その他

ケニア満喫週間

11月と12月の頭が怒涛の出張ラッシュで、ほとんどケニアにいられなかったので、12月中旬以降は、ケニアでゆっくりさせていただいています。

12月12日は、ケニア独立50周年の記念日でした。ケニアは1963年独立と、アフリカの中では比較的遅い独立だったんですね。夜は、独立記念の祝賀ライブに行ってきました。後輩の鹿児島みかん女子がトランペットで登場。ケニア人のバンドの中の唯一の外国人で、日本人だと紹介され、ソロもかっこよかったので、同じ日本人として誇りに思いました!ライブは20時開始予定が、2時間遅れで22時スタート、夜中の0時半に終了。まあ夜中2時スタート、4時終わりのセネガルライブよりはまともですね。

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協力隊調査団も展開しています。JICA本部からの出張者がいらっしゃったので、ナイロビから1時間半くらいのナイバシャという街の協力隊員の活動を一緒に訪問しました。

写真はスラムの様子。電気とテレビは通っていて、でも、カーズ(藁と土のキノコハウス)のセネガルの村と同じくらい貧しい。そして、背後の山の上に建っているのは、お金持ちの人たちの住宅やホテル。豊かな国の中のこの貧しさにやり場のない思いを感じる、そんな訪問でした。

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隊員が活動している女性グループとも議論。セネガル時代には語学の壁がありましたが、この女性グループは英語力は高く、徹底的に議論できました。にしても、こんなに教育レベルが高い人たちがスラムにいる、不思議な感じです。

以前、ナイロビのスラムで児童施設をやっておられる日本人女性の方がおしゃっていましたが、ケニアは「明と暗の国」。ケニア人は他のアフリカと違って民族服も着ないし、英語も達者だし、先進国化されている。でも、そう見える人たちも、実は一枚めくってみると、迷信や呪術を信じているし、どろどろした奥深いアフリカ的部分が出てくる。そして、政治や他民族の複雑さがそれにからんでくる。なんとも、奥深い国です。

みんながフラットで、貧しくもおめでたく明るいセネガルとは大きな違いです。


隊員さんが安全な水の確保について調べているので、浅井戸についての話を聞きます。

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夜はJICAの方と飲み。協力隊調査団の将来について大いに討論した結果、調査団の勝負所は、「現場知、ロジック、リーダーシップ」という三点に落ち着きました。リーダーシップの定義はいろいろと動きが遅い村でも村人
の支持を得て変化を起こす力、ということです。

* * *

ケニアについて知り始める一方で、ナイロビで西アフリカを懐かしむ会も開催されました。コートジボワール人の同僚の家で、コートジ料理の会。他には、ベナン人、ソマリア人2名、と集まり、全員が女性でしたので、東西アフリカ女子会に潜入、という雰囲気でした。料理は、プレ・ブレゼ(鶏の炭火焼)、ポワソン・ブレゼ(焼き魚)、アロコ(食用バナナ)、アチェケ(ヤム芋のクスクス)、そして懐かしのビサップ(ハイビスカス)とジンジャンブル(生姜)のジュース、とコートジの代表的な品々が並び、西アフリカ料理に飢えていたベナン人と一緒に感涙にむせびながら頂きました。トークも面白く、モーリタニアとソマリアの文化の類似点を考察したり、コートジの部族について語ったり、メッカに巡礼にいったら黒人だからと差別された怒りの話や、ソマリア人による東アフリカ新参者のベナン人と私へのケニア政治裏話のレクチャー、など盛りだくさんでした。お腹も心も満腹な会でした。

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今年もあっという間に終わりに近づいています。セネガルでの新年がついこの間のよう。3月の協力隊市場調査団の開始、夏のケニア異動、など、変化に富んだ一年でした。

