和田的/D-Wiz的 無功徳(むくどく)ブログ

北海道旭川市でパソコンサポート業を営む和田が功徳を求めず、日常の想いを連ねるブログです。 メルマガ「100%パソコン活用法 ひとり言」と連動してます。←廃刊しました

    2018年9月20日(木)午後1時40分 旭川勤医協1条病院

    母の心拍が停止。病院の個室で静かに息を引き取った。
    老衰。正確には度重なる誤嚥性肺炎により飲み込む力が衰え、手足の血管が細くもろく点滴もできなくなり1週間前から点滴を外し、徐々に衰弱。最後は眠るように静かに眠りについた。

    8月20日、姪っ子が東京より帰省。その日の夕食から母の食事介助は姪っ子に任せて、僕はしばし母の介護から解放。久しぶりの夕方から夜の時間、自由をかみしめていた。
    しかし8月24日夜、母は施設で発熱し水分摂取量も少なかったので点滴を受けるため、急遽、入院することに。姪っ子の食事介助ではうまく食べ物や水分を摂取できなかったか。

    入院後、抗生物質の点滴を受け1週間後には熱は微熱に下がり、食事もまずまず食べれるように。
    施設にいた頃は朝と夕、食事介助に行っていた。入院してからは朝、昼、夕と3回の食事介助。
    毎日毎日、朝昼夕と3回、母の好きな、食べれるようなおかずを用意して施設に、そして病院に通った。
    入院してからは、朝は病院のレンジでタオルを蒸して顔や手足をふき、入れ歯を入れて・・・。食事はどろどろのソフト食。おかゆは仕方ないにしろ、おかずはほとんど食べない。細かく刻んだ漬物や梅干しや大根の煮つけや八宝菜、ごはんですよ、ほぐした鮭、ナス煮付、そしてバナナやメロンなどの果物・・・。母が好きそうなおかずを用意。たくさん食べて体力を回復させなければ、と考え、施設にいた頃からずーっと、毎日、せっせとおかずを用意した。

    食後は薬、薬は施設にいた頃は薬切断機で錠剤を2等分4等分に小さくして飲ませていたが今夏ごろから細かくしても飲ませるのが難しくなってきていたので入院してからは粉薬にしてもらい、それをとろみのついたお茶に混ぜて飲ませていた。
    この薬を飲ませるのも、最後の2週間は相当、僕を悩ませた。飲み込む力が弱って飲み込めず、むせて痰がらみに。そして痰の吸引に。痰の吸引は地獄だ。本人は相当、苦しい。でも、そのまま放っておくわけにはいかず。看護婦のうまい下手もある。見ているのがつらかったけれど亡くなる4,5日前からは僕は吸引の時、母の手を握って。

    食後、入れ歯を外して口腔ケア。ウェットテッシュで口の中をふき取る。かすが残ってしまうと誤嚥につながるので念入りに。口腔ケアも施設にいるころから毎日僕がやった。テーブルも拭いた。母が見えやすいようにテレビの位置を強引に変えて、面会終了まで一緒にテレビを見た。
    毎夜20時、「じゃあ、母さん帰るね、おやすみ。バイバイ」と言って後ろ髪惹かれる思いで病室を後にした。

    朝は7時50分ごろ、病院に着くよう家を出た。母が回復傾向にあるときは朝、母の顔を見るのが楽しみだった。しかし調子の悪いときは目を開けている母の顔をみて心から安堵した。

    9月20日の朝、東京から昨夜着いた姪っ子と共に母の病室へ。母は吸入マスクをつけてベットに横たわっていた。反応は鈍いものの、姪っ子が見舞いに来たということは認識しているようだった。
    9時半に姉が着き、10時過ぎに病室を個室に移り、10時半ごろポメラニアンを連れて兄夫婦が。
    当初、移動ベットで病院の外に出て母にポメラニアンと戯れてもらう予定だったが、病院の計らいで病室にポメラニアンを入れさせてもらえた。母の顔や手にポメラニアンに触れさせる。
    母は嬉しかったのか、悲しかったのか、涙を一滴、頬を濡らす。
    それから約2時間後、静かに、安らかに、皆に見守れながら息を引き取った。本当に静かに。


    あれから6週間が経つ。次の日曜に四十九日を行う予定。
    母を亡くして心にぽっかりと穴が開いたよう。まったくもって、ぽっかりと。
    死後のもろもろの手続きや初七日や1週間ごとの法要、位牌の用意や納骨堂の掃除などなど、やるべきことやらないければならないことは不十分なところもあるかもしれないけれど、ほぼほぼクリア。
    仕事も人付き合いも最低限に抑え、外出もほとんどなし。家にずーっといる。
    朝と晩、祭壇の前に座って般若心境を唱えている。母に話しかけている。
    四十九日までは、この世とあの世を行ったり来たりしているようなので、なるべく母を寂しがらないよう家を空けない。わずか49日間だ。家にいること、お経をあげること、祭壇をきれいな花で飾ってあげること、毎朝、お茶と果物を供えること。それぐらいしか、もう母にしてあげられることはないのだから。


