書籍関係の話
2011年07月11日
ここ1年で購入した本
書籍について語るブログ
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07 ここ1年で購入した本
理由は分からないが、昔から本屋が好きである。決して極端な読書好きというわけでもなく時間があれば読むという程度なのだが、本屋の雰囲気(本屋にいること自体)が好きで、店に入るだけで落ち着くし楽しくなる気がする。
また、本屋に立ち寄るとあれもこれも欲しくなる性質(たち)で、毎回1万円近く買い込んでしまう。いったいどれくらいの書籍を購入しているのか、とりあえず会社の本棚に置いてある(ここ1年で購入したと思われる)本を並べてみた。約80冊であった。これ以外にも仕事上で必要な本、自宅に保管したままの本、誰かにプレゼントしてしまった本、などもあるので、トータルするとおそらく100冊は間違いなく超えるだろう。断っておくがあくまで“購入した”本であって、“読んだ”本ではない。買っただけで本棚に眠ったまま放置されている本も結構ある。
未だに読んでいない本や買う必要のない本がどの程度あるのか確認するために、あるいは自分の読書傾向(購入傾向と言うべきか?)がどのようなものか確認するために、取り敢えず手元にある書籍を網羅してみる。普段本屋に行かない人は全く興味をひかれないかも知れないが、列挙された本のタイトルを眺めていれば(もしかすると)何となく読みたくなる可能性もあるのではないかと思っている。
注 : 読書の必要性については、以前のブログ「読書しない人は馬鹿になる」で語っておりますので、興味がある方は参照してみて下さい。ここ1年に限らず私が『好きだ』と思った本については、同じく以前のブログ「良か好き本」を参照下さい。
読書については、それぞれの趣味や好みが大きく異なるので、他人に『この本は良かったよ、是非読んだほうが良いよ』などと書籍を推薦する行為は極力控えるようにしている。自分の趣味を押し付けるのはあまり好きではないし、“大きなお世話だ”と思っているからだ。だがしかし。ある程度時間をかけて読んだ本で“心に響いた”ものがあると、ついつい誰かに言いたくなってしまうのが人間の性(さが)だとも思っているので、今回は(参考までに)私が個人的に面白いと感じたものに ○印 を付しておく。ただし、私の好みが一般的な評価(大衆ウケや人気ランキング)と一致するとは思っていない。
<小説系> 30冊
○「永遠のゼロ」 百田尚樹
○「孤宿の人(上・下)」 宮部みゆき
○「一瞬の風になれ(第1部~第3部)」 佐藤多佳子
○「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら」 岩崎夏海
「中庭の出来事」 恩田陸
「向日葵の咲かない夏」 道尾秀介
「マボロシの鳥」 太田光
「獣の奏者(Ⅰ・Ⅱ)」 上橋菜穂子
「風が強く吹いている」 三浦しをん
「ベルリン飛行指令」 佐々木譲
「悼む人(上・下)」 天童荒太
「クライマーズ・ハイ」 横山秀夫
「金のゆりかご」 北川歩実
「十八の夏」 光原百合
「慟哭」 貫井徳郎
「超・殺人事件」 東野圭吾
「白銀ジャック」 東野圭吾
「生首に聞いてみろ」 法月綸太郎
「アヒルと鴨のコインロッカー」 伊坂幸太郎
「ゴールデン・スランバー」 伊坂幸太郎
「水曜の朝、午前三時」 蓮見圭一
「葉桜の季節に君を想うということ」 歌野晶午
「ボトルネック」 米澤穂信
「エル・ドラド」 服部真澄
「終戦のローレライ」 福井晴敏
「まほろば駅前多田便利軒」 三浦しをん
「ユージニア」 恩田陸
「ネバーランド」 恩田陸
「孤独の歌声」 天童荒太
「スペシャル・ブレンド・ミステリー 謎」 東野圭吾(選)
<小説以外> 50冊
○「2020年の教科書」 菅下清廣
○「会社の電気はいちいち消すな」 坂口孝則
○「倫理問題 101 」 マーティン・コーエン
○「会社にお金が残らない本当の理由」 岡本吏郎
「これからの正義の話をしよう」 マイケル・サンデル
「日本でいちばん大切にしたい会社」 坂本光司
「騙される脳」 米山公啓
「次に来るメディア」 河内孝
「絶対こうなる日本経済」 榊原英資・竹中平蔵
「歴代総理の経済政策力」 三橋貴明
「物語で読み解くファイナンス入門」 森平爽一郎
「賢い芸人が焼肉屋を始める理由」 岡本和久
「鹿児島 環境キーワード事典」 鹿児島環境学研究会
「思考停止ビジネス」 坂口孝則
