May 18, 2008

博士論文(いきなりですが)

ずいぶんと放っておいたこのブログですが、博士論文を書き上げたので、ご参照ください。

→博士論文「研究組織のサイエンス・コミュニケーション」(PDF 閲覧のみ)

e_tayanagi at 19:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!Works: 実践 

July 16, 2007

こちらを訪れた方へ

博士論文を書いているため、長く更新していません。論文を終えたら違うかたちでアウトプットしていきます。

活動状況等はこちらへ。
→Sync Labプロフィール&活動実績
→→忙中小春日和

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June 18, 2005

「研究者のアウトリーチ活動」科学技術基本計画の気になる言葉づかいの矛盾

JSTの研究助成金の公募があった( 研究者情報発信活動推進モデル事業「モデル開発」)。今回は応募しなかったのだが、その内容説明の中に気になる箇所があった。「研究者のアウトリーチ活動」の言葉の定義についてである。以下、平成17年度募集要項からの引用。
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(※)アウトリーチ活動(「第3期科学技術基本計画の重要政策(中間とりまとめ)」より引用)
国民の研究活動・科学技術への興味や関心を高め、かつ国民との双方向的な対話を通じて国民のニーズを研究者が共有するため、研究者自身が国民一般に対して行う双方向的なコミュニケーション活動。
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ここで何が気になるのかというと、最後の一節「研究者自身が国民一般に対して行う双方向的なコミュニケーション活動」である。そもそも「国民一般」を対象とする「双方向的なコミュニケーション」など定義しえないのではないか、という疑念である。さらにいえば、「国民一般」とはいったい何を指すのだろうか。


e_tayanagi at 22:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!Works: 実践 

June 15, 2005

対話型コミュニケーション:鷲田清一教授の構想

大阪大学コミュニケーション・デザインセンターの仕掛け人である、鷲田清一教授の同センターの構想が、自分のイメージする対話型コミュニケーションに最もフィットする。

http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/chousei/news/2004/04062501/007.htm
(「続きを読む」を参照)

鷲田先生とは以前、山形浩生さんと対談してもらったが、そういえば、そのときに彦坂裕さん繋がりという不思議なご縁もあったことに互いに驚いたりもしたことを思い出す。

→「いま、都市を創るということを巡って」対談●山形浩生×鷲田清一


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e_tayanagi at 03:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!Works: 実践 

June 02, 2005

下記書き込みへの補足(浜田さんへのレスからのコピー)

初回の書き込みの補足になりますが、奇妙に聞こえるかもしれませんが、肩書きは、正直言ってもう撤回したい気分なのです(苦笑)。というのも、これまで無意識に「専門家」を名乗ってこなかったことの意味が、名乗ってみて身にしみて分かりました。「縦割り」の弊害に挑戦する仕事は、原則として「専門家」を名乗ってはいかんのです。名乗った瞬間に、名付けは体を表すということになってしまっており・・反省しきりです。また、この1つ前の林さんの書き込みの中の、「新分野を盛り立てましょう」の「新分野」という言葉にも、「ああまたもディシプリン!」とナーバスに反応してしまったり(^_^;) (いや、基本的に良いことで、盛り立てたいというのはアグリーするんですよ)。この問題については、またおいおい機会がありましたら・・・

所属についても、以前は「フリーランス=どこの馬の骨」扱いされることに「何がいかんのじゃい」と開き直っていましたが、この1,2年、所属がついたことにより、霞ヶ関に行ってもどこへ行っても「てのひらを返したように丁寧な態度を取られる」ことに、正直「日本って社会は、いったいなんなんだろう」と、改めて憤っています。これが欧米では、あるいは東アジア、東南アジア諸国では、まったく違います。会って、話して、人となり、あるいは実績などをきちんと見て、フリーだろうが何だろうが、個人に対して判断し信頼して、長い付き合いをしてくれます。

その意味で、肩書きも所属も、どっちも反面教師的な意味で、名刺に刷ってみて良かったと思っています(苦笑)。ともかく一度名乗ってしまったからには、覚悟を決めて、名付けを乗り越えられるよう頑張ろうと思っています。


e_tayanagi at 15:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!Works: 実践 

科学技術コミュニケーション専門人材の育成について

【これはNPOサイエンス・コミュニケーションのML書き込みのためのものです】

私は2003年から、産総研の情報技術研究部門(旧サイバーアシスト研究センター)という、未来館とも縁のあるところで、嘱託コンサルタントというポジションにてPR&コミュニケーションのディレクションに携わっています。(そもそも1980年代に「AIジャーナル」という雑誌を、また続けて『AI事典』という気の遠くなるような事典---最近、共立出版より再刊されましたが---を編纂したときの、旧電総研の方々との縁があってのことです)