    いまもって思い悩み悲しく辛くなってしまうことがある。

    母はかねてより、早く逝きたい、人様に迷惑かけてまで長生きしたくないと言っていた。
    でも僕は結局のところ、母の生を伸ばしてしまった。僕なりに良かれと思って、母が少しでも元気になるように、楽しい時間を過ごしてもらうように、美味しいものを食べてもらおう、生きていてよかったなとちょっとでも感じてもらえればと介護にいそしんだ。
    でもその結果、母はあしかけ3~4年にわたり望んでもいない施設での窮屈な生活を過ごすことになり、まずい食事を食べさせられ、好きなお茶も厳しく制限され、トイレにも行けずオムツを履き、そのオムツを排出を人様の手を借りて用を足す。そんな屈辱的な日々を過ごす羽目になった。

    ボケない方がおかしい。何もかもわからなくなって、ただされるまま、いわれるままに過ごし死を待つ。立つことも歩くことも、食べることも、鼻をかくことすらも自分では何一つできない。寝返りもできない。トイレも人様に手を借り見られながら・・。そんなつらい現実から目を背けるために外部から一切、なにもかも遮断してボォーッと生きる。ただただ、ボォーッと生きる。そんな惨めな日々を僕は送らせてしまった。
    母を介護しているとき、僕はひょっとしたらは母はそんなことを思って、ボォーッとしているじゃないか、話しかけても何も反応しないんじゃないかと何度も考えた。介護をしているとき、した後、「お前、介護はそんなに一生懸命しなくてもういいんだよ。私を早く逝かせてくれ」と言いたいんじゃないかと何度も思った。
    だから母は8月、姪っ子の食事介助を受け付けなかったんじゃないか、食べなかったんじゃないか、姪っ子に甘えたんじゃあないか、と思うように。

    少なからず僕のこの考え、推測はそれほど大きく違っていないように思う。思えてしまうんだ。
    母の介護は単なる自分の自己満足じゃあなかったのか。だから、そう考えたとき、介護の日々の時の母を思い出すたびに母に申し訳ない気持ちになってしまう。声に出して、母さん、ごめんな と言っている自分がいる。

    たぶん、この先すっと、この気持ちは消えずに浮かんでくると思う。いつの日か、昇華して気持ちが落ち着く日が来るのだろうか。

    昨今、僕と同じように母親の介護をいそしむ息子さんが増えていると聞きます。
    もし今、僕の近くにそのような息子さんがいたとしたら、僕はどんなアドバイスをしてあげられるだろう?
    うん、そうだよな、上のような考えがあるけれど、だけどじゃあ親の介護を放棄したほうが良いよ、なんて絶対に言わない。しっかり、できる限り介護に精を出したほうが良いと助言する。たとえそれが僕と同じ気持ちにいただくことになったとしても。自分の仕事を犠牲にしてまでも、とか、自宅で最後まで看取るとか、そこまでは勧めないにしても、できる限り親の介護をしてあげてほしいと思う。
    それともう1つ。親の介護が必要になった時、まだ頭がしっかりしているときに、「これまでありがとう」と感謝の気持ちを伝えておくこと。照れずに。忘れずに。手遅れになる前に。

    それと、介護中は決して怒らないこと。ついイライラして大きい声で怒鳴ってしまうのは分かるけど、そこはぐっと抑えて。ひと息深呼吸して落ち着いて。怒ってもどうしようもない。そして相手を傷つけてしまう。それはのちのちになってきっと悔やむことになる。「どうしてあの時、母にあんなひどいことを言ってしまったのだろう」と、ずーっと後悔することになる。怒ってしまうと介護される方もする方も深ーく深ーく傷ついてしまう。「ごめんね」なんて泣かれてしまったら、その泣き顔は生涯一生、ずーっと頭から離れなくなる。怒るのはやめたほうが良いです。怒るくらいなら、だれか違う人に介護を代わってもらうとか、それが無理ならその場をちょっとでも離れて冷静になるとか。

    あと、これも僕の反省点なのだけど、介護中の笑える話、おとぼけな会話、やりとりなどをメモして残しておいてはどうかと思います。介護の愚痴や辛いことなど残すより、楽しいこと、笑える話を残しておいた方が良いと思います。介護の日々を振り返った時、それはきっとあなたの心を温めてくれると思います。



    母が亡くなって6週間。いまの自分の気持ちをしっかりと残しておきたくブログにまとめました。


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    2015年のチャリやバイク、ジョグラン走行距離記録など。

    まずはジョグラン走行距離記録。マラソン大会で走った距離も含む。
    年間走行目標は1111kmに対し、達成率は73.3%。

    ジョギング
    ・01月 60.5km
    ・02月 60.9km
    ・03月 33.7km
    ・04月 42.2km
    ・05月 125.7km
    ・06月 110.7km
    ・07月 106.7km
    ・08月 171.1km
    ・09月 78.2km
    ・10月 15.9km
    ・11月 0.0km
    ・12月 9.0km

    合計 814.6km

    ちなみに過去の走行距離はこちら↓。

    ・2009年 509.1km
    ・2010年 894.7km
    ・2011年 677.6km
    ・2012年 385.2km
    ・2013年 558.8km+α
    ・2014年 696.6km

    2015年は母の介護であまり走れなかった。とはいえ例年より多く走っているのだけど。
    去年の道マラリベンジと4月にGPSウォッチを購入がモチベーションに。1〜3月の冬期は体育館で頑張って走った。
    しかし、例年だけど走りこまなければいけない5〜7月が走れていない。ああ、そうか、母の介護で毎週末の大会で走るのが精一杯だったか。今年は母がディサービスに行っている昼間走ることにしよう。
    GPSウォッチのおかげで大会時にイーブンペースで無理せず走れるようになり、その大事さに気づけた年だった。春先の体のだるさの原因は単なる酒の飲みすぎだった模様。飲みすぎには気をつけよう。
    道マラの暑さ対策はまだ未解決。
    腹筋や肩の筋肉、インナーマッスルは冬期のあいだ鍛えていけると思うけど、夏はどうなるか?
    今年は靴を2〜3足買ってモチベーションを高めよう!
    今年も年間目標を1111キロとしよう!



