Retour en Afrique d’ouest!! – コートジ出張

コートジボワールに出張してきました。2ヶ月ぶりの西アフリカ!

空港についてタクシー運転手とアビジャンなまりのフラ語で交渉するのも、むーっと肺に入ってくる湿気と熱気も、臭い匂いを発するラグーン(入り江) もすべて懐かしくいとおしい。

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(写真左は、アビジャンの入り口で迎えてくれるブイヨンキューブのマギーおばちゃんの像。ケンタッキーおじさん的なキャラです。)

空港から直行で、なじみのマキ(コートジ料理のレストラン)に駆け込みます。プレ・ブレゼ(鶏肉のグリル)とアロコ(食用バナナ)をかきこみ、いつもの変わらない味に納得です。

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今回のミッションは、去年出資したコートジの養鶏会社の訪問。一緒に訪問しているアメリカ人のおじいさまが1970年代のPeace CorpカメルーンのOVで、協力隊市場調査団についてもいいディスカッションができました。

時を同じくして、安部首相の1月の訪コートジに備えて、日本の大企業やJICAさんの大規模ビジネスミッションがあったようです。ミッション後の飲み会に合流でき、ダカール時代の戦友の商社の友人夫妻と再会。JICAの仏語圏アフリカ特攻隊長のンボテ飯村氏ともお会いできました。日本ミッションでは、弊社の「コートジのおかん」のマイクパフォーマンスがすさまじく、途中からマイクをかなぐり捨てて声を大にして、コートジの将来性について日本からの皆様に語っていたそうです。政府の役人のおじさまたちが応えられない質問に、「おかん」が代わりに答えてしまう、という一幕もあった模様。「おかん」から、「コートジのイノキ」と改名される日も近いのかもしれません。

ミッション2日目からは弊社コートジ事務所の若手ホープであるタンカムちゃんが合流。卵を生産する巨大な養鶏場を訪問したのですが、疫病予防の観点から、農園に入る前に、汚い労働者用のシャワー室で、シャワーを浴びねばならず、かなり凹んでいたみたいです。でも、高層ビルに入っている金融機関の訪問より、農場の現場のほうがおもしろいっす、とけなげに頑張っていました。がんばれ、タンカムちゃん。

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(写真は、タンカムちゃんとダカールから出張してきているフォレム氏。右側の写真の中心にいるのが「おかん」)

時間にゆとりができたので、マリ人で飲料会社を経営するポナ社長とお茶することもできました。近々、新しいビジネスをはじめるみたいで、彼のような人がアントレプレナーシップを発揮しまくるのは、西アフリカの将来にとっていいことだと思います。


アビジャン空港では、ナイロビ行きのケニア航空の隣に停機しているダカール行きのエア・セネに飛び乗ってしまいたい衝動と戦いながら、帰国。お土産にはアチェケ(ヤム芋のクスクス)を買いました。

ケニアに戻ってきたら、なんとワールドカップの日本の初戦はコートジボワールであるというニュースが飛び込んできました!両国とも決勝トーナメントに進めるといいですね!

タンザニア営業の旅 - ダルエスサラーム編

タンザニア地方都市営業の旅から戻ってきて、週末はナイロビで過ごすことができました。

日曜の夜は、協力隊市場調査団ケニア隊の、テーマ設定会。

メンバー10人が、テーマに関する説明をし、他の隊員やメンターからの意見やつっこみをもらう会。分野も多岐にわたり、どんな内容に育っていくか楽しみです!中間報告は2月、最終報告は4月の予定です。隊員のみんなは、現場の話はどんな人にとっても面白いはずなので(報告会での外部の人の熱い反応にきっとびっくりするはずです)、自分の活動内容を自信をもって発信してほしいと思います。

テーマ設定会のあとは、恒例の刺身大会。1メートルのクエ、70センチの大鯛をさばき、刺身->しゃぶしゃぶ->〆の雑炊、という流れでいただきました。隊員のみんなの食べっぷりはあいかわらず豪快で大量の刺身が3分ほどで完食されました。

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月曜からタンザニア営業第二弾。

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ダルエスサラームで、新しく入ったペルー人の同僚、カスティーリョ兄貴と、食品や農業分野の企業8社を訪問。ところで、このカスティーリョ兄貴、ニューヨークのウォールストリート勤務が長いので、お客さんに対してめっちゃカジュアルな態度を取ります。日本同様年長者を敬うアフリカでは、年長者の経営者に対しては(特にお父さん世代の方が出てきた場合)、うやうやしく、セネガルならば「サラマリクー」、タンザニアなら「シカモー」などのうやうやしい挨拶から入らねばなりません。ところが、彼はNYスタイルで、「what’s up, man」みたいに入ってしまう。「man」はないじゃない、セニョール、と喉元まで出かかりましたが、まああまり最初からがみがみ言ってもな。。。外人プレミアムで許されましたが、はやくアフリカスタイルに慣れてほしいと思います。。。すごくいい奴なので、お客さんとも一気に打ち解けていいのですが。


写真は、訪問した会社のひとつのソフトドリンク会社のラインです。こういった消費財はどこのアフリカの都市とも同じく、快調に伸びているそう。

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また、タンザニア有数のお金持ちのインド人のおじさまの持ち株会社も訪問しました。このグループ、農業や製造業からはエクジットしつつあり、金融や不動産にフォーカスをかけているそうなので、特段のビジネスはなし。ただ、最近歯磨き粉会社を、プライベートエクイティーに売却した話は面白かったです。この歯磨き粉会社、コールゲートなどの多国籍企業を打ち破って75%の市場シェアを持ち、こんな例はタンザニアくらいでしょう。この会社について、このおじさまがこんなコメントをしていました。

「製造コストでは、アジアや中東の輸入歯磨き粉に比べて優位はない。彼らが3つコンテナをタンザニアに送りつけてきたら、普通に考えるとうちの商売は上がったりだ。でも、うちは150台のトラックを自ら持ち、国中の地方都市に40の販売デポ(小売店がきて商品をピックアップする倉庫)を持っている。この全国販売網こそが、輸入品にまねできない競争優位なのだ。」

アフリカで、本当に魅力的なマージンがつくのは、製造サイドではなく、流通サイドなのですね。

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続いて、タンザニア北部のケニア国境の町、タンガのサイザル麻の会社を訪問しました。

サイザルはサボテンのような植物で、そこから繊維が取れ、その繊維は天然の繊維では一番頑丈といわれていて、建設や海運業のロープ(錨ロープ)などに使われます。また、絨毯やかごなども作られます。世界的に化学原料の繊維から、天然原料をもっと使おうという流れになっているそうで、中東を中心に需要が伸びているそう。メキシコではサイザルと同系列の植物で、テキーラが作られるそう(でも、タンザニアのサイザルは品種が違い、糖分が少ないのでテキーラは作りづらいとのこと)。ブラジルとタンザニアが世界の二大産地。乾燥地帯で水がほとんどなくてもできるので、東アフリカの乾燥地帯の農民にのっては「insurance crop」(トウモロコシなどが干ばつでダメになっても生き残る農産物)と呼ばれています。

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この会社は、もともと国営の農園で、90年代半ばにタンザニアの社会主義が終焉をとげ、民営化された会社で、オーナーも経営陣も黒人のタンザニア人(アラブ系やインド系じゃない)という、気合の入った会社です。

13000ヘクタールの農園があり、約5000トンのサイザル麻繊維を加工。タンザニアに25社あるサイザル企業の中では第3位の規模らしいです。

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農園に関してユニークな点が、農園の各区画を農民たちが所有している、という点。民営化時点の契約に、土地は農民が所有、そのかわり、作ったサイザルはすべてこの会社に納入する、という約束ができたそうです。そして繊維工場の40%の株式を農民団体が保有しています。この契約形態により、この会社は安定的にサイザルの供給を受けることができ、農家とwin-winの関係を築いているわけです。

研究開発にも熱心な会社です。サイザルの植物で繊維になる部分は全体の2%なので、残りの98%をどう有効利用するかがカギ。例えば、サイザルの繊維をとったあとの植物の残滓をバイオガスに加工して、発電を行っています。300キロワットのキャパシティーで工場の電力はすべてここからまかなえるそう。

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また、建築資材(石膏)やバイオプラスチックを作ったり、糖分をもとにインシュリンなどの薬品を作ることもできるそう。で、どうにも使えない部分は畑に戻して肥料にします。

サイザルについては、何も知らなかったので、勉強になった訪問でした。

タンガからダルエスサラームに戻る帰りのセスナ機では、運よくコックピット席に座ることができました。タンガからペンバ島、ザンジバル島と、サンゴ礁の美しい島々を超えて飛んでいく、本当に気持ちのいいフライトでした。

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週末ケニアに戻って、またback-to-backで出張開始。来週の行き先は、コートジボワールです。

タンザニア営業の旅 - 地方都市編

最近はがんがん営業モードです。先週は、グーグルで探しだしたタンザニアの地方都市の企業を回る旅に出ていました。

最初の訪問地は、イリンガ。

イリンガは、ダルエスサラーム港と、ザンビアやコンゴ南部など内陸諸国を繋げる街道の真ん中の戦略的な位置にある街。ダルエスサラームから、10人乗りの小型セスナ機でスリル満点の旅。岩がごろごろした乾燥した地域で、上空から見ると火星チックです。

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標高1600メートルの高地にあり、とても乾燥していますが、土壌は豊からしく、トマトなどの農業の一大産地だそうです。

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イリンガでは、乳業の会社に訪問、資金需要はあるみたいですがディスカッションは盛り上がったのですが、最後に経営者の父親であるアラブ系のおじいさまが登場され、「若造、商売の前にまずは時間をかけて関係構築だ」と一喝され、長期戦になりそうな予感です。

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イリンガの次は、キリマンジャロの麓のアルーシャへ。

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(写真はキリマンジャロ山)

メル山の山麓の養鶏企業を訪問。アラブ人の家族が90年代半ばに政府の養鶏農場を民営化で買い取ってはじまった農場。アラブ系のオーナーが、最近ぽしゃったブルンジ案件のスポンサーの義理のお兄さんであることが判明し、いきなり大歓迎モードに。すべての努力は無駄にはならないのですね。アルッハンドゥリラー。エジプト人のday old chick(ひな)担当者が設計したハッチェリーはアフリカで見たなかでもっともすごいレベル。シリアから逃れてきた獣医さんなど、アラブ系で固めたチームでした。ハッチェリーの拡大資金が必要らしく、短中期的な案件につながりそう。

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最後の訪問地は、内陸のビクトリア湖畔のムワンザ。ナイルパーチの加工工場を訪ねました。欧州が中心市場ですが、日本にも輸出しているそうです。200ほどの漁業者から魚を買っているそうで、船のモーター、ディーゼルなどをファイナンスして、支払いは魚で払うという小規模漁業者ファイナンスもやっている立派な会社。ナイルパーチの輸出が頭打ちなので、養鶏に参入、開始3年でダルエスサラームのケンタッキーフライドチキンへの供給契約を得るなど、上々のすべり出しのようです。オーナーとは会えませんでしたが、CFOといいミーティングができました。

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ムワンザ空港では突然の嵐でダルエスサラームに戻る飛行機が大幅遅延になり、空港前の場末のバーでビールを飲みながら夕方5時から夜11時まで待つとう憂き目にあいましたが、無事帰ることができました。バーのつまみのククチョマ(焼き鶏)は、切ないほど骨と皮ばかりで、でも噛めば深い味で、かのブルキナファソの鶏のようで、旅情を誘います。

週末は一旦ケニアに戻り、来週またダルエスサラームに舞い戻り、営業努力は続きます。

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(飛行機から見えたキリマンジャロ)

ケニア・マンゴー隊員任地訪問!

ケニア協力隊任地訪問第二弾です。

今回は、ナイロビから東へ1時間ちょっとのマチャコスという町でマンゴー農家を支援している隊員さんのところへ突撃。会社の後輩の鹿児島みかん女子と、IT講師のシニア隊員ご夫妻も一緒に来られて、にぎやかな旅になりました。

マンゴー農家訪問では、貧しい家に生まれて勉強一本で奨学金でロシアにまで留学し、ケニアの農業研究所で働いた後、引退してマンゴー園を広げている、賢人的なおじさまの金言に耳を傾けました。ケニアのマンゴーは、現地種じゃなくて、輸出クオリティーの改良種をちゃんと接ぎ木して導入し、育てているのが西アフリカとの違い。マンゴーは繊維分が少なく、おいしくいただきました!

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マチャコスにいってびっくりしたのが降雨量の少なさ。年間500 - 600ミリとかでセネガルの乾燥地帯なみで、川などの取水源もほとんどなく、農地の灌漑はほぼ無理。ただ地下水はあるらしく、このマンゴー園のおじさま(以下『賢者』と呼ぶ)は、貯めたお金(100万円くらい)で100メートル以上の深井戸(ボアホール)を堀り、トマト、メロンなどを灌漑で栽培しているそう。で、これらの作物を植えるタイミングは、雨期がはじまる少し前に、灌漑の水を使って植え始める。それでキックスタートして、雨期に入って(丁度今頃)雨が降り始めると、作物が灌漑なしで育っていく。通常の農家は雨期に入ってから植え始めるので、この「賢者」のトマトとメロンは雨期のど真ん中で、まだ他の農家の収穫がはじまる前に、収穫できる。大多数の農家の収穫前なので、需給の関係で市場価格は高く、この「賢者」の野菜は高値で売れ、よって儲けによって灌漑をやることでの追加費用(ポンプの電気代とかホース代など)と深井戸の設備投資が回収できる。

で、この話を聞いて思ったのが、マチャコスで水ビジネスが成り立たないか、ということ。この「賢者」と同じく100万円で深井戸を堀り、小さな給水車(軽トラ + タンクでもいい)を購入し、乾季中や雨期前に農家に水を売りにいく。ついでに農家に賢者がやっているシーズンをずらした栽培を指導する。これで農家はシーズンをずらして、収穫ができ、値段が高いところで売ることができ、儲かる。買う側の農家が儲かるとわかれば、水業者も、そこそこの値段で水が売れるはずだから、深井戸代と給水車の設備投資を回収してリターンが出るのでは?それとも、やっぱ100万円分の水を売るってのは大変なことなのかなあ?裏付けの計算はしていないけれど、「賢者」のビジネスが成り立つのなら、この事業も成り立つような気がしますが。。。どうでしょう?


さて、今回訪問した隊員さんは、隊員任期終了後もケニアに残ってビジネスをやろうという、ものすごい気合の持ち主。マンゴーの加工にもチャレンジしたいらしいです。ジャム、ドライマンゴー、フレッシュジュースなど、いろいろなアイディアがあるわけですが、マチャコスのスーパーや市場を回ったところこれらの商品を作っている競争相手はいないようです。ガーナではBlue Skiesのフレッシュジュースが飛ぶように売れているし、セネガルでもドライマンゴーやジャムはそこそこ売れているし(営業で会ったレバノン人経営者の奥さんがやってる)、ケニアでも行けると思うのですが。がんばってほしいです!

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(マチャコスの街。なんとなくメキシコやペルーの中南米の高原都市を彷彿とさせる)

にしても、隊員の任地に日帰りで行ける、というのはケニアのすばらしいところ。仕事が相当忙しくなってきた今、やっぱ体力的には楽です。セネガルにいたころは片道5−6時間とかのドライブで一泊二日で任地訪問していて、隊員さんの家に泊めてもらってホロホロ鳥をさばいたり、満天の星空の下ドラム缶風呂に入ったり、そういうのも楽しかったけど。

* * *


さて、ここでひとつご紹介。協力隊市場調査団セネガルの澤田隊員の活動ビデオが完成しました!4分間の短い動画ですので、ぜひ色々な方にご覧いただきたいです。



村の状況を緻密に把握して、適切な問題解決アプローチで、村の経済と食生活に変化を起こしている隊員です。真っ白な状態で任地に投げ出されて、自分で自主的に考えて行動を起こしていく、それは「アントレプレナーシップ」とさえ呼んでもよいでしょう。こういう隊員パワーが結集されれば、開発業界は必ず変わります!

調査団の広がりはとどまるところを知らず、アフリカではブルキナ・ファソにも上陸、中南米のもニカラグア、パナマで展開予定。これで活動国が10か国以上になりました。途上国のミクロの「現場知」においては他の追随を許さない若手プロ集団を目指していきますので、引き続き応援頂ければと思います!

コンゴ南部上陸!

僕にとっての聖地、アフリカの奥地、コンゴ民主共和国に潜入してきました。ブルンジ経由で「密入国」したのを除くと、「公式訪問」ははじめてになります。

コンゴ南部の鉱山地帯ルブンバシまでは、ケニア航空の直行便が出ていて、とても便利。

タンザニアのンゴロンゴロ・クレーター・サファリの上空などを越して、飛行機は南西に向かいます。

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コンゴ南部は、フランス語とスワヒリ語なので、「ボンジュール、ハバリヤコ、ンズーリ、アビアント」みたいな、僕の語学経験をフルに活かした不思議な会話が成り立ち、最高の心地よさです。たぶん現地の人には、アフリカ各地の現場を回った中国人労働者だと思われているに違いありません。

街は平和で、犯罪などもないそうで、人もいい人たちが多く、セネガルに戻った感じです。

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今回の訪問の目的は、今期のノルマ達成のための営業と、投資候補先の農場訪問。

営業訪問先1社目のスーパーマーケット・チェーンは撃沈、2社目のビスケット工場は上々の関係ができました。

街に咲く赤い火焔樹が美しい。

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2日目からはメイン・イベントの農場訪問。ルブンバシ市内から90キロ離れた場所なのですが、道が驚くほど立派で、鉱山収入の威力と、インフラ/ビジネス重視のカタンガ州知事さま(カタンガ・ビジネス、という映画になったくらい有名な方です)のお力を感じます。

田舎道はカーズ(わらぶきの家)もあり、なんだかセネガルの風景に似ています。だんだんコンゴが好きになってきました。

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農園は感動の一言。こんなアリ塚だらけのブッシュから、見渡す限りの1500ヘクタールのトウモロコシ農園が開墾されたとのこと。すごすぎます!!

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ファームマネージャーは、ナイジェリアで僕らが融資しようとしていた食品会社で働いた経験があり、ナイジェリアネタで大いに盛り上がり、一発でまぶだちに。おかげでいい情報がいろいろ聞きだせました。

3日目の最終日は、投資にあたっての予備的タームシートの交渉。鍵になる条件はほぼ合意でき、案件が前に進みそうです。熱意あるアントレプレナーといいチーム、チャレンジは多いが楽しい案件になりそう。

交渉が順調に進み、時間が少しあまったので、このアントレプレナーが別途経営している、鉄工場を見せてもらいました。鉄のスクラップを、建設資材にリサイクルする、まさにグリーン・ビジネス。

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夜はアントレプレナー宅で打ち上げ。アントレプレナーも財務アドバイザーも僕も、みんな30台・結婚してるけどまだ子供がいない、という似たような年齢で、僕らの年代でアフリカをよくしていこう、みたいな熱気を感じます。

あと、強く感じたのがインド人ビジネスパーソン同士のつながり(印僑)の強さ。この会社では経営陣、マネージャークラスは全員インド人。ビジネス・パートナーもインド系。西アフリカのレバノン社会に触れても同じ印象を持ちますが、同じ民族同士で人材の供給、資金の流通など、助け合って、同郷の人々のビジネスを大きくしていくべくやっているわけです。

海外に出始めの頃は、なるべく日本人同士で固まらないでおこう、とか思っていたのですが、こういう現状を見ると、日本人同士で大いに固まって助け合って日本人のアフリカでのプレゼンスをでかくしていこう、と思うわけです。ケニア・ナッツ社の佐藤さん(ご承知の方も多いでしょうが、アフリカの日本人アントレプレナーの中で一番といっていいくらい有名な方です)が、「日僑とでもいうべき、日本人のアントレプレナーたちのサロンを作って、投資ファンドも作って助け合うべき」とおっしゃっていましたが、フルに共感です。


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おまけネタは、コンゴのビール。琥珀色のシンバ社のテンボビール600ml、大瓶で、こくがあって、西アフリカでは得がたい味。「proudly brewed in Lubumbashi Congo」とフランス語で瓶に書いております(意訳)。中には「ザイール」という旧国名が記載されたビンテージものの瓶もあったりします(写真撮り忘れた!)。後ろに控えおるはコンゴが誇る他ブランドのビールたちです。。。

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バーでは隣に座った南アフリカラグビー系マッチョ鉱山師のおじさんに、コンゴ南部の景況についてインタビューしたり。

こうしてコンゴのめくるめく夜は更けゆくのです。

ケニア調査団キックオフと、ワムム突撃訪問

協力隊市場調査団のケニア隊がキックオフしました。10人を超える大型チームで、ケニア発の「現場知」を発信すべく、旋風を巻き起こしていきたいと思います!

日本人のイタリア料理シェフをスペシャルゲストにお呼びし、おいしい料理に舌鼓を打った後は、調査団お約束のマーケティング講座(元P&Gの大学院同期の受け売りですが。。。汗)。ケニア隊は社会人経験がそれなりにあるメンバーが多く、飲み込みははやそうです。最近来たばかりの隊員さんが多く、まずは任地に慣れてもらいつつ、調べたいテーマを発掘し、11月下旬のテーマ設定飲み会以降、本格的に動き出す予定です。マンゴーの大生産地で加工に取り組もうとしている農業隊員、トウモロコシの政府備蓄庫の効率化を進めている隊員、などなど、面白いテーマに取り組んでいる隊員も多く、とても楽しみです。

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ケニアと時を同じくして、フィリピン調査団も5名ほどの隊員とメンター2名でキックオフ、タンザニアもアフリカを代表する日本人ビジネスパーソン金城氏をメンターにお迎えして近日中にキックオフ予定です!

アフリカとアジアで熱烈展開の調査団ですが、アジアではバングラディシュ、ラオスでも展開予定、そしてラテンアメリカでもニカラグアを皮切りに上陸です!この展開のはやさは進めている僕自身も驚くばかりです。こういう形で協力隊員同士の国を超えた横の情報交換、メンターとのディスカッションなどを通じて、隊員活動がよりプロフェッショナルなものになればいいと思います。

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日曜の今日は、ケニア隊メンバーの任地、ワムムに遊びにいってきました。ワムムは、ケニア山の裾野の水田が広がる美しい町。この隊員の任地は、犯罪をしてしまった少年たちの更生施設。施設では、家具製作、配管工事、左官、ビーズ手編みバンド制作、ベーカリーなどいろいろな活動が行われているのですが、中でもウサギ飼育が興味深かったです。

野菜カスなどが餌になるので、餌代がそれほどかからず、ウサギは一回出産すると10匹近い子供を産み(養鶏のようにヒナを外部から買う必要がない)、しかも鶏よりも短い期間で成育するため、製造原価がほとんどかからないようです(本来は鶏のほうが早く成育するのですが、おそらくいい餌を買うお金がないので育ちが遅いのでしょう)。少年たちも、一匹600シリング(600円)で売れるんだよ、肉は鶏肉よりおいしいよ、などと情熱をもって説明してくれ、彼らが畜産を通じてビジネスを学ぶには、面白い教材になっているみたいです。現在は更生施設の教師などに販売しているようですが、外部向けに売り始めて、施設の予算や子供たちのお小遣いになればいいと思うので、地元の肉屋やレストランなども隊員さんと一緒に回ってウサギ肉の需要インタビューも軽く行いました。半日の突撃訪問だったので、いいアドバイスができたかわからないですが、僕自身は大変勉強になりました!

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生徒手作りのうさぎ小屋

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街の雰囲気はなんだか西部劇っぽい(ピストルを差したおっさんがバーから出てきそう)。街道ぞいにバーやお店が並んでいます

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ワムム郊外はケニア有数のおコメ地帯だそう。JICAの支援なども入って、大規模な水田が広がっています。農業隊員によると、稲作は中小規模の農民主導で進んでいるみたいです。すごいです。西アフリカにもこのくらいの水田ができる日がきてほしい!Nice Rice Millersという大規模な精米所があるので、資金需要があるか営業をかけにいってみたいと思います。

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本業の仕事のほうは、二歩進んで一歩さがる感じ。

ブルンジ・ルワンダの案件とセネガル案件を連続で落として今週はめっちゃブルーだったのですが、アンゴラで過去3年間地道に営業をかけ続けていたお客さんから10億円の投資案件のオファーが!捨てる神あれば、拾う神あり、ありがたやー。コンゴ南部の12億円の融資案件も本日予備審査を通ったし、パイプラインが少しずつできてきました。

週明けの火曜から、コンゴ南部のルムンバシに契約交渉に出張してきます!

リベリア天然ゴム紀行

リベリアに行ってきました。10年前に内戦が終わった西アフリカの国。ずっと行ってみたかった国なのですが、今回やっと機会を得ました。

ケニア航空で、ナイロビから、ガーナのアクラまで飛び、そこから飛行機を乗り継いでリベリアの首都モンロビアに到着。天気がよかったので、飛行機の窓から眼下の景色がよく見えましたが、熱帯雨林の雲間にかかる虹が見れてめちゃくちゃきれいでした。

リベリアの首都モンロビアは海沿いの街。やたら国連車が多いのがポスト・コンフリクトの国、という雰囲気をかもしだしています。ホテルには本格的なお寿司屋さんが入っていて満喫。

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リベリアは雨季の終わりに近づいています。こんなイノベーティブな雨のよけ方が。。。何がat stakeなのか、この方のヘアスタイルとメイクを拝見したい。

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天然ゴム園は、モンロビアから車で北に走ること3時間。途中の景色は、我が愛しのコートジボワールに似ています(まあ隣の国だから、当たり前か)。景色が一緒で、看板などが英語になった感じ。

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それにしても、貧しい。

同僚たちが口をそろえてひどいという、ギニアビサウや、中央アフリカは行ったことがないけれど、途中の村々の様子は、少なくともニジェール並みに貧しい。

農園到着日は特に予定はなく、夕方、農園の外に出て、近隣の村までジョギング。黄色人種がジョギングしているのは異様な光景だったらしく、色々な人に「Hey Chinese man!」みたいな感じで呼びかけられました。当然、「I am Japanese」と言い返しましたが。農園の入り口に戻ったところで、労働者用のバーで飲んでいたおっさんが話しかけてくれ、彼曰く「自分は1500メートル走のリベリア代表だったのだ」とのこと。このおじさんからビールをご馳走になりました。

2日目からプランテーション見学。約10,000ヘクタールという巨大なプランテーションで、端から端までいくのに、車で1時間以上かかります。

天然ゴムは、苗を植えてから、ゴムが出るまで7年待たねばならないので、大変な投資。そこから30-35年間ゴムが出て、ゴムの出が悪くなると木を植え替えます。

スタッフの方が、木に傷を入れて、ゴムの樹脂を出すのを見せてくれます。傷を入れると、すぐにポタポタと樹脂が落ち始めます。この木は樹齢が25年くらいでゴムの出がすごいいいみたいです。こうやってカップにたまったゴム樹脂を労働者が回って集めていきます。ひとりの労働者で一日500本くらいの木の採取を行うそう。

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こちらはゴムの加工工場。自然に固まって樹脂を水で洗い、細かく砕いて、最後にオーブンにいれて焼きます。この状態で、ミシュラン、グッドイヤー、ブリジストンなどのタイヤメーカーに輸出するのです。西アフリカのゴムは世界最高品質といわれています。ここから何万キロも離れた日本やアメリカのタイヤがここから繋がっていると思うと、不思議な気持ちになります。

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オペレーションも印象的でしたが、もっと心に残ったのが開発効果。近隣になんの産業や職もない中で、このプランテーションは5000人の雇用を生み出しているのです。1労働者10人家族だとすると、50,000人の生活をこの会社が支えている。従業員には住居を与え、子供向けの学校があり(このプランテーションの高校はリベリアのランキング1位に輝いたらしい)、大人向けの夜間学校もあり、病院もあります。まるでひとつの国のようです。病院のドクターの一人はケニア人の女性で、夜ビールを飲みながら、現地の病気などについて色々な話をしました。

内戦時代の傷跡は見えませんが、内戦時代にはこのプランテーションが反乱軍のキャンプになって、僕らがビールを飲んだ経営陣のクラブは死刑執行場になっていたとか。。。

また、西アフリカの子供たちは総じてすごくかわいいのですが、この国ではしばしばぞっとするくらい怖い顔をした子供がいるのです。この子達が生まれた頃には戦争は終わっていたはずだけど、親や家庭にいろいろな事情があるのでしょうか。

もちろん、陽気な人たちは多いです。プランテーション近くの村で、やし酒で乾杯!やし酒は、「Things Fall Apart」「やし酒のみ」などギニア湾沿岸の文学によく登場する大切なお酒で、発酵中なので微炭酸風味ですっぱうまい感じです。ヤシ油の木のキャベツ状になっている部分から取れ、自然に発酵するそうです。

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3日間のミッションは大成功。このブログではとても書けない色々な交渉事項があったのですが、本社からやってきたボスは、この会社が作り出している様々な社会効果を見て、一気にファンになってくれました。日本では「半沢直樹」が流行っているようですが、僕の中ではアフリカの銀行員の仕事は「踊る大走査線」に近いと思っていて、青島刑事の「事件は会議室じゃない、現場で起こっているんだ」という言葉にすべてが象徴されている気がします。あと、室井さんみたいに本部にいて、現場がわかるボスがいることも大事ですね。実際に、農園を見て、現場の事情を知り、経営者と顔をあわせて話し合うことでいろいろな問題が解決しました。

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大満足で、リベリアをたち、今朝は朝5時半着の便でケニアに着き、溜まっていた仕事を鬼のように片付けました。さて、ビールでもあけようと思っていたところで、なんと思わぬサプライズが。。。

過去9ヶ月間勧めていたブルンジ・ルワンダ・コンゴ東部案件のお客さんから電話がかかってきて、投資を受けるのをやめるとのこと。最初はこんな簡単なプロジェクトはないやと思いながら片手で案件を進めていたら、投資契約サイニング直前でひょんな規制環境の変化から雲行きが変わり、そこから瀬戸際交渉が続いて、難しいかなあと思っていたら、イヤな予感が現実になってしまいました。いろんな瀬戸際交渉はやったけど、今回は難しいかな、と思います。投資案件は水物、クローズするまでわからない。

ただ、お客さんからは、ワールドクラスのチームと働けて本当に勉強になった、との言葉を頂いたのがせめてものなぐさめ。ポジティブな変化を少しずつ起こしていくのが開発の仕事。傲慢な言い方に聞こえるかもしれませんが、過去9ヶ月間、ゴールドマン・サックスで、ハーバードビジネススクールで、これまでのプロジェクトで、叩き込まれたことをつぎ込んで、全力でこの東アフリカ土着のアントレプレナーをアドバイスしてきたつもり。それで少しでもこの会社の考え方や戦略が漸進したのであれば、ディールがクローズしなくても、僕らは少しだけでも本質に触れたのかもしれない、そう思うことにします。

最後に癒される写真を。ゴムの木の林の中を家路につく子供たち。雨季の晴れ間ののどかな光景です。

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ケニア3週目

ケニアに来て、3週間経ちました。仕事はフルスピードで動いています。

東アフリカ農業・食品チームは4人から8人に倍増して、この大所帯が食っていくには、案件をどんどん発掘して投資額を上げていく必要があり、営業・営業の日々です。

これまでの東アフリカチームは、園芸や紅茶などの輸出向け作物に注力していたので、今年は、内需系(伸び行く中産階級の胃袋を満たす産業)の企業を押さえていくのが新たなテーマ。特に畜産は今まで見ていなかった分野で、サマーインターンの子がやってくれたマッピングをもとに営業をかけています。ケニアに出張してきたオーストラリア人と新人の鹿児島みかん女子と一緒に養鶏の会社に営業にいく機会がありました。ケニアでは牛の飼育が盛んで、なんと牛肉の値段のほうが鶏肉よりも安いのです!(こんな国、はじめてみました)。逆にいうと、ケニアの鶏肉業界はもっと競争力を上げて、コストを下げていく糊しろがあるので、チャンスだと思います。業界構造や課題などもおぼろげながらわかってきたので、攻めます!

スイスのBuhler社の機械が入った整然たる飼料工場

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食品加工をやっている企業と、うちのスタッフとの意見交換会があり、このセッションでインド人系ケニア人の社長が、工場で実施している「カイゼン」プログラムについて熱弁。こういうマインド・セットの人がいること自体、東アフリカの製造業の希望です。西アフリカで、口を酸っぱくして「まず工場のフロアをきれいにしましょう。そしたら無駄が見えるでしょ」と念仏みたいに唱えていた日々がうそのようです。

野菜農場にも訪問する機会があり、1000ヘクタールほどの大規模な農地を整然とマネージしていて、こんな見事な農場は西アフリカにはないので、大いに感動。ブロッコリーの種は、なんと「サカタのタネ」だそうで、ここも感動ポイントでした。

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一方で、西アフリカの案件にも引き続き関わっていて、西の案件は相変わらずジェットコースターのようなドラマを見せてくれます。

コートジボワールのタンカムちゃんとやっているトマト案件は、予備審査に持って行ったのですが、本社のえらいさん方の猛反対を受けて撃沈しかけ、瀬戸際で半沢直樹風逆転プレゼンをぶちかましてなんとか救出。「トマトソースみたいな初歩的な加工食品を作る産業すら応援できないんだったら、コートジの製造業には希望はないから、もうコートジから撤退したほうがまし。ここの工場から、コートジの明日の製造業を担っていく人材を育てるくらいの気合でやるから、やらせてください」と、我ながら力強い浪花節を展開できました。何度もお客さんのところに営業に通い案件を発掘したタンカムちゃんの努力に報いられたのが、なによりもうれしいです。

もう1件のコートジボワールのココア案件は無事予備審査通過。リースがらみの案件なので、アフリカ最大のリース会社を巻き込むべくプレゼンに行ってきました。CEOが自ら出てきてくれて、「面白い!ぜひ一緒にやろう」というサポートを引き出せたので、まずはgood startです。

仕事が早く終わった日があったので、ケニアの日本大使館の空手教室に参加。剛柔流なので、またもや新しい流派で型を習ったりするのが大変そうなのですが、40人くらいのケニア人の道場生がいて、元気のいい道場でした。師範は、協力隊空手隊員で1971年にケニアに来られて以来ここで教えておられるすごい方です。試合形式に近い稽古もしたのですが、ケニアの道場生たちもよく鍛えられて突き蹴りのコントロールも効いていて安心して練習できました(セネ人の振り回す系の技とは違う – 笑)。一緒に汗を流して、一発でケニア人の友達がたくさんできて、最高の夕べでした。

***

青年海外協力隊市場調査団も勢いよく展開しています。セネガルのIT隊員のNさんのご尽力で、ウェブサイトが立ち上がりました!
リンクはこちら

ページ上部のタブに応じて、調査レポート、メンバー紹介などが見れます。セネガル、ガーナ、エチオピア、タンザニア、ケニア、マレーシア、フィリピンの7か国で広がっているこのイニシアティブ、かっこいい箱ができたので、あとはどんどん調査結果を上げていくのみです。「途上国のBOPセグメントの現場知」において、他の追随を許さない情報サイトを目指します!
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セネガルからの荷物が届いたので、こつじバー・ナイロビ店もオープンです。かごや手織りの布、絨毯など、家の中が西アフリカ調になったので、個人的には心が安らぎます。

バーの最初のお客さまは、ケニア協力隊員のみなさん。ケニア全国に点在するトウモロコシの備蓄庫の効率化作戦、ナイバシャ地域のトマト生産グループの話など、いろんな面白い話が聞けました!

この機会を使って、調査団について説明をして、興味のある隊員さんが多いようだったので、10月中旬の次回上京のときにマーケティング講座などやってケニア調査団をキックオフする予定です。にしても、ケニア隊の飲みっぷりは、セネガル隊も真っ青なくらい半端ない。ビールとワインを相当量買いこんで臨みましたが、僕の見積もり不足でした!

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そんな感じで、楽しくやっております!英語圏にきて、言葉のハンディーもなくなったし、前へ、前へ、いきます。

ケニア第1週目

ケニアでの最初の週が終了しました。

仕事面では、自分のバリューは出し切ったと胸を張っていえる一週間だったと思います。

ナイロビの農業・食品投資チームは9名とアフリカの中では大所帯なのですが、みんな割と最近入社した人が多く、年齢も若いチームで、部長を除いては僕が一番会社で古株。部長からは、お前が東アフリカ・チームを取りまとめて引っ張れ、他のチームが困っていたらどんどんアドバイスして仕事を前に進めていけ、とハッパをかけられる。これまでは、自分のノルマだけ達成していればよかったのですが、今期からはチーム全体の目標達成度もチームのキャプテン的に見ていくので、今までとは違った経験ができそうです。東アフリカチームの年間目標投資額は昨期の倍になったので、かなりのプレッシャーもあるのですが。。。

チームには僕以外に日本人がもう一人いて、ウクライナやロンドンで働いていたミカン農家出身の鹿児島女子。ダカールでもビジネス環境整備のマネージャーをやってたマイコさんとか、世銀のN木先輩とか、日本人仲間に助けられましたが、ケニアでも同僚の日本人がいるのは心強いことです。

第一週目の締めくくりは、タンザニアへの日帰り出張(隣国に日帰り出張できるくらい航空ネットワークが整っているのも、西アフリカにはない便利さ)。

6月にサイニング直前までもっていったのに、規制環境の変化なので、膠着状態に陥っていたブルンジ・ルワンダ案件の復活が出張の目的。まる一日お客さんの事務所にこもり、お客さんの懸念事項にこたえる形でストラクチャーを変え、粘り勝ちでプロジェクトを復活させてきました。今度こそは、ちゃんとクロージングまでもっていきたいところです。

ランチタイムは、別の投資候補先の接待に駆り出され、彼らの飲料事業のビジネスプランを聞きました。面白そうなディールになりそうです。食事をした場所が、美しい海が見わたせるレストランで、海の匂いに、ダカールの懐かしさがこみあげます。

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東アフリカに来たからといって、西の仕事がなくなるわけではなく、来週はタンカムちゃんとアミーファニーちゃんのコートジ案件2本の予備審査なので、また忙しくなりそう。引き続きアフリカloveで頑張っていきたいと思います。

写真は、農場訪問のときによったナイロビ郊外のナイバシャ湖の美しいロッジ。

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引っ越しや新しいアパートの整備は順調です。ナイロビは本当に大都会で、スーパーは先進国並みに品揃えがよく、とても便利です。ダカールだとちょっとしたものを探すのに、一日街を回ったりするのですが、ケニアだとまったくそんなことはなし。また、モノも安い。たとえば、白菜が一束80円、セネガルの1/5の値段です。やはり、国内でモノを製造している、というのは偉大なことです。日本食のスーパーなどもあり、お刺身や各種調味料なども揃います。魚を自分でさばいていたセネガル時代に比べると、アフリカに住んでいる気がしないなあ、という一抹の寂しさはありますが、この便利さには感謝です。

東アフリカと西アフリカの違いについては、また折を見て書いていきたいと思います。

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そして、こつじバー・ダカール店の常連の皆様はもうおなじみですが、夕日の見えるベランダなくして、こつじバーとは呼べません。ナイロビ店も、ばっちり西向きです。西アフリカではレアな鉄道線路(ダカール・マリ路線とは異なりちゃんと電車走ってます!)と東アフリカらしい黒土のトウモロコシ畑が見えて、なんだかノスタルジックな景色です。ダカール店のベランダではフランス風なワインやシャンパンが似合いましたが、ナイロビ店にはタスカルのラガーが似合います。

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ダカールに贈る言葉

今から遡ること4年前。忘れもしない2009年9月14日、夜をかけてワシントンから大西洋を越えてきた南アフリカ航空207便はダカール空港にアプローチをはじめ、窓から見下ろすダカールの街の明かりは、これからはじまるアフリカ生活への不安をかきたてるように、あまりにも薄暗かった。

フランス語を一言も話せないまま生活の立ち上げがはじまり、ついてみればなんとかなるだろうとタカをくくっていた僕は完全に打ちのめされた。ついて早々出張の連続だったり、アパートを探すのに2ヶ月以上かかったり、アパートに電気を通すのに何回も電気会社に通い賄賂をはらったり、落ち着いて生活できるようになるまでの苦労はいまでも忘れない。

今でこそうちの会社のアフリカを代表する拠点であるセネガル事務所だが、当時は国際スタッフも少なく、ほぼ全員がフランス語ネイティブの西アフリカの人々だった。フランス語もしゃべれないワシントンの本部から来た新人に毛の生えた程度のアジア人、という扱い。ゴールドマン・サックスで先進国でM&Aやってたというプライドはその時点で捨てた。白帯に戻って全部ゼロから習おうと思った。僕のアフリカでの師匠である「ナイジェリアのおかん」に実力を認めてもらって、最初の案件(マリの炭酸飲料会社の融資)をクローズして、やっと人間扱いされるようになった。

石の上にも三年、とはよくいったもので、最初の2年間は無我夢中で走った。日本人の友達もほとんどおらず、週末にわずかな知り合いと飲むぐらいで、とにかくただひたすら仕事をしたので、楽しいことはあまり覚えていない。一息ついて周りが見れるようになったのが3年目からで、その頃には、ザンビアの畜産起業への融資ナイジェリアのファーストフードへの投資、西アフリカにも拠点を持つグローバル・ココア商社への投資、などなど、色々な投資を成立させることができていて、自分の事務所での立場がいつの間にかできていた。

昔やっていた空手を再開したのがセネガルにきて2年目の夏。コートジボワール人の同僚で学生の頃空手をやっていたという人と、たまたま会社の慰労会で演武をしたのがきっかけ。この同僚が見つけてきたセネガル人師範が教える道場に練習に行くようになった。スポーツを通じてできる人間関係は世界のどこでも強固で、これで一気にセネガル人の友達が増えた。1年目は家で寂しく過ごしたイスラムの犠牲祭に、道場の友達に呼んでもらって羊を一緒に食べたのは、心温まる思い出だ。

ダカールもこの4年間で大きく様変わりを遂げた。来た当初は、近所にスーパーがなく、車で15分かけて市内か空港そばのスーパーまで行っていたのが、家の近所に西アフリカを代表する巨大ショッピングモールが完成。街の道々も立派になり、きれいなアパートやオフィスビルもたくさん建った。

3年目からは、それまでとは打って変わったように、本当に生活が楽しくなった。前職の先輩たちが「ビジネススクール留学時代が人生で一番楽しい時間だった」と言っていたが、僕の場合は間違いなく、ダカールでの生活が今までの人生で一番よく笑い遊んだ、と心から思える。日本人コミュニティーにも知り合いができ、週末は気のおけない仲間で我が家の「Kバー」に集まって飲むようになったし、気候の厳しい内陸の村々で頑張る協力隊の隊員たちとも知り合いになって、上京するとうちに飲みにきてくれるようになった。魚のさばき方を習って、刺身が食べ放題になったのもこの頃。

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仕事でも、西アフリカの企業との付き合い方や間合いがわかってきて、いろいろなことがスムーズにいくようになった。相変わらずフランス語は幼稚園児レベルだし、今でも色々な苦労は多いのだけれど、ここで生活しているうちに、「地元臭」がついたのだろうか、まずビジネスパーソンとして信頼されるようになったと思う。この頃から、コートジの鶏案件セネガルの食品加工会社案件、などなど立て続けに内容のいいディールをクローズできたし、今でも引継ぎきれないくらいの潜在投資先(パイプライン)を持てるようになった。

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プロフェッショナルとしてクライアント満足度だけがすべてだと信じる僕は、社内での賞などの賞状はすべて捨てるようにしているのだが、2011年の末に、400人ほどいるアフリカのスタッフ全員が投票して決める賞で、「アフリカで最も結束力のあるチームを作っている最優秀スタッフ」の2人のうちの1人に投票してもらえたときは、ああ、僕もやっとこの大陸に居場所ができた、と思えた。同僚の信頼ができてくると、仕事の合間や深夜残業などのときに、彼らがアフリカの政治や課題をどう見ているか、という深い話もしてくれるようになった。

セネガルで生きる中で色々なことを学んだ。

仕事のやり方は、クライアントに対峙する姿勢から、横にたって共に歩もうという姿勢に変わってきた。ディールをやったあとは色々な条件はクライアントが満たしてくれるんじゃなくて、ほとんど全ての会社が自転車操業で何ごとも思い通りに進まない西アフリカ。だから、投資してから二人三脚で進むのが本当のスタート。そういった投資後のポートフォリオ管理に、例え新規案件があまりできないとしても、惜しみなく時間を使う覚悟ができた。

そして、開発にはウルトラCはほとんどない、それよりもボトムアップで個々の力を上げていって国民全体のレベルを上げていくことのほうが大事だ、と感じることで、僕の世界観は大きく変わった。開発とは、個人のポジティブな行動変化の積み重ね。最終的には、国民ひとりひとりが楽天主義をもって、どれだけ総合的な努力ができるか、ということなんじゃないかと思う。震災のあとの夏に日本に帰って節電の徹底ぶりに感銘を受けたが、国民全体で一斉に努力して国全体の使用電力を大幅にカットしてしまう、こういうことができるのが国の底力であり、経済発展に直結する最大の要素のひとつだと思う。そういう総合力をアフリカで涵養するために僕は何ができるのか?

そうやって一人一人のdisciplineが大事だと思いはじめると、今までただ楽しくやっていた空手から見えることも多くなった。今のところは、僕らの開発の仕事も、空手みたいにならなければいけないと思っている。つまり、ここの空手の大会は、セネガル人だけで何十年も運営されてきて、各地にチームがあって、空手は完全にセネガルのものになってる。「こんな技、日本じゃ絶対やらないよ」と最初はバカにしていたけど、それはそれでセネガル人のよさを活かす形で現地化しているわけだ。僕らのプロジェクトも空手みたいに、道を究めようとセネガル人に思わせる何らかの魅力を持たせるには、自発的に続けてもらって現地に根付いていくためには、何が必要なのか、真剣に考えなていかなければいけないのだろう。

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4年目の今年に入ってからは、これからのライフワークになるであろう「協力隊市場調査団」を立ち上げ。セネガルでやった仕事の中で最も誇りに思える僕の宝物だ。セネガル発のイニシアティブとして、新たな途上国開発の知を提供するプラットフォームを目指すべく、セネガル隊のみならず、ガーナ隊、ケニア隊、タンザニア隊、マレーシア隊、フィリピン隊など、世界展開が見えてきている。隊員のみんなは、自分のポテンシャルを信じて、プロ意識を持ち、物事を動かす「腕力」をつけてほしいし、自信を持ってどんどん情報を発信してほしい。隊員を見守るサポーターたちは、協力隊を途上国専門の若手プロフェッショナル集団に鍛え上げるべくメンターをする、そんな関係を作っていけたらいいなあと思う。

「ナイジェリアのおかん」がダカールを去るとき、ダカールは「二度泣きの町」だ、と言っていたが(赴任のとき辛くて泣き、離任のとき離れがたく泣く、という意味)、本当にその言葉のとおりで、離任前しばらくはいろんな送別会で何度も涙がこぼれそうになった。離れがたい。ここで出会ったいい人も、嫌な人も、停電も、海も、空も、砂漠も、大切な大切な宝物だ。

セネガルに来た時は若干31歳だった僕も、35歳となかなかいい歳の大人になった。東アフリカに動いて、向うで数年過ごした後、僕はどんな景色を見ているのだろう。

セネガルは相変わらず貧しく、課題は山積みだ。しかし、僕はこの国の未来は明るいと思う。セネガルは生命力に溢れている。人々は厳しい気候や経済の中でも笑顔で前向きに生きて、明日はきっと今日よりもよくなる、と思わせる何かがある。そんな、限りなくジャム(平和)で、テランガ(おもてなし精神)で、チャーミングなセネガルに幸あれ、と祈りたい。

最後に、これを読んでくれているすべての人に大きな声で伝えたい。ダカールは今日も快晴です!

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Earth Color 2では、引き続き怒涛のケニア編もお送りしていきます。どうぞお楽しみに!

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