私の日記は、人間にア・プリオリな衝動ないし動機についての考察(簡単に言うと下ネタ)が多いわけだが
あれは20年前、私の想像を超える事態を聞き知ったので、本日はそれの報告兼批評である。
婦女子の方はご存じないかもしれないが、「妹」に萌える男子は意外に多い。
エロ本やエロビデオには、無数の「妹」の字が躍る。
私は末っ子で、妹がいない。
だからこそ逆説的に、「妹モノ」を楽しむことが出来る。
お分かりいただけるだろうか、このねじれの位置。
私には姉がいるため、やはりどうしても「姉モノ」を楽しむことは出来ない。
エロ媒体において、ただ単純にSEXシーンを見たいだけならば、「姉」も「妹」も可能である。
しかしそれでは本末転倒、そのシチュエーションの意味が無い。
「妹モノ」は、「妹」ということを強く意識してこそ意味があるし
そのためにアクトレス達もしきりに「お兄ちゃん」と最中に呼びかける。
その呼びかけを受け止めることこそが、「妹モノ」の醍醐味といえる。
(余談だが、友人のK君などは「(他人に)お兄ちゃんと呼ばれ、気持ちよくてカウパー汁が湧き出た」と供述している。)
しかし自分に妹がいる場合、「妹」を強く意識した際に、その本物の妹が出現してしまうと、もはやカウパーどころの騒ぎではなくなってしまう。
私の場合は姉がいるため、「姉モノ」のAVはタブーである。
ひとたび実際の姉が脳裏をチラつくと、もはや愚息は萎え萎えである。
(注:この場合の「愚息」はsonではなくtinpo。)
つまり簡単に言うと、「近親モノ」はAVだけの世界であって、実際の日常においてはタブーというか
SEXどころか恋愛とかもう気持ち悪くて耐えられない、ということである。
私には妹がいないからその辺上手く言い表せないが、きっと妹がいる人にとっては、妹なんてのは幾つになっても妹であって、それを異性として認識するというか、そういう場面を見せることすら憚られるような、強い禁忌が存在している。
…と、思っていた。
友人のI君が、
実の妹と合コンをするまでは…
実の妹との合コン。
・・・悲しいかな、私にはその事態が如何に驚くべきものなのか?
妹がいないため、いまいちピンと来ない。
しかしそんな私にも、
完全なるモラルハザードが発生していることは分かる。
合コンの幹事が、兄妹なのである。
そんなことって、あるのだろうか?
この言いようのない違和感には、僕の「合コン観」というものも一因となっている。
つまり、
「合コン=性的欲求の市場」という経済学的概念。
そこで需要は、供給を見出す。
供給は需要を需要し、需要は自らの需要を供給する。
偏った見方だとは思うが、
若き日の私は合コンとはそんなものだと思っていた。
端的に言うなら、一夜の相手を探す場所。
あらゆる「出会い」の中でも、非常にセクシャルな色彩の濃い「出会い」の場。
その場に、妹がいることなど、有り得るのだろうか?
I君の話によると、
友人らの中で「合コン熱」が盛り上がってしまった。
(それらの友人は僕とも友人関係にあるが、「誘ってもどうせ来ない」ということで私は村八分にされていた)
行き所を探していた彼らの「合コン熱」は、突如驚くべき選択肢を見出した。
「そうだ、Iには、年頃の妹がいたじゃないか----!」
と。
もしそれが半ば強制的に行われたとしたら、S君の道徳観念は肯定される。
なにせ、自らの妹なのだ。
その代わりにそれを強要した友人達は、鬼畜と、言わざるを得ない。
しかし真実はそうではない。
友人達のそのアブノーマルな提案を、I君は二つ返事でOKした。
当日、彼らは「かっこいい兄貴の友人」の看板を武器に、
1年生OLたちを存分に愉しんだという――。
友人達の心境は、一応は理解できる。
友人の妹の友達ともなれば単なる他人、存分に恋愛も可能な距離感である。
しかしI君の心境はどうか?
まず目の前に、自分の妹。
その隣には、見たことある妹の友達たち。
そして自らの隣には、それを喰らおうとする猛虎たち。
仮に友人の一人が自らの妹に言い寄ったとして、I君は平気なのか?
I君は実の妹の前で、その友達をお持ち帰りしようというのか?