ひとことで言えば、この分野でよくいわれるところの「journalist in-residence」の仕事をしているわけです。これまで外側で仕事を請けることには慣れていましたが、今回初めて内部に入り込んでみて、気が遠くなる思いがしています。

例えば1つには、比較的小さい規模のセンターの中でも、隣の席に座っている研究者同士は、もうすでに「違う言語を喋る人である」ということです。分かってはいたことですが、いざそこに対峙したときに、改めてこりゃ大変な問題だと思いました。組織論学者のミンツバーグが「専門職官僚制(professional bureaucracy)」で指摘した、字義通りの専門職同士の「仕切られた自律性」がまさに目の前に横たわっているのにクラクラしました。

これはほんの一例にすぎませんが、例えば、プレスリリースやPR誌向けに、研究者の皆さん(主にグループリーダー以上)に原稿を頼んだり、インタビューしたりするわけですが、そこで「えっ、この言葉はちょっと。このコンセプトはちょっと」という、学会でもまだオーソライズされていないような、怪しい自前のキーワードを使われる場合が多々あります。ご本人は、「こうすれば、難しい自分の研究も分かりやすい」という、アナロジーとかレトリックのつもりで使われているのですが、問題を感じたので、研究リーダー間のMLなどにて「これについては、大きな課題ですので、ぜひ研究者間で相互に検討してください」とお願いしても、反応は皆無でした。「あれれ???」と思っていたのですが、はたと気づいたのが、「研究者一人ひとりの対社会的な発言行動は、基本的には他の研究者が立ち入るべきはない」という、研究者間の自律性担保の原理がいかんなく発揮されればゆえの沈黙であると気づくのに、3日間ほどかかりました。

産総研には霞ヶ関に「広報部」がありますが、ここの仕事は基本的には現場から来る情報を取りまとめて配信することです。いわゆるスペシャリストとして、現場の最前線に張り付いてPR &コミュニケーションを担当している私のような事例は、まだまだ少ないのではないでしょうか。そこで求められるのは、ハブ&スポーク型の「ハブ」として、全方向で研究者と1体1でコミュニケーションを取り、かつ全員のばらばらな言語やステイトメントを、違和感ない表現なりレイヤーなりに落とし込んで、1つのブローシュアなりニュースレターなりリリースなりにまとめ上げていくことが求められます。これは一筋縄ではありません。

今、3年目になって、ようやく研究者の言葉がわかってきて、科学技術の内容もほのかにわかってきて、少しは分かりやすい言葉に翻訳できているだろうか???と、まだまだ??印が山ほど点滅している状態です。「それは科学技術コミュニケーションの中でも、科学技術広報の仕事だろう」と言われるかもしれませんが、では一体、そうではない科学技術コミュニケーションの仕事はどう定義されるのでしょうか? 欧米の議論をみていると、科学技術広報と科学技術コミュニケーションの仕事は、一体のものとして考えられていることが見えてきます。

むしろ、離して考えるべきは、いわゆる博物館等の「インタープリター」の方です。科学技術の展示とか演示、これには特殊な技能が必要で、こちらの方をむしろ別枠で見るべきだと思うのです。(私も、青山TEPIAのオープニング展示の制作など、インタープリター的な仕事にも関わったことがありますし、日立市科学館や田中館愛橘記念館のプロデュースをした会社に在籍していたこともあるので、その違いはよく理解しているつもりです)そして、この特殊技能の世界と、広義の科学技術コミュニケーションとをいっしょくたに考えると、話は一挙に分かりづらくなります。(もちろん、共通している点もあるのですが)

今言われている「科学技術コミュニケーター」というのは、いったい実社会のインプリとして、どういう「スペシャリティ」を想定しているのか、私にはまだ今ひとつ分からないのです。上記のような混乱が見えるがゆえに、極端にいってしまえば、「街頭に立って、みんな伝二郎先生みたいに実験のアトラクションでもすればいいのかな?」という印象すら受けてしまいます。

