2014年08月31日
ラヴェル/弦楽四重奏曲(パレナン弦楽四重奏団)(仏EKO L.M.2)

後年のパシフィックと同録音といわれていますが、両盤を聴き比べてみるとパシフィックの音が何とノーブルに聞こえることか・・・個人的にはとても同じ演奏とは思えません。カッティングや製盤で印象が変わるのは初期盤コレクターならどなたでも経験されたことでしょうが、初期盤どうしでも同じことを感じます。いつもは耳に厳しい、ある意味刺々しい再生音が、今夜は心地よく鳴り響きます。秋が近いから、でしょうか。
明日からいよいよ9月。おそろしくも楽しみな仕事のオンパレードです。気分をアゲアゲにするには、やはり今夜はEKOがいいんでしょうね。原始的な響きに、身体が揺れます。
2014年08月17日
イースデイル/『赤い靴』ほか(ウラデミール・ゴルシュマン指揮セントルイス交響楽団)(米コロムビア MS6028)



標題曲のほかにウエーバーの『舞踏への勧誘』、ドリーブの『シルヴィア』『コペリア』という、まさにど真ん中の選曲。これを愉しんで演奏するゴルシュマンの流石の芸は、まるでクナの『ウィーンの休日』や『胡桃割り人形』に見られる“余芸を超えた遊び”に通じるものがあって、巨匠ならではの謡い口に酔えます。昨夜の二日酔いが心地よい朝にピッタリなLPです。
2014年08月16日
『パヴロワを讃えて』〜組曲“枯葉”ほか〜(エフレム・クルツ指揮フィルハーモニア管弦楽団)(英HMV ALP1301)

お盆明け早々に東京へ日帰り出張です。めっちゃ早起きして、国立新美術館に行きます。お目当ては『魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展』で、夏休み期間で公開終了です。クラシック好きには有名なセルゲイ・ディアギレフのロシア・バレエ団ですが、辺境の当ブログに迷い込まれた方々にはイーゴリ・マルケヴィッチの2組のオマージュ・アルバムが有名ですね。とくにHMV(VSM)盤は私もその装丁の素晴らしさに息を呑みました・・・縁がなく架蔵しておりませんが。コンサートホール盤も負けず劣らずの豪華さで、彼の地と日本との圧倒的な差を感じずにはいられません。
で、天邪鬼な私が取り出してきたのがこの盤。ディアギレフが1909年5月から6月のパリ公演旗揚げの際にマリインスキー劇場の華アンナ・パヴロワをシーズンオフに呼び寄せ“セゾン・リュス”と称したのは、ヴァーツラフ・ニジンスキーとの二枚看板で必勝を期するためでした。ストラヴィンスキーなどの(当時の)前衛バレエに参加しないパヴロワはニコライ・チェレプニン(リムスキー・コルサコフのお弟子さんだったそうです)のバレエ・パントマイム『アルミードの館』とフレデリック・ショパンの『レ・シルフィード』で色白・面長・華奢な美しさを存分に発揮したそうです。
これはサンクトペテルブルクの貧しい家庭に生まれ、49歳でその生涯を閉じた名花の没後25年を記念して制作された“追悼盤”です。A面は彼女がショパンの作品4曲を選んで『枯葉』と題した編曲物。B面もパヴロワが好きだった曲で占められていて、舞台上でもその生涯でも“瀕死の白鳥”のヒロインだった彼女の世界を彷彿とさせる、ある意味非常に乙女チックなレコードです。
雨の中、実施されるかどうか分からない送り火のために我が家に向かっている友人(3名)を待ちながら、何故か耳を傾けたのがこのLP・・・外の雰囲気とは余りに違う甘い気分に、たまには私も浸ってみますか(笑)。
2014年08月08日
シューベルト/4つの歌曲集(バーシャ・レチツカsop、ジャン=ジョエル・バルビエpiano、ジャック・ランスロclほか)(仏ディスコフィル・フランセ 525.117)

