧嘩をするなど脱北者たちが関与するさまざまな刑事事件のニュースがあっちこっちから聞こえるようになった。
中国公安の本格的な脱北者取り締まりが始まった。
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durihanamission at 15:402010年1・2月号 
ecac105b.jpg天国の夢を抱き、国境を渡る脱北者の現状

真皮肉なことが実際に起こっている。
一日で何度も生存のために自分自身を売る人々がいるという。もう壊れようがないとか、自らをあきらめるのではなく、正気でお金を受け取って自分自身を売る人々がいるということを信じられるだろうか。
こんなことは、この文章を読んでいる最中のこの瞬間にも起こっている。
北朝鮮と中国の国境地帯では、人身売買のブローカーを通じて中国に密入国した脱北者が絶えない。
ドュリハナ宣教会の後援で、朝鮮日報の記者とのナショナルジオグラフィックの記者が一緒に潜入取材した実である『天国の国境を越える』は、脱北者の実情を赤裸々に公開し、波紋が広がり、その波はまだ続いている。生存のために自分を売り、命をさし出して、選択した韓国行き、果たしてその終点には天国なのか?

脱北者1万6千人の時代、果たして脱北者の韓国生活を支援するための施設としてオープンしたハナ院が、昨年7月に開園10周年を迎え、様々なデータとともに脱北者の現状を発表した。
いつの間にか1万6千人にのぼる脱北者たちが'セトミン'(新しい住民)という名前で、韓国で新しい生活を送っていた。

しかし、我々の認識では、脱北者たちをまだ逃走者や異邦人と感じるの事故が位置している。以前から私たちの社会を苦しめたレッドコンプレックスは、脱北者をスパイではないかという視線で眺めることもある。だから、脱北者であり、江原道出身といって住んでいる人も多いという。

北朝鮮はまだ、国際社会の中で唯一無二のクローズドエンド型の独裁国家であり、独自の共産主義を固守している国である。脱北者は北朝鮮に残る家族の苦悩を甘受して、自分の命をかけて、北朝鮮脱出を敢行するくらい生きたいと思う』は、差し迫った気持ちで、韓国行きを通る。

しかし、北朝鮮の国境を越えると、新しい『天国』が始まると思っていた彼らを待っているのはすべてが新しい苦労適応の開始である。
また、家族と一緒に来ていない場合は、彼らを手助けする血縁などにつながれることすらない。
政府が脱北者のための支援政策を繰り広げてはいるが、これはあくまで正常に韓国に入国した場合に限りだ。北朝鮮の国境を越えた時から、彼らは逃亡の身の上で、彼らの安全性をチェクイムジョジュは、場所はどこにもない。

ドュリハナ宣教会は、牧会(使役)という大きなカテゴリーの中で、脱北者を助けている。
国境地帯で、人身売買のブローカーを通じて売られる北朝鮮の住民を考慮し中国人の代わりにお金を支払って、彼らを買い取る助けもして韓国に定着するために努力する彼らの適応を助けるなど、脱北者たちのすべてをサポートすることができる。

ドュリハナ宣教会を率いるチョンギウォン牧師は10年前から、脱北者たちの自由の旅を助けており、脱北者の父とよばれている。
彼が最初にこの縁を結びことになったのは、1999年の北朝鮮の宣教の準備をしていた祈りの集会を始めたことからだ。

「私達は、私達の願いは統一と話すが、ただ口だけの統一というスローガンではなく、私達が努力していることで何がありますか?統一のための努力はおろか、現在のような民族となった北朝鮮の住民への思いやりの心も持っていない場合が多いです。
私たちの社会は、世界が注目する北朝鮮の人権問題にそっぽを向いている人々が大半です。そんな心で統一されたとしても、政策的に成した統一であって、社会的、文化的統一が不可能になるしかありません。私達は果たして統一後の準備ができているのかどうかということを自問して見なければならない。」と述べた。