昨秋の科学技術社会論学会全国大会で、縣秀彦(国立天文台情報公開センター)さんが「我われはあえて、研究者たちの営為を伝えたいという意味から、リサーチ・コミュニケーションという言葉を使う」とおっしゃっていたのが印象に残っています。もちろん、国立天文台は、もともと広報普及のコミュニケーション(長沢工『天文台の電話番』参照)が歴史的に使命として重視されてきた背景がありますから、日本の全体的な状況からみれば、非常に特殊なポジションにあると思います。しかし、「広報普及のコミュニケーション経験のベースの上に、リサーチ・コミュニケーションを築き上げようとしている」その進化的なモデルには、学ぶべきことが多いと個人的には感じています。

まず科学技術コミュニケーターに求められるとすれば、研究開発者たちの「伝えたいという思い」をスムースに成し遂げられるよう支援する、「科学技術コミュニケーション・ファシリテーター」とでも呼ぶべきものではないのかな、というのが、私の経験的な視点から見た意見です。やはり「研究者たちの営為」から切り離された「科学技術」は、宙に浮いた皿---あるいは政治の道具でしかないという気がしてなりません。その意味で、コミュニケーションの発信源は、常に「研究者たち」であって、「科学技術」ではない、そんな気がするのです。

いちばん最初に、私が産総研のセンター長(現・はこだて未来大学学長の中島秀之さん)から要請されたのは、「週一回くらい通って、研究者の活動を見て、感じて記憶していてくれればいい」という、非常にユニークなものでした。何かそこに、本質があるような気がします。研究者たちの集う「場」への直観的な認識能力、研究者たちの異なるレベルのアナロジーやレトリックや、異なる研究内容に対する直観的な洞察力がないと、この仕事、やっていられないのです。私は理系の人間ではないのですが、そこでは中途半端に「理系の人間」である必要はないと思います(理想的には、色んなジャンルの知識を持つ人の役割分担ができるのがいいのですが、現場にはそんな予算の余裕はありませんからね)。言うまでもなく、一人の人間が、すべての研究者が関与する科学技術の内容を把握し、分かりやすく翻訳するなどということは、ほぼ不可能に近いです。だからこそ、「直観」「洞察」そして社会科学の方法論でよくいわれる、「異なる文脈への複製可能性」(「一般化」というよりも)のあるスキルを体得していくことではないかと思っています。

まだまだ漠然とした意見ではありますが、これまでの経験を明示化していくことが、今年の自分の課題と考えています。近いうちにより分かりやすいかたちで、意見が言えるようにしていきたいと思っています。


e_tayanagi at 02:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!Works: 実践 

January 21, 2005

ブログへのコメント:もっと trans-knowledgeable な方向へ

このブログの立ち上がりについて、仕事仲間であるStyle.co.jp の竹田氏(→http://www.style.co.jp/)から、「このようにテーマを限定してしまうと、田柳さんがもっている幅広い知識のおもしろさが出てこない。もっと横に広がるようにしてほしい」とのコメントをいただく。確かに、自分で自分が創った最初の枠組みに縛られて、かなりスタティックにスタートしてしまった。もちろん、できるだけtrans-knowledgeableを志向して、境界は壊す方向で考えているわけだが、このままだとそれはずいぶん先になってしまいそうな気配。少しそのあたり意識的に考えながらやっていくことにしよう。


e_tayanagi at 09:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!Works: 実践 

January 16, 2005

サイエンスコミュニケーションの一般的な定義:欠如を補う責任+対話

「サイエンスコミュニケーション」という言葉は、どんな意味で使われているのだろうか。一般的には、次のような文脈でもっともよく使われているように思う。

《科学技術者は大学や研究機関にこもって、社会との接点が少なくなっている。科学技術は分かりにくく複雑になっている。科学技術の内容や、研究開発の動機とか物語などについて、もっと社会に分かりやすく伝えたい。市民との間の対話を深め、社会との関わりを深めたい》

しかし、対話が重視される一方で、やはりどうしても「科学技術をうまく伝えること/伝えるための技術」=サイエンスコミュニケーションという見方が、どうもかなり大きな割合を占めているようだ。

これには、最近がんばってサイエンスコミュニケーションを啓蒙しようとしている人たちからは、「いや、それは旧い欠如モデルであり、自分たちはもっと広い意味で使っているのだ」と反論がありそうだうが、しかしいろいろ見ていくと、サイエンスコミュニケーションの根深い動機として、やはり「欠如モデル」的な観点ははずせないものとしてある。

