IFCダカール事務所の小辻洋介です。
先日、コートジボワールに拠点を置くフランス語圏西アフリカ最大の養鶏会社Societe Ivoirienne de Productions Animales(SIPRA社)への株式出資契約を調印できました。コートジボワールの内戦からの経済復興に伴い、もっとも安価なタンパク源のひとつである鶏肉や卵の消費量は向こう数年間で飛躍的に伸びると見ており、またこの会社がブルキナファソやマリなど近隣諸国への進出する可能性もあるので、投資のアップサイドは大きいと思います。また、この会社のサプライ・チェーンに2万軒以上の小規模農家(飼料向けのトウモロコシを納めている農家や、ヒヨコや鶏の餌を買っている小規模農家など)を巻き込んでいるので、経済効果も大きいです。
調印式の様子はコートジの国営テレビでも放映され話題になりました。二人三脚で一緒に頑張ってきたアナリストのタンカムちゃんは、プレスの写真に載った自分の顔の口紅の色がかなりけばかったことがショックだったみたいで、サイニングからしばらくは「口紅、口紅。。。」とぶつぶつ言ってましたが。
写真は、地元の新聞で報道された調印式の様子。僕もチームリーダーとして主賓席に座らせてもらい、左端にちゃっかり写っています。

このプロジェクトは、ものすごい課題が多く、歯ごたえもスリルも満点な9ヶ月間でした。
コートジボワールは、輸入鶏肉に100%の関税がかけられ、国内の鶏肉生産者が守られています。この関税障壁の先行きが不透明(つまり関税が政府のなんらかの事情で廃止されたら、ブラジルなどからの安価な輸入鶏肉に負けて、この会社は倒産するんじゃないか)という理由で、案件開始当初は社内中が猛反対で、一時は僕以外の全員が案件は死んだと思ったくらいでした。社内の予備審査ではサンドバッグのように打たれまくったのですが、案件を殺す前に、一度現場を見に行かせてくれと上司に拝み倒して、予備調査を行ったのが去年の10月。コートジに飛んで、会社のオペレーションや財務状況を徹底的に分析し、実は、会社のドル箱は、鶏肉生産ではなく、ヒヨコと飼料の生産・販売である、ということがわかりました。
ヒヨコや飼料ビジネスは輸入品よりもコスト優位にあり(ヒヨコは孵化前の卵の状態で、ヨーロッパなどから空輸をする必要があり、輸入にはかなりのコストがかかる。飼料も熱帯では日持ちが悪く、遠くから船で運んでくるよりは、現地で作るほうがいい)、仮に鶏肉の関税が下がって鶏肉事業の利益率が大幅に下がっても、会社全体の利益にはそれほどダメージがないだろうという読みが立ちました。もちろん、鶏肉の関税が下がれば、国内の鶏肉農家も縮小するので、国内のヒヨコや飼料の需要は下がるのですが、この会社の品質は、国内競合他社より高いし販売網も強いので、競合他社はダメージを受けるだろうけれど、この会社のパイはそれほど減らないだろう、という分析をしました。
また、懸案の鶏肉事業も、オーストラリアで畜産農家を経営して30年のスペシャリストが、オペレーションを洗った結果、IFCのテクニカル・アシスタンスをやっている部署が外部の畜産専門家を呼んできて、飼料の品質向上やオペレーションの効率化を図っていけば、多少関税が下がったとしてもブラジルやアメリカの鶏肉に競争できるくらいコストを下げられるのではないか、という希望的な観測が出ました。
これで、案件を本格的に進めることになったのですが、このクライアントは僕がこれまで対面した交渉相手の中でもっとも手ごわい人の一人で(悪い意味ではなく、契約書の一文一文を履行しなければという意思にあふれているので、投資契約の文言のインプリケーションを真剣に考えて交渉してくる、そういう意味で立派なビジネスマンです)、しかも僕にとってははじめてのフランス語での交渉、クライアントにとってははじめての英文契約書、ということもあり、かなり時間がかかりました。
フランス語がネイティブのタンカムちゃんと、翻訳ソフトのGoogle Translation様がいなかったら、今頃死んでいたでしょうね。条件が折り合わず、何度も交渉決裂になりかけましたが、クライアントはIFCとパートナーシップを組んで、コートジを代表する会社から、西アフリカを代表する会社への成長を遂げたい、僕らもなんとかコートジ内戦後初の農業案件を成し遂げたい、という真剣な思いがあったので、サイニングにこぎつけることができました。
本番はこれからで、この会社と二人三脚で、コートジの養鶏産業とサプライ・チェーンに関わる農家の競争力を上げられるように頑張っていきたいと思います。