千牧師の言葉通り、私たちの社会は、口では'私たちの願いは統一'としながらも、国家的、社会的に孤立した韓国と北朝鮮の現実にも精通している。
私たちの社会ではなく、北朝鮮への理解はおろか、北朝鮮を離れ、韓国に移住した彼らを警戒するか、好奇心で接することがほとんどである。

北朝鮮で生活するが、韓国に移住してきた彼らが最も難しいとする部分は、韓国社会に適応することです。
生まれながら'金日成の偶像化'という洗脳教育に近い教育を受けて、共産主義体制の下で生涯を暮らしてきた人々が、資本主義社会に適応するのはなかなか大変です。

韓国の歴史についての無知と、現在の韓国社会に対する理解が足りないから、文化的に適応するのも困難で、党のすべてのことにする社会の中で生き、お金をもうけても、生活のためのお金がそうたくさん入って住んでいるのが大変だということも知らないのです。脱北者にはその定着するプロセスを現実的に支援する支援策が切実な状況です。

世界を驚愕させた北朝鮮住民の実状

その場合、北朝鮮の現状はどうであり、北朝鮮の住民たちはどう命をかけて脱出を敢行するのだろうか。
最も知られている話は、「食べるものがない」という事実だろう。
90年代半ばから始まった深刻な食糧難は、1日に数十、数百人が飢餓が原因で死亡しているというニュースにつながった。飢えて死ぬ人が増えるにつれ、北朝鮮の社会では、深刻な家族の解体が始まる、放浪者が急激。
以来、食べて寝るところもない者たちが物乞いをしたり、スリをする青少年はコッチョビと呼ばれた。そう、青春時代を過ごした彼らは、大人になっても食べて暮らす方法がない。

食糧難は、家族のために自分自身を売ることという悲劇を生んだ。北朝鮮の若い女性たちは中国人に売れていくために自分の足で、人身売買の仲介を訪ねる。 中国人が支払うほとんどのお金はブローカーが占め、家族が受け取るお金はその場での空腹を生き残る程度に過ぎない。
そういう風に売られた北朝鮮の女性は中国人と暮らしながら、北朝鮮にいる家族にお金を送りながら生きる。
脱北者の身分のために、いつ捕まるかもしれないという恐怖にさいなまれながらも中国に残ってお金を稼ぐ北朝鮮の住民の多くの理由は、北朝鮮に住んでいる家族がいるからだ。

北朝鮮の住民たちの空腹は、場合によっては、中国人の観光のための要素になったりもする。
『人間サファリと呼ばれるこのツアーは、主に国境地帯で行われ、中国人たちが船に乗って来て、北朝鮮の住民たちに食べるものが入ったビニール袋を投げる。
プライドを持ち、食べるものを拒否する状態ではなく、北朝鮮の住民たちは、そのビニール袋を受け取ってすぐに食べたりもして、船が視界から消えた後のビニール袋を持って家に帰る。
空腹が自分の人格を放棄する境地に至る。
脱北者たちにはより良い生活という理想的なスローガンも贅沢だという程に本当に生きるために他の方法がないため、脱北を決意することも推測することができる。

脱北者を超えて、セトミン(新たな場所の民)として「死を覚悟して韓国に入国すると、すべての苦労が終わりそうだが、もう一つの苦しみが待っています。韓国の社会、文化に適応して、資本主義社会で生き残らなくてはならないし、今まで接したことのない英語というモンスターと出くわすことにもなります。
千牧師は、このような理由での適応と成功的な定着のための現実的なプログラムが切実だと語る。韓国の脱北者支援の方針は、まだ不十分な部分が多い。

定着支援金の等級に応じての支払いが、「5年以内に就職し、3年の就業期間を維持する」という条件を満たす者はほんの一握りである。

また、就職のためにソウルに暮らそうとする者も多いが、彼らには賃貸住宅がある地域を選択することができず、割り当てを受けた家を放棄する場合も多い。

そして、脱北者に無条件に与えられる医療保険が、就職後に適用される医療保険の内容よりも優れているので、これを放棄することができなくて就職を断念する人もいる。
「現在、韓国の脱北者支援策は、脱北者の自立を助けるよりも資本主義に適応することを抑制する要素が多いです。近視眼的なサポートにより自分で生きていくことを可能にする米国式の自立型システムに移行することがより効果的だと思います。」

