スポーツ関係の話

2012年02月17日

川崎選手のことやら、U-23のことやら

スポーツについて語るブログ

 

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・ 川崎選手のことやら、U23のことやら

 

>①

元ソフトバンクの川崎宗則選手。私の地元(会社の近くの)鹿児島工業出身だけに、応援したいと思っている選手の一人である。彼は『イチローと同じチームに行きたい』と希望して、なんとマイナー契約で!シアトル・マリナーズに移籍した。巨額の移籍金でメジャー進出したダルビッシュとは大違いである。

 

正直に言うと、彼のこの行動は(個人的に)嫌いである。プロらしくないと思う。現役のプロならば誰かに過剰に憧れてはいけないと思うし、自分を評価してくれるチームならどこででも頑張るという姿勢が必要だと思う。好きなイチロー選手と一緒にプレイしたいということがメインの理由で、わざわざマイナー・リーグに身を落としてまでシアトルに移籍するという行動には、違和感がある。彼はプロだ。中学生のように“仲良しコンビ”を結成する必要はないはずだ。どこかに認識の甘さやプロに徹し切れていない弱さを感じてしまうのは、私だけだろうか?

 

確かに“イチローを超える”という目標設定をすることは難しいし誰もしないと思うが、だからと言って自ら“イチローの二番手”になる決断をするのはプロらしくない。イチローとて、川崎がいつも隣りにべったり(マネージャーのように)張り付いているよりは、むしろ別のチームで別の活躍をすることを望んでいるのではなかろうか? 川崎のやり方は、プロの行動というよりイチロー・ファンの行動に思えてならない。メジャー・リーガーとしてアメリカの大舞台で活躍するというプロの夢よりも、イチロー・ファンとして(たとえマイナー契約でも)近くにいることを優先したような印象を持ってしまった。

 

そうは言っても、彼を応援していないわけではない。彼がメジャーで成功するかしないかという視点で考えると・・・、私は成功するタイプだと思っている。性格も明るくてメジャー向きだし、スモール・ベースボールに徹することができる。守備、走塁、打撃、全て安定している上に、マイナーからのスタートでも這い上がろうという根性もある。実際に彼の希望通り、第二のイチローと呼ばれてシアトル市民に好かれる選手になる可能性は意外と高いと予想している。

 

色々と語ってしまったが、今さら私が何を言おうと、川崎選手が自らの希望をかなえたことに変わりはない。この(少々わがままな)移籍も、実力のある彼だからこそ可能になったと考えるべきなのだろう。既に戦うべき野球環境はシアトルに設定されてしまっている。あとはもう、怪我などせずに大活躍してほしいと願うのみである。

 

 

>②

先月、U23日本代表はロンドン・オリンピックに出場するということを前提にしたブログを書いたのだが・・・。その後シリア戦に敗れ(まさかの2位転落で)五輪出場は大ピンチである。

 

ベストメンバーには程遠い日本、おとなしい選手が多い日本、U20時代に世界大会に出場できなかった自信のない世代の日本。それに対して、国が政情不安のシリア、命がけのシリア、何としても勝ちたい気迫あふれるシリア、そして一か八か破れかぶれのシリア。このような差が、結果に表れたように思う。もちろん、日本代表もアウェイのシリア戦を天王山と位置付けて試合に臨んだのだろうが、残念ながら(観ている側に)その気持ちが伝わることはなかった。

 

確かに日本の失点は2点とも不運なものだったと言える。しかし、その不運を招き入れるような弱気のプレイ、弱気の采配、アウェイで引分けなら御の字という弱気の戦い方。どうせなら攻めて攻めてその結果として負けたほうがまだマシだった。守って守って、大事に大事に戦って、その挙句に勝ち点は取れなかったのだ。最悪としか言いようがない。

 

一度、全メンバーを入れ替えるぐらいの荒療治が必要だ。大きな意識改革も必要だ。『まだ出場できると思っている』『残りの試合で沢山得点すれば問題ない』『まずは次のマレーシア戦で勝ち点を積み上げることが重要』、こんな“ユル~い”希望的観測だけが横行するチームならば、間違いなくチャンスを逃すだろう。既に最悪の状況に追い込まれているという絶望感や緊張感がないとすれば、認識が甘すぎる。

 

シリアは次の試合、全力で大量得点を取りに行くだろう。夢のオリンピックが目の前にあるのだ。たとえアウェイでも(多少ラフなプレイをしてでも)バーレーンを叩き潰しにいくだろう。更に最終戦はホームで一番弱いマレーシア戦なので、より得点を加算すると思われる。日本としては、それぐらいの厳しい想定をしておかなければならない。死にもの狂いのシリアを上回る得点を上げることは簡単ではないが、何としても(どうにかして)達成する!そういう気迫や覚悟がなければ道は開けない。『まだ勝ち点では並んでいる、状況は五分五分だ』『とりあえず次のマレーシア戦に勝って、あとは最終戦で考える』というような認識では、オリンピックに進む可能性はかなり低い。

 

確かに、3位のバーレーンにもまだ五輪出場の可能性が残っているので、シリアとて簡単に勝ち点を積み重ねることはできないだろう。“棚ぼた”で日本に幸運が転がり込む可能性もないわけではない。しかし、そんな甘い未来予想をすべきではない。先日のシリア戦で引き分けてさえいればもっと楽にオリンピックに行けるチャンスだったにも係わらず、自分たちの甘い考えでそのチャンスを放棄してしまったのだ。こういう展開の時は、なかなか幸運が回ってこないものだ。苦しむことを覚悟しておくべきだろう。

 

今のU23日本代表は、ケガ人も多く海外組も(誰一人として)招集できない状況だというのに、あまり追い込まれた感じがしない。非常に心配である。

 

以上。

 

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2012年01月31日

U-23 ロンドン五輪への提言

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・ U23 ロンドン五輪へ向けての提言

 

25日(日曜日)、U23サッカー日本代表は、ロンドン五輪に向けて最も重要な試合を迎える。相手は難敵:シリア、しかもアウェイでのゲームになる。勝てばオリンピック出場がほぼ確実になるが、負ければグループ首位陥落で出場が微妙になる。

 

マスコミの予想は『何とかなるだろう』というものがほとんどだが、厳しい試合になるはずだ。日本のホームゲームでは(21で)勝ちはしたが、残り5分でようやく勝ち越すという試合展開で、決して楽なゲームではなかった。シリアはその後監督が交代しチーム戦術も変更されているため、前回と同じような展開・結果になるとは思えない。警戒が必要だ。

 

現在のシリアは、危険な独裁国家(極端な政情不安)である。シリア国民は日々内紛や弾圧(時には虐殺の報道もある)などの恐怖と戦いながら生活している。サッカーの代表チームはそんな国民の期待の星で、想像を絶するような気合いと覚悟でホームゲームに臨んでくる(まさに命がけである)。甘く見ていると足元をすくわれる。

 

それでも今のU23日本代表なら勝てると信じて、ロンドン五輪に出場できると仮定して、今日の話を進めたいと思う。少し大きな話になるが、日本サッカー界の未来に向けての提言(と言うと聞こえは良いが実は私の個人的希望になるかも知れない)を述べさせていただきたい。 → 日本チームは五輪に出場するという前提で話を進行する。

 

とりあえず、先に私の提言を述べておく。

 

『日本のオリンピック史上最強の(男子サッカー)チームを編成してロンドンに臨み、何としてもメダルを獲得すべし! 今年こそが日本のサッカーが世界レベルに達したと認めさせる最大のチャンスである!』

 

なでしこジャパンはワールドカップで優勝した。その後の(女子サッカーの)盛り上がりは、誰もが知っている。おそらく女子サッカーは、ロンドンでも活躍する可能性が高い。男子サッカーもその波に乗って欲しいのだ。ザッケローニ・ジャパンは連勝を続け、世界ランクもかなり上昇している。ここで(U23代表が)オリンピックのメダルでも獲得すれば、一気に日本のサッカーが世界的に認められるチャンスだと思うのだ。こんなチャンスは何度も訪れない。サッカー人気を確立し、世界的な強豪国にのし上がるには、今が最も良い時期なのだ。

 

要するに・・・。日本のサッカーを世界に認めさせるために、男子サッカーも(W杯のなでしこに続いて)ロンドンでメダルを取って欲しいのだ。現在のU23 日本代表の力量を公平に評価すると、最高に上手く戦ってもオリンピックの決勝トーナメントに進めるか進めないかという微妙なところだと思う(出場は16チーム、決勝トーナメントに進むのは8チーム)。メダルにまでたどり着くには、サッカー界全体で(国をあげて)バックアップしなければならない。

 

近年のオリンピックで優勝しているチームは、オーバーエイジ枠(23才超の選手を3人まで出場させられる制度)を利用して、更に国家的なバックアップ体制も整えて、最初から金メダル獲得を目指して、計画的に五輪に臨んでいる。前回優勝のアルゼンチンも、ベテランのリケルメ選手を上手く使って若手のメッシ等を活かしながら金メダルを獲得した(アルゼンチンは他の国に比べて明らかに五輪に力を入れている)。今の日本なら、それに近いことができると思うのだ。つまり、条件さえ整えれば絶対にメダルが取れる。

 

整えるべき条件は簡単である。まずはとにかく最強チームを作ること。今のU23日本代表のレベルはかなり高いほうだと思うが、世界で3位以内に入るにはまだ力不足である。では、どうすれば良いか? → ここから先は、あくまで私の個人的な“思い”である。

 

まず、ドイツから香川を呼ぶ。彼はまだ22才なので何の問題もない。『香川のような一流選手が五輪に来るわけない。ドルトムントが手放すわけがない』というのは、普通の人の考えだ。これは日本サッカーを世界に認めさせるための一大プロジェクトなのだ。どんなことがあっても説得して、香川には参加してもらう。彼が参加するだけで戦力は大幅にアップする。今のU23のエースは清武だが、香川と清武がセレッソ大阪でコンビを組んで活躍していたのは誰もが知っている。オリンピック代表チームでも、絶対にフィットする。