それにしても暑い。正直言うと猛暑で夜中に目覚めて眠れず、久しぶりにレコードを聴きながらゆっくりPCに向かっています。こんな時は涼やかで清らかな歌に限ります。編成の大きな音楽はそもそも夏に向かないと思っていますが、弦楽器も私には暑い・・・ピアノや管楽器は少しはマシですが、このレチツカのような歌唱には叶いません。アンセルメのストラヴィンスキー録音くらいしかメジャー録音が遺されていません。高名な仏シャン・ドゥ・モンドのシューマン(A面がペーター・リバールのF.A.E.ソナタでB面が複数の歌手による歌曲集)に参加しているほかは思い浮かぶ音盤がありません(2006年9月24日の項にたくさんお寄せいただいたコメント欄で、この話題が出ました・・・もう8年も経つんですね)が、このシューベルトは私が把握している唯一の“彼女のレコード”です。
『岩の上の羊飼い』は大好きな曲です。エルナ・ベルガーやリタ・シュトライヒの歌唱も好きですが、ベルガーは当然としてシュトライヒも立派過ぎる演奏です。その点、レチツカは良い意味で“隣の(美人?)お姉さんが清々しく歌う”風情で、純粋に歌に寄り添うことのできる演奏です。ベルガーとシュトライヒにはハインリヒ・ゴイザーがオブリガードを務めていますが、レチツカの場合はランスロがあてています。このあたりに彼女たちの歌唱のそもそもの立ち位置・方向性の違いが如実に出ている気がします。
幸せな時間が過ぎていきます。暑さはもちろん、このところの浮世のウサもどこかに飛んでいきます。緩やかな復活に相応しいディスクです。今後とも、宜しくお願い致します。
2014年03月01日
ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲(2曲)、J.S.バッハ/チェンバロ協奏曲(アルベルト・ゼッダ指揮ミラノ・アンジェリクム室内管弦楽団)(仏シャルラン SLC−2)

アバドには非常に甘酸っぱい想い出があります。彼はクラシックを聴き始めたMICKEY少年にとって、眩しいヒーローでした。
中学2年生で少しクラシック音楽に関心を持ち始めた頃、TVでチャイコフスキーの伝記映画を観た私はそこで象徴的に何度も使われた“ファンファーレ”が気になり「どうしてもちゃんと聴きたく」なりました。今となってはそれが交響曲第4番第1楽章冒頭だと分かるのですが、当時はネットはおろか誰もナビゲーターたる人がいません。家から徒歩1分のところにあった津田蓄音器店(当時はもう常連になっていました・・・だって毎日下校時に立ち寄っていたのですから)で店長に尋ねたところ、「よく分からない」と言われ、仕方なく店頭であの有名な旋律を大声で口ずさみました(よくもまぁ、あんな恥ずかしいことをできたものです)。すると「分かった。チャイコの交響曲4番や、それ。」・・・“絶対コイツ分かってて俺に面白がって恥かかせたな”そう思いながらクラシック売場に行くと、いやにカッコいいLPが新譜で飾られていました。

いつもは中古盤を漁り、少し余裕ができると廉価盤を買う中学生にとって、フルプライスそれもグラモフォンの新譜2,600円(!)は眩しさを通り越して文字通りの高嶺の花だったのですが、あまりにも華麗なジャケットに惹かれて何故かその場で買い求めたのでした。もう40歳を超えていたはずなのですがまるで青年のようなアバドが天下のウィーン・フィルを振って録れたレコードは、後年有名なムラヴィンスキー盤を聴いて茫然自失となったあとも“特別な存在”として我が家に長く居続けました。

アバドの父は有名なバロック奏者で、モノラル期のコロムビアに素晴らしい演奏を遺していました(息子も参加していたはずです)。オペラもストラヴィンスキーも立派にこなしたアバドですが、このレコードのような幸せな空気を感じることはあまりありませんでした。それだけ存在感のある演奏家になった証だったのかもしれませんが、個人的にはこの盤を聴くたびに少し残念な気持ちになります。本当はどちらが彼にとって良かったのでしょうか?
とにかく遅ればせながらではありますが、彼のご冥福をお祈りいたします。
2014年02月03日
『ポール・リシャールに捧ぐ』・・・ブラームス/ヴァイオリン・ソナタ第3番、ほか小品集(マリー=クロード・チュヴニィーviolin、シルヴィ・メルシェpiano、ジャック・マリシャルorgan)(仏ディスク・ピッツィカート PC1001−2)