「日本復興計画」 大前研一
「日本の火山を科学する」 神沼克伊・小山悦郎
「ふらり 京都の春」 柏井壽
「闘う日本 東日本大震災から1か月」 産経新聞社
「経営の教科書」 新将命
「日本経済の真実」 辛坊治郎
「残酷な社会で生き延びるたった一つの方法」 橘玲
「日本はなぜ世界で一番人気があるのか」 竹田恒泰
「仕事するのにオフィスはいらない」 佐々木俊直
「日本の名著のあらずじ」 一校舎国語研究会
「Face Bookをビジネスに使う本」 熊坂仁美
「その一言、ネイティヴ英語でこう言います」 小池信孝
「病院経営を科学する」 メディカル・クリエート
「2015年の建設・不動産業」 野村総合研究所
「勝つプレゼン、負けるプレゼン」 大串亜由美
「トンデモ日本史の真相(人物伝承編)」 原田実
「トンデモ日本史の真相(史跡お宝編)」 原田実
「ライバル他社より御社のホームページを検索上位にする方法」 時枝宗臣
「現代語訳 史記 司馬遷」 大木康
「脳に悪い7つの習慣」 林成之
「百年企業、生き残るヒント」 久保田章市
「法人税が分かれば会社のお金のすべてが分かる」 奥村佳史
「日本で最も人材を育成する会社のテキスト」 酒井穣
「会社は毎日つぶれている」 西村英俊
「2011年 日本はこうなる」 三菱UFJリサーチ
「経済は損得で理解しろ」 飯田泰之
「今が分かる、現代がわかる、日本地図」 成美堂出版
「チャンスと出逢うための人脈大改造」 佐藤芳徳
「MBAの医療介護」 田中滋・古川俊治
「知って得する確率知識」 野口哲典
「知らないと恥をかく世界の大問題」 池上彰
「本当は危ない論語」 加藤徹
「退散せよ、似非コンサルタント」 船井幸雄
「女は男のどこを見ているか」 岩月謙司
「2010年代 日本経済はこうなる」 吉田春樹
「沖縄語の入門」 西岡敏・仲原穣
それにしても・・・。よくぞこんなに買ったものだと思うし、意外と放置したままの(開いてさえいない)本もあることに気づいて反省した。大して読む気もない「論語」や「史記」なそも購入してしまっているが、購入したこと自体完全に忘れていた(実際まだ1頁も開いていない)。
自分の読書傾向については、圧倒的にミステリー系(推理小説)が多いが、それ以外は極端な偏りはなく『意外とバラバラだな』と感じた。経営関連や日本の将来予測の本があると(あまり熟考せずに)購入してしまうようだ。小説系で、恩田陸と東野圭吾が3冊ずつあるが、これは好きな作家なので仕方がないだろう。
皆さんは、心を惹かれるタイトルの本が一冊でもあっただろうか?
以上
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2011年07月01日
幸せとは
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・ 幸せとは
書籍に関するブログと言いつつ、ここのところどうも(話が横道に逸れて)哲学っぽくなってしまっているのだが、乗りかかった船という感じで前回の『友達とは』に続いて、今回は『幸せとは』をテーマに語ってみたい。
(ちなみに次回以降、『恋愛とは』『結婚とは』に話が進む予定。あくまで予定だが・・・。)
私は、『幸せとは空気のようなものだ』と思っている。そう思う理由を述べる。
宝くじに当たった、スポーツの大会で優勝した、仕事で功績を残して誉められた、なども当然幸せな場面だとは思う。しかし、私が考える幸せとは、左記のような強い幸福感を伴う瞬間的なものではなく、弱いけれどももっと長い時間続くものである。つまり、普通に生活していること、普通に仕事ができていることこそが幸せだと思うのだ。
病気で入院したことがある。私の周りのベッドはお年寄りばかりだったが、その方々よりも自分の体調が悪いのではないかと考えた瞬間、こう思った。様々なストレスを感じつつも普通に生活できることがどれほど幸せか、と。宝くじなんて当たらなくとも、優勝できなくとも、仕事で成功しなくとも、普通に食事が出来て、普通にTVを観ることができて、普通に自分のベッドで眠れる、これ以上の幸せはないのだと痛感した。本当の幸せに劇的な喜びはいらない。いつも通りごく普通の生活、これこそが幸せの極みなのだ。
意識しないと気付かず、つかまえようとしてもつかまらず、いつもそこにあるのに誰も有難さを認識していない、それが私の幸せのイメージであり、だからこそ『空気のようなもの』と表現した。いかがだろうか?