実際、文系の人たちには理系の人たちの知識が欠落しているし、非専門家には専門家の知識が欠落している。これは否定しようのない事実だ。「対話モデル」というのは、この事実を踏まえたうえで、「だからといって、専門家が偉いというわけではない。一方的に説明して、はい終わり、ではないはずだ」と警鐘を鳴らしていると捉えるべきだ。だから、対話モデルの前提には、専門家は伝えるべきことを分かりやすく非専門家に伝えるという、「欠如を補う」義務と責任がある。そのうえで、初めて対話が成立するともいえる。

以上のような観点から、なにはさておき、まず専門家、科学技術者に、「コミュニケーション能力」をきちんと身に付けてもらわないといけないいうことが、切実な問題になっている。例えば、「理系の人たち」の、自分たちの世界のことを理解してほしい、うまく伝えたいという悩みは、なかなか根深いものがある。その悩みの根底に、彼らは「欠如モデル」を痛切に感じているに違いないのだ。

次は、このような一般的な定義のもとに、どんなことが行われているか、事例をいくつか見てみたいと思う。

e_tayanagi at 00:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!Works: 実践 

January 15, 2005

サイエンスコミュニケーションの学術的な定義:欠如モデル vs. 対話モデル

サイエンスコミュニケーションの定義は、学術的には「欠如モデル」と「対話(interaction)モデル」がある。

前者は、「大衆には科学技術の知識が欠如しているから、その欠如を埋めなければならない」というものだ。典型的には、マスコミやジャーナリストなどが、科学技術の知識や物語を大衆に伝えるという、一方向のコミュニケーションモデル(あるいは知識拡散モデル)である。

後者は、「市民と専門家がもっている知識は、まったく質が異なるものである。両者はそれぞれの世界観の中で、科学技術を理解したいと思っているし、それぞれに固有の知識をもっている。だから、両者はその解釈の違いを埋めて、科学技術への正しい理解や社会的利用の公正化のためにも、もっと対話を深めるべきだ」といった、対話と合意形成のモデルと捉えることができる。

このような定義は、サイエンスコミュニケーション研究という新しい分野が形成されるなかで、改めて過去の歴史を振り返り、伝統的な「欠如モデル」に対して、新しい潮流として登場してきたものが「対話モデル」であると、分析的に位置づけられたものである。

現実の現象は、それを最初から意図して起こったわけではない面が大きいだろう。原子力の立地問題のように、「やむなく対話せざるを得なくなった」ことから、結果的にそうなったものが先立っていたのではないか。

そして、前者の「欠如モデル」は、「対話モデル」に置き換わったわけではなく、やはり人びとの認識の中には強く残存している。このことについては、次の「サイエンスコミュニケーション:一般的な定義」で議論したい。

e_tayanagi at 23:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!Works: 実践 

January 05, 2005

サイエンスコミュニケーションスペシャリスト

サイエンスコミュニケーションという言葉をはっきりと知ったのは、2004年の春頃だろうか。なのに、なぜ「サイエンスコミュニケーションスペシャリスト」という肩書きを名乗れるのか? その理由は、これまで自分がやってきた仕事の多くが、広い意味でのサイエンスコミュニケーションに位置づけられるのだということを、2004年のさまざまな活動や、周囲の方々からのアドバイスを通じて、改めて認識してきたからである。(この新しい肩書きの顛末については、日々の仕事と出来事のDiary Blog→「忙中小春日和」2005年1月1日記事を参照)

自分なりに、この肩書きに込めている意味を定義してみた。

《科学技術の研究開発や技術移転や知識移転に関係する分野で、あらゆる人びとの間のコミュニケーションギャップをコーディネートしながら、人と社会の持続的調和と発展のために、多元的な知識共有や知識創造の促進に貢献すること》

サイエンスコミュニケーションは、もっと狭い意味で使われる場合もある。どちらかといえばサイエンス=科学技術というと静的なイメージがあるが、むしろ「リサーチコミュニケーション」=研究開発活動をいかにコミュニケーションしていくかという、人間のにおいのする動的な表現のほうが、語感的には近いという気がする。

e_tayanagi at 05:42|PermalinkComments(0)TrackBack(1)clip!Works: 実践