今日は会社を休んで医者に診てもらいました。このところ忙しかったのもありますが、これまで親身に診てくださっていた先生が昨夏に急逝されたことで、新しい診療医の方を見つけることに億劫だったのかもしれません。幸い今日初めて行った医院の先生はベテランで非常に良い方で(あまりにロココで・・・もとい献身的良心的で、ただし出社前に立ち寄るのは向いていないようです)、私が週末札幌出張を控えている(それもあって本日お休みをとってまで急遽診てもらったわけです)ことを伝えると全ての可能性を調べてくださいました。おかげで非常にストレスなく、明日から職場復帰できそうです。
午後は家でゆっくり。このところロクに聴けていなかったレコード三昧。でも長い曲を聴く体力はありませんでした。癒しのレコードとして何度もかけたのがこの盤。私はよく知らない画家ポール・リシャールの追悼のために身内だけに配られたプライベート盤だとか・・・よくよくお世話になっている神戸元町のオーディオショップの御大に、無理を言って譲っていただいたものです。彼がひょんなことでブラインドでかけてくださったこのレコードを聴いて、あまりの優しい雰囲気に呆気にとられてしまいました。1977年に制作された盤のために特別に録音されたもののようで、スタジオの空気から奏者の気持ちまでまるごと封じ込めたような世界です。よほどのヴァイオリニストなのか?とジャケット裏面のクレジットを見ても???・・・「MICKEYさん、デュクレテの8インチのドビュッシーのソナタ(2006年1月30日の項をご参照ください・・・今から8年以上前ですか・・・)で、アンドレ・レヴィのチェロ・ソナタの裏面のヴァイオリン・ソナタをやっている人やで」と言われ、やっと思い出しました。
先日の新年会で“とんでもない名手が、よくわからない企画盤に参加していることがあって、コレクター泣かせだ”ということが話題にのぼりました。国内盤でも巌本真理が妙なセットでソナタを弾いている、なんて話を聞いた時にこの盤の話をしました。そのことを思い出して、繰り返し聴きました。何という柔らかなブラームス・・・彼ほどのメロディ・メーカーはいないだろう、と私は思っているのですが、そのことを十二分に感じさせる演奏。小品はすべてオルガン伴奏・・・バックがオルガンなのが当然という説得力があります。何よりこれだけの優しい想いが込められた追悼盤を制作してもらえたポール・リシャールという人に興味を持ちました。ネットで調べても出てきません・・・向こうでも無名の人だったのでしょう。
音楽も美術も、有名・無名と芸の間には何の関係性も無いようです。今夜は早く寝て、明日に備えます。
2014年01月31日
グリーグ/チェロ・ソナタ第3番、ボッケリーニ/チェロ・ソナタ第6番、ほか(ヴィクトル・ストーリンcello、伴奏ピアノ数名)(露メロディア D32043−4)

そんな中、レコード蒐集の方も負けずに充実(汗)していて、もう泊まりの東京出張があり、その帰りに京都でLP(初期盤)愛好家が6人も集まっての新年会も催されました。わざわざ東京から駆けつけてくださった方もいらっしゃり、二次会まで含めた5時間以上もの長いヲタク談義もアッという間に過ぎていったのでした。
当ブログのことも話題にのぼりました。曰く「最近のVINYL JUNKYは、かつて取り上げていた盤とかなり趣が違うものが多い」・・・そういえば温故知新な名盤とメロディアを中心にした旧東欧のレコードがすっかり幅をきかせています。前者はともかく「そういえばMICKEYさんはメロディアお嫌いだと仰っていませんでしたか?」と鋭いツッコミまでいただきタジタジ・・・そう、私はジャケットの無いメロディアのレコードが苦手でした。そんな私をメロディアに嵌めたのがメロディアの大家である神保町C店のK氏と当ブログに何度も登場するW少年(彼は当然先日の新年会の最年少メンバーでした)のふたり。彼らは互いに相手に譲り合う博愛精神の持ち主ですが、ハッキリ言います。ふたりともA級戦犯です(笑)。おかげで、私のディスコグラフィーは相当に様変わりしてしまいました。
今回ご紹介するのはW少年から先日譲り受け、余りの芸風の大きさに圧倒されたこのレコードです。全く無名のチェリスト。この盤を聴くまで全く知りませんでした。知らないチェリストでしたが、W少年が尋常ならざる褒め方をするので気になって買い求めました。唯一の録音にして35歳で夭逝した彼の追悼盤とのこと・・・シャフランやロストロポーヴィッチしか知らない私は唖然呆然、彼は全く違うタイプです。敢えて例えればフランスのミシュランでしょうか。色合いと技巧の同居、メランコリックでありながらすさまじい胆力・・・エネルギッシュなチェロです。弱々しいわけではない、もちろん剛力で押すわけでもない。グリーグもボッケリーニも熱い、そして爽やか。一方でフォーレやファリャの小品にみせる儚さ・・・幽玄な響きすら感じさせる若者が、これたった1枚。運命を呪いたくなる酷さです。
しかし本当に驚くべきはW少年。そんな盤をどうやって知り、見つけ出したのか?W少年の嗅覚はストーリンを聴いて驚愕から恐怖へと変わりました。
2014年01月18日
R.シュトラウス/『影なき女』全曲(カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)(英DECCA LXT5180〜4)

