2009年09月28日
しんぼる
メキシコの田舎町のプロレスラー
エスカルゴマンは、家族の見守る
中、大事な試合に臨もうとしていた。
一方、一人の男が白い壁に覆われた
何も無い部屋で目を覚ます。何故
そんな所にいるのか全く解からない
男は、何とか脱出しようと辺りを
見回す。そして発見した突起物に
触れると・・・。
松本人志の監督第2作目。前作『大日本人』は、特撮の新たな
可能性を提示してくれながらも、最後にはそれを自らぶち壊して
しまうトラウマものの映画でした。今回は謎の空間の密室劇と、
メキシコでの物語が交互に描かれる形式を取っています。
『大日本人』は、タレントの顔をした怪獣が街でおかしな行動や
卑猥な行為を繰り返すという、かなり人を選ぶギャグの連続
でした。今回は1人で取り残された部屋でずっとモノネタを
やるという感じになっていて、前作よりは万人受けしそうな
内容になってます。しかしどうにもテンポが悪い。寿司をネタに
したギャグがあるんですが、オチに到達するまで1分半ほど
延々と寿司を食べ続けるだけなので飽きてしまいます。もちろん、
引っ張った分だけオチのインパクトが大きくなるという計算の
上でやってるんでしょうが、それにしたって間延びし過ぎだと
感じてしまいました。出口が開いてもすぐ閉じてしまう場面でも、
スイッチを他のもので押さえておくという発想なんて誰でも
すぐに浮かぶのに、あえて他のあまり効果のなさそうな方法で
攻略しようとするのでイライラしました。全力で走っている
ように見えないのも問題でしたね。
完全に一人コントになっている部屋パートに対して、メキシコ
パートはしっかり映画になっています。「なんだ、松本人志も
普通に映画撮れるじゃん」なんて思いましたが、海外部分は
完全に別撮りみたいですね。
部屋パートとメキシコパートが繋がるのがかなり終盤になって
からなんですが、その繋がりがあまりにも薄い。いや、繋がりが
薄い訳ではないんですが(むしろ無茶苦茶密接な繋がりとも
言えます)、メキシコの他にもアメリカ、ロシア、中国なんか
でも同じ繋がりがあって、それらは1分くらいで話が片付いて
しまうんですよ。「だったらメキシコも、映画の3分の1使って
やる必要ないじゃん!」ってことになっちゃうんですよね。
そしてクライマックス。「なるほど、そう来たか」と納得できる
オチなんですが、今までコントだった内容が、ここでいきなり
映画になってしまうので、かなりギャップと違和感がありました。
クライマックスのビジュアルが『ファウンテン 永遠に続く愛』
とダブって仕方なかったです。それと、自分の映画の中で自分の
ことを○○にしてしまう行為は、M・ナイト・シャマランの
『レディ・イン・ザ・ウォーター』と一緒ですよね。
この映画、メキシコパートの要らない部分をそぎ落として、
30分くらいの短編にすればかなり良くなるんじゃないでしょうか。
ぶっ飛ぶオチも、観客の想像に任せる部分の多い短編ならより
受け入れられると思うし。
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この記事へのコメント
えめきんさんは16年前に発表された中篇「頭頭(とうず)」を観た事がありますか?
私は何となく、松ちゃんファンが期待してるのは「頭頭」みたいな作品じゃないのかなあと思っているのですが。
『頭頭』の存在は、ノラネコさんの『大日本人』の記事で初めて知りました。それを観ていて、松本人志の映画感を知っていれば、また違った評価をしてたかもしれませんね。