    続いてもろもろの走行距離
    ・自転車 466.6km
    ・バイク  665.0km
    ・車    8729km 

    バイクは原因不明のプラグ不火に悩み、8月上旬までほとんど乗れず。母の介護で遠出もできず。
    車も母の介護(緊急時にすぐ駆けつけれるように)でチャリ通勤をやめたこともあり、近年の最大距離。



    以下、はじめての公道を走るコースとなった旭川ハーフマラソンの写真です。春光陸上競技場→国道40号→自衛隊敷地内→北海道教育大前→西高前→石狩川堤防→近文清掃工場前折り返し→旭橋→ロータリー→常盤公園→新橋→中央橋→陸上競技場。2015年9月27日撮影 天候は曇り


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    お客さんの会社で使っているバッファロー社製のNAS(ネットワークハードディスク)が突然、不調に。
    事務所内の電気工事か何かで、いきなり電源を切ったため認識しなくなったようだ。
    その日の午後、急ぎ駆けつけて診てみるが、どうにも復旧が難しい。
    「NAS Navigator2」からユーティリティにログインしようにも、このNASを設置した担当者が退社しておりパスワードが分からない。
    NASの設定を初期化(ファンクションスイッチを押したまま電源スイッチON)するが、なぜか初期化されず。

    これは腰をすえてじっくりと取り込もうと思い、そのNASを預かり事務所に持ち帰る。
    NASからハードディスクを抜き出し、HDD専用のUSBコードで私のパソコンにつないでデータをバックアップしようとしたが、フォーマット形式が違うため認識せず(NASのフォーマット形式はEXT3形式)。
    事態は暗礁に乗り上げた。うーん。


    いろいろと調べた結果「復旧天使」というデータ復旧ソフトを使って復旧。
    1TBのハードディスク中、ほぼ全データの400GBのデータを救い出せました。
    このバッファロー製のNASは容量が500GB+500GBで合計1TB。初期設定ではRaid0になっており、ミラーリングをせずに2つのディスクで1TB使うように設定されている。なのでデータの復旧には2つのHDDからデータをつなぎ合わせて復旧しなければならない。
    空く出したデータを一度、自分の外付けHDDに移し、そして新たに購入したNASに移し変え、作業には結構時間がかかりました。1発でドバッとコピーすると途中でエラーが起きることしばしば。なので、小分けにしてデータを移動。

    無事、お客さんのもとに復旧したデータを入れた新しいNASを納品。お客さんの事務所の各パソコンからNASにつながるように設定し(WINもMACも)、多機能レーザープリンタのスキャンデータもNASに自動保存するよう設定、これでほぼ元通りに。

    あああ、データを復元、よみがえらせたときの感動はたまらない!快感です!

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    2015年8月30日(日)、僕にとって4回目となる北海道マラソンに出場してきました。
    結果は無事完走、4時間56分でゴールしました。これで12回中10回のフルマラ完走、道マラは4回中2回の完走、2勝2敗です。

    今年は言い訳だけど、母の介護であまり練習できず、正直、完走はほとんど諦めていました。7月から毎週、LSDで長い距離を走れるだけ走ろうと試みましたが、毎回、どうしても25〜28キロぐらいで断念していました。大会の1週間前、気温が27度ぐらいの日だったのに、それでも28キロで足がつり4キロ歩き最後の1キロをヨボヨボ走りでどうにか帰宅、そんな感じだったので、今年も去年に続き途中でタイムアップ、リタイアの可能性高しと思っていました。

    しかし、どうにも諦めたくない。2年前に読んだ「非常識マラソンマネジメント レース直前24時間で30分速くなる!   岩本 能史 (著) 」を読み返し、フルマラ完走のための必殺技を再認識。この本とあわせて僕が気をつけた事は、

    1.絶対にイーブンペース 前半、調子こいて飛ばさない!
    2.マラソンは食べるレースだ!スタート直前までとにかく栄養補給。走っているときはジェルで補給。
    3.辛い時ほど正しいフォームを意識
    4.ひじを後ろに強く引きよう振る

    この4つ。
    特に1番目のイーブンペースで走る、というのを計画して忠実に守ったのが今回の最大の勝因です。
    昔、お気に入りに入れた「マラソンシュミレーター」という、自分の目標タイムや走るペース、疲れ具合を数値化して記入するとキロ何分で走れば完走できるかを提示してくれるサイトをたまたま見つけ、それをやってみました。
    http://42.195km.net/racesim/

    目標タイムを4時間55分にセットし、自分は後半に疲れてペースをガクッと落とすので「後半 難コース」を選び前・後半のペース差 を60秒、30km地点に壁、壁とゴールのペース差80秒/km、3km地点まで 150秒/kmのペースダウン、 5 km毎に 20秒ロスタイム、でシュミレーション。

    そうすると0〜1キロは9分、1〜30キロがキロ6分52秒、30キロからはキロ7分25とか59秒、とにかく30キロまではキロ6分52秒で走れば完走できると判明。この「キロ6分52秒」を頭に刻み込んで走った。