コートジ国営放送の放映は、このリンクで見られます。フランス語ですが、SIPRA社のオペレーションの様子など興味深いです。
***
サイニングを終えてダカールに戻り、早速新しい案件発掘に向けて営業開始。ダカールで一番高級なラディソンホテルとショッピングセンター(シープラザ)を所有している持ち株会社がコートジボワールでジュース会社を立ち上げるらしいという噂を耳にしたので、うちにも融資させてください、とその持ち株会社のCFOに営業をかけてきました。豪華絢爛なミーティング・ルームには、アーンスト・ヤングの会計士や地元銀行のバンカーたちが集まっていて、みんなコートジ国営放送を見ていたらしく「おお、お前がコートジの鶏案件をやった日本人か!」と向こうから挨拶にきてくれ、話がスムーズに進んだりと、仏語圏西アフリカのいっちょまえバンカーの仲間入りをしたようないい気持ちを味わえました。また、ニュースを見た教育の関係者から内戦時代に大破したアビジャンの私立中学・高校を復興したいという融資案件が名指しで舞い込んでいたり、個人のクレディビリティーが大事なこちらの商売のダイナミズムを実感しました。
フランス語を一言もしゃべれない状態でダカールに来て3年弱、少しずつ自分の名前で勝負できるようになってきた感じで、「石の上にも3年」とはよく言ったものですね。
***
コートジボワールでの案件を片付け、一息つく暇もなく、ナイジェリアに出張してきました。
目的は、アフリカを基盤にした巨大コングロマリットへの投資案件が動いているので、その会社がナイジェリアで所有している小麦粉工場、ゴマ工場の調査。
のっけからえらい大変な旅で、土曜真夜中発のナイジェリア行きの便が出発間際にストのためキャンセル、翌日に延期。翌日曜日は、夜中発予定が、朝4時まで遅れ、乗ってみたら座席のシートがまったく倒れず寝られず。その便が、ブルキナ・ファソのウァガドゥグ、ベナンのコトヌーと止まって、朝10時ナイジェリア着、そこからクライアントに直行しました。ほんと、フランス語圏アフリカから英語圏アフリカの旅は毎回地獄です。
クライアントの日産1000トンの巨大な小麦粉工場を見学し、商売について討議。インドとナイジェリアのなまりの入った英語は寝不足の脳にひびきます。小麦粉の主要使途のひとつとしてインスタント麺があるようで、ナイジェリアのインスタント麺市場はインドネシアのインドミーという会社が15年前にゼロから開拓し始め、いまや400億円の市場になって、それに刺激を受けた地元の小麦粉会社が続々と新規参入している、という話が心に刺さりました。ナイジェリアで当たったのならば、セネガルや他の西アフリカでも当たる可能性は高い。アフリカで起業するなら、インスタント麺屋か?

レゴスの工業地帯 - フランス語圏ではあまりみないトゥクトゥクが走っています。
ただ、びっくりしたのは、ナイジェリアの製粉所の多くはキャパシティーの50%か60%でしか運用されていないとのこと。これは、需要がないからではなくて、本当は需要を満たすためにフル稼働したいのだが、工程のどこかにボトルネックがあって、でもどこがそのボトルネックかがわからず、この改善に時間がかかるから、とのこと。
ボトルネックという言葉が難しければ、アフリカの空港を思い浮かべてください。チェックインの場所はがらがらなんだけど、2人のとろそうなおばちゃんが手作業で進めている荷物チェックのカウンターの前に長蛇の列ができており人々が押しくらまんじゅうのようにひしめき混迷を極め、そのあとのパスポートチェックの場所もまたがらがら。じゃあ、荷物チェックの人を増やすか、機械を入れるなど効率を上げるかすれば解決する、でも、これができない。これでは空港のキャパ通りに旅客を通していくことができません。
日本や普通の国では当たり前にできることが、こっちの労働者はなぜかできない、こういう「あたりまえのこと」ができてないことがアフリカの発展を妨げているのだとつくづく思います。おかげで単位あたりの固定費がめちゃくちゃ高く、貧しい消費者へ価格転嫁せざるを得ない。そしてこんな非効率な小麦粉業界を守るために、ナイジェリア政府は輸入小麦粉に対して60%の関税をかけている。なんともねえ。。。
ゴマ工場も興味深いものでした。ゴマというのはなにげに石油の次くらいにナイジェリアの主要輸出品で、日本にも大量に輸出されています。世界のゴマの主要産地はインドと中国なのですが、国内向けの需要を満たすのが手一杯なので、日本で流通しているゴマの多くはアフリカから来ているのです。これを読まれている方々は、ゴマを食べるときはナイジェリア、スーダン、エチオピアなどのアフリカの産地に思いをはせて頂きたいです!