 

更に、ドイツNo.1チーム:バイエルン・ミュンヘン所属の宇佐美貴史、イングランドの名門:アーセナルの宮市亮、スペインリーグ:セビージャで活躍中の指宿洋史、既に予選で2得点しているドイツ:ボルシアの大津祐樹など、海外組も全て呼びたい。

 

個人的に特に興味があるのは、指宿である。高校・ユース時代に、柏レイソルやアルビレックス新潟のトップチームに合格できず、結局スペインの3部リーグ ~ 4部リーグのチームに所属することになったようだが、少しずつ自力で這い上がって、2012年の1月には遂に世界最高のスペインリーグ1部でデビューを果たしている。既にU20の大会では日本代表として大活躍しているが、一度オリンピック代表でのプレイを見てみたい。何と言ってもハーフナー・マイクよりも長身(197㎝)で、ターゲットマンになれるのが魅力だ。足元の技術や決定力が国際舞台で通用するかどうか試してみたい逸材である。

 

天才型の宇佐美は、ドイツの最強チーム:バイエルンに移籍したもののほとんど試合に出られていない。出られない理由は彼のポジションにある。バイエルンには、フランス代表のエース:リベリーと、オランダ代表のエース:ロッベンがおり、このどちらかを押しのけなければ彼は試合に出られない。この二人と争えるだけでも光栄というものだが、試合出場機会が少なく試合勘がなくならないかは心配だ。それでも潜在能力は超一流で、U23世代では彼がナンバーワンの存在と言える(未完の大器の指宿とは違い、宇佐美の実力はガンバ大阪時代から認められ確認できている)。

 

ボルシアの大津がチームにフィットすることは既に分かっている(昨年のシリア戦とバーレーン戦で2得点しているので)。また、宮市のスピードはイングランド・プレミア・リーグでもトップクラスで、世界的名将:ベンゲル監督が能力を認めている。彼らも、代表としての力量は十分だと言える。若い才能は、将来の日本サッカー界の宝である。彼らにとっても、世界的に注目されるオリンピックに出場できるということは、最良のアピールの場になるはずだ。是非晴れ舞台に立ってほしいと思う。

 

香川、宇佐美、大津(更に、場合によっては宮市や指宿など)の海外組を呼んだら、今度はオーバーエイジ枠もきっちり3人使おう。今のU23は(清武や東など)中盤より前に良い選手が多いので、ボランチやディフェンス陣でベテランを補強すべきだと思っている。候補としては・・・。遠藤、長谷部、長友、吉田、今野あたりが適当ではないかと思う。

 

オリンピックは、わずか18名しかベンチに入れない。ゴールキーパー(23名)とオーバーエイジ(3名)のを除くと仮定すると、23才以下の選手は実質1213名しか選ばれないことになる。ベンチ入り23名のワールドカップより更に更に狭き門で、選手選考は非常に困難だと思われる。当然ながら怪我など想定しなければならないので、複数のポジションをこなせる人材が必要になってくる。誰を選ぶにしても監督の腕の見せ所だ。

 

今のU23世代には、豊富な人材がひしめき合っている。J・リーグでレギュラーとして活躍している選手でさえ落選するほどだ。清武弘嗣(セレッソ)、東慶悟(アルビレックス)、大迫勇也(アントラーズ)、永井謙佑(グランパス)、酒井宏樹(レイソル)、権田修一(FC東京)などは、海外から誘いがきてもおかしくない。その他にも、山崎亮平、山田直輝、原口元気(現在謹慎中)、比嘉祐介、濱田水輝、扇原貴宏、鈴木大輔、山口蛍など実力派が目白押しだ。

 

以前から清武と肩を並べるほど上手いと思っているのは、今年アントラーズに入団する山村和也(流通経済大学)である。184㎝の長身で、ボランチもセンターバックもこなす。この世代では攻撃的ポジションでも活躍していた。彼はこのオリンピックでも特に注目すべき存在で、近い将来遠藤や長谷部のあとを継ぐ可能性もあると思っている。

 

さぁ、メインの選手選びの話はここまでだ。話を“メダル獲得”に戻そう。

 

最高の選手を選んだら、最高のキャンプ地(施設)、最高のデータ分析班、最高のスタッフ(料理人やトレーナー等を含む)を準備して、ロンドンに向かう。もし負けても『ここまでやって負けたならしょうがない』と思えるぐらいの準備をしてほしい。

 

いずれにしろ、日本のサッカー界にとってこんなに良いチャンスはそうそう訪れない。チャンスは一度しかないと思うべきだし、そのチャンスは絶対に活かすべきだ。だとすると、最高のチームを作って、最高のバックアップ体制で、最高の結果を目指すべきだ。できることは何でもやるべきだ。サッカーの聖地・ロンドンで、若い日本代表がサッカーの新たな歴史を築く、最高のストーリーではないか。

 

史上最高のメンバーで参加するオリンピック、誰もが見たいはずだ。ドリームチームが結成されれば、経済効果も大きいはずである。サッカー関係者の全面協力を期待しているのは私だけではないと思う。たかがサッカー、しかし上手く活用すればこの不況の日本に大きな刺激を与えられる。

 

現段階では、単なる私の夢の話である。しかし、せっかく可能性があるのだから絶対にトライしてみるべきだと(勝手に)思っている。数年後に『あの世代で最強チームを作っていたらメダルの可能性があったのに・・・』などと後悔するよりは。

 

以上。

 

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2011年12月21日

2011 有馬記念の予想

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・ 2011 有馬記念の予想

 

最近、忙しい上にホームページのリニューアル作業中でブログの更新ができていない。

 

久々のブログだが、暮れの競馬のグランプリ:有馬記念の予想をしてみたいと思う。

 

今年の有馬記念は、まさにオールスター。どの馬が勝ってもおかしくない。現時点では枠順も馬体重も調教タイムも(もっと言うとそもそも出走馬も)わかっていないが、ある程度の想定を含めて、私個人の予想を掲載しておく。

 

結論から書く。

 

◎ オルフェーブル

○ ヴィクトワールピサ

▲ ブエナビスタ

△ エイシンフラッシュ

 

大穴なら、武豊が騎乗するレッドデイビスだが、そこまでは手が回らない。

 

この時点で既に間違っている確率が50%近くあると思う。私の競馬理論では、同じ厩舎の牡馬同士で12着は(ほぼ)発生しないので、オルフェーブルとトーセンジョーダンの2頭が同時に馬券対象になる可能性は圧倒的に低い。オルフェーブルを取るか、トーセンジョーダンを取るか迷う部分もあるが、ここは三冠馬を優先する。トーセンジョーダンが連対するような流れになるなら、諦める。

 

ではまず、史上6頭目の三冠馬:オルフェーブルについて。

 

あのディープインパクトでさえ3歳時の有馬記念は勝てなかったことを考えると、オルフェーブルにとっても楽な道ではないだろうが、それでも実力が一枚抜けていると判断する。芝が深く急坂のある有馬記念で3着以内に入る馬は、ほとんどが500キロ以上の大型馬である。そのことを考えると小柄なオルフェーブルには不利な条件だが、それでも買う。間違いなく人気になる(12番人気)ので、池添ジョッキーは安全策で来るはず。2着までに来る確率は、やはりこの馬が最も高いだろう。多少オッズが低くても、馬券の軸。

 

ヴィクトワールピサ。前走のジャパンカップで13着と大敗。これによって人気はがた落ちである。しかし、昨年の同レースの勝ち馬で、ドバイワールドカップまで制した馬。44勝の中山競馬場なら、一変する可能性も十分と見る。デムーロ騎手が気楽に乗れることも有利な要素ではないだろうか。個人的に今回の有馬記念で最も期待の大きい馬であるが、最大の間違いになり得る馬でもある。

 

引退レースとなる女王:ブエナビスタ。ファン投票1位、当日も1番人気か。G1レース6勝という輝かしい成績の持ち主で、グランプリは、春の宝塚記念、暮れの有馬記念、ともに2回ずつ走って(歴戦の牡馬相手に)全て2着。引退レースでもあり、今度こそ優勝したいはず。間違いなく目一杯の仕上げで来るだろうが、どちらかと言えば東京競馬場向き。昨年に比べれば、ほんの少し瞬発力に翳りがあると判断して3番手評価。それでも勝ち負けする馬だと思うが・・・。

 

エイシンフラッシュ。ダービー以来、不振が続いている。関東への輸送も3往復目で、ぼちぼち疲労も出る頃か。それでも、内枠が当たれば(現時点で枠順不明)先行得意のルメール騎手が、一瞬の切れ味を活かす可能性もあると考えて4番手。外側が不利だったジャパンカップでのラスト3ハロンのタイムは魅力的。穴候補として、少々。

 

武豊のレッドデイビスは、G1初挑戦。しかし、怪我をする前(今年の冬)は、三冠馬のオルフェーブルに先着していた素質馬。私は(今回は)買わないが、奇跡を起こす可能性もある。

 

ここから先は、買わない馬の理由を簡単に述べておく。

 

アーネストリー。宝塚記念優勝は出来過ぎ。生涯最高の出来の再現は、難しそう。

 

ヒルノダムール。同世代の馬達にも取りこぼしがある(ペルーサ、エイシンフラッシュ、ヴィクトワールピサ等に負けている)。ヨーロッパ遠征のフォア賞も取りこぼして2着。今回は厳しいか。

 

トゥザグローリー。オルフェーブル、トーセンジョーダンと同じ厩舎。この2頭に勝つことは、ほぼ不可能。穴人気になること自体不思議。

 