私も若いころは、幸せとは(追いかけても無駄だと知りつつも)誰もが追い求める目標のようなもので、かつ大きな喜びや嬉しさを伴うべきものだと考えていた。更に、ちょっとしたトラブルや不幸な出来事で一瞬にして消え去るたぐいのものだと思っていた。確かにそのような一面もあるのだろうが、年齢を重ねることに、多少のトラブルやストレスがあろうとも、ある程度(特に精神的に)健康で、ある程度自由に自分の生活ができていれば、これ以上の幸せはないと感じるようになってきた。
久しぶりに短い文章になった。結論を繰り返す。幸せとは、当たり前に存在する空気のようなもので、具体的には『いつも通り普段の生活ができること』である。それ以上を無理に追い求めると、一時的な快楽を得る可能性はあるにしても、(知らず知らずの内に欲張りになってしまって)逆に不幸を招く、あるいは本当の幸せ(つまり普通の生活の有難さ)を感じられなくなる可能性が高いような気がする。
以上
2011年06月23日
友達とは
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・ 友達とは
『友達幻想』、『友達の作り方』、『友達地獄』、『友達がいないということ』、『大人の友達』などなど、“友達”に関する書籍は多いようだ。友達とは? というテーマの討論番組なども多い(特にNHK教育)。
私個人の友達に関する定義は常に明確である。
私は、“私が友達だと思う人は全て友達だ”と思っている。相手が私のことをどう思っているかは一切考慮しない。ごくシンプルな答えだと思うが、意外と(私の周辺では)支持されない。ちなみに、“親友”と“普通の友達”の区別もあまり意味がないと思っている。これもまた(想像以上に)不評だ。どうも世間の皆様は、自分が『友達だ』思う気持ちと同じ(あるいはそれ以上に)相手も自分のことを『友達だ』思ってくれることが友達の条件で、更にそのお互いの気持ちの強さで、親友とそれ以外の友達の区別をつけたがっているようだ。
親友なんて幻想だ、と断言してしまうと嫌われそうだが、自分が『この人は友達だ』と思う以外に、友達を決定する条件なんてあるのだろうか? 私がそう思う理由は簡単である。何故なら・・・。相手が思っていることなんて絶対に(一生)分からないからである。
あなたの友人が『二人は親友だ』と言い続けていたとする。しかし、それが本心かどうかは誰も判定できない。100年間『友達だ』と言い続けていても、死ぬ間際に『実はお前が嫌いだったんだ』と言われない保証はない。私は、それでも(つまり、最後に裏切られたとしても)良いと思っているのだ。相手がどう思っていようと自分は『友達だ』と思っていた、それだけは(自らの気持ちなので)間違いない、それで十分だ。
自分が思う以上に相手も自分を『友達だ』と思っていて欲しい、この気持ちは(未成年の時期ならある程度仕方ないと思うが)一言で言うと“甘え”だと思う。極端な例になると、自分が1回遊びに誘ったから次は相手から誘って欲しいし誘うべきだ、などという“駆け引き”になってしまうこともある。
お互い完全にイーブンな友達関係なんてあり得ないのだから、あまり相手に求めたり期待したりせずに、自分の気持ち中心に考えたほうがシンプルだと思うのだ。要は、相手の内心を推測することに必死になっても無駄なので、『もし相手も自分と同じように思っていてくれたらラッキーだ』という程度が気楽で良いということだ。
そもそも、本当に相手の気持ちを確認できている人などいるはずがない。100%の確信をもって『あの人は親友だ』と言える明確な根拠を持っている人がいるだろうか? 極端に不幸な体験をした人なら、可能性はあるかも知れないが・・・。例えば、射殺されそうになった瞬間にかばってくれたとか、墜落する飛行機の中で一つしかないパラシュートを譲ってくれたとか・・・。それでも、立場や義務や美学を考えただけの行動かも知れない。
誤解しないでいただきたいが、友人の言葉や気持ちを疑え、と述べているわけではない。
相手の気持ちに過度の期待をせず、自分の判断で友人を決めるべきだ、と言っているのだ。どうせちょっとした出来事で(友達との)親密度は変化する。特に震災などの非常事態を体験すれば、『愛想のない奴だ』と思っていた友人が必死に救助を行い、『親友だ』と思っていた人物が真っ先に逃げ出している可能性だってある。友人に対する評価なんて、ころころ変わるのが当然だろう。もともと他人の気持ち(真実)を理解することは、誰にも出来ないのだから。
結論。友達の条件は、自分が『友達だ』と思うこと、それだけである。相手の意思は(よほど極端に嫌われない限り:文末の「注」参照)関係ない。“親友”と“ただの友達”の区別もあまり意味がない。従って、私には友達がたくさんいる。何故なら、私がたくさんの人に対して『友達だ』と思っているからである(実は嫌われているのかもしれないが、知ったことではない)。
以上
注: 確かに友達の定義は『自分の気持ちを中心に考える』ことが重要だが、過度の盲信はただの迷惑者(あるいはストーカー)への道なので、ご注意あれ。親しき仲にも礼儀あり。
2011年05月18日
鑑定ブーム?
