駒込

東京5日目。

帰ってみると、梅雨の季節で、体の芯まで湿気が入ってきそうな蒸し暑さが何故か懐かしく、いまの僕には心地よく感じられます(すぐに嫌になると思うのですが)


今は、駒込にある妹のアパートに居候中です。

お昼前にのそのそと起きて、コンビニに暖かい缶コーヒーを買いに行くところから一日が始まります。
なんと、妹の家にはコーヒーメーカーがなく、 – コーヒーきちがいの僕にはなぜ朝きちんと入れたコーヒーを飲まずに会社に行く気になれるのか、非常に不思議なのですが – しかも、駒込近辺にはスタバなどのカフェもなく、毎朝コンビニに買くはめになります。
真昼間から、短パン、Tシャツ、ビーチサンダルといういでたちで、何日もコンビニに通っていると、だんだん店員さんからいぶかしげな目で見られるようになり、「よく考えると、いまの自分の立場を定義すると、ぷーなんだよなあ」、ということを実感したのでした。


ちなみに、ウズベキスタン、イラン等の中央アジアへの旅行は中止になりました。

理由は親の反対。
最近ずっと新聞やニュースを見ていなかったので、全然知らなかったのですが、イランで日本人の学生さんが誘拐されて釈放されたそうですね。
そういうのがあって、「お願いだから、中東地域には行かないでくれ」とのこと。

正直、特定の危険地域には近づかず普通の観光旅行をしていれば、中央アジアで誘拐される確率は、日本で交通事故に遭う確率や、ワシントンDCで道に迷って治安の悪いエリアに入り拳銃でドタマをぶちぬかれる、などの確率とあまり変わらないと思うのですが。。。しかもウズベキスタンは中央アジアの中ではものすごい観光地化されていて、安全な国として名高いのに。。。

でも、親の言い分は、単にお前が誘拐されて殺されるのなら仕方ないけど、お前の救出のためにお国に迷惑がかかるのが嫌だ、とのこと。
まあ、誘拐事件が起こると、国家間の交渉が行われ、誘拐者の救出の見返りに、テロリストが何人も釈放される、なんてパターンもありえるから、わからない話じゃないですけどね。
この辺の、「お国に迷惑をかけちゃいかん」、という微妙なお上への意識も、うちの親っぽい。

まあ、反論は山のようにあるのですが、そもそも、この年になってまで、親に心配をかけるのもいけてないなあ、ということで、旅行は中止にしました。


なので、とっととアメリカの就労ビザを東京で取得して、アメリカに戻ろうと思ってます。
場合によっては、スペインか南米に語学留学にでもいってみようかしら、などということも考えています。



とりあえずは、東京ぷー生活のお供として、大量の本を買い込みました。

以下買ったもの。

「新スペイン語入門 - CD二枚付き -」 高垣敏博 NHK出版

「カラマーゾフの兄弟(上、中、下)」 ドストエフスキー 新潮文庫
これは、ボストン飲み仲間でMITが誇る数学者のタナカさんが、お酒を飲むと天才なのか気違いなのか紙一重の高尚なトークを展開し、どうもこの人の精神形成にはロシア文学が多大に影響しているらしいことを知ったので、買ってみました。
高校生のとき上巻で挫折して以来のドストエフスキーへの挑戦です。

「アフリカの日々」ディネセン、「やし酒飲み」チュツオーラ 河出書房新社 世界文学全集
映画「愛と哀しみの果て」の原作になったケニアのコーヒー農場主のメモワールと、ナイジェリアの作家によるアフリカ文学最高峰といわれる小説が、一冊に纏まっています!

「存在の耐えられない軽さ」 クンデラ 河出書房新社 世界文学全集


特に最後の二冊の本がやたら高く(1冊3000円)、結構な出費になりました。
でも、本を買うときくらいは値札を気にしないでおこう、というのは、高校時代からの僕のポリシーなので、ここは大人買いをかましてみました。


来週から福井に戻るので、そこから、また何か書くと思います。





東アフリカ紀行(2) 怒涛のサファリ編

6月16日、癒しの2日間を過ごしたザンジバルから、小型プロペラ機で、タンザニア内陸部のアルーシャへ。

そこから、更に内陸に向かい、マニヤラ湖国立公園というサファリに向かいます。


グレート・リフト・バレー(大地溝帯)のへりを形成する崖の上に立つホテルに泊まりました。
敷地からは、巨大な谷の底に広がるマニヤラ湖を見下ろすことができます。

ホテルは新婚旅行モード満点な超豪華ホテルで、ここにHideと体育会系男子二名で宿泊するのも、なかなかシュールでよかったです。






チェックイン後、早速、サファリ・カーに乗って、サファリ探索へ。

マニヤラ湖のサファリは、深い森林の中に、いろいろな動物たちが潜んでいます。
いつ動物と遭遇するか、ドキドキ感満点です。

サル、インパラ、バッファロー、カバ、フラミンゴなど、様々な動物に出会いました。

最も熱かったのは、キリンさんとの遭遇。
ただただ、でかいです。





昨年インターンをしたモザンビークのサファリは、内戦のダメージからの復旧プロジェクトの真っ最中であったため、こんな大物はいなかったので、感動しきり。

また、「木登りライオン」という珍しいライオンも見ることができました。

アフリカ通のK氏によれば、サファリでは必ずしも大物の動物に遭遇できるとは限らず、「サファリ運」がかなり大事だそうです。
我々の「サファリ運」は絶好調のようです。


翌6月17日は、ンゴロンゴロ・クレーターへ。
ここは、東京の山手線がまるごと入ってしまうといわれる巨大なクレーターで、外輪山に囲まれた熊本の阿蘇のような雰囲気の地域です。
クレーターの中には人間は住んでおらず(かつてはマサイ族が住んでいたそうだが、タンザニア政府に追い出されたらしい)、野生動物のパラダイスになっています。

写真は、外輪山の上から見たクレーター。
深さは約600mで、険しい坂道を四駆のジープに乗って下っていきます。






ちなみに、ガイドのカサンダさんは、驚異的な視力の持ち主で、外輪山の上からクレーターを見下ろして、「あそこにゾウが一匹歩いています」などという指摘をします。
目の悪い僕にはうらやましい限り。


クレーターの中は、見渡す限りの大平原。
動物が、これでもか!というくらい、うじゃうじゃいます。

シマウマとフラミンゴ(かなたに見えるピンク色の点がフラミンゴです)。





ヌーとシマウマ。






丸半日、ンゴロンゴロ・クレーターの中をサファリ・カーで駆け回り、大自然を満喫しました。


そこから、アルーシャの街に戻って、宿泊。

ちなみに、ンゴロンゴロとアルーシャを結ぶ道路は、日本のODAのプロジェクトによって美しく補修されており、地元の人から大変感謝されているようです。






6月18日は、午前中は、K氏が商社時代にコーヒーを買っていたコーヒー農園及び加工工場を訪問。
インド系ケニア人一家が経営する巨大な農園で、オーナーの息子さんと娘さんが案内してくれました。
二人とも美しいイギリス風英語を話し、我々のビジネス系の質問にも的確に答えてくれ、まさに「バラモン」の香り漂うアフリカの大金持ちでした。


午後は、キリマンジャロ空港から、飛行機でケニアのナイロビへ。

写真は、アルーシャからキリマンジャロ空港に向かう途中で見えたキリマンジャロ峰です(雲の合間に万年雪をかぶった頂上が見えます)。






6月19日・20日は、ナイロビから北へ3時間ほどの、アバデア国立公園へ。

アバデアで宿泊したロッジの目の前には、大きな池があり、様々な動物たちが水を飲みに来る様子をロッジのベランダから見ることができます。

標高が高いため、赤道直下にもかかわらず、夜の冷え込み方は、東京の晩秋なみ。
みんな、ありったけの服を着込んで、動物を観察します。

バッファローやイノシシなど、いろいろな動物が訪れましたが、圧巻だったのは、ゾウの群れが水を飲む様子。
長い鼻で水をズズーと吸って、それを口に持っていって、水を流し込みます。
とても、癒される光景でした。






* * *


こんな感じで、様々なサファリを駆け抜ける数日間を過ごし、
今は、ナイロビのホテルでゆっくりしています。


ちなみに、昨日就職先と電話会議をして、最初の配属先は、希望通り、農業ビジネス部門になりそうです。
アフリカ案件も盛んにやっているらしく、楽しい仕事になりそうです。


明日、6月22日の便で、ロンドンに飛び、そこから一旦東京に戻ります。

東京で数日過ごしたあと、次なる旅の目的地は、中央アジアのウズベキスタン。
人生最後かもしれない長い夏休み、まだまだ満喫し尽くす予定です。

東アフリカ紀行(1) ザンジバル - 真っ直ぐな瞳を持つ人々の島へ

HBSの日本人仲間たちと、タンザニアとケニアを旅しています。
ナイロビに到着してインターネットへのアクセスがよくなったので、旅日記をアップします。


ボストンでの引越しをばたばたと終え、ワシントンDCで荷物をストレージにぶちこんだのが、6月11日。その日の夜の便でロンドンへ。
翌日ロンドンからケニアに飛び、更に翌日(6月13日)の便で、タンザニアの首都、ダル・エス・サラームへ。

ここで、HBSの仲間たちと落ち合います。


今回の旅の隊長は、1年生のK夫妻。K氏は、留学前の某商社時代にアフリカ産コーヒーのバイヤーとしてエチオピア、ケニア、タンザニア等を駆け回ったという超アフリカ通。タンザニアはなんと6回目の訪問になるそう。
旅のアレンジを全て引き受けていただいて、感謝です。

僕以外には、2年生のT夫妻と、1年生のHideが参加し、総勢6名のグループ。



6月14日、早朝の船で、ザンジバル島へ向かいます。

ザンジバル島は、ダル・エス・サラームの沖合いに浮かぶ島で、かつては独立国としてアラブ商人の貿易の要衝として繁栄しました。1964年にタンザニアと合併したものの、人々はザンジバル人としての独自のアイデンティティーを持つといわれます。
大半の人々は敬虔なイスラム教徒で、ここも、クリスチャンが比較的多いタンザニア本土とは異なる点です。


ダル・エス・サラームの港で、かわいい子供に出会ったので思わずシャッターを切りました。
女の子は、巨大な一眼レフのレンズにややびびり気味です。






船に揺られること2時間弱、はるかに石造りの建物が見え始め、船はザンジバルのストーン・タウンの港に到着します。

ストーン・タウンは、スルタンのザンジバル統治の拠点及び貿易港として栄えた歴史ある街で、アラブ式の石造りの建物が迷路のように入り組んだ街並みを歩くと、はるか中世にタイムスリップしたような気持ちになります。


ザンジバルの街角です。
かなたから、子供たちはじっとカメラを見つめています。






ストーン・タウン郊外の村で出会った女の子は、キラキラな最高の笑顔を見せてくれました。






街中でサッカーをやっていた男の子たちの写真を撮ろうと近づくと、
子供たちは、僕が日本人と分かってか、「カラテ、カラテ」と言ってきます。

じゃあ、本場の空手を見せてあげようじゃないの、ということで、型を演武。
この型の披露で、一気の子供たちのハートをわしづかみです。

そのあと、子供たちが空手の真似をやりはじめて、なんだかほほえましい光景でした。






夜になると、市内のアラブ砦の城壁沿いに様々な屋台が立ち並びます。
蛸を炭火であぶってもらい、岩塩をつけて食べましたが、これが絶品でした。







泊まったホテルは郊外の浜辺に面しており、
朝、散歩をしていると、釣りをしている少年たちに出会いました。






釣りを終えた少年たちは、船の上で一休み。






午後から、島の反対側にあるビーチへ。

ブーゲンビリアの花々の向こうには、エメラルド色に輝く海が目に飛び込んできます。
これ以上ないというくらいの鮮烈なエメラルド色に、僕たちはただ息を飲むしかありませんでした。






* * *


僕は海が大好きで、これまで、色々な島を訪れましたが、これだけ味のある島ははじめてでした。

古式ゆかしい町並みの中で生きる、ホスピタリティーにあふれ、気高く、真っ直ぐな瞳を持った人々。

そして、透き通るエメラルド色の海。

いつか、大切な人を連れて帰ってきたいなあと思わせられる島でした。



(東アフリカ紀行、まだ続きます。次回は、怒涛のサファリ編!)

プロローグ:「走ることについて語るときに僕の語ること」

村上春樹さんが、「走ることについて語るときに僕の語ること」という本の中で、こう書いています。


…それはたぶん、日本語で何かまとまったことを話そうとすると、自分が言葉の海に呑み込まれてしまったような感覚に襲われるからだろう。そこには無限の選択肢があり、無限の可能性がある。僕は文筆家としてあまりにもぴったりと日本語に密着してしまっている。だから日本語で不特定多数の人々に向かって話をしようとすると、その豊饒な言葉の海の中で戸惑い、フラストレーションが高まる。
日本語に関していえば、僕はやはりできる限り、机に向かって一人で文章を書くという営為にしがみついていたいと思う。文章というホームグラウンドでは、僕はそれなりに自在に有効に言葉と文脈をキャッチし、かたちに換えていくことができる − なにしろそれが仕事だから。しかしそのようにしてつかみ取られたはずのものを、人前で実際に声に出して語ってみると、そこから何かが(何か重要なものが)こぼれ落ちていくという切実な感覚がある。そのようなある種の乖離にたぶん僕は納得できないのだろうと思う。




僕は作家ではないので、村上さんの文章をリファーするのはとても気が引けますが、でも、「この何かがこぼれ落ちていくという切実な感覚」というのが、僕にはとても共感できるのです。


そして、僕は自分の人生に対して割と楽観的で、きっとこれからたくさん面白いことが僕の周りで起こるんじゃないかなあと思っています。
なので、これからの生活から掴み取れるものをできるだけ文章として残していきたいと思っています。


ですので、これからも地道ながらも書き続けたいと思っています。

Earth Color 2、どうぞよろしくお願いします。
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