みなさんも、よいお年をお迎えください。

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<写真: 雨上がりのナイロビにかかる虹>

ナイジェリア小説のご紹介

最近、いいナイジェリアの小説を二冊読んだのでご紹介。

ひとつめが、最近亡くなったナイジェリアの超有名作家Chinua Achebeの代表作「Things Fall Apart」。イボ族のレスリングが得意な男「オコンクォ」を主人公にして、呪術的なめくるめく文化を描いた最初の章からはじまり、そこからオコンクォの流浪の人生がはじまり、イギリス人の宣教師が入ってきて民族の歴史が転換していく第2章・第3章と流れていく大河ドラマ調の小説。やはり西アフリカの文化は限りなく豊かです。コラの実を割り、ヤム芋の「フフ」がうずたかく積まれ、諸々のナイジェリア料理が並ぶ祭りのシーンや、精霊が登場するシーンなどは、とても惹きこまれます。ナイジェリアの「おかん」はイボ族のご出身なので、この小説をネタにイボ文化について語りたいと思っています。

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二番目が、「Half of a Yellow Sun」。ジンバブエ人同僚ののマタルカさんのおすすめ。彼は僕が知るバンカーの中でも心が豊かな人でとても尊敬しているのですが、彼と小説談義になったときに涙が止まらない小説として一押しをされました。1960年台後半のビアフラ戦争下のナイジェリアを舞台にした小説。美しい文体で、複雑に絡み合う人間関係、計算され尽くした伏線の張り方、忍び寄る戦争の影、破壊と再生、が描かれた小説です。アフリカに興味がなくても、手にとってみられることをお勧めします!ちなみにビアフラ戦争は、ヨルバ族・ハウサ族に対して、イボ族がビアフラ国を建てて内戦に入ったものの、兵糧攻めにあい終結。飢えでお腹が膨れた子供の写真を見たことがある方は多いでしょうけど、多くはビアフラ戦争時のものだそうです。「agha ajoka」(イボ語でwar is very ugly)という巻末の言葉がしみます。

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番外編として(ナイジェリアではないですが)、今日読んだマッキンゼーの採用担当者が書いた「採用基準」がすごくよかったです。「採用基準」というタイトルですが、就活の本では全然なく、本当の意味での「リーダーシップ」について書かれた本です。リーダーシップとは目立ちたがり屋のカリスマ社長がとるものではなく、日々の生活を変えるべく地道な一歩を取ることからはじまること。確かに外資系の会社に入ると、チームの全員がリーダーシップを持つことを求められて、それが最強のチームを作る秘訣になっていたりする(ゴールドマン・サックスではオーナーシップと呼び、今の職場ではleading from middleと呼んでいます)。

「国も大企業も変革するために必要なのは、一人の卓越したカリスマリーダーではなく、リーダーシップを取る人の総量が一定レベルを超えること」などと、アフリカの開発にも共感が持てるメッセージがあったりします。

心にしみるリーダーシップ本というのはなかなかないですけど、この本はかなりささりました!

Saiyou Kijyun

セネガルの伝統の力

うちの会社のセネガル人新人アナリストのフージャが、昼食に招いてくれました。
うちでヤサ・プレ(セネガル鶏ご飯)を作るから食べに来て、というお気軽な誘いだったのですが、そこでものすごく衝撃的な出会いが。

フージャのお母さんが、なんと国際的にとても有名な布地のデザイナーさんのアイサ・ディオンという人で、NYのデザインスクールに通う僕の妻も彼女のことを知っていてかねてから連絡を取りたいと思っていたご本人様だったのでした。

セネガルの布といえば大判の柄が入ったカラフルなプリント地ですが、実は、植民地時代以前はマリやブルキナファソの天然綿を使ったモノトーンの手織りの布が伝統工芸としてあったことは、今や知る人は少なくなっています。フージャのお母さんは、その技術を守るべく過去25年間機織企業を経営してきたのです。

僕らが興味を持っていろいろ質問をしていると、お母さんものってきて、事務所に連れて行ってもらい様々なサンプルを見せてもらいました。

色使いなどは日本の絣(かすり)を思わせるシンプルさなのですが、ところどころにセネガルの伝統の文様などが控えめにあしらわれ、千年以上続く伝統に裏打ちされた美しさにただただ圧倒されました。一流の武道など日本の伝統に触れたときの背筋が伸びる感覚に似た感動でした。