千牧師のこのような視野は「ドュリハナ国際学校」に表れている。 『ドュリハナ国際学校』は、全額奨学生として構成され、国内初の脱北青少年のために設立された国際的なキリスト教の学校である。

米国に本部を置く国際的なキリスト教の学校の集まりであるACSI(Association of Christian Schools International)との提携により設立された学校は、脱北青少年が私達の社会の真の一員として、人材として認められるためのすべての教育を実施する。
韓国の高等学校で学ぶすべての科目を教えることはもちろん、個人の能力に応じた教科外のプログラムを実施し、知性と人間性、文化の香りを持つ真の人材を養成することが目的である。

現在、国内では他の学校への正式認可を受けられず、教育課程を修了後に検定試験を受けなくてはならないが、規制当局の許可後、国内のすべての大学、世界有数の大学へ直接進学できるようにすることが短期的な目的である。

チョン・ギウォン牧師が率いるドュリハナ宣教会の活動は、ナショナル・ジオ・グラフィックなどを通じて、アメリカの社会にも大きな反響を催した米国コロラド州政府は、昨年7月、「ドュリハナの日」を宣布した。

私たちは、脱北者の受け入れに先立ち、北朝鮮の人権の実態を知らされ、努力や、脱北者に対する理解がより急がれる状況だ。
千牧師のこのような努力がただ「ドュリハナ」のカテゴリーでされるのではなく、南北の二つが一つになるその日まで、私たちの社会は統一を準備する社会的な合意につながってほしい。
汎政府、汎国家的な動きも裏付けされなければ。


durihanamission at 15:372010年1・2月号 

2010年03月08日

脱北者救出活動と韓国定着を助ける...(社)ドゥリハナ宣教会・チョン牧師
DNKF-1


チョン牧師が設立した「ドゥリハナ宣教会」は、チョン牧師が 99年 7月中国に短期宣教に行き、迫害にあっている脱北者たちの捨てられた子供、売られる女性たちを見、衝撃を受け、この実状を広く知らせ、彼らを助け、北朝鮮にキリスト教の復興を目的にし、同年 10月に 'ドゥリハナ宣教会'を創立した。

この宣教会を創立すると、会員が一人二人と増えながら、本格的な集まりが始まった。その使命感から体系的に脱北者たちを助け始めた。
'ドゥリハナ'という名は、エゼキエル書 37章 17節‘ふたつが一つになろう’と言う聖書のみことばから作った。

この宣教会は、脱北者の救出活動と安定的な韓国での生活定着のため、教会を開放し宿泊を提供する部屋と脱北青少年たちの代案学校である国際学校設立をし、韓国での定着支援と教育活動を中心に半島の統一のための準備をしている。

チョン牧師は 「この地に定着した脱北青少年たちが国と民族と人類のために奉事し、半島の統一を導いて行く人才となるよう韓国人がもう少し北朝鮮の人たちを理解し、気配りの心があったら」と願いを持って最善を尽くし、宣教会を導いている。

民間団体の苦労はあるが、当然すべきこと

民間団体の苦労はあるが、当然すべきこと

民間団体として活動して見れば、政治問題、理念問題、国境問題、財政問題など環境自体が生命の脅威を感じる一触即発の状況の中でチョン牧師は 「生命をいかす仕事なので、満足しているし当然すべきこと。」と話す。

'ドゥリハナ宣教会'は、脱北者たちのために脱北者という単語が消えるまで働くつもりである。
組織的な活動を活性化し、専門性を育てて学生たちの教育や働き口を作り出すため、活動を持続的に立てて行く計画だ。

チョン牧師は 「牧師として、神様がくださる使命として、貧しい者に福音を伝え、目の見えない者に再び見えるようにし、抑圧された者を自由にし、捨てられ疎外された人々のために解放すること。」がドュリハナの経営哲学だと語った。