ルーラーシップ。この馬は、内枠が苦手で、外枠スタートで伸び伸び走れた場合に勝ち星が集中している。ところが、今回の騎手:メンディザバルは、内枠が得意で、外枠ではほとんど着外に敗れている。つまり、馬と騎手の得意分野が異なり、最悪の組合せ。

 

ローズキングダム。早熟系か。4歳以降の成長力が不足。使い込むと疲労がたまるタイプで、秋4戦目の今回は苦しい。

 

トーセンジョーダンは・・・。買わない理由を明確に示せないほど、実力があると思う。充実期に入っている印象だし、連戦に強いタイプでもある。しかし、ジャングルポケット産駒は東京向きだし、究極の決め手争いになった際は、コンマ1秒の差で負けるタイプでもある。同じ厩舎のオルフェーブルの馬券を買う以上、この馬の馬券は(理論上)買えないので、切る。

 

競馬自体は、いつも1分~3分で終わる。しかし、1週間に渡って友人と会話がはずむ。それが最大の楽しめみだろう。有馬記念は1年の締めくくりレースで、出走する馬もファン投票で選ばれたオールスター戦。みな自分の好きな馬を買って、楽しめればそれで良し。

 

以上。

 

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2011年11月09日

2011 日本シリーズの予想

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・ 2011 日本シリーズの予想

 

2011年のプロ野球日本シリーズは、中日とソフトバンクの対戦に決まった。どちらが勝つか、文章を書きながら予想してみたいと思う。

 

主なデータを調べてみると・・・。

 

<勝率> 中日 .560755910分) ソフトバンク .657884610分)

ちなみに中日は、ホームは勝率 .667だが、ロードでは勝率 .456と負け越している。ソフトバンクは、ホームで勝率 .710、ロードでも勝率 .600という強さである。

 

<打率> 中日 .22812位) ソフトバンク .2671位)

ソフトバンクは、12球団でトップの打撃成績、対照的に中日は最下位。ちなみにホームラン数は、中日が82本(6位)、ソフトバンクは90本(3位)である。

 

<防御率> 中日 2.462位) ソフトバンク 2.321位)

投手力はどちらも非常に優秀と言える。

 

<得失点> 中日 得点:419 失点:410(得失点差:+ 9点) ソフトバンク 得点:550 失点:351(得失点差:+ 199点)

 

<盗塁数> 中日 4111位) ソフトバンク 1801位)

 

笑。この数字だけ見たら、分析するまでもなくソフトバンクの圧勝である。勝率、打率、防御率、盗塁数、全て12球団1位。ホームでもロードでも強い。中日は、打率が最下位、盗塁数が11位、得失点差はたったのプラス9点。よくこれで優勝できたものだ。

 

では、中日に勝ち目はないのか? ソフトバンク圧勝か? 探ってみる。

 

先発投手力は、両チームともハイレベルで安定。中日の、吉見 → チェン → ネルソン → 川井 の4本柱と、ソフトバンクの、和田 → ホールトン → 杉内 → 摂津 の4本柱は互角だろう。ソトと山井がいる分、若干中日が有利という説もあるが、ソフトバンクにも山田や大場が控えている。短期決戦ならほとんど影響ないはずだ。

(最多勝投手:ホールトンは名古屋ドームが苦手らしいので、2戦目の福岡ドームで登板させるべきだと思う)

 

抑えは、中日の救援防御率が2.1012球団1位)、ソフトバンクが2.39(同2位)で、わずかに中日が有利だが、誤差の範囲か。中日は、浅尾の疲労が心配だし、ベテランの岩瀬は投球数を減らす傾向にある。これも互角。

 

打線と盗塁については、書くまでもなくソフトバンクの圧倒的有利。

 

となると、中日が勝つためには、数字とは別の要因が必要となる。いくつか思いつくものを挙げて検討してみる。

 

<監督の力量>

中日:落合監督は、日本シリーズの経験が豊富(5回目)。一方の秋山監督は初采配。落合監督は、上記に示した数字でセ・リーグ優勝したわけだから、明らかに戦略家・策士と言える。逆に秋山監督は、どちらかと言えば『動かないタイプ』『選手に任せるタイプ』である。シリーズにおける監督の力量という意味では、落合有利とも言える。しかしながら落合監督も、過去4回の日本シリーズ進出で3回は負けている。しかも、2004年の西武:伊東監督、2006年の日本ハム:ヒルマン監督、2010年のロッテ:西村監督、というシリーズ初采配の監督に敗れていることを考えると、絶対有利とは言えまい。今年で退団することが決まっているので、花道を作りたいという選手のモチベーションはあるはずだが・・・。

 

秋山監督の気になる点は、臨機応変なタイプではないこと。先日のクライマックスシリーズでも、ゲッツーを繰り返すカブレラを使い続けていた(それでも結果的には勝ったわけだが)。短期決戦では、調子の悪い選手を切り捨てる勇気があるか否かが問われる。

 

<年齢層・経験>

中日はベテランが多い。ソフトバンクは若手に世代交代している。勢いならソフトバンクだろうが、経験や落着きという意味では中日に分があるかも知れない。捕手のリードという意味では(ソフトバンク:細川より)中日:谷繁が有利だろうが、盗塁の多いソフトバンクを封じることができるかどうかは分からない。

 

<調子・疲労>

中日は、シーズン終盤まで接戦を演じ、クライマックスシリーズでも苦戦した。リリーフ陣の疲労も噂されている。ソフトバンクは、早い時期に優勝を決め、クライマックスも危なげなく勝ち上がり、体力的に余裕がありそうに思える。ここでも、ソフトバンク有利か。

 

<マスコミ・報道>

世論(一般の方の予想)は、6:4でソフトバンク有利の説が多いようだ。解説者になると8:2ぐらいでソフトバンク有利が多い。これは、逆に中日有利に働くだろう。失うものがないし、プレッシャーはホークス側にかかる。ちなみに、(意外にも)データ野球の野村克也氏が、43敗で中日優勝を予想していた。

 

<その他のデータ>

中日の過去5年間の(交流戦における)福岡ヤフードームでの成績:19敗。

 

スタメンクラスの打率を比べると、中日は荒木の.263が最高だが、ソフトバンクにはそれを上回る選手が7人もいる。川崎:267、本多:305、松田:282、内川:338、長谷川:293、小久保:269、松中:308

 

*** *** *** *** ***

 

こうして考えてくると、ほとんどソフトバンク有利な条件しか出てこない。

 

☆ どう考えてもソフトバンク圧勝と予想する。

 

長年の経験上、日本シリーズは1番打者、2番打者の活躍が命運を握ることが多いと思っている。中日の荒木・井端は最高の選手だが、微妙な衰えは隠せない。一方の、川崎・本多は、全盛期。おまけに二人とも鹿児島出身(川崎:鹿児島工業、本多:鹿児島実業)である。自然と肩入れしたくなる。

 

あえて(無理に)心配事を探すと・・・。

 

ソフトバンクは、過去7年間で6回もクライマックスシリーズに進出しながら、一度も日本シリーズへ進出できずにいた。これは、明らかに短期決戦に弱いことを意味する。144試合の長いペナントレースでは強さを発揮するが、シリーズは全く別物だ。頭を切り替えなければならない。奇襲、奇策も有り得るし、極端にラッキーな選手が登場したりする。リーグ戦(長期戦)の考え方を捨てられなければ、過去7年と同じ轍を踏む可能性もある。

 

また、日本シリーズは第1戦の勝敗が重要だが、ソフトバンクには中日の吉見を苦手にしている選手が意外と多い。松田、内川、カブレラ、多村、などはほとんど打てていない。短期決戦で緊張し易いソフトバンクが、第1戦で吉見を打ちあぐねて、接戦になった挙句に落とすようなことがあると、意外な結果になるかも知れない。

 

試合は、福岡2試合 → 名古屋3試合 → 福岡2試合 という流れで行われるが、福岡に戻ってこない内にソフトバンクが優勝しそうな気がする。日本の不況を振り払うには、第7戦までもつれたほうが盛り上がるのだろうが・・・。

 

以上。

 

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2011年08月12日

韓国戦圧勝にみる未来

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・ 韓国戦圧勝に見る未来

 

やはりザッケローニは“見る目”がある。セレッソ大阪で活躍する清武のことである。そのあまりの上手さに『 U22(オリンピック代表)は清武のチームになる。決して永井や大迫のチームではない。』と思っていたが、なんとオリンピック代表を飛び越えてフル代表に選出されてしまった(当然ザック監督が選んだ)。清武のデビュー戦(韓国戦)での活躍は、各マスコミが報じる通りである。間違いなく活躍するとは思っていたが、これほどフィットするとはまさに『恐れ入りました 』の一言である。

 

さて、日本代表についてである。今年(2011年)のサッカー日本代表は、震災の影響で国際試合がいくつか中止になり、おまけにコパアメリカへの出場を辞退したことで、ワールドカップ予選前にチームプレイを試す機会が6試合ほど失われてしまった。更に、先のキリンカップ2試合(ペルー戦・チェコ戦)では1点も奪えず、不安を抱えたまま(ワールドカップ予選前としては最後の試合となる)韓国戦に臨むこととなった。

 

結果は 30 の歴史的快勝。年明けのアジアカップの頃から感じていた、『 ようやく韓国を上回れる 』という感覚は正しかったように思う。もちろん韓国がミスさえしなければ 33 で引分け、という程度の結果になった可能性もあるのだが・・・。

 