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・ 鑑定ブーム?
時間が空くと、本屋に行くことが多い。先日いつものように本屋に入ると、やたらと『××鑑定団』『△△の鑑定学』などという本が目に付いた。 私の両親などもTV番組の『○○鑑定団』が大好きで、再放送まで含めて週に何度も美術品等の鑑定番組を観ているようである。 実を言うと・・・。あくまで私個人の好みの問題であるが・・・。これらの鑑定に関する番組や書籍があまり好きではない。理由は簡単である。決して実用的とは言えない絵画や陶器、あるいは玩具やブランド品などに、何故そんなに高額を付けてやり取りするのかが理解できないからである。しかも、それで儲けようとする人がたくさんいる、という状況が信じられない。 穿った見かたかも知れないが、そこに登場する全ての人物が、どうも「楽して儲けよう」「一攫千金を狙おう」「目利きであることを自慢しよう」、という人種に見えて仕方がないのである。 歴史上の人物の手紙が数千万円? 有名な野球選手のサインボールが数百万円? ただの紙切れであり、ただのボールではないか! ○○鑑定などという番組や書物こそが、ホームランボールを奪い合う人々や、偽物の美術品や絵画に大金をつぎ込んでしまう人々を量産している原因なのではないだろうか。 欲しい人がいるから市場が形成され、需要と供給のバランスで価格が決まっていく、という理屈は分かるが、必要以上に高い金額でやり取りされているような気がする。趣味とは言え実は一種の中毒で、むやみに大金を失う人や、他人を騙してでも高額商品を安く手に入れようとするような人を次々と生み出しているようにしか思えない。 そこに関わる人々は誰もが、ただ同然で手に入れたものや安く手に入れたものが大金に化けることを夢見ており、当然ながらそのような品物を出来るだけ上手く(安く)手に入れることが賞賛の対象となる。地道に汗水垂らして働くこととは真逆の志向だ。 確かに現世の仕組みは自由経済であり誰が何を取引しようと当人同士の勝手であるが、一歩間違えれば、お年寄りを騙したり、あるいは知識のない人を相手に(いわゆる)その道のプロが圧倒的に有利な商売をしてみたり、というあまり望ましくないシチュエーションに陥る危険性と背中合わせのような気がするのだが・・・。 あくまで個人の嗜好であるし自由な経済活動にはある程度怖さ(リスク)が伴うのは当然で、私が文句を言う筋合いではないのだろうが、限度があるような気がする。常識の範囲、適度な価格、良心的な取引、理性的な判断・・・。失くしてはいけない感覚があるのではなかろうか。 実は私も芸術作品はかなり好きなほうであるが、それはあくまで“自分が気に入ったもの”に興味を惹かれるだけの話である。当然ながら自分で納得できる範囲の金額しか払えない。他人から批判されたり、購入金額より安く見積もられたりしても気にならない(自分の感性なのだから)。逆に高額な評価を受けたり、『目利きですね』と誉められたりすることも期待しないし、必要ない。自分だけの価値、というものが誰しもあるはずだ。鑑定人が『100万円の価値』と認めた美術品よりも、自分の子供がプレゼントしてくれた下手くそな絵や先祖が残してくれた一枚の写真、あるいは自らが苦労して作ったいびつな陶器のほうが、遥かに意味や価値を持っているかも知れないではないか。 ピカソやゴッホが、(自分の生活のために)ある程度高額で自分の作品が売れることを祈ったであろうことは十分推測できるし、時を超えて自分の作品が支持されることを期待していたとしても自然なことである。しかし、彼らにとって最も重要なことは『自分が納得できる作品を描くこと』だったはずで、何世紀も後の時代にとてつもない価格で取引され、それが原因で事件や犯罪まで起こるようなことを期待していたはずはない。