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(写真では、その迫力がまったく伝わらないのですが)。


フランスと米国にエージェントがいて、エルメスとプロジェクトを組んだり、高島屋ニューヨークで個展をやったりなど、華やかな一面がある一方、会社の経営は楽ではないようです。
西アフリカはエジプトと並んで昔から綿の一大産地として有名ですが、19世紀末・20世紀初頭の植民地化以降、綿は加工されずひたすら欧州などへの輸出に回され、現地の織物産業は徐々に衰退していきました。
25年前に事業をスタートさせたときは、打ち捨てられた古い機織機をかき集めてはじめたとか。セネガルの事業がある程度軌道にのったところで、ブルキナファソやマリの伝統も取り入れようとしたら、職人はほとんど残っておらず、数少ない職人たちと昔のやり方を復刻する地道な努力を続けているとのこと。そして、今も西アフリカの綿の大半は国営の綿花企業やフランス企業によって輸出に回され、高品質な原材料の調達は困難を極め、エジプトなど他の産地からわざわざ綿を輸入せざるを得ないこと。セネガルは宗教指導者と密着した貿易業への振興策は手厚いが、現地の加工業への保護・サポートはまったくないこと(日本ならばこういった伝統が手厚く保護されるのが当然です。また、なるべく国内での加工・value addを増やすような政策がなされるでしょう)。
そういった環境の厳しさを跳ね返して、伝統を脈々とつないでいる努力に本当に頭が下がる思いでした。


西アフリカの文化というと、マリのトゥンブクトゥーなどの一部の例外を除いて、欧州やアジアなどに比べて歴史がいまひとつ浅いイメージを持っていたのですが、その認識はまったくの誤りでした。セネガルのものすごく奥深い一面を理解できた一日で、2年ちょっと前にセネガルに来て以来、もっとも意義深い一日といっても過言ではありません。

日本のデザイナーや消費者は美意識が高いから、今年は日本に出張してプロモーションしたい、と語るアイサ。こういう西アフリカの伝統の迫力を、日本にも伝えるために、何かお手伝いできないか、考えてみたいと思います。

ダカールの正月

明けましておめでとうございます。赴任3年目にしてダカールでの初の年越しを迎えています。

ダカールは、サハラから吹き降ろす砂交じりの風「ハルマッタン」が吹き荒れる正月です。ハルマッタンは、色々な病原菌ももたらすと同時に、ガーナなどギニア湾沿岸の国々でマンゴーの花を咲かせます。

今年も、アフリカの産業基盤構築に資する案件をひとつでも多くやれるように頑張りたいと思いを新たにしています。皆様も素晴らしい一年をお過ごしください。


***

年末は、ダカールから北へ250キロ、モーリタニアとの国境の古都サン・ルイに旅行してきました。

写真を何枚か。

街に止まっていたランドローバーの旧式車

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街並み

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宿泊したSiki Hotel。セネガル布で作った調度品などがとてもきれいなお勧めのホテルです。第二次大戦前にセネガル出身で黒人差別を乗り越えてボクシングの世界チャンピオンになったSiki氏にちなむホテルです。付属のレストランの海産物もとてもおいしいです。

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唯一の難点は、部屋のトイレがニーハオ便所だったこと(つまり、トイレにドアがついていない)。
モロッコでもこういうホテルがあったし、この辺の人は、トイレの音とか匂いとかに対する恥じらいが薄いのかしら?
僕らは夫婦で泊まったのでまだ許せましたが、たとえば付き合いはじめのカップルなどが泊まったらどうなるんでしょうか?人ごとながら心配になってしまいます。


ダカールへ戻る途中のセネガル籠をたくさん売っている村で大人買い

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サン・ルイのあとは、ダカールの南のビーチリゾートのサリーへ。
会社の同僚ご一家のビラにお邪魔させていただく。
ハルマッタン(サハラ風)が強く肌寒いくらいでしたが、ビーチでお酒を飲んだり、子供たちと遊んだり、リラックスした時間になりました。

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2011年の空手おさめは、空手を習いはじめたKai君と。

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夜は、コートジボワール人の旦那さんお勧めのフレンチレストランへ。福岡に住んでいたというフランス人のおばさまが経営する、とても本格的なレストラン。これは、セネガルにきて食べたフレンチの中で間違いなく一番おいしいレストランでした。しかもワイン、デザート込みで一人30ドル以下と、とてもリーズナブルなお値段。これを食べるためだけに、週末3時間ドライブして来てもいいと思うくらいで、また来ようと思います。


大晦日にダカールに戻りました。
食料などを買出しにショッピングモールにいったのですが、普段比較