    スタートはAM9:00、気温は26.5度。最初の4分くらいはほとんど歩き、大通りを右に曲がるころより徐々に普段のペースで走れるようになる。ここからは今春買ったGPSウォッチが大活躍。最初の1キロはスタート当初歩いたから8分28秒だったけれど、1〜2キロは5分36秒、ゲゲッ、飛ばしすぎだぜ!意識してスピードを落とす。
    ゆっくり、ゆっくり走った。なので、疲れない。余裕で創世トンネル、札幌駅前裏を走り抜ける。


      05キロ地点 37分44秒(34分35秒、37分00)      
              カッコ内は1つ目が昨年の記録、2つ目一昨年
      10キロ地点 1時間10分36秒(1時間05分53秒、1時間06分37秒)


    基本、5キロおきに給水し、パワージェルは10キロから5キロおきに飲んだ。痙攣防止の薬も10キロと20キロだったか、規定量の倍の6袋飲む。13キロ地点あたり、北大敷地を右に曲がったあたりで3分ぐらいかけて腰のポシェットノベルと長さ調整する。ロスタイム。だけど、体が楽だったので気持ちも余裕で焦りは全くなかった。


      15キロ地点 1時間46分01秒(1時間38分07秒、1時間36分52秒)
      20キロ地点 2時間21分02秒(2時間10分04秒、2時間07分53秒)


    去年と同じように新川駅前あたりでトップランナーとすれ違う。
    そのあたり、新川駅前あたり、去年リタイアしてとぼとぼ歩いたあたり、苦い思いがよみがえる。
    そして新川通りにでてハーフ地点、2時間28分46秒(2時間15分06秒)。 昨年より13分も遅れている。
    だけど、シュミレーターでとにかくキロ6分53秒で走りぬけば完走できると信じていたので焦りはなかった。
    シュミレーターでの計画では2時間26分なので2分しか遅れていない。このままの調子でハーフを超え、30キロ地点まで行けば完走できる!とだんだん自信が出始める。



      25キロ地点 2時間54分36秒(2時間43分0秒、2時間40分22秒)  
              関門時間まで約14分の貯金
      30キロ地点 3時間30分02秒(3時間22分06秒、3時間14分54秒)  
              関門時間まで約12分の貯金


    新川通りの折り返しまで今年も遠く感じたけれど、とにかく、ゆっくり、フォームを崩さぬよう気をつけながら走る。折り返しのパイロンを2回たたき27キロぐらいで反対車線にタイムアップ宣告カーが走っている。今年はこれだけ距離が開いていれば大丈夫だろう。
    ところが30キロあたりから右足すねがつりそうな気配。スピードを落とす。30キロまではだいたい5キロを35分ペースで走っていたが30-35キロ間は38分29秒かかっている。それでも35キロ地点まで来たときは完全に完走を確信。タイムアップ宣告カーの宣告も全然聞こえない。これはいけるぞ!


      35キロ地点 4時間08分31秒(4時間07分11秒、3時間51分55秒)  
              関門時間まで約6分の貯金
      40キロ地点 4時間42分26秒(リタイア、4時間28分09秒)       
              関門時間まで約8分の貯金


    35キロすぎたころより足のつり気配も治まり、良い感じ。すこしづつペースアップする。去年、リタイヤしてとぼとぼ歩いたところを今年は走る。GPSウォッチでキロ6分を切るスピード、前を走る人をぐんぐん抜いて走る。そして憧れの北大敷地内。右に左に曲がり、40キロ地点をすぎ、北大を抜けると旧道庁の赤レンガが見える。
    大通り西5丁目を右に曲がり大通へ。前方200m先にFinishの横幕が見える。なるべくカメラに写るように前に人気がいないところを選んで走り、ゴール前で両手を挙げてグリコスタイルでゴール。


      記録 4時間56分36秒  ネットタイム 4時間51分47秒



    制限時間ギリギリだけど、それでも完走した。すごくすごく嬉しかった。残り5キロでペースアップできる余力もあったし体は楽だった。イーブンペース、「レースはトレースだ!」という本に書かれていた言葉を信じ、それに従ったのが最大の勝因だ。

    着替えてすぐにJRで旭川に戻り、駅前にできた「ピリカの湯」で一風呂浴びて帰宅。母の様子を確認した後、自宅近くの焼き鳥屋でひとり完走打ち上げ。今日走ったコースを、風景を、状況を思い出しながらハイボールを飲む。道マラ完走したんだ!ひとりニヤニヤ。達成感。満ち足りた気持ち。ああ、最高だぜぇ!


    終わり


    2015年  12,704人参加、最高気温29.0度湿度70%、完走率87.4%



    IMG_6204←PM14時半、走り終え荷物受け取り場にて完走記念写真











    image14←写真右下、計画したレースのタイムスケジュール










    ="http://livedoor.blogimg.jp/dwwada/imgs/6/e/6e9925ed.jpg" title="IMG_2965_2"
    target="_blank">IMG_6205←道新に掲載されたレース結果











    IMG_6213←PM20時半、近所の焼き鳥屋にてひとり完走打ち上げ













    2014年のチャリやバイク、ジョグラン走行距離記録など。

    まずはジョグラン走行距離記録。マラソン大会で走った距離も含む。
    今年の年間走行目標は1111kmだったから、達成率は62.7%。著しく未達成。激しく反省。
    来年こそ、5〜8月の4ヶ月は月間オーバー200キロ。毎朝走ればいいんだ。

    ジョギング
    ・01月 10.00km
    ・02月 10.00km
    ・03月 10.00km
    ・04月 35.15km
    ・05月 130.25km
    ・06月 104.29km
    ・07月 117.48km
    ・08月 214.43km
    ・09月 58.07km
    ・10月 7.00km
    ・11月 0km

    合計 696.67km

    ちなみに過去の走行距離はこちら↓。

    ・2009年 509.1km
    ・2010年 894.7km
    ・2011年 677.6km
    ・2012年 385.2km
    ・2013年 558.8km+α


    去年より多く走っているのだけど,走力はハッキリと落ちてきている。春に腰を痛めたのも原因のひとつか。
    6月の千歳も8月の道マラも9月の旭川も、死にそうに辛かった。
    来年はインターバル走や坂道走など連取方法に変化をつけ、かつインナーマッスルを鍛えようと思う。
    来年も年間目標を1111キロとしよう!