ゴマの殻を取って異物を除く機械
レゴスに駐在する友人ご夫妻と食事に行く機会もありました。中国の火鍋屋でビールをしこたま飲む。彼も投資案件でものすごい苦労しているみたいで、やっぱアフリカで何かを成し遂げるのは大変だよねえ、という話で盛り上がりました。西アフリカの端っこと端っこで頑張っている日本人同士のなんだか戦友的な飲みでした。
帰りの飛行機(お約束どおり3時間遅れの深夜便)では、同僚のサムが二つ目の博士号を取りに大学院にいきたい、という話を聞き込みました。50年前はシンガポールや韓国と一人当たりGDPが同じだったアフリカが、なぜこんなに貧しいままなのか、その問いについてじっくり考えてみたい。サムよ、それはミリオンダラー・クエスチョンだよ、でも僕は一般の人たちのディシプリンの低さと教育(小麦粉工場が50%でしか稼動できないとか)、そしてコラプション(腐敗)が大きな原因だと思うよ、と言ってはみましたが、誰も明快に答えることができないこの問いに、是非サムが理路整然と答える論文を書いてほしいと思います。
ダカールはいよいよ本格的な雨季に突入。雨の晴れ間の光の中で咲き誇るブーゲンビリアは本当に色鮮やかです。
先日、コートジボワールに拠点を置くフランス語圏西アフリカ最大の養鶏会社Societe Ivoirienne de Productions Animales(SIPRA社)への株式出資契約を調印できました。コートジボワールの内戦からの経済復興に伴い、もっとも安価なタンパク源のひとつである鶏肉や卵の消費量は向こう数年間で飛躍的に伸びると見ており、またこの会社がブルキナファソやマリなど近隣諸国への進出する可能性もあるので、投資のアップサイドは大きいと思います。また、この会社のサプライ・チェーンに2万軒以上の小規模農家(飼料向けのトウモロコシを納めている農家や、ヒヨコや鶏の餌を買っている小規模農家など)を巻き込んでいるので、経済効果も大きいです。
調印式の様子はコートジの国営テレビでも放映され話題になりました。二人三脚で一緒に頑張ってきたアナリストのタンカムちゃんは、プレスの写真に載った自分の顔の口紅の色がかなりけばかったことがショックだったみたいで、サイニングからしばらくは「口紅、口紅。。。」とぶつぶつ言ってましたが。
写真は、地元の新聞で報道された調印式の様子。僕もチームリーダーとして主賓席に座らせてもらい、左端にちゃっかり写っています。

このプロジェクトは、ものすごい課題が多く、歯ごたえもスリルも満点な9ヶ月間でした。
コートジボワールは、輸入鶏肉に100%の関税がかけられ、国内の鶏肉生産者が守られています。この関税障壁の先行きが不透明(つまり関税が政府のなんらかの事情で廃止されたら、ブラジルなどからの安価な輸入鶏肉に負けて、この会社は倒産するんじゃないか)という理由で、案件開始当初は社内中が猛反対で、一時は僕以外の全員が案件は死んだと思ったくらいでした。社内の予備審査ではサンドバッグのように打たれまくったのですが、案件を殺す前に、一度現場を見に行かせてくれと上司に拝み倒して、予備調査を行ったのが去年の10月。コートジに飛んで、会社のオペレーションや財務状況を徹底的に分析し、実は、会社のドル箱は、鶏肉生産ではなく、ヒヨコと飼料の生産・販売である、ということがわかりました。
ヒヨコや飼料ビジネスは輸入品よりもコスト優位にあり(ヒヨコは孵化前の卵の状態で、ヨーロッパなどから空輸をする必要があり、輸入にはかなりのコストがかかる。飼料も熱帯では日持ちが悪く、遠くから船で運んでくるよりは、現地で作るほうがいい)、仮に鶏肉の関税が下がって鶏肉事業の利益率が大幅に下がっても、会社全体の利益にはそれほどダメージがないだろうという読みが立ちました。もちろん、鶏肉の関税が下がれば、国内の鶏肉農家も縮小するので、国内のヒヨコや飼料の需要は下がるのですが、この会社の品質は、国内競合他社より高いし販売網も強いので、競合他社はダメージを受けるだろうけれど、この会社のパイはそれほど減らないだろう、という分析をしました。