驚くべきことは、I君にそのあまりにも無益な合コンを耐えさせるに足る
友人達の「合コン熱」である。
さらに個人的に驚くべきことは、
堅物で知られていたO君もその中にいたということ。
僕が心から聖人と目していたしていたO君ですらも
色欲のためなら友人の妹ですら喰い物にする餓狼のような男であったのだ。
色情とは、かくも恐ろしきものか。
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婦女子の方はご存じないかもしれないが、「妹」に萌える男子は意外に多い。
エロ本やエロビデオには、無数の「妹」の字が躍る。
私は末っ子で、妹がいない。
だからこそ逆説的に、「妹モノ」を楽しむことが出来る。
お分かりいただけるだろうか、このねじれの位置。
私には姉がいるため、やはりどうしても「姉モノ」を楽しむことは出来ない。
エロ媒体において、ただ単純にSEXシーンを見たいだけならば、「姉」も「妹」も可能である。
しかしそれでは本末転倒、そのシチュエーションの意味が無い。
「妹モノ」は、「妹」ということを強く意識してこそ意味があるし
そのためにアクトレス達もしきりに「お兄ちゃん」と最中に呼びかける。
その呼びかけを受け止めることこそが、「妹モノ」の醍醐味といえる。
(余談だが、友人のK君などは「(他人に)お兄ちゃんと呼ばれ、気持ちよくてカウパー汁が湧き出た」と供述している。)
しかし自分に妹がいる場合、「妹」を強く意識した際に、その本物の妹が出現してしまうと、もはやカウパーどころの騒ぎではなくなってしまう。
私の場合は姉がいるため、「姉モノ」のAVはタブーである。
ひとたび実際の姉が脳裏をチラつくと、もはや愚息は萎え萎えである。
(注:この場合の「愚息」はsonではなくtinpo。)
つまり簡単に言うと、「近親モノ」はAVだけの世界であって、実際の日常においてはタブーというか
SEXどころか恋愛とかもう気持ち悪くて耐えられない、ということである。
私には妹がいないからその辺上手く言い表せないが、きっと妹がいる人にとっては、妹なんてのは幾つになっても妹であって、それを異性として認識するというか、そういう場面を見せることすら憚られるような、強い禁忌が存在している。
…と、思っていた。
友人のI君が、
実の妹と合コンをするまでは…
実の妹との合コン。
・・・悲しいかな、私にはその事態が如何に驚くべきものなのか?
妹がいないため、いまいちピンと来ない。
しかしそんな私にも、
完全なるモラルハザードが発生していることは分かる。
合コンの幹事が、兄妹なのである。
そんなことって、あるのだろうか?
この言いようのない違和感には、僕の「合コン観」というものも一因となっている。
つまり、
「合コン=性的欲求の市場」という経済学的概念。
そこで需要は、供給を見出す。
供給は需要を需要し、需要は自らの需要を供給する。
偏った見方だとは思うが、
若き日の私は合コンとはそんなものだと思っていた。
端的に言うなら、一夜の相手を探す場所。
あらゆる「出会い」の中でも、非常にセクシャルな色彩の濃い「出会い」の場。
その場に、妹がいることなど、有り得るのだろうか?
I君の話によると、
友人らの中で「合コン熱」が盛り上がってしまった。
(それらの友人は僕とも友人関係にあるが、「誘ってもどうせ来ない」ということで私は村八分にされていた)
行き所を探していた彼らの「合コン熱」は、突如驚くべき選択肢を見出した。
「そうだ、Iには、年頃の妹がいたじゃないか----!」
と。
もしそれが半ば強制的に行われたとしたら、S君の道徳観念は肯定される。
なにせ、自らの妹なのだ。
その代わりにそれを強要した友人達は、鬼畜と、言わざるを得ない。
しかし真実はそうではない。
友人達のそのアブノーマルな提案を、I君は二つ返事でOKした。
当日、彼らは「かっこいい兄貴の友人」の看板を武器に、
1年生OLたちを存分に愉しんだという――。
友人達の心境は、一応は理解できる。
友人の妹の友達ともなれば単なる他人、存分に恋愛も可能な距離感である。
しかしI君の心境はどうか?
まず目の前に、自分の妹。
その隣には、見たことある妹の友達たち。
そして自らの隣には、それを喰らおうとする猛虎たち。
仮に友人の一人が自らの妹に言い寄ったとして、I君は平気なのか?
I君は実の妹の前で、その友達をお持ち帰りしようというのか?
驚くべきことは、I君にそのあまりにも無益な合コンを耐えさせるに足る
友人達の「合コン熱」である。
さらに個人的に驚くべきことは、
堅物で知られていたO君もその中にいたということ。
僕が心から聖人と目していたしていたO君ですらも
色欲のためなら友人の妹ですら喰い物にする餓狼のような男であったのだ。
色情とは、かくも恐ろしきものか。