    続いてもろもろの走行距離
    ・自転車 857.1km
    ・バイク  710.1km
    ・車    7300km+α 

    バイクはCDIユニット死亡傾向が現れてきたこともあり乗らなかった。車はそれほど乗った感じはないのだけれど日常のチョイ乗りの累積で7000キロをオーバーしたのだろう。車は楽だし。



    以下、昨年と同じく5月、自宅から堤防沿ランニングコースの写真です。自宅→忠別川→石狩川→永山橋折り返し→新橋→忠別川大橋→美瑛橋→美瑛側→平成大橋折り返し→新橋→自宅到着 新橋から歩いたので21キロくらい。2013年5月18日撮影 天候は雨

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    8月31日、僕にとって3回目となる北海道マラソンに出場してきました。
    結果は38キロで無念のリタイア。
    2週間過ぎた今でも思い出すのは苦しく、辛く、惨めな気持ちになるのですが
    この悔しさを胸に刻んで来年、必ずや完走するために当日の模様を記録に残しておきたいと思います。

    大会当日、天気予報では最高気温27度、平年の道マラより走りやすい気温です。
    実際、当日の最高気温も27.6度、たいした温度ではなかった。だれども、僕にはきつかった。


    8時15分に荷物を預け、20分に列に並び、9時にスタート、およそ3分ぐらい歩いたか、そのあとはいつもどおりのスピードで走れる。前を走るポニーテールの女子をペースメーカーとしてついて行く。GPSウォッチをみると、キロ5分20秒とか、ちょっと早い。5キロ過ぎからペースを落とす。しかし、ペースはなぜか落ちづ、ますます早くなっていき、キロ5分をきる始末。ゆっくり走っているつもりなのだけど、おかしいな。


      05キロ地点 34分35秒(37分00)             カッコ内は昨年の記録
      10キロ地点 1時間05分53秒(1時間06分37秒)


    5キロでは給水せずに7.5キロ地点で水を少し飲む。これまでの練習のときの教訓であまりたくさん飲むと苦しくガクッとスピードが落ちるから。一口二口飲んで頭に水をかけた。創成トンネルを抜けたあとの風が涼しく気持ちがよかった。


      15キロ地点 1時間38分07秒(1時間36分52秒)
      20キロ地点 2時間10分04秒(2時間07分53秒)


    新川駅前をとおり、そのあたりでトップランナーとすれ違う。
    18キロあたりで新川通に出て折り返しが26キロ、長い長い直線だ。
    このころより疲れが。足も腰も辛い。暑さはそれほどきつく感じてなかった。
    ペースは後半に備えて落とし6分20秒ぐらいだった。
    中間地点で2時間18分26秒(2時間15分06秒)。 昨年より3分20秒の遅れ。
    昨年より早いと思っていたし、まだまだ大丈夫、いけると確信していた。


      25キロ地点 2時間43分0秒(2時間40分22秒)  関門時間まで約22分の貯金
      30キロ地点 3時間22分06秒(3時間14分54秒)  関門時間まで約17分の貯金


    26キロの折り返しのパイロンを3度たたき折り返した。28キロあたりだったか、パワージェルをポシェットから落とし、それを拾うためにひざを曲げたら足がつりそうに。スピードを落として回復を待つ。
    30キロあたりからの給水場では、飲み水が残っておらず、仕方なく氷をもらってすする。大きくて口に入らない。新川通はやはり長く、新川通を終えて左折、32キロあたりから足がビクビクと今にもつりそう。
    しかし、このころもまだ昨年のタイムより早いと感じていた。キロ7分ぐらいに落としても大丈夫だと思っていた。


      35キロ地点 4時間07分11秒(3時間51分55秒)  関門時間まで約7分の貯金


    氷をなめながらよたよた走る、記憶がぼんやりしている。34キロくらいか、痙攣させないように走り続けなければならないのに水をもらうためか、エイドで走りをやめしばらく歩いた。
    35キロのタイム計測のところ、歩いて通過したのか、走って通過したのか、記憶にない。
    このころ、まだ宣告カーの声は聞こえていなかった。

    おぼろげな記憶だけど、たぶん35キロを過ぎたあたりで前に止まっていた白バイ婦人警官の前で足がつって、激痛に耐え切らず倒れこんでしまった。
    痛さのあまり、悶絶、声も出せない。うなる。時々、走り去るランナーが声をかけてくれる。
    2分くらい後、毛布に乗せられ歩道に。OS-1を手渡され、足をつらせながら上体を少し起こして飲む。
    7,8分くらいだろうか、起き上がれずしばらく横になっていた。

