昨日の夜、二つの番組から、人と人との絆について考えさせられた。

ひとつはフジテレビ「本田美奈子.さんの追悼番組」

もうひとつはNHK「大河ドラマ義経座談会」

そして、ある結論に至った。

それは・・・・

番組の詳細は、語らない。

故本田美奈子.さんの追悼番組では、白血病におかされた本人と、母親、あるいは家族の闘病生活をドキュメントしていた。

いろいろ書きたいが、一番印象に残ったのは、「母娘の絆」であった。

トイレに掛けたカレンダーに、お互いがメッセージを記入しあっていた。

一時は、回復の兆しもみせ退院するも、すぐに再発。再入院する際に、

いやがる娘にあてて、母親は「大丈夫。必ず治るから。私が守ってあげる」と書き記していた。

母が、娘を想い、娘は母を想う。当たり前と言えば、当たり前のことが、今は希薄になっていまいか。

同様に、先日の最終回でも触れたが、義経座談会では、出演者が、一年間を振り返り、さまざま語り合っていた。「三度(みたび)生まれ変わっても、我らは主従ぞ!」、これほどまでの義経主従(殿と家来)の絆。

「本田美奈子.母娘の絆」と、「義経主従の絆」、この共通点はどこにあるのかと考えてみた。

そして、至った結論は

「何時、果てるかもわからない命への緊張感」

である。

平成に生きる我々が、一般的には、これらのような絆を築けないのは何故か?

それは、自分の命、あるいは相手の命が、まだまだ続くものと思い込んでいるからではないのか。

本田美奈子.さんは、「何ひとつ不自由のない生活を送っていた時期は、健康や、家族の有り難味がわからなかった。気づかなかった」と語っていた。

白血病という苦難が、目の前に立ちはだかり、今日、明日にも命がなくなるかもしれない状況になって初めて母や家族、周囲の方々へ自分が何をできるのかを考えたのではないか。

母は、余命いくばくもない娘に対して、何をしてあげられるかを考えたのであろう。

義経主従も同じだ。寄せ集めで、義経のもとに集結した一家、いつ命を失うかわからない緊張感の連続であっただろう。だからこそ、生きているうちに、義経は郎党(家来)たちを、郎党は、義経をいつくしんだのであろう。

今、我々は、まさに「何不自由のない時代」を生きている。

それだけに、ここから「何時、果てるかもわからない命への緊張感」を持って、生きていってほしい。

そして、家族や、職場の仲間、友達を大切にいつくしんでほしい。

あらためて「絆」という言葉を胸に刻んで。