おはようございます。

城北は、今日から仕事始めです。

あらためまして今年もよろしくお願いします。

さて、仕事始めにあたり、先日放映されたNHK大河ドラマスペシャル「土方歳三最期の日」について触れたいのです。

永い大河ドラマの歴史において、続編というか、「その後」が放映されたことがあったであろうか。私の記憶にはない。

今回、2004年、一大ムーブメントを巻き起こした「新選組!」のスペシャルが放映された。本編では近藤勇が斬首になるところで、その後は流されて終わった。

今回は、残された土方が、東北を転戦した後、最後にたどり着いた函館で敵弾に倒れる、最後の一日に焦点をあてた。

京都では、「鬼の副長」として、厳しい局中法度を設け、恐れられていた土方であったが、激動の月日を重ねて、函館に渡った時には、ずいぶんと丸くなっていたそうだ。隊士と気さくに語り合ったり、笑顔を見せたりと別人のようだったそうだ。ドラマでも取り上げていたが、有名な場面がある。疲れ切った隊士らに土方は、「お前達は、よく頑張っている。おれから酒を馳走したい。でも、今は戦争中だから、一杯づつで勘弁してくれ」と、自ら酒をついでまわった。

やはり、ただ厳しいだけでは、隊士の心をつかみ動かすことには限界があると悟ったのであろう。あるいは、死地として、函館に赴いているのであり、、誰しもが、いづれ「死」はまぬがれない状況であった。それだけに、あえて厳しくする必要もなかったのかもしれない。

どちらにしても、土方と隊士の間には、「心に響く励まし」があった。

そして「絆」があった。

新選組は、少ない兵力、そして武器でよく戦った。土方が榎本との二人きりでの軍議のなかで、「少ない兵力で、大軍に勝つには一点突破しかない。桶狭間だ」と断言した。城北も小さな企業である。資本や人材が豊富な大手企業たちに負けないためには、今まで以上に強みを生かして、集中していくしかない。

 

城北では、2000年の社内旅行で、函館、五稜郭を訪ねた。

函館の外れの一角に、土方の石碑がある。

あるいは多摩には土方の生家がある。

1969年に土方が35歳で亡くなって、130年以上経つ今もなお、週末となると、多くの人々が土方を弔うために足を運ぶそうだ。

いや、今のなお、多くの人の心の中で土方は生きているのであろう。


新選組年表

1834  天保五年  宮川勝五郎(近藤勇)上石原村(現・調布市)に生まれる。
1835  天保六年  土方歳三、石田村(現・日野市)に生まれる。
1849 近藤勇、近藤周助の養子となる。
1859  安政六年  土方歳三、近藤周助に入門する。
1862  文久二年  将軍家茂、攘夷の勅旨に応じ上洛を決定。
会津藩主松平容保が京都守護職を拝命。
庄内郷士清河八郎の建策を容れ、幕府は将軍警備のための浪士組結成を決定する。
1863  文久三年  二月  八日に小石川伝通院に集合した浪士組に近藤等も参加。
総勢二百四十余名は、中山道を京都へ向け出発し、二十三日に壬生に到着。
帰東する清河等と意見を異にした近藤、土方等は
水戸浪士芹沢鴨等とともに京都に残留。
京都守護職松平容保に謁見し、会津藩御預かりとなる。
八月  八月十八日の政変。「新選組」と名付けられ市中見廻りを命じられる。
九月  芹沢鴨、平山五郎、暗殺される。
1864  元治元年  正月  将軍家茂再上洛の警備のため、新選組も大阪へ出張。
六月  新選組が三条の旅籠池田屋を襲い、宮部鼎蔵、吉田稔麿等九人を斬り、
二十三人を捕らえる(池田屋騒動)。
七月  禁門の変。新選組は天王山に戦う。
十月  近藤勇、隊士募集のため帰東。伊東甲子太郎等二十三名入隊。
1865  慶応元年  二月  総長山南敬助切腹。
四月  土方歳三、江戸で第二次隊士募集、五十二名が入隊。
九月  第二次長州征討の勅許を受ける。
1866  慶応二年  正月  薩長同盟成る。
七月  将軍家茂死去。
十二月 徳川慶喜第十五代将軍宣下。孝明天皇崩御。
1867  慶応三年  三月  伊東甲子太郎らが新選組から分離、御陵衛士となる。
六月  新選組、幕府直参となる。
十月  大政奉還。土方歳三、江戸で隊士募集。
十一月 伊東甲子太郎ら高台寺党を殺害(油小路事件)。
十二月 新選組、伏見奉行所へ転陣。近藤勇、高台寺党の残党に銃撃される。
1868  明治元年  正月  鳥羽・伏見の戦い。井上源三郎戦死。
三月  新選組を母体に結成された甲陽鎮撫隊、勝沼戦争で敗退。
四月  二十五日 近藤勇、流山で東征軍に投降し、板橋で刑死する。
土方歳三、旧幕府軍に合流し宇都宮攻撃に参加。会津若松に転戦。
五月  三十日 沖田総司、江戸にて病没。
十月  土方歳三、榎本武揚率いる旧幕府海軍艦隊に投じ、蝦夷地へ渡る。
旧幕府軍が五稜郭を占拠。
十二月 蝦夷地仮政権を樹立し、土方は陸軍奉行並となる。
1869  明治二年  三月  宮古湾海戦。
四月  九日 新政府軍、蝦夷地乙部に上陸。
十三日 土方軍、江差山道二タ俣の胸壁に依り新政府軍と戦う。
以後、十数日戦闘を続け侵攻を阻む。
五月  一日 松前方面の大鳥軍が敗走のため、土方軍も五稜郭へ引き上げる。
十一日 新政府軍、箱館総攻撃。土方歳三、一本木関門で
馬上戦闘指揮中銃弾を受け戦死。
十七日 五稜郭開城。戊辰戦争終結。