    介護してくれた若い学生さん?は「まだ時間ありますから、大丈夫。ゆっくり」と言ってくれる。自分自身でも、宣告カーの声も聞こえないし、まだ大丈夫、と余裕をぶっこいていた。
    ゆっくり回復するまで安静にし、しばらくした後、僕は立ち上がり走り出した。このロスタイム、10分位か、よく分からない。

    立ち上がって歩くようなスピードで走る。GPSウォッチの記録を見ると、次のようなスピード。


       35キロ  キロ7分56秒
       36キロ  キロ7分55秒


    走り始めてしばらくすると、後から宣告カーの声が聞こえた。このころ頭はしっかりしているつもりで、3年前リタイヤしたときと違うぞ、行けるところまで走るぞ!と思う一方、次の曲がり角までおそらく数百メートルだけど、それがとてつもなく遠く感じた。心の中の悪魔が、弱い自分が「この足で、体力で、ゴールはあまりにも遠いぞ」と囁く。

    宣告カーは「この車に抜かれた人は速やかに歩道に上がってください。ゴールまでの時間を考えての速度で走らせていますので、この車に抜かれるスピードではゴールできません。付近住民の皆さんにも迷惑がかかります。急に走るスピードを上げるのは危険です。」と宣告している。


       37キロ  キロ8分25秒
       38キロ  キロ7分36秒


    負けてたまるかと、何度もスピードアップするけれどほとんど変わらない。ちょっとスピードを上げただけでダメージが来る。苦しい。自分がいま何キロ地点にいるか、いま何時なのか、あと何分あるのか正確にわからず、GPSウォッチを見ようとする余裕もなく、宣告カーの「ゴールまでの時間を考えての速度で走らせていますので、この車に抜かれるスピードではゴールできません」という厳しいお言葉?にいつしか心は萎え、ゴールまで走り続けるのは無理とあきらめて走ることを止めた。リタイヤ。
    後ろを振り向くと宣告カーが5mも離れていなかった。



    GPSウォッチの記録を見ると、38.2キロでリタイヤしている。
    あとたった4キロ。
    リタイヤ者収容バスを待つがぜんぜん来ない。道端にたくさんのリタイヤ者がしょぼくれて座ってバスを待っている。人生に疲れた詩人のように。手で顔をおおい、ひざを抱え、頭をがっくりとしなだれて。
    8月の最終日曜日午後、澄み渡った晴天のした、そのあたり一帯は不運・不幸・負け犬の暗くずっしりとおもい空気が漂っていた。
    僕はその空気に耐え切れず、トボトボと歩いた。ゴールに向かって。憧れの北大キャンパス、木々の木漏れ日が美しい。ここを今年も走りたかった!また1から出直しだ!来年に向けての練習方法を考えながら歩いた。

    2014年の北海道マラソンが終わった。


    終わり




    2014年  12,922人参加、最高気温27度湿度不明、完走率78.9%






    イメージ 10_2jpg←GPSウオッチの記録








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    ←赤レンガ前での花のイベント








    _2JPG←日本生命ビル地下の「British Pub Darwin」にて1人反省会












    ダメだったというネガティブな気持ちが心の中の深くに、カビやコケのようにあちこちに根付いてしまった感じがする。そのカビは湿ったところで繁殖を続ける。早く風通しを良くしないと。気分転換をしないと。小さな成功を重ね心を晴れやかにしないと。そう、分かってはいるけど踏み出せない。30代40代前半のころにあったような、前傾して突っ走しっていくような、ほとばしるようなエネルギーはいまはもうない。枯欠。しょぼくれおじさん。あああ。



    過去5年のジョグラン走行距離記録。マラソン大会で走った距離も含む。
    記録するのを忘れた日もあるだろうけれど、おおよそ正確な数字だと思う。

    ジョギング
    ・2009年 509.1km
    ・2010年 894.7km
    ・2011年 677.6km
    ・2012年 385.2km
    ・2013年 558.8km+α

    この記録を集計して自分で驚いた。全然走っていないじゃん。なんだこれはと。
    だって、北海道は冬は走れないとしても、4月5月から10月までの6ヵ月半ぐらいは走れる
    訳だから、上の記録を6.5で割るとひと月100kmとかそんなものだもの。
    これじゃあ、タイム早くならないよなー。そう思った。反省した。
    せめて、5〜8月の4ヶ月は月間200kmは走り(最低でも)、4月9月は100kmで、10月は50で、11〜3月は20kmでいいとして。
    そうすると、年間何キロだ?800+200+50+60=1110km。
    うんうん、これくらい走らないとね。
    5〜8月の4ヶ月は月間200kmったって、土日で30キロ×4週で120キロ、それ以外週2回10キロ×8で80キロで
    月間200キロだ。

    来年、2014年は年間目標を1100キロにしよう!


    以下、自宅から堤防沿ランニングコースの写真です。自宅→忠別川→石狩川→永山橋折り返し→新橋→忠別川大橋→美瑛橋→美瑛側→平成大橋折り返し→国際見本林近く南校川→富良野国道横断→忠別川→氷点橋→クリスタル橋→忠別橋→自宅到着 25キロくらい。2013年5月25日撮影

    スライドショー http://yahoo.jp/box/0JXbTN


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    2013年11月26日(火)、バイクにバッテリーを外し後輪スタンドとカバーをかけた。自転車も軽く磨き、逆さにしてガレージにしまう。
    1年間、ありがとう!また来春からよろしく!

