11月と12月の頭が怒涛の出張ラッシュで、ほとんどケニアにいられなかったので、12月中旬以降は、ケニアでゆっくりさせていただいています。

12月12日は、ケニア独立50周年の記念日でした。ケニアは1963年独立と、アフリカの中では比較的遅い独立だったんですね。夜は、独立記念の祝賀ライブに行ってきました。後輩の鹿児島みかん女子がトランペットで登場。ケニア人のバンドの中の唯一の外国人で、日本人だと紹介され、ソロもかっこよかったので、同じ日本人として誇りに思いました!ライブは20時開始予定が、2時間遅れで22時スタート、夜中の0時半に終了。まあ夜中2時スタート、4時終わりのセネガルライブよりはまともですね。

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協力隊調査団も展開しています。JICA本部からの出張者がいらっしゃったので、ナイロビから1時間半くらいのナイバシャという街の協力隊員の活動を一緒に訪問しました。

写真はスラムの様子。電気とテレビは通っていて、でも、カーズ(藁と土のキノコハウス)のセネガルの村と同じくらい貧しい。そして、背後の山の上に建っているのは、お金持ちの人たちの住宅やホテル。豊かな国の中のこの貧しさにやり場のない思いを感じる、そんな訪問でした。

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隊員が活動している女性グループとも議論。セネガル時代には語学の壁がありましたが、この女性グループは英語力は高く、徹底的に議論できました。にしても、こんなに教育レベルが高い人たちがスラムにいる、不思議な感じです。

以前、ナイロビのスラムで児童施設をやっておられる日本人女性の方がおしゃっていましたが、ケニアは「明と暗の国」。ケニア人は他のアフリカと違って民族服も着ないし、英語も達者だし、先進国化されている。でも、そう見える人たちも、実は一枚めくってみると、迷信や呪術を信じているし、どろどろした奥深いアフリカ的部分が出てくる。そして、政治や他民族の複雑さがそれにからんでくる。なんとも、奥深い国です。

みんながフラットで、貧しくもおめでたく明るいセネガルとは大きな違いです。


隊員さんが安全な水の確保について調べているので、浅井戸についての話を聞きます。

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夜はJICAの方と飲み。協力隊調査団の将来について大いに討論した結果、調査団の勝負所は、「現場知、ロジック、リーダーシップ」という三点に落ち着きました。リーダーシップの定義はいろいろと動きが遅い村でも村人
の支持を得て変化を起こす力、ということです。

* * *

ケニアについて知り始める一方で、ナイロビで西アフリカを懐かしむ会も開催されました。コートジボワール人の同僚の家で、コートジ料理の会。他には、ベナン人、ソマリア人2名、と集まり、全員が女性でしたので、東西アフリカ女子会に潜入、という雰囲気でした。料理は、プレ・ブレゼ(鶏の炭火焼)、ポワソン・ブレゼ(焼き魚)、アロコ(食用バナナ)、アチェケ(ヤム芋のクスクス)、そして懐かしのビサップ(ハイビスカス)とジンジャンブル(生姜)のジュース、とコートジの代表的な品々が並び、西アフリカ料理に飢えていたベナン人と一緒に感涙にむせびながら頂きました。トークも面白く、モーリタニアとソマリアの文化の類似点を考察したり、コートジの部族について語ったり、メッカに巡礼にいったら黒人だからと差別された怒りの話や、ソマリア人による東アフリカ新参者のベナン人と私へのケニア政治裏話のレクチャー、など盛りだくさんでした。お腹も心も満腹な会でした。

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今年もあっという間に終わりに近づいています。セネガルでの新年がついこの間のよう。3月の協力隊市場調査団の開始、夏のケニア異動、など、変化に富んだ一年でした。

みなさんも、よいお年をお迎えください。

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<写真: 雨上がりのナイロビにかかる虹>