試合内容自体は間違いなく圧倒していたと思う。まさにザッケローニの構想通りだろう。

しかし、気になる点がある。香川と遠藤の存在についてである。香川はエースナンバー『 10 』を背負うだけの大活躍をした(2得点)。遠藤も守備に攻撃にその多才な才能を発揮していた。私が心配する点は『 どうやらこの二人の代わりは誰もできそうにない 』ということだ。香川がいなければ、おそらく(キリンカップのように)点を取れなくなる可能性が高い。遠藤がいなくなれば、守備の際にも攻撃の際にも頼れるボランチが不在になってゲームコントロールができなくなる可能性が高い。実際に、得点シーンのほとんどは香川を経由していたし、遠藤が交代でいなくなった後半30分以降は、攻められっ放しになってしまった。やはり、香川と遠藤の存在は大きいと確信した。

 

李忠成は成長し現在Jリーグの得点王である。闘莉王と中澤が不在となったディフェンス陣も、吉田麻也の急成長と今野の安定性で比較的安心して見られる。先日若くして亡くなった松田直樹の背番号『 3 』を引き継いでいる駒野も( 怪我で離脱中の長友やチャンピオンズリーグで活躍した内田を超えるほどの )パフォーマンスを見せている。清武や岡崎も成長曲線の中にあり、本田や長谷部も安定した力量を保持している。それでも、チームの心臓となる香川と遠藤が欠ければかなり苦しみそうな印象はぬぐえない。

 

9月から始まるワールドカップ予選で戦う相手は、韓国のように攻めてはこないだろう。アジアチャンピオンの日本から勝ち点を奪うためには、引いて守って引き分けでも御の字、という戦法が主流になることは明らかだ。日本とて簡単に得点は奪えないと推測される。韓国戦の大勝に気を緩めるないよう願いたい。

 

ここ1か月ほど“なでしこジャパン”に話題をさらわれていた(男子)日本代表。香川と遠藤に頼る部分が大きい日本代表。それでも私の期待はかなり大きい。おそらくこれまでの代表とは大きく異なるほどの“強さ”を見せてくれるはずだ、と思っている。新陳代謝(世代交代や選手の入れ替わり)が激しいサッカーの代表選手。それを、まるで数年先まで見越したように操るザッケローニ監督。そのザックジャパンは、未だに一度も負けていない。誰だって期待したくなるではないか!

 

団体スポーツは、監督によって大きく変わる。ザッケローニ就任以来、個人的にはどんどん期待感を膨らませている。昨年のアルゼンチン戦、今年のアジアカップ、などで感じた予感(日本代表が本当の意味で強くなって国際舞台で活躍し世界から新たな強豪国として認められることへの期待感)は正しかったと思っている。確かに現在の日本代表には、小さな心配事があるにはある。しかし、近い将来“なでしこジャパン”に匹敵するような大活躍をする可能性のほうが遥かに大きいと(勝手に)未来予知しておく。

 

以上。

 

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2011年07月20日

なでしこに一言

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・ なでしこに一言

 

なでしこジャパンの女子サッカー・ワールドカップ優勝。いくつ奇跡が重なっただろう。

 

早朝3時台からの放送も多かったが、全試合をライブで観戦した。そこには絶対に諦めない女達がいた。どんなに厳しい条件でもチャレンジする選手達がいた。体格や運に恵まれなくても折れない心があった。苦しくても歯を食いしばって走り続ける精神力があった。

 

ワールドカップ2連覇中の地元ドイツを延長戦の末に撃破し、圧倒的体格差のある強豪スウェーデンを倒し、24回戦って一度も勝ったことがない世界ランク1位のアメリカに勝利した。これだけでも信じられない偉業である。

 

決勝のアメリカ戦。多少ひいき目に見ても、試合内容は間違いなく押されていた。実力的には劣っていたと言わざるを得ない。そのアメリカに(後半23分に)1点を先制される。ゲームの流れからすると日本が追いつく可能性は低いと思われたが、試合時間残り9分、川澄→永里→丸山→宮間とつないで、執念の同点ゴールを奪い延長戦に持ち込む。

 

延長前半14分、再度アメリカにリードを許す。今度こそ反撃は厳しいと多くの人が思ったはずである。しかし、試合終了3分前。キャプテン沢が奇跡的なワンタッチシュートを決めPK戦に持ち込む。

 

この日の沢は、明らかに不調であったと思う。おそらく10回近くパスをカットされ何度もボールを奪われていた。しかし、この奇跡の同点ゴールで彼女のプレイの印象は全く異なる評価へと導かれる(結果的にはMVPと得点王に輝くことになった)。18年間日本代表のレギュラーであり続け、5回のワールドカップを戦い続けたという彼女の実績が、(その集大成として)金メダル・MVP・得点王という栄誉に結び付いたとしか言いようがない。沢が不調であったという証拠に、彼女は『PKを蹴る順番を最後にして欲しい』と進言したと伝えられている(佐々木監督はそれを認めたようだ)。つまり、得点王を獲得するほどの選手であるにも係わらず、この日の彼女はあまりPKを成功させる自信がなかったのだ。

 

さて、PK戦である。奇跡は続く。当然ながらPKは8090%の確率で成功するものであり、ゴールキーパーの立場からすれば、5本のPKの内1本でも止めれば“御の字”である。実際アメリカは、準々決勝のブラジル戦では5人全員がPKを成功させて勝ち上がっている。

 

先攻はアメリカ。ベテランのMF:ボックスの強烈なキックに反応したのは日本の守護神:海堀あゆみ。左横に飛びながら(空中で)右足を上げて高速シュートに向う脛を正確にヒットさせるという神業でゴールを守る。

 

日本の一人目、不動のプレイスキッカー:宮間。落ち着き払ってキーパーの逆を突き、いとも簡単にPKを決める。

 

アメリカの二人目は、司令塔:ロイド。一人目を止められたことで精神的なプレッシャーがかかり、ボックスが蹴った方向と逆サイドを狙うもゴールの上に外してしまう。この時も海堀は、ロイドが蹴った方向に飛んでいた。

 

日本の二人目永里は、世界的ゴールキーパー:ソロにキックを読まれ、残念ながらPK失敗。しかしここまで、(両チーム共に二人が蹴り終わった時点で)日本が1-0とリードしている。

 

アメリカの三人目は、試合途中から入ったヒース。彼女のシュートは正確にゴール左下に飛ぶも、海堀はまるで分かっていたかのようにボールをはじき出す。この時点で既に“神がかり”という領域を超えていたのかも知れない。PKが3本連続で外れる確率など、ほとんどないのだから。

 

日本の三人目は、ボランチの阪口。阪口のキックは相手ゴールキーパーに読まれ、完全にセーブされたかと思われたが、キーパーが右に飛び過ぎたことで運良く(差し出した右手の)脇の下をボールが通過し、ネットに突き刺さる。もはや“運”も日本に味方している。

 

アメリカの四人目は、エースストライカー:ワンバック。これはアッサリ強烈なシュートを突き刺す。アメリカはこのPK戦で初めての成功。しかし、日本は残り二人の内一人でも成功させれば優勝という圧倒的有利な状況。

 

運命を決める最後のキッカーとなったのは、若い(二十歳の)熊谷。このワールドカップの後、決勝の試合会場となったフランクフルトに移籍が決まっている。フランクフルトの大観衆の中、彼女のキックは文句なく美しくゴールを揺らした。

 

ワールドカップ優勝。まさに奇跡の中の奇跡。しかし、全てのプレイをVTRで振り返ると、本当にわずかな差でゴールが決まり、わずかな差でゴールが阻止されていることが分かる。つまり、小さな努力の積み重ねと少しずつ身につけてきた実力があったからこその“奇跡”だと言える。

 

世界中のメディアも絶賛している。なでしこの優勝は、単純に“奇跡”という言葉で表現すべきではないのかも知れない。実力(特に精神力)で勝ち取った快挙なのだろう。この快挙は、現役選手の海外移籍(それに伴う技量のレベルアップ)、若い世代の育成などに寄与することが間違いない上に、1兆円の経済効果さえも導くという(第一生命経済研究所発表)。経済効果の真偽は別にしても、国民のマインドを上向きに変えたことは確実である。

 

また、これをきっかけに女子サッカーの観客動員数の少なさが(多少なりとも)解消されることも期待したい。サッカー好きの私でさえ、女子のチーム名はあまり知らないというのが実情である。彼女たちは『勝って実績を残さなければ注目されない』ということを痛感していたからこそ(実際、オリンピックでベスト8・ベスト4という結果を残してきたにも係わらず、女子サッカーへの注目度はほとんど上がらなかった)、強く結果を求めていたとも言える。

 

いずれにしても彼女たちは自らの力で歴史を変えたのだ。世界一にかける情熱は尊敬に値する。

 

一つだけ残念なことがある。ヨーロッパのチームは、ワールドカップの成績が上位であれば(予選免除で)ロンドンオリンピックの出場権が与えられるという。ところがアジアでは、ワードカップで優勝しても地区予選を勝ち抜かないとオリンピックに出場できないルールになっているのである。しかも、日本女子のアジア予選は早くもこの9月から始まり、スケジュールも最悪である。サッカーの試合は少なくとも中3日(通常は中4日)の休みを挟んで行われるのが普通であるが、今年のアジア予選(日本の試合予定)は、91日・3日・5日・8日・11日である。なんと11日間で5試合をこなさなければならない。高校サッカーより厳しいスケジュールではないか。しかも相手は難敵ばかりである。しつこいタイ、先日の練習試合で勝てなかった韓国、最も手ごわいオーストラリア、女子は間違いなくアジア最強クラスの北朝鮮、そして常に日本に敵意を燃やす(しかも地元開催の)中国。この6チームで、わずか二つの五輪出場枠を争うことになる。

 

ワールドカップで優勝したにも係わらず、日本女子チームは五輪予選免除の特権を与えられず、再度厳しい戦いを覚悟しなければならない。できれば(目の色を変えて世界チャンピオン・日本に挑んでくると思われる)アジア勢を圧倒して、もう一度ドイツやアメリカとロンドンで戦って欲しいものである。

 