「初期は国民の皆が脱北者に対する関心が高かった。しかし、今は遠ざけたい人にとなったようで、心が痛い。彼らを私の隣人や兄弟として抱くことができずにいる状況が切ない。
文化と環境の差によって傷つき、くたびれた彼らを暖かく抱くことができる私たちの関心と思いやりが切実に必要だ。
いつかは統一されることでしょう。
大きいことだけ眺めず、身近に近付いてきた小さなことから進んだら良いでしょう。」と意見を打ち明けた。

ドゥリハナ宣教会'はアメリカで 30人余、韓国で 800人余りを国内外に定着させ、救出と教育をするための土台を準備した。

またアメリカ、ヨーロッパ、ニュージーランド、ソウル大医大など各分野で成長している人々の姿を見ながら力を得、脱北者たちのための努力にさらに拍車をかけている。


durihanamission at 14:412010年1・2月号 

2010年02月10日

738c57d8.gifネーティブスピーカーの授業、教師の学生の割合が 2:1

「先生これどのように読みますか?」「先生、これこう解いて合っていますか?」 「どうやって解けるんですか?」

8人が囲んで座る窮屈な教室のあちこちで、質問が飛びかう。
その質問について先生は、椅子の間を忙しく歩き回って学生たちと頭を突き合わせる。別のことをする学生の姿はみることができない.疑点が生じればお互いに競争するように質問して答えを尋ねる。

勉強する学生たちの姿が一様に真摯なこちらは、北朝鮮からの脱北者学生たちの代案学校である 'ドゥリハナ国際学校'。ドゥリハナ国際学校は、去年 9月 28日、 9人の学生たちを対象として始業し、その生徒数は現在 20人に増えた。

ドゥリハナ国際学校の尹東柱教務室長は 「南北学生間で学歴の格差が大きく、通常の教育方法では脱北者学生たちをまともに教育させることができない。ドゥリハナ国際学校は、各教科別で 45人の先生たちが学生たちを教えながら、統一後の韓国の人才を育てている。」と語った。ドゥリハナ国際学校では、フルタイムの教師 8人をはじめ、パートタイムとボランティア教師、ネーティブスピーカーの教師たちを含んで 45人が学生20人を教えている。

ユン室長は 「優秀な資質を持った教師らが学生たちに良質の教育サービスを提供している。教師対学生の割合は 2.5:1 教育まで可能。」と語った。

彼は 「選抜された学生全員を奨学生で待偶し、無償教育を実施して寮も提供している。ですから勉強する意志が強い学生たちだけを選抜している。」と強調。

去年から国際学校で勉強を始めた学生の一人(22) は 「1月に 4回試験を受けたが、点数が少しずつ上がることを見れば自信が生まれます。必ず弁護士になって脱北者たちを力強く助けたい。」と抱負を明らかにした。

去年に入国した姜くん(18) は 「先生たちがたくさん面倒を見てくださる点が良い。ドゥリハナ国際学校の先生たちは、友達のように懇意。」と語った。
一線の学校で適応が難しかった学生たちが、こちらへ来てから実力がすくすく増える理由だ。

ドゥリハナ国際学校は、午前には一般学校たちのように正規授業を進行する。
現在、小学校教育課程から中等教育課程まで教育している。
これから高等教育過程を新設する計画にある。また一か月に4回ずつ試験があり、三つの優劣組でレベルを分けて授業を進行している。

学業外にも1か月にボランティア 1回、一週間に 1回外部専門家と活動家の脱北者先輩たちの特講を用意して、学生たちの価値観形成の助けとなっている。

国際学校は新たに選抜された学生たちを対象に 3月 2日に入学式を実施する予定だ。


durihanamission at 15:312010年1・2月号 

2009年11月30日

1169c7ad.jpgドゥリハナ国際学校の開校式に参加した方々と学生たち

右側末が金校長、その後ろに千牧師、ジョン常光長老、十字架の前に黄ウヨ議員、左側から金ユンテ牧師、その横に金セヨン議員、李ヘフン議員、カン・ソンモ総監


durihanamission at 12:372009年 9月10月