ましてや坂本龍馬や西郷隆盛が、自分の書いた書簡に数千万円の値がつくことを期待したはずもないし、イチローや松井が自分のユニホームやホームランボールに数百万円の価値が出ることを考えながらプレイしているはずもない。本人ではない人物(ただのファンや、時にはファンでさえもない第三者)が“他人の尻馬に乗って”儲けようとしているだけだ。 そもそも“偽物を売って儲けようとする悪人”や“有名人や歴史上の人物を不必要に崇拝する輩”が(世界中に)大量に存在するから“鑑定”なる仕事が流行する。鑑定人の判断に人生を左右される人は、常に他人の評価を気にするし自らの感性や個性を殺してしまう危険性も高い。それが多くの人間の性であるというなら諦めるしかないが、私は(できることなら)自分が購入した物品の金額で一喜一憂するようなことがない生活を送れるよう心掛けたい。 以上
注:もちろん、適正で理性的な取引をしておられる方も沢山いらっしゃることを理解した上での文章ですので、誤解なきよう。
2011年03月16日
読書しない人は馬鹿になる
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・読書しない人は馬鹿になる
本当である。
具体的に説明しよう。まずは、次の一文を読んで景色を想像してほしい。
“私は、今、海にいる”
どうだろう? 皆さんは、どんな海を想像しただろうか?
この時点では、100人が100パターンの絵やシーンを想像しているはずである。早朝の夜明けの海を想像した人もいれば、夕暮れの海を想像した人もいる。南の海か北の海か、白い砂浜か断崖絶壁か、一人ぼっちか観光客が溢れているか、快晴か雨模様か、など、まさに十人十色の想像力を発揮したはずだ。
そう。これが読書の魅力でありパワーである。
同じ一文を読んでも、そこから思い浮かべる画像はバラバラであり、自然と個性が発揮される。それぞれが脳を使って考えるのである。
これがTVや映画だった場合、100人が100人とも同じ映像を観て、同じ音を聞くことになる。その人が本来持っていた想像力はかき消され、同じ映像、同じBGMが刷り込まれる。
個性は完全に殺される。これは本当に恐ろしいことである。誰かが言わなければならない。TVや映画やゲームの画面ばかり観ていると、だんだん想像力がなくなって、馬鹿になると。
音と映像に汚染された現代人は、与えられた情報に反応するだけで、自ら考えて判断する能力が退化してしまっていることに、一刻も早く気付くべきだ。
想像力がない、考える力がない。これは奇しくも、他人の気持ちを推し量れない、将来の自分を描けない、マスコミに流され易い、自分の行動が社会に対してどのような影響を持つのか、あるいは自分が世間からどのように見られているのか、などを適切に想像できないということだ。
人の痛みも分からないから、知らず知らずの内に犯罪に通じてしまう可能性すらある。
もちろん、日本のTVゲームや漫画が、世界的にみてハイレベルであることは認める。だからと言って、今私が提起している問題とは別だ。どんなに日本のアニメや漫画が世界を席巻しようとも、文章を読まない人ばかりが活躍するような世の中には、絶対にならないと断言しておく。
こんな体験はないだろうか?
コミック漫画を読んでいて、その後その漫画がTVアニメ化される。それをTVで観ると、どうも登場人物の声が自分が思っていたものと違って、妙な違和感がある、という体験だ。
これは、漫画においてのみ発生する現象だ。漫画を読んだ時点では、100人が100人とも同じ絵を見ることになるが、声だけはそれぞれが想像している。従って、TVアニメ化された瞬間に、声優の声が自分の想像とマッチしない場合が発生してしまうのだ。
漫画では音や声だけを想像するが、読書の場合、映像までも想像しなければならない。個人の想像力を必死で発揮しない限り、読み進めない。逆に言うと、何らかの文章を読むからこそ人間は考えるのだ。本を読まない人が想像力(ひいてはモノを考える力全般)を獲得することがいかに困難か、ご理解いただけたであろうか?