私は(マスコミの報道量に煽られて自分なりの検証もしないまま)『感動をありがとう』『本当によくやった』『勇気をもらった』などと軽々しく発言することが嫌いである。今回の“なでしこジャパン”にふさわしい言葉を自分なりに探してみた。

 

一言。なでしこは偉大である。

 

以上。

 

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2011年07月07日

私的ベスト・シーン(16位~33位)

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・ 私的ベスト・シーン( 16位 ~ 33位 )

 

前回の続きで、個人的な趣味で選ぶスポーツのベストシーンを列挙する。今回は、16位以から33位まで。

 

16位 → 2002年:サッカー:稲本潤一

日韓ワールドカップの初戦:ベルギー戦。( 1点を先制され )、鈴木隆之のゴールで同点とした後に生まれた稲本の逆転ゴールは、特筆すべき美しさであったと思う。稲本は次のロシア戦でも決勝ゴールを奪い、しかもそのゴールは日本のワールドカップ初勝利に結び付いたので、どうしてもロシア戦のゴールのほうが報道されることが多いのだが、引き分けに終わったベルギー戦の得点のほうが、数倍格好良かった。

 

17位 → 2004年:体操:日本代表

アテネ五輪の体操男子団体。かつては体操王国と呼ばれた我が国が長い期間オリンピックのメダルから遠さかっていたのだが、28年ぶりに金メダルを獲得した。団体の決勝は苦手な床運動から始まり、7位からの苦しいスタートとなったが、ジワジワと追い上げて最後の鉄棒で逆転し、遂に念願の頂点を極めた。アナウンサーの名言「伸身の新月面が描く放物線は栄光への架け橋だ」「体操ニッポン、日はまた昇りました」が心に響いた。

大活躍のエース富田を中心に、鹿島、米田、水鳥、塚原、中野の6人の素晴らしいチームワークの勝利であったと言える。

スポーツ好きの私は、大概の名場面を生中継で観ているのだが、残念ながらこの時の体操団体に関しては(放送が夜中だった上にまさか金メダルを獲得するなど予想もしておらず)、観ていなかった。非常に後悔したことを覚えている。

 

18位 → 2009年:野球:松井秀喜

2009114日。ニューヨーク・ヤンキースがフィリーズを下し、ワールドシリーズで優勝。松井がMVPに選ばれた。このシリーズでの松井はめざましい活躍で、特に最終戦(6戦目)はヒーロー以外の何者でもなかった。第1打席:球界のエース・ペドロ・マルティネスから先制2ランホームラン、第2打席:満塁から2点タイムリー、第3打席:12塁から右中間フェンス直撃の2点タイムリー・ツーベース。この時点で7得点のうち6打点を荒稼ぎし、(まだ試合中盤であるにも係わらず)地元ニューヨークの大観衆からは既に「MVP! MVP!」の大合唱が聞こえていた。ワールドシリーズMVPは、当然日本人初である。

 

19位 → 2009年:野球:日本代表

日本が韓国を( スコア 5 3で )破って、ワールド・ベースボール・クラッシクに優勝した。日本は2006年に初代王者となっているが(この時の決勝の相手はキューバ)、宿敵韓国と接戦を演じた、という点で2009年のほうが強く印象に残っている。不振だったイチローの決勝タイムリーも忘れられない。

オリンピックに出場するといつも情けない日本のプロ野球選手達であるが(選手村に入らず楽なホテル暮らしで緊張感がない、ドーム球場に慣れ過ぎていて天候の変化に弱く『暑いだの、眩しいだの、イレギュラーするだの』と言い訳が多い、ペナントレースに向けてケガをしたくないという弱気なプレイが目に余る、などなど)、WBCでは割と頑張るから不思議だ。

 

20位 → 1985年:野球:阪神

野球ネタが続いているが、ここで私が触れるのは、阪神ファンならずとも誰もが知っている(例の)バックスクリーン3連発についてである。3番バース、4番掛布、5番岡田。何度映像を観たことか。プロ野球の長い歴史の中では他にも(何回も)ホームラン3連発の記録はあるのだが、3人(しかもクリーンナップ)が揃ってあれほど美しいホームランの共演を果たしたのは、1985417日、あの時だけだろう。

 

21位 → 1986年:サッカー:マラドーナ

アルゼンチンの至宝(人によっては悪童と呼ぶ)ディエゴ・マラドーナ。メキシコ・ワールドカップのイングランド戦の伝説の5人抜きは、今でも鮮明な記憶として残っている。私は決して彼のことを好きなわけではないが、ハーフウェイより後ろから個人技だけで突破してゴールを奪ったシーンは世界中を驚かせたと断言できる。あの一連の動きをビデオで確認すると、彼は(利き足の)左足でしかボールに触れていない。右足では一度もボールタッチしないまま5人を抜き去ったのである。まさに驚異の技。

 

22位 → 2009年:ゴルフ:横峯さくら

20091129日。この年の女子ゴルフ最終戦。プレイが始まるまでは、誰もが『賞金女王は諸見里しのぶで決まり』と思っていた。それ程この年の諸見里は強かったのだが、数ヶ月の間ずっと諦めずに諸見里の背中を追い続けた横峯が、遂に最終戦・最終日に大逆転を演じ、初の賞金女王に輝いた。この最終戦は、諸見里しのぶ、横峯さくら、飯島茜、有村知恵、宮里藍、上田桃子、李知姫、服部真夕、などが壮絶なバトルを展開し、一打ごとに順位がくるくると入れ替わる大混戦で、試合自体も非常に面白かった。結局最終ホールまでもつれた結果、(賞金女王になるには優勝が条件だった)横峯が混戦から一歩抜け出して勝利を上げる。この日の横峯は神がかり的な部分があり、奇跡的なショットが何度もあった。

 

23位 → 2010年:サッカー:香川慎司

ドイツ・ブンデス・リーガ(所属はドルトムント)で、香川が前半戦のMVPに選出された。残念ながら後半戦はケガで離脱してしまったが、これはオリンピックの金メダルに相当するほどの実績だと言える。もっと大々的に報道されるべき偉業である。

南アフリカワールドカップで代表に漏れた(厳しい言い方になるが、岡田監督に見る目がなかったと言えるだろう)悔しさをドイツで爆発させた香川に、大エールを送りたいと思う。

 

24位 → 2007年:競馬:ウォッカ

2007527日。東京、府中競馬場。(原則として)男馬の祭典、日本ダービー。そこに敢然と参加してきた牝馬:ウォッカ(メス3歳)。まさか女馬がダービーを勝てるはずがない、という歴史の常識を覆し、彼女は圧勝する。その後の活躍については、今さら触れる必要もないが、安田記念、天皇賞秋、ジャパンカップ、などで驚異的な強さを見せ、調教師に『ウォッカは天からの授かりもの』と言わしめた。

例年5月は、女馬の最高峰:オークスと、男馬の最高峰:ダービー、という2大レースが2週連続で行われるため、実力のある牝馬は当然のようにオークスを目指すものである。オークスを回避して、ダービーに駒を進める決断をした(つまり、男馬とでも十分戦えるという判断をした)、オーナー、調教師など関係者に敬意を表する。

 

25位 1999年:野球:松坂大輔

この年、松坂がプロデビューした。155キロという快速球で日本ハムの主軸・片岡を三振に取ったシーンが強烈に記憶されている。松坂は、(ご存じの通り)日本のプロ野球だけでなくメジャーリーグでも活躍しているわけだが、私の見解は1998年の夏の甲子園優勝(準々決勝のPL学園との延長17回の死闘は名勝負であった)から1999年のプロデビューの頃が、最も球速があったし、ボールにキレがあったと思っている。残念ながら彼は(衝撃のデビュー以来)毎年少しずつ太って、毎年少しずつ力が衰えているように思える。それでもある程度アメリカで勝てるのだから、やはり怪物であることに違いはないと思うが。

松坂の大活躍は“松坂世代”という言葉を生み、(彼を倒そうと努力する)同年代の選手が沢山育ったことで、世代全体の実力を向上させるという大きなプラスの一面も生み出した。

ちなみに、であるが・・・。98年夏の甲子園・鹿児島県大会決勝は、鹿児島実業:杉内と川内高校:木佐貫の見事な投げ合いであったことを記憶している(その後、杉内は甲子園でノーヒットノーランを達成するが、松坂の横浜高校に敗れた)。この年の甲子園には、森本稀哲(日ハム→横浜)、和田毅(ソフトバンク)、村田修一(横浜)、久保康友(阪神)、新垣渚(ソフトバンク)、東出輝裕(広島)、古木克明(横浜→オリックス)、赤田将吾(西武→オリックス)、多田野数人(メジャーリーグ→日本ハム)なども出場していた。また、甲子園に出場できなかった選手の中にも、栗原健太(広島)、畠山和洋(ヤクルト)、脇谷亮太(巨人)など有名選手がおり、松坂世代の層の厚さを感じる。

 

26位 1999年:サッカー:フリューゲルス

横浜フリューゲルスは、親会社の経営不振が理由で解散・消滅した。彼らの最後の戦いは98年~99年にかけて行われた天皇杯であった。天皇杯はトーナメント戦であるため、当然ながら一度でも負ければそこで終わりである。天皇杯を最後に消滅が決まっていたフリューゲルスは奇跡的な粘りを発揮し、遂には初優勝にまで上りつめ感動のフィナーレを飾った。

思えばフリューゲルスには、前園真聖、前田浩二、楢崎正剛、遠藤保仁、山口素弘、三浦淳宏、エドゥー、モネール、サンパイオ、など、名選手が所属していた。

 

★ 時間がなくなってきたので、後は概略だけ記載する。

 

27位 1971年:野球:江夏豊

 オールスターで9連続三振を奪取した。その後1979年の日本シリーズ最終戦で、ノーアウト満塁のピンチを切り抜けた“江夏の21球”はあまりにも有名。

 