R.シュトラウスも今回でおしまいにします。最後は田吾作さんに薦められたベームの『影なき女』を。父クライバーの『ばら騎士』同様英DECCAの豪華装丁ですが、中に収められたジャケットは5枚全て箱と同じ絵・・・5枚組の大作(大金?)の割りにはちょっと気合い入ってなさすぎない?!なんてツッコミが吹っ飛ぶ大熱演。このオペラを生で観たこともないですし、実際他の演奏との聴き比べもしていないので滅多なことは言えません(し言うつもりもありません)。が、この尋常ならざるテンションはいったい何?R.シュトラウスらしい“うねり”に満ちた音楽が部屋中に充満して、思わず息苦しくなる瞬間が訪れるほどです。ジャケットの絵に魅入られるわけでもありませんが、まっすぐ射抜かれるような世界です。
5枚がちっとも長く感じません。オートチェンジャー仕様の盤を返すのが億劫になるくらい、惹き込まれる土曜の昼下がり。アッという間に夕方になってしまっていました。次男をダンス教室に連れていかなきゃ。
2014年01月09日
R.シュトラウス/『ばらの騎士』全曲(カール・ベーム指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)(独DGG SLPM138040〜3)

クライバー盤が奇蹟的なほどに世紀末の頽廃美を醸し出した(唯一の演奏といっていいでしょう)のに対し、このベーム盤は過剰なほどに整然としています。録音もたった5年ほどしか経っていないはずですが、演奏の世界が全く異なってしまうのは実に面白い!指揮者と歌手、オケの全てが目指す方向がこうまで違っていることに驚くとともに、その振り幅を余裕で包含するこのオペラの普遍性・永遠性に感心してしまいます。若きゼーフリートのオクタヴィアン姿が眩しいこのとても有名なジャケットは、クライバーの老練極まりない指揮姿を漫画チックに描いた(これまた有名な)ジャケットと対照的で、それぞれに見事なまでに演奏内容と合致しています。4枚組の装丁はどちらも非常に豪華で、LP初期に大枚をはたいてこのオペラを家庭で通しで聴いた好楽家を満足させるに充分なものになっています。
あくまでクライバー盤はうたかたの夢のようであり、そういう意味では学芸会的ですらあります。このオペラを考えると、愉しむことに特化した演奏といえなくもありません。指揮者以上に役者揃いの歌手陣が束になって、楽しそうに演奏している姿がLPを聴いているこちらに伝わってきます。一方でこのベーム盤こそは、このオペラのポテンシャルを剥き出しにさせました。歌手陣も当時の伸び盛りの連中を配して、先立って録音されたデカダンな世界とは違う『ばら騎士』を目指します。絶頂期のベームの棒、そしてドレスデン国立歌劇場管弦楽団はサポート役として適任であり、むしろサポートを通り越して彼らが作り出した世界に若き歌手陣を上手に誘っているかのようです。そういう意味では彼らもまた老練で、充分にクライバー盤を意識していたに違いなく、それが見事にはまったものになっています。
『ばらの騎士』にはこの両盤のほかに、コロムビアにカラヤン盤がやはり同時期にリリースされました。あれから50年以上経っていますが、これら3つの名盤を凌駕する演奏は現れていません。ティーレマンがどの程度やってくれるか?の期待はありますが、ただ上手いだけでは面白味の欠片もないこのオペラの上演は、今の世の中ではもう無理なのかもしれません(実は個人的には上記3盤の中で、カラヤン盤の“上手さ”にその感想を抱いてしまっています・・・)。それだけに1950年代という録音最盛期に「よくぞ間に合ってくれた」と嬉しくなります。
2014年01月05日
R.シュトラウス/『ばらの騎士』全曲(エーリッヒ・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)(LXT2954〜7)

何年か前も父クライバーの『フィガロ』で幕開けしましたね。息子クライバーの音楽が“まるで弾むよう”と形容されますが、その容姿・指揮姿も相俟ってのことでしょう・・・紡ぎ出される音楽だけを聴けば、その印象は父にこそ相応しいと感じます。それは『ばら騎士』や『フィガロ』といったオペラに限らず、例えばベートーヴェンの交響曲にも当てはまると思います。実際、先日遊びに来た親友に父クライバーの第五を聴いてもらいましたが、息子以上に跳ねる演奏(それでいて充分にシンフォニックです)に驚いてくれました。当然この『ばら騎士』も超高級学芸会を展開します(笑)。“腐りかけのメロン”のごとき甘露でデカダンな世界は、今の世では求めるべくもありません。ベームのDGG盤と双璧だと思っていますが、今夜の気分にはこっちが断然合います。
今年も何卒宜しくお願い致します。