読書しない人は馬鹿になる! ちょっと過激な言い方かも知れない。しかし、TV出演者こそが権力者としか思えないような現代社会の状況を見るにつけ、誰かが警告を発し続けなければ、いつか人類全体の大きな不幸に繋がるような怖さを感じてしまうのは私だけなのだろうか?
以上
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2011年03月15日
水と緑と土
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・水と緑と土
『水と緑と土』、この本に巡り会ったのは1983年ごろだったと記憶している。中公新書からの出版で、当時の定価が480円だった。富山和子女史が(1973年に)書いた都市問題をテーマとする文献である。
この本を手にした瞬間から、環境問題、都市問題、自然との共生などについて常に考えさせられるようになったように思う。
内容をかいつまんでの述べると・・・。
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2500年以上昔、古代ギリシアにおいて、プラトンが嘆いた言葉がある。『アテネが損なわれない時、山々は密林に覆われ、国内には放牧が広がっていた。雨は今のように浸食された土壌の表面をそのまま流れて海に注ぐことはなく、懐深く受け入れられて、やがて泉となり川となり豊かな水量が国内に広く吐き出されていた』と。
つまり、木々が生い茂っていた時代には洪水など発生せず、山に保水力があり、雨を吸水して後にゆっくり泉や川として流出させる能力があったにも拘らず、今では禿山となって土石流が押し寄せている、ということを嘆いているのだ。プラトンの時代においても、木材の切り過ぎ、開発のやり過ぎが問題になっていたことが分かる。
古代ギリシアでは、土壌の大事さが把握されており、川を下って海に流れ出た土砂を、上流に戻す作業が行われていた時期もあるという。
同様に、“世紀の愚挙”と呼ばれているのが、ナイル川のアスワンハイダムである。洪水防止と水の確保が達成されるはずであったが、ダム湖は土砂が堆積し思ったように水が貯まらず、洪水はなくなったが逆に風土病が流行り、森林や沼地の生態系が乱れ、田畑の収穫は激減し、地中海に注いでいた肥沃な栄養分を含んだ泥が遮断されたことで漁業も不振に陥ってしまった。更に、アスワンハイダムの(泥で汚れていない)澄んだ水は、川底を削り、橋を崩壊させる危険性をはらんでおり、結局これらを解消するには、巨大ダムを更に10箇所作る必要が発生したという。
人間が生態系を乱すことが、いかに愚かで取り返しのつかない行動であることか。
まぁ、概ねそんな内容である。
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では、日本ではどうだろうか? 街も道路もコンクリートやアスファルトで固めて、川底や土手までも同様である。当然吸水性などあるはずがなく、一気に川に雨水が集中して、洪水を引き起こす。東京に台風が来た際など、まさにその典型だ。
もちろん、東京に限らない。地方でも同じだ。私の出身地:鹿児島でも1993年8月6日、大水害は起こってしまった。2010年10月、奄美大島でさえ洪水は起こった。日本は(我々が気付かない内に)どんどんアスファルトで固められている、ということだ。
富山和子先生が1973年に既に警告を発していたにも拘らず、日本が、世界が、過ちを繰り返してきた。更に富山先生よりも遥か昔、古代ギリシアにおいてもプラトンが警告を発していたとも言えるのに・・・。
本来は、総合治水をしなければならない。そのためには、アスファルトやコンクリートで固めるのではなく、むしろ植林して、山々に保水力を持たせ、一気に水が流れないことを考えなければならない。究極は、できるだけアスファルトを剥がして、土に戻し、そこに緑を育て、水をコントロールしなければならないはずなのだ。
奄美の言葉にもある。『みじはやまんおかげ、やまはみじんおかげ』。つまり『水は山のお陰、山は水のお陰』の意味である。山から溢れた水が、川となり海に注ぐ。その水が蒸発して雨となり、山を潤す。人間はその繰り返しの中で生きている。
みんな、心のどこかでは分かっているはずなのだが、開発を止められない。それによって逆に水害、塩害、生態系の破壊等、様々な問題を引き起こしているというのに・・・。