    ちなみに以下は近年のもろもろの走行距離です。

    自転車
    ・2009年 1,821km
    ・2010年 1,624km
    ・2011年 1,843km
    ・2012年 1,500km
    ・2013年 1,247km

    2013年はあまり乗らなかったな。過去5年の中で最下位。



    バイク
    ・2009年 442km
    ・2010年 2,006km
    ・2011年 1,887km
    ・2012年 2,402km
    ・2013年 1,044km

    バイクも乗っていないな。




    ・2009年 9,185km
    ・2010年 5,569km
    ・2011年 5,097km
    ・2012年 4,157+2,336=6,493km
    ・2013年 5,237km+α

    車は年末までまだこれからひと月あるけど、たぶん5600〜5800kmぐらい。
    年間目標の5000km以下は無理だった。
    3月末〜6月末、母のお見舞いなどの病院往復でかなり走った
    燃費平均リッター13kmとして、5800/13=446L×145円/L≒64,692円

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    2013年8月25日(日)、僕は2年前に完走できなかった道マラに再挑戦してきました。

    前日の夕食は明日のフルマラに備え、超おなか一杯に食べました。食べたものは
    ・前菜 ミニトマト&ゴマオイル&バジル&チーズ
    ・主食 カレーライス大盛り2杯
    ・デザート 大福餅 小5つ
    ・お稲荷 4つ
    ・アイスミルクバー 2本

    お酒はもちろん我慢。ここ1週間はダイエットペプシを食事時、飲み続けた。

    食後、ベッドへ。でもなかなか寝付けない。向かいの駐車場から
    人の声や車の音がして気になる。結局、寝付けたのは12時ごろだろうか。


    25日(日)朝3時50分起床。
    朝食食べ、さらに必殺「サトウの切り餅」を7つ食べた。
    これが今回の最大の勝因だと思います。
    マラソンは食べるスポーツなのです! と、この本↓に書いてあった。
    「非常識マラソンマネジメント レース直前24時間で30分速くなる」
    http://goo.gl/2ddEJ1

    JRで札幌へ。札幌駅到着6時40分。
    8時過ぎ、手荷物を預けトイレに行き、8時40分すぎにEエリアに加わり、スタートを待つ。
    日差しが強く、この調子だと気温は30度ぐらいまで上がるかもしれない、と思った。

    スタート1分前、カウントダウンが始まり、いよいよスタート。5分強、ノロノロ歩く。
    大通りを右に曲がったあたりから走り出す。中島公園あたりではほぼ、マイペースのスピードで
    走れていた。日差しが暑い。



      05キロ地点 37分00秒
      10キロ地点 1時間06分37秒

    創成トンネルをマラソン軍団が駆け抜ける、あのシーンは圧巻。いつか写真に収めたい。



      15キロ地点 1時間36分52秒
      20キロ地点 2時間07分53秒

    雨雲がどんどん広がってくる。暑くはない。体も足もだるくない。
    5キロごとの給水場ごとに「Shots」などのエネルギーサプリを飲む。
    中間地点で2時間15分06秒。ゴール関門まで2時間45分ある。


      25キロ地点 2時間40分22秒  関門時間まで約25分の貯金
      30キロ地点 3時間14分54秒  関門時間まで約25分の貯金

    23.8キロが折り返し地点だと勘違いしていたので、随分遠く
    感じた。
    25キロぐらいからどしゃ降りの雨。靴もなにもかもずぶ濡れ。
    でも寒くはない。
    前回はここらへんで路肩市民エイドさんのスイカを食べ、撃沈
    した。だから今年はスイカは食べなかった。
    30キロのエイドでバナナを食べた。手持ちのサプリは全部
    飲んでしまった。サングラスを外し、ポシェットにしまう。


      35キロ地点 3時間51分55秒  関門時間まで約23分の貯金
      40キロ地点 4時間28分09秒  関門時間まで約22分の貯金

    実は30キロぐらいから足がつりそうになり、ひやひや。スピードを
    落とす。止まると足に痙攣がおきそうなのでエイドはどこも寄らずに
    走り続けた。
    前回、痙攣してのたうちまわった32キロのエイドを過ぎ、宣告カーに
    つかまった34キロ地点も無事、通過。
    新琴似2条通を左折して北大、このあたりが一番きつかった。
    夢にまでみた北大キャンパス、そして赤レンガ。
    あああ、もうゴールは近いぞ!
    あああ、でもまだ2キロもあるのか。
    ええい、くそ、ダッシュだ!と思いながらも、ペースは上がらない。
    最後の大通りにでて「FINISH」が見えても、全然ダッシュできない。

    しかし、とにもかくにも両手を挙げて笑顔でグリコスマイルで
    ゴーーール!

      記録 4時間44分18秒  ネットタイム 4時間38分23秒


    走り終わり、かなり長い時間をかけて服を着替え足を乾かし、濡れていない
    スニーカーに履き替え、大通り公園のベンチで1人まどろむ。
    8月の最終日曜午後3時。見上げると青空が見える。吹く風が心地よい。
    ひとり、夏の終わりにマラソンという自己との戦いに勝った余韻を
    味わう。
    あああ、最高だ!気持ちいい!最高だ!自分に勝ったんだ!



    僕はそんな晴れ晴れとした気持ちで夕方4時から始まる大会フェアウェルパーティ
    に向かいました。
    あの時の一口目のビールの味は忘れられません!Wonderfull Lifeだぜぇ!!