また、懸案の鶏肉事業も、オーストラリアで畜産農家を経営して30年のスペシャリストが、オペレーションを洗った結果、IFCのテクニカル・アシスタンスをやっている部署が外部の畜産専門家を呼んできて、飼料の品質向上やオペレーションの効率化を図っていけば、多少関税が下がったとしてもブラジルやアメリカの鶏肉に競争できるくらいコストを下げられるのではないか、という希望的な観測が出ました。
これで、案件を本格的に進めることになったのですが、このクライアントは僕がこれまで対面した交渉相手の中でもっとも手ごわい人の一人で(悪い意味ではなく、契約書の一文一文を履行しなければという意思にあふれているので、投資契約の文言のインプリケーションを真剣に考えて交渉してくる、そういう意味で立派なビジネスマンです)、しかも僕にとってははじめてのフランス語での交渉、クライアントにとってははじめての英文契約書、ということもあり、かなり時間がかかりました。
フランス語がネイティブのタンカムちゃんと、翻訳ソフトのGoogle Translation様がいなかったら、今頃死んでいたでしょうね。条件が折り合わず、何度も交渉決裂になりかけましたが、クライアントはIFCとパートナーシップを組んで、コートジを代表する会社から、西アフリカを代表する会社への成長を遂げたい、僕らもなんとかコートジ内戦後初の農業案件を成し遂げたい、という真剣な思いがあったので、サイニングにこぎつけることができました。
本番はこれからで、この会社と二人三脚で、コートジの養鶏産業とサプライ・チェーンに関わる農家の競争力を上げられるように頑張っていきたいと思います。
コートジ国営放送の放映は、このリンクで見られます。フランス語ですが、SIPRA社のオペレーションの様子など興味深いです。
***
サイニングを終えてダカールに戻り、早速新しい案件発掘に向けて営業開始。ダカールで一番高級なラディソンホテルとショッピングセンター(シープラザ)を所有している持ち株会社がコートジボワールでジュース会社を立ち上げるらしいという噂を耳にしたので、うちにも融資させてください、とその持ち株会社のCFOに営業をかけてきました。豪華絢爛なミーティング・ルームには、アーンスト・ヤングの会計士や地元銀行のバンカーたちが集まっていて、みんなコートジ国営放送を見ていたらしく「おお、お前がコートジの鶏案件をやった日本人か!」と向こうから挨拶にきてくれ、話がスムーズに進んだりと、仏語圏西アフリカのいっちょまえバンカーの仲間入りをしたようないい気持ちを味わえました。また、ニュースを見た教育の関係者から内戦時代に大破したアビジャンの私立中学・高校を復興したいという融資案件が名指しで舞い込んでいたり、個人のクレディビリティーが大事なこちらの商売のダイナミズムを実感しました。
フランス語を一言もしゃべれない状態でダカールに来て3年弱、少しずつ自分の名前で勝負できるようになってきた感じで、「石の上にも3年」とはよく言ったものですね。
***
コートジボワールでの案件を片付け、一息つく暇もなく、ナイジェリアに出張してきました。
目的は、アフリカを基盤にした巨大コングロマリットへの投資案件が動いているので、その会社がナイジェリアで所有している小麦粉工場、ゴマ工場の調査。
のっけからえらい大変な旅で、土曜真夜中発のナイジェリア行きの便が出発間際にストのためキャンセル、翌日に延期。翌日曜日は、夜中発予定が、朝4時まで遅れ、乗ってみたら座席のシートがまったく倒れず寝られず。その便が、ブルキナ・ファソのウァガドゥグ、ベナンのコトヌーと止まって、朝10時ナイジェリア着、そこからクライアントに直行しました。ほんと、フランス語圏アフリカから英語圏アフリカの旅は毎回地獄です。
クライアントの日産1000トンの巨大な小麦粉工場を見学し、商売について討議。インドとナイジェリアのなまりの入った英語は寝不足の脳にひびきます。小麦粉の主要使途のひとつとしてインスタント麺があるようで、ナイジェリアのインスタント麺市場はインドネシアのインドミーという会社が15年前にゼロから開拓し始め、いまや400億円の市場になって、それに刺激を受けた地元の小麦粉会社が続々と新規参入している、という話が心に刺さりました。ナイジェリアで当たったのならば、セネガルや他の西アフリカでも当たる可能性は高い。アフリカで起業するなら、インスタント麺屋か?