『水と緑と土』、素晴らしいタイトルだ。今でも時々、目を通したくなる。
面白い本というのは、決して芥川賞や直木賞を受賞した作品ばかりではない。
以上
2011年02月25日
良か好き本
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・良か好き本
今回は、私が読んで「良かった」と思えた本、これは「好きだ」と思えた本をランダムに挙げる。
・ 蒼穹の昴 : 浅田次郎
浅田次郎と言えば、直木賞を取った『 鉄道員(ぽっぽや) 』を思い浮かべる方も多いだろう。しかし、私に言わせれば、『何故、蒼穹の昴が賞を取らないのか?』不思議である。こんなに勇気をもらえる作品も少ない。自らの努力によって運命は変えられる! そう信じられる秀作である。
ちなみに・・・。最近NHKがドラマ化して深夜に放送していたが・・・。残念ながら全く面白くなかった。本で読むと面白いが、TVや映画になると急につまらなくなる作品は意外と多いように思う。古くはアガサ・クリスティの『オリエント急行殺人事件』や『そして誰もいなくなった』などもそうだし、真保裕一の『ホワイトアウト』も映画では魅力半減であった。
・ 永遠の仔 : 天童荒太
内容に触れることはできない。とにかく読むべし。精神科医や心理学者も理解できていない現代の闇を、正確に伝えてくれる。単なるサスペンスを遥かに凌駕する大作。
・ 龍馬がゆく : 司馬遼太郎
今更、語る必要なし。日本人みんなの青春のバイブル。司馬先生の作品に穴なんてあるはずがない! 勿論『翔ぶが如く』や『坂の上の雲』だって。
・ ノルウェイの森 : 村上春樹
誰が正しくて、誰が狂っているのか? 村上ワールドにノーベル賞を!
・ 夜のピクニック : 恩田陸
やたらと人が死ぬ作品や、スリルだ!サスペンスだ!という作品に飽きた人々が、ほっと一息つける、穏やかな推理小説。大好きな一冊。
・ 緋色の記憶 : トマス・H・クック
海外ものはあまり好きではないのだが、この記憶シリーズだけは、何故か一気に読んでしまった。この後に、夏草の記憶、死の記憶、夜の記憶と4部作が続く。
・ サウスバウンド : 奥田英朗
純粋に面白い。新しい人生にトライしてみたくなる。沖縄方言で言うところの『 なんくるないさぁ 』の精神が溢れている。
・ 白夜行 : 東野圭吾
デビュー作の『 放課後 』以来、何十冊読んでも面白いのが東野圭吾。この本も文庫で850頁以上。にも拘らず、一気に読了。読まずにいられない。絶対に途中放棄できない。
・ 龍は眠る : 宮部みゆき
これまた天才である。特にデビュー作の『 龍は眠る 』は最高に面白い。『 レベル7 』『 魔術はささやく 』『 蒲生邸事件 』『 火車 』『 理由 』など、名作多数。
・ マークスの山 : 高村薫
本当にドキドキするし、感動する。人物が、一人一人しっかり描かれていて感情移入しやすい。間違いなく誰もが数奇な事件の虜になる。
・ 空飛ぶ馬 :北村薫
夜のピクニックと同じ理由で、好きな作品。日常のちょっとした謎を、さらりと解く。シリーズは、『 秋の蝉 』『 朝霧 』『 六の宮の姫君 』と続き、いずれも心地よい。
・ すべてがFになる : 森博嗣
登場人物の名前から、創平&萌絵(通称S&M)シリーズと呼ばれる。衝撃のデビュー作『 すべてがFになる 』から始まって、『 冷たい密室と博士達 』、『 笑わない数学者 』、『 私的詩的ジャック 』、『 封印再度 』、『 幻惑の死と使途 』、『 夏のレプリカ 』、『 今はもうない 』、『 数奇にして模型 』、『 有限と微笑のパン 』、と10作続く。理科系推理小説の神髄。
その他、思いつく作品は・・・。
・ 成吉思汗の秘密 : 高木彬光
・ 風の影 : カルロス・サフォン
・ 邪馬台国はどこですか? : 鯨統一郎
・ 戦国自衛隊 : 半村良
・ 5分後の世界 : 村上龍
・ テロリストのパラソル : 藤原伊織
・ Yの悲劇 : エラリー・クイーン
・ 13階段 : 高野和明
・ 邂逅の森 : 熊谷達也
・ 死者の精度 : 伊坂幸太郎
・ 流星ワゴン : 重松清
・ 99%の誘拐 : 岡島二人
・ チームバチスタの栄光 : 海堂尊
読書は、やめられない。
以上
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