    終わり


    2013年  12,704人参加、最高気温26.5度湿度51%、完走率87.5%



    IMG_6204←AM7時半、テレビ塔の下にて着替える










    image14←ゴール間近、雨上がりの赤レンガ前、知人のカメラでGood shot!











    IMG_6205←PM14時50分、走り終え大通りのベンチにてまどろむ











    IMG_6213←PM17時半、パーティ会場にてワイワイナ選手と杯を交わす











    15←PM22時20分、自宅にてシャワー後、ジョニ黒ウィスキーコークで乾杯












    IMG_2549前回の続きです。

    ドラッグストアのレジの女の子に怒鳴ってしまったことを反省しつつ、車はいよいよ陸前高田の海沿いに。




    僕らが行った2012年5月の頃、つまり震災から14ヶ月がたとうとしていた訳ですが
    その頃、僕が被災地を車を運転しながらパッと眺めての感想は「なんにも無い」
    です。舗装された道路だけがあって、あとは原っぱというか平地だけです。
    なんだかこれから開発が進む湾岸地域やニュータウンみたいな感じです。
    草木もなく、がれきもおおむね取り除かれている。道路も主要な、僕が走った大きな
    国道はバッチリ舗装されています。信号はほとんどない。だって、家も何もないただの
    平地だから、十字路もあまりない。

    でも、これはパッと見た目の感想です。
    車を停めてよく見ると、そこに昔建っていたであろう建物の土台が見えたり
    くぼみがあったり、あちこちに花束が置かれていたり、明らかに震災前は
    そこここに家々が立ち並び、人々が生活していたことがうっすら分かります。
    震災後まもなくとかであれば、もっと生々しく被災の状況が残っていたので
    しょうが、僕らが行った2012年5月の時は大きな国道沿いはおおむねそんな感じでした。

    なので大きな国道ばかり走るだけではなく、僕は車を細いわき道に入れて
    ちょっと高台のところ、住宅がまだまだ残っているところに向かいました。

    半壊してもう誰も住んでいない家、修理中の家など諸々あるけれど
    人々は懸命に普段の生活を取り戻そうとしているようでした。
    そんな高台の住宅地から、海沿いの平地、津波で何もかも流され何もない平地
    が見下ろせた。すぐそこに。
    距離にして数百メートルだろうか。
    それは強烈な幸と不幸のコントラストだった。

    あの日、3・11の午後3時過ぎ、まず、いまは海沿いの平地に津波が押し寄せ、
    そして僕が立っているこのちょっと高台の住宅街にもどんどんと津波が迫ってくる。
    人々が高台に向かって走ってくる。高台からも呼びかける。
    どんどんと津波が迫ってくる。

    ほんのわずかの差で一緒に走ってきた家族が、友人が波にのまれる。
    「つかまれ!」と手を差し出す。
    その手をつかめず、波ののまれてあっという間に波に流されていく・・・。
    ああああ・・・・

    そんな光景が脳裏に浮かぶ。手に取るようにありありと浮かぶ。
    だって、そこここに花束は置いてあるし、津波の傷跡があちこちにかいま
    見える。
    僕は霊感とか全然持ち合わせていないし、その手の経験もほとんどない
    けど、そういう情景がまざまざとイメージできた。できた?いや、ちがうな。
    容易にイメージが勝手に浮かんでくる。勝手に。
    いたたまれなかった。気持ちがどんよりと重くなった。

    僕らはその住宅街を後にし、その日の宿泊地、宮古市に向かった。
    途中から小雨が降ってきた。
    景勝地「浄土ケ浜」によるが、どうにも素直に景勝を楽しめない。
    かなり疲れてもいたし、小雨模様だったし・・・。

    ああ、そうそう、母が途中で立ち寄ったどこかのトイレで杖を忘れ、それを
    探しに戻ったので、釜石ー大船渡間あたりを2時間位うろうろした、
    奇跡的に見つかったので、それはそれは嬉しかった。
    見つかった場所も仮設のドラッグストアだった、

    そんなこんなの東日本震災地旅行でした。
    本当はもっと地元の人たちと交流の場を作り、いろいろな話を聞きたかった。
    だけど、時間が無く通り過ぎただけ、みたいな被災地視察になってしまった。
    でも結局のところ、本音を言えば、僕はあの時、時間があっても積極的に
    地元の人と交流はもたなかったと思う。
    いち旅行者が通りすがりに、興味本位に、何をどう尋ねる?聞いてどうする?
    そんな自分勝手な考えがその時もそしていまも気持ちにあります。


    そんなこんなの東日本震災地旅行でした。
    そして、あれから1年が経とうとしています。
    いまこの旅行を振り返り、改めて思うことは、
    ・母がまだ元気なうちに旅行にいっておいてよかった
    ・なにはともかく、被災地をこの目で見て感じれた。その経験ができてよかった

    ということでしょうか。
    旅行=非日常的な時間。それがどんなものであるにせよ、家でテレビを見ている
    より1000倍、良い。
    今年の北海道のGWは雨だし、母は入院しているし、なので痛切に思う。
    だから1年も経って、全然タイムリーじゃあないけれど、あの時の思いを
    感じた事を記録に残そうと、この旅行記をアップします。


    IMG_2553←あちこちに置かれている花束








    IMG_2555←河川敷すぐの道









    IMG_2564←がれきはほとんど片付かれている








    IMG_2571←ここだってたぶん住宅があったはず









    IMG_2577←ちょっとした高台にある住宅街








    IMG_2591←津波に流されなかったアパート









    IMG_2634←小雨振る浄土ヶ浜

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