28位 2004年:水泳:北島康介

アテネ五輪、平泳ぎ2種目で金メダルを獲得。その後、北京でも2種目制覇。

 

29位 2008年:ソフトボール:上野由紀子

北京五輪、女子ソフトボールで金メダル獲得。連投となった上野投手の根性に惚れた。

 

30位 2006年:フィギュア:荒川静香

トリノ五輪、唯一のメダルが彼女の金メダルであった。イナバウアーが流行語に。

 

31位 1988年:水泳:鈴木大地

ソウル五輪、100メートル背泳ぎで金メダル。バサロ泳法が有名に。

 

32位 2008年:陸上:男子リレーチーム

チーム:朝原と呼んでも過言ではないと思うが、日本男子のトラック競技史上初の銅メダルを獲得した(400メートルリレー)。有力チームが失格するなどの幸運もあったが、様々な意味で奇跡的なメダルだったと言えよう。

 

33位 1992年:水泳:岩崎恭子

バルセロナ五輪、200メートル平泳ぎ、史上最年少(14歳)で金メダルに輝く。

関連記事は、以前のブログ『日本スポーツ界のジレンマ』を参照。

 

 

さて、思いつくままに記述してきたのだが、まだまだ忘れている名場面もたくさんある。一つだけどうしても触れておきたい(書き漏れてしまったが今頃になって思い出した)重大な名シーンがある。

 

1977年:野球:王貞治

そう。言わずと知れた756号ホームランのシーンについてである。掲載するなら1位にすべきだったのかも知れない。

 

以上、今回はここまでとする。

 

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2011年07月05日

私的ベスト・シーン(1位~15位)

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・ 私的ベスト・シーン( 1位 ~ 15位 )


今回は、個人的な趣味で選ぶスポーツのベストシーンを列挙したいと思う。とりあえず思いつく限りの名場面を紹介しようと思うが、まずは15位まで。


1位 → 1980年:ボクシング:具志堅用高

ジュニアフライ級で13回連続の防衛を達成した。197610月のファン・グスマン(ドミニカ)戦から、198010月のペドロ・フローレス戦(メキシコ)まで、とにかくとてつもない強さだった。近年、彼をバラエティ番組で“ひやかしの対象”としているテレビ局に対しては怒りを覚えるし、日本最高のスポーツ選手に対する節度を持った対応を希望する。彼の試合の映像を見れば、どんなボクサーも霞んで見えると断言したい。あぁ、あの強烈で奇跡的に正確なパンチ、信じられない速さで対応するフットワーク、是非もう一度見てみたい。


2位 → 1998年:陸上(マラソン):高橋尚子

衝撃を受けたのは、199812月のバンコク・アジア大会である。気温32度、湿度90%という最悪のコンディションで走ったにも係わらず、彼女は2時間2147秒というアジア最高記録を樹立し、日本記録を4分以上も更新してしまう。なんと! 2位とは13分差であった(130秒ではない、13分だ)。その後、2000年のシドニー五輪で、リディア・シモンに競り勝って金メダルを獲得したことは、今さら触れる必要もないだろう。彼女の才能は、バンコクで開花していたのであり、あの時の高橋尚子の走り以上に印象に残るレースには(未だに)お目にかかっていない。


3位 → 1983年:ゴルフ:青木功

 ハワイアンオープンの最終日・最終ホール・最終ストローク(ラフからの第3打:残り約120ヤード)でチップインイーグルを奪い、逆転優勝した。優勝を確信してアテストしていたジャック・レナーの茫然とした顔が忘れられない。これは、日本男子プロの全米ツアー初勝利であった。青木は、1980年のメジャー大会:全米オープンでも、帝王二クラウスと死闘を繰り広げ、2位に食い込んだ実績があった。


4位 → 1996年:テニス:伊達公子

フェデレーション・カップ、日本対ドイツ戦。伊達の(女王グラフを破るという)大活躍で、ワールドカップベスト4に進出した。詳細は、第1回で公開したブログ「日本テニス界の過去と未来が見えた日」を参照。あまり知られていないが、感動に次ぐ感動の一日であったことだけは記しておく。


5位 → 2001年:陸上(400メートルH):為末大

カナダ・エドモントンの世界陸上400メートルハードルで、為末大が4789で銅メダルを獲得した。何しろ、日本の短距離界において初の(世界選手権での)メダルで、当時は奇跡としか思えなかった。しかもこれで終わりではなかった。4年後。ヘルシンキで開催された世界陸上。絶対に無理だと思われていたこの大会でも、彼は(豪雨の中)まさに“魂の走り”でセカンドベストをたたき出し、再度銅メダルを奪い取る。陸上好きでなくても、心が震える場面であった。


6位 → 1993年:サッカー:日本代表

これだけは感動の名場面ではなく悲劇のシーンである。アメリカワールドカップのアジア最終予選、最終戦は対イラク。カズの先制ゴールと中山の追加点でリードするが、ロスタイムに同点ゴールを奪われ悲願のワールドカップ出場が夢と消えた(いわゆるドーハの悲劇)。この屈辱から這い上がった日本代表が、1997年のジョホールバルの歓喜(城の同点ゴールと岡野の決勝ゴール)を経て遂にワールドカップ(フランス大会)の舞台に立ったことは言うまでもない。ほんの10数年前までワールドカップに出場すらできなかった日本は、今や世界ランク13位(20115月時点)である。


7位 → 2004年:水泳(800メートル):柴田亜衣

アテネ五輪の水泳女子800メートル自由形。決勝に進めば上出来、という程度の評価だった彼女が、二人の優勝候補に割って入り、金メダルを獲得した。高校時代は全くの無名でインターハイ等でも最下位近辺を泳いでいた選手が、鹿屋体育大学所属で練習の虫と化し、地道に歩み続けた結果のサクセスストーリーであった。日本水泳界の歴史で女子自由形のメダルを獲得したのは、彼女一人だけである。


8位 → 2001年:野球:イチロー

イチローに関してはいくつもの名場面があるが、個人的に最も印象に残っているシーンは、メジャーデビュー間もない20014月に見せたライトからの好返球(いわゆるレーザービーム)である。打撃に関する評価は誰もが知るところだが、実はこの返球で一気に名前が(アメリカで)浸透したように思う。打撃だけではない、盗塁も守備も凄い、という圧倒的な評価のキッカケがレーザービームであったと思う。その後2004年に262安打というとてつもないメジャー新記録を打ち立てたことは周知の事実であるが、打撃の名場面よりもレーザービームのほうが何倍も気持ち良かった(スカッとした)と感じたのは私だけなのだろうか?


9位 → 2011年:サッカー:日本代表

アジアカップで、ザッケローニ・ジャパンが優勝した。詳細は以前のブログ「ザッケローニは着火マン」を参照。

アジアカップと言えば、2004年の準々決勝:ヨルダン戦でのゴールキーパー川口能活の 奇跡のセーブ連発も決して忘れてはならない。


10位 1979年:野球:夏の甲子園

未だに語り継がれる名勝負、箕島―星稜(延長18回)の死闘。テレビに釘付けであったことを記憶している。何度もツーアウト(ランナーなし)まで追い詰められた箕島が、奇跡の同点ホームランを繰り返し、最後にはサヨナラ勝ちしてしまう。30年以上経過しても、これ以上の試合には出会っていない。


11位 → 1998年:サッカー:中田英寿

イタリア・セリエA(ペルージャ)に移籍した中田は、デビュー戦で2ゴールを奪い、厳しいイタリアのサッカーファンに強烈な印象を残した。当初『どうせ日本人など大したことはない』という程度の評価であったと思うが、ジダン、ダービッツ等超有名選手の所属するユベントスを相手に2ゴールしたことで、一気に世界的有名人への階段を上った。


12位 → 1998年:スキー:ジャンプ団体

長野五輪のスキー・ジャンプの団体競技。地元開催で優勝候補の呼び声も高かった日本チームだが、(急激な天候悪化による原田の失敗ジャンプなどもあって)波乱万丈の展開となってしまう。しかし、最終的には地元の大声援をバックに(当の原田も2回目には大ジャンプを披露し)、4人のチームワークで表彰台の一番上に立つこととなった。


13位 → 1992年バスケット:アメリカチーム

それまでアマチュアのみの大会であったオリンピック(この年はバルセロナで開催)に、アメリカのプロ・バスケット選手達が参戦した。その圧倒的な強さは今でも忘れられない。出場した12名の超有名選手の名前を列挙しておくが、それだけで当時の感慨が蘇える人も多いのではないだろうか。

マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、パトリック・ユーイング、カール・マローン、ジョン・ストックトン、チャールズ・バークレイ、スコティ・ピッペン、クライド・ドレクスラー、クリス・マリン、デビッド・ロビンソン、クリスチャン・レイトナー。

今さらながら凄いメンバーだ。しかも一人一人が個性的なヒーローだった。


14位 1995年:野球:野茂英雄

この年、野茂がメジャーリーグにデビューした。背番号16がドジャースのマウンドに立ち5回を1安打7三振に切って取る。彼の活躍は、後にトルネード旋風と呼ばれ、オールスター出場、両リーグでのノーヒットノーラン達成など派手な実績を残すことになる。

イチロー、佐々木、松坂、松井、黒田、伊良部、新庄、井口、城島、上原・・・。今では当たり前となった日本人選手のメジャーでの活躍。そのキッカケを作ったのは、誰が何と言っても野茂なのである。彼が海を渡る決意をしたからこそ、多くの日本人メジャーリーガーが誕生した。野茂のデビュー戦、あの緊張感と興奮は忘れられない。


15位 1990年:競馬:オグリキャップ

この項目だけで10ページ以上文章が書けそうだ。岐阜の地方競馬(笠松)で活躍し、中央競馬に移籍してきたオグリキャップ。連戦連勝で史上最高と言っても過言ではない人気馬となる。1988年最優秀4歳馬、1989年年度代表馬、と活躍を続け、重賞レースを12勝(うちG1レースで4勝)するが、この2年間の無理なスケジュールで疲労が溜まっていたのか、1990年は、安田記念 → 宝塚記念 → 天皇賞(秋) → ジャパンカップ と参戦するも、1着 → 2着 → 6着 → 11着、と順位を落とし、遂に年末のオールスター戦:有馬記念(ファン投票で選出)を最後に引退することが表明されていた。『せめて最後の花道に』と、オグリ陣営は天才ジョッキー・武豊に騎乗を依頼し、ラストラン・有馬記念に臨む。『無事に走ってくれれば十分』という雰囲気の中、4コーナーを回って最後の直線、オグリは先頭に立つ。激しいたたき合いの結果、強力なライバルを退けオグリは奇跡の復活優勝を遂げる。アナウンサーの絶叫、鳴り止まない大観衆(17万人)の『オグリ』コール、ガッツポーズの武豊。オグリの馬券を買っていなかった私でさえ涙した。

彼の人気で、競馬場に来る女性ファンが数倍に増えたという。


以上


注:今回は15位まで。 次回16位以下を書く予定。


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2011年06月13日

日本スポーツ界のジレンマ

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・ 日本スポーツ界のジレンマ

 

子供の頃から様々なスポーツを観てきた。記憶に残る名場面は多数ある。今日はある理由から、バルセロナ五輪の岩崎恭子(以下、文中敬称を略す)、競泳史上最年少金メダル獲得のシーンを例にとって話を進めてみたい。もう20年近く前の出来事であるが、200メートル平泳ぎ決勝の記憶を少しだけ辿ってみる。

 

当時わずか14歳だった彼女は伸び盛りだったこともあり、(国内予選以来)泳ぐ度にタイムを縮め、遂には世界一の表彰台に立ってしまう。彼女が大逆転で(予想外の)優勝を果たした瞬間、(当然ながら)スポーツ好きの私は狂喜したのだが、同じ場面でそれ以上に心を動かされたことがある。200メートル平泳ぎ決勝で岩崎が22665でゴールした刹那、解説者の男性が『ヤッター!』と大声で叫んでいたのだ。

 

後に、心無い人々(というよりスポーツに詳しくない人々と言うべきか)から『解説者がうるさい』という痛烈な批判が多数寄せられたという。多くの国民から批判を浴びるほど(全国放送のテレビで)大声を張り上げてしまった解説者に、私が感動した理由を説明しなければならない。

 

叫んでいたのは、高橋繁浩。彼はその昔、『間違いなく金メダルを取れる逸材』と言われていた日本水泳界の宝だった(岩崎と同じ平泳ぎ)。しかし。不可解なルールにより彼の人生は大きく狂わされた。今となっては信じられないルールだが、高橋が全盛期だった頃(平泳ぎの選手に対して)おかしな規制が言い渡された。それは『頭が水に沈んではいけない、常に頭の一部が水面から出た状態で泳がなければならない』というものだった。頭を水中に深く沈めて泳ぐフォームだった高橋は、それが原因で何度も失格になった。この妙な(高橋つぶしとしか思えない?)ルールは、彼が全盛期を過ぎて引退を発表した後に、当然のように解除された。妙なルールがなくなったことで高橋は現役復帰するが、残念ながら既にピークは過ぎていた。

 

あの(納得できない)ルールさえなければ、高橋は北島康介よりずっと早く国民的ヒーローになっていたはずだった。意味不明なルールで奪われた自分の未来、現役選手としては達成できなかった金メダルの夢、それを(同じ平泳ぎの)岩崎恭子が手にする場面を自分の目の前で見たのだ。泣く泣く引退し、裏方として日本選手を応援するしかなかった高橋がどんな気持ちで叫んでいたか、その気持ちが痛いほど伝わって私は感動させられたのだ。

 

オリンピックの決勝しか観戦しない“にわかスポーツファン”が(詳しい事情も知らず)軽率にも『あの解説者はやかましかった』などと批判していることが悔しかったことを覚えている。

 

基本的に・・・。スポーツを応援しながら叫んでいるテレビ出演者に悪い人はあまりいないように思う。私の知る限り、ほとんどの場合絶叫する理由(その人が抱える背景)があるのだ。例えば、『松岡修三がうるさい』という人も多いらしいが、私は好きだ。確かに多少精神的に弱い面もあるだろうが、彼がどれだけの努力・経験・苦労を積み上げてきたのかを知っている人がいったい何人いるのだろうか? スポーツ中継で大声を出している解説者やゲストは、それぞれがそのスポーツに人生を賭けてきた人物であり、間違いなく熱中する理由がある。それは、長くスポーツを観続けている人(その人の現役時代からの経歴を知っている人)にしか分からない。表面上の声の大きさだけで評価しないでほしいものである。

 

<注> ちなみに・・・。高橋繁浩は、北島康介が金メダルを取った時も放送席で叫んでいた。同じ平泳ぎの選手ということで力が入ったのだろうが、確かに少しうるさかった? かも知れない。笑。

 

話が少し横道に逸れた。この文章で伝えたい本題は、いかに日本が欧米から押し付けられたルールに苦しんできたか、ということである。

 

それは、高橋の例だけでない。スキーのジャンプで日本選手が活躍すれば、すぐにスキー板の長さが規制され、身長の低い日本人に不利なルールに改正された。ノルディック複合で日本が金メダルを獲得すれば、日本の得意なジャンプのポイントが低く変更された(しかも2回も)。柔道では、技などかけずにタックルでポイントを取り後は(時間つぶしに)逃げ回るだけの選手が優勝するようになった。フィギュアスケートでは、日本人選手が3回転半や4回転にチャレンジしても、(結局は着氷の成否で判断されて)3回転や2回転半しか飛ばない選手と点数は変わらなかった。浅田真央が苦手なルッツ・ジャンプに限り、踏み切りが正確にアウトサイド・エッジでなければならないというルールが適用され、減点対象として厳しく評価された。鈴木大地がバサロ泳法で金メダルを獲得すれば、すぐにバサロキックに規制がかかった。バレーボールのブロックの際のワンタッチは、3回のボールタッチ回数制限に数えられなくなった(長身で攻撃型の欧米に有利)。他にも、例は多数ある。

 

日本人は、ルールに文句を言わない国民である。浅田真央が15歳で大活躍しても、『オリンピックは年齢制限で15歳以下(前年6月時点での年齢で判定)は出られない』と言われれば、『ハイ、そうですか』と納得してしまう。与えられた条件で戦うことこそがスポーツマンシップだと思っているようで、ルールに異を唱えることを“潔し”としない。他国は、まずは自分達に有利なルールを作ることから始めるが当然だと思っている。ルールを有利に設定するだけならまだしも、ドーピングを行ったり、年齢や性別を誤魔化して出場してくることさえある。日本は『常に人の良さにつけ込まれている』と言っても過言ではないかも知れない。もちろん、それが日本人の美徳なのだろうが、割を食うのは現役の選手である。もう少し交渉力のある人(政治家・協会・スタッフ等)が必要ではなかろうか。

 

スポーツ選手のピークは長く続かないと考えておくべきだろう。イチローのように10年以上も継続して活躍する選手は“まれ”である。特にオリンピックを目指すようなアマチュア選手の場合は、調子の良い時期を逃すと次のチャンスは4年後になってしまう。4年後に再度ピークを持ってくることがどれほど困難かは説明するまでもないだろう。

 

日本人が潔さを好む傾向や、与えられた条件で正々堂々と戦うことが美徳だとする考え方は世界に誇るべきことであるが、それが結果的に様々な場面で不利な戦いを強いられるというジレンマに結び付いているように思う。決して変な政治力を駆使して裏工作することを求めている訳ではないが、ほとんどのスポーツ選手がおそらく一度しか体験できない大一番だけは、できるだけ有利な条件(というより、悪くとも納得できる公平な条件)で戦わせてあげたいものである。

 

高橋繁浩だけでなく、不利なルールに泣いた日本人選手は沢山いる。

 

以上

 

<注> もちろん、日本人に有利なルール改正の例もある。不利なルールでも文句を言わないからこそ日本の様々な技術が発展してきた、というプラスの側面も否定はしない。

 

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2011年03月16日

日本テニス界の過去と未来が見えた日

スポーツについて語るブログ

 
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・日本テニス界の過去と未来が見えた日

 

 1996年4月28日。東京。有明コロシアム。

 あの日・・・。

 伊達公子は、痛む左足を引きずりながら、ライジングショットを打ち続けていた。

沢松奈生子は、仲間のために、日本のためにひたすら走り続けていた。

長塚京子と杉山愛は、世界レベルに追いつきたいという若い野望を燃えたぎらせていた。

 坂井利郎は、監督としてこの長い戦いの勝利を願い続け、冷静に見守り続けていた。

井上悦子(日本の女子テニスプレイヤーとして初めて世界ランク26位まで進出)は、TV中継の解説者という立場にありながら、時に涙声になって心からのエールを隠さなかった。

松岡修三(ウィンブルドンベスト8に進出)は、例によって・・・、何時間も応援の旗を全力で振り続けていた。

神和住純(戦後初のトーナメントプロ)と福井烈(9年連続日本ランク1位を記録)は、観客席で声を枯らして手拍子の先頭を切っていた。

 あの日の有明コロシアムには、日本テニス界の過去を背負ってきた人々、今まさに現代をリードしているスター選手、未来の活躍が有望視される若手、それら全ての面々が一同に会していた。

 もちろん、ここに名前を挙げられなかった数々の選手達も、きっと一人の観衆や視聴者として、この名場面を見つめていたはずである。

九鬼潤、土橋登志久、増田健太郎、辻野隆三、柳昌子、岡川恵美子、佐藤直子、雉子牟田姉妹、平木理化、宮城ナナ、神尾米、遠藤愛、佐伯美穂、吉田由佳・・・。 沢松和子さんやアン・清村さん、錦織圭だって観ていたかも知れない(もし本当に錦織が観たとすれば、当時まだ6才だったことになるが・・・)。

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 フェデレーション杯・国別対抗戦、通称:フェド・カップ。 簡単に言うと、女子テニスのワールドカップである。1996年4月27 ~28日、日本はフェド杯ワールドグループベスト8に名を連ね、強豪ドイツとベスト4 (準決勝進出) を賭けて激突することとなった。ドイツは優勝候補であり、当時世界ランク1位の絶対王者 シュテフィ・グラフと、同5位のアンケ・フーバーの2枚看板を擁していた。

 フェド杯のルールは簡単である。 シングルス4試合(2試合×2日間)と、ダブルス1試合、合計5試合で先に3勝した国の勝ち。

 日本のシングルス戦出場選手は、エース伊達公子と沢松奈生子。2日間の対戦スケジュールは下記の通り。

 4月27日 (大会1日目) : 
第1試合   伊達公子  vs アンケ・フーバー
2試合   沢松奈生子 vs シュテフィ・グラフ

4月28日 (大会2日目) : 
第1試合   沢松奈生子 vs アンケ・フーバー
2試合   伊達公子  vs シュテフィ・グラフ

当時伊達は世界ランクトップ10に入る選手ではあったが、それでもグラフやフーバーには及ばない。普通に考えれば、ドイツの4連勝、悪くとも3勝1敗で (5試合目のダブルス戦に突入する前に) ドイツが勝ち抜けるだろうと思われていた。

 実際にグラフは、2日目の第2試合の後、(ダブルスの試合開始時間を待たずに) ドイツに帰国できるよう航空券の予約をしていたようである。しかし、そのグラフのスケジュールは、伊達公子によって見事に覆される。

 まずは初日の第1試合、伊達公子が、世界ランク5位アンケ・フーバーの壁を破る。セットカウント、4-6、6-4、6-1、の逆転勝ちであった。ただし、勝利の代償に左足を痛めてしまう。沢松奈生子は、2日間の健闘及ばず2試合を落とすが、日本の1勝2敗で、伝説の第4戦 伊達公子vsシュテフィ・グラフの対戦を迎えることとなった。

 1セット。 フーバー戦で痛めた左足が気になるのか、伊達の調子が上がらない。絶対王者グラフは容赦なく強烈なストロークを打ち続け、気が付けば (アッと言う間に) ゲームカウント 「5-0」 となっていた。 もはや勝敗は明らか。伊達が1ゲームでも拾えるかどうか、そんな一方的な試合になりそうな雰囲気であった。

 「左足の怪我に対する気持ちの整理がつかないまま、試合が始まってしまった」 後日伊達はそう語っているが、ここで諦めず開き直れるあたりが伊達の天才たる所以である。 楽勝を想定していたグラフに、少しずつ揺さぶりをかけ、丁寧にライジングショットを重ねて挽回していく。 圧倒的不利な状況から、じわじわと反撃を開始したのである。 なんと5ゲームを連取してタイブレークに持ち込み、最終的に「7-6」 で第1セットを奪ってしまった。

 2セット。 さすがに王者グラフが本領を発揮、ゲームカウント 「6-3」 で取り返す。これで勝敗の行方はファイナルセットへ。

 3セット。 ファイナルセットは、タイブレークがないため、どちらか一方が2ゲームアップ(先行)するまで試合は続く。 単なる個人戦ではなくそれぞれの国のプライドを賭けた争いであるが故に、一歩も譲らない両者の意地がぶつかり合い、2試合分、3試合分の時間が過ぎていく。負傷している伊達のどこにそんなスタミナがあるのか全く分からなかったが、伊達は持てる全ての集中力を発揮して、頑張り続ける。ゲームカウント 「6-6」 「7-7」 「8-8」 「9-9」 「10-10」 、果てしなく続くラリー、スタミナには自信があるはずの女王グラフもフラフラになりながらボールに食らいついていく。一方左足のテーピングが痛々しい伊達も、何度も足を痙攣させながら歯を食いしばって激走する。ワンプレイごとに、伊達の声も苦しくなり、息も乱れていく。 明らかに両者とも疲労が極限に達し、シーソーゲームは体力と気力を奪っていく。

 先にマッチポイントを握ったのは伊達。 しかし、グラフがブレイクする。次はグラフがマッチポイントを握るが、今度は伊達がかわす。再度伊達がマッチポイントを握るが、グラフも粘りに粘って決着をつけさせない。

4月末とは言え、肌寒い一日であったと記憶している。3時間20分を超えた試合は、ゲームカウント 「11-10」 と伊達がリードして、最後のマッチポイントを迎えた。 この日伊達公子が放った952打目。 得意のライジングショット。グラフ渾身のリターンは、ネットにかかった。 「12-10」 。 女王グラフ敗れる! 一瞬の静寂の後、天を切り裂くような大歓声がコロシアムで爆発した。 全ての聴衆が涙を滲ませながら雄叫びを上げた。両手をあげてガッツポーズする伊達! 難攻不落の絶対王者を正攻法で撃破した、まさに奇跡の試合であった(ちなみに、グラフはこの年、この時点までは無敗であった)。

 だが、奇跡の物語はこれで終わりではない。 この戦いはフェド杯。国別対抗戦である。伊達の勝利は感動を呼んだが、トータルの勝敗をようやく2勝2敗に持ち込んだに過ぎない。 準決勝進出は、最後のダブルスの結果にゆだねられることになる。

 ダブルスにエントリーしていた選手は、両国とも若手のコンビであった。日本は、(その後の日本テニス界をリードすることになる) 杉山愛と、長塚京子に命運を託す。その時点でのコロシアムの雰囲気は?と言うと・・・、 伊達公子が起こした奇跡の余韻もある上に、ホームゲームで地の利もある。ダブルスなら・・・、若手同士の争いなら・・・、もしかすると日本にも勝機があるかも知れない、そんな空気が漂っていたように思う。

 そんな甘い思いを打ち破る出来事が発生した。 ダブルスの試合直前、ドイツが出場選手を変更してきたのである。 最終戦・ダブルスにエントリーしてきたのは・・・。なんと!!! 先ほど試合を終えたばかりのグラフとフーバー。 追い詰められたドイツは、最も信頼できる 世界ランク1位と5位の最強ペアをダブルスにぶつけてきたのである。 もちろん、ルール違反ではない。 登録しているメンバーなら誰を出しても構わない。

「ええっ? それはないでしょ!」 直前のメンバーチェンジに頭を抱える大観衆、呆れ顔の報道陣。かくして、杉山、長塚の若手コンビは、世界最強ペアと最終戦で激突することとなってしまった。

 しかし。 杉山愛と長塚京子は燃えていた。 杉山にとって伊達公子は憧れの存在であり、目標でもあった。その伊達が、フラフラになりながら命懸けで女王を撃破するシーンを目の前で目撃した。応援で絶叫しながら、二人は誓っていた。 「伊達さんが作った千載一遇のチャンス、絶対にモノにする! たとえ相手が世界最強ペアでも!」

 二人は、粘った。相手のペアは、シングルスではそれぞれが世界最強レベルにあることは間違いない。それでも、ダブルスのコンビネーションに関しては、自分たちのほうに経験的有利さがあると信じ切っている、そんな風にも見えた。

 1セット。 圧倒的な体格差がありパワーに劣る日本ペアは、試合序盤は完全な力負け、必死に食らいつくも第1セットを奪われてしまう。しかし、二人は決して諦めない。第2セットになると、グラフとフーバーにも多少の集中力低下が見られるようになった。 2人は、食いさがって食いさがって、拾いに拾った。 肝心な場面では杉山のポーチや意表を付いた長塚のストレートリターンでポイントを重ねた。

徐々に流れが変わっていった。 グラフとフーバーのわずかなコンビの乱れを、杉山のボレーが正確に射抜く。杉山と長塚は、ミスをしてもそれにこだわることなく、次々と更なる有効打を上乗せしていく。杉山と長塚の目が、爛爛と輝き始める。第2セット終盤になると、両者の動きは全くの五分五分に思えるようになっていた。

ファイナルセット。ここまで来ると追う者のほうが心理的有利となり、失うものがないほうが思い切ったプレイをし易い。日本の若手コンビがコートの中心で躍動する。「奇跡が起きれば・・・」という気持ちは、「可能性があるかも?」に変わり、最後は「いける! 絶対に勝てる!」 と信じられるほど、二人の背中が徐々に逞しく変化していったように見えた。 杉山の素早い動きにドイツがついていけなくなった。 この日 2回目の奇跡が起こった。長い長いフルセットの戦いが終わった刹那、杉山と長塚はその場に崩れるように倒れこんだ。伊達がグラフを撃破した瞬間を上回る大歓声が上がった! 優勝候補ドイツ敗れる! 日本、奇跡の大逆転勝利で準決勝へ進出!

 絶叫する者、抱き合う者、ハイタッチやガッツポーズを繰り返す者、涙する者・・・。そこには、日本テニス界に関わった全ての人々の晴れやかな笑顔があった。スタンディングオベーションといつまでも鳴り止まない拍手が記憶に刻まれている。

 観ているだけでヘトヘトに疲れ切ってしまうような1日であった。しかし、1996年4月28日こそが、日本テニス界の歴史上に発生した唯一のオールスターゲームであり、日本テニス界の現在・過去・未来が凝縮された特別な1日であったと確信している。

 グラフはこう語っている。『あの試合に負けたことを少しも恥ずかしいとは思わない。私は全力でプレイした。結果として上手くいかない試合もある』 

 以上



e_business_iso at 11:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!