レゴスの工業地帯 - フランス語圏ではあまりみないトゥクトゥクが走っています。
ただ、びっくりしたのは、ナイジェリアの製粉所の多くはキャパシティーの50%か60%でしか運用されていないとのこと。これは、需要がないからではなくて、本当は需要を満たすためにフル稼働したいのだが、工程のどこかにボトルネックがあって、でもどこがそのボトルネックかがわからず、この改善に時間がかかるから、とのこと。
ボトルネックという言葉が難しければ、アフリカの空港を思い浮かべてください。チェックインの場所はがらがらなんだけど、2人のとろそうなおばちゃんが手作業で進めている荷物チェックのカウンターの前に長蛇の列ができており人々が押しくらまんじゅうのようにひしめき混迷を極め、そのあとのパスポートチェックの場所もまたがらがら。じゃあ、荷物チェックの人を増やすか、機械を入れるなど効率を上げるかすれば解決する、でも、これができない。これでは空港のキャパ通りに旅客を通していくことができません。
日本や普通の国では当たり前にできることが、こっちの労働者はなぜかできない、こういう「あたりまえのこと」ができてないことがアフリカの発展を妨げているのだとつくづく思います。おかげで単位あたりの固定費がめちゃくちゃ高く、貧しい消費者へ価格転嫁せざるを得ない。そしてこんな非効率な小麦粉業界を守るために、ナイジェリア政府は輸入小麦粉に対して60%の関税をかけている。なんともねえ。。。
ゴマ工場も興味深いものでした。ゴマというのはなにげに石油の次くらいにナイジェリアの主要輸出品で、日本にも大量に輸出されています。世界のゴマの主要産地はインドと中国なのですが、国内向けの需要を満たすのが手一杯なので、日本で流通しているゴマの多くはアフリカから来ているのです。これを読まれている方々は、ゴマを食べるときはナイジェリア、スーダン、エチオピアなどのアフリカの産地に思いをはせて頂きたいです!

ゴマの殻を取って異物を除く機械
レゴスに駐在する友人ご夫妻と食事に行く機会もありました。中国の火鍋屋でビールをしこたま飲む。彼も投資案件でものすごい苦労しているみたいで、やっぱアフリカで何かを成し遂げるのは大変だよねえ、という話で盛り上がりました。西アフリカの端っこと端っこで頑張っている日本人同士のなんだか戦友的な飲みでした。
帰りの飛行機(お約束どおり3時間遅れの深夜便)では、同僚のサムが二つ目の博士号を取りに大学院にいきたい、という話を聞き込みました。50年前はシンガポールや韓国と一人当たりGDPが同じだったアフリカが、なぜこんなに貧しいままなのか、その問いについてじっくり考えてみたい。サムよ、それはミリオンダラー・クエスチョンだよ、でも僕は一般の人たちのディシプリンの低さと教育(小麦粉工場が50%でしか稼動できないとか)、そしてコラプション(腐敗)が大きな原因だと思うよ、と言ってはみましたが、誰も明快に答えることができないこの問いに、是非サムが理路整然と答える論文を書いてほしいと思います。
ダカールはいよいよ本格的な雨季に突入。雨の晴れ間の光の中で咲き誇るブーゲンビリアは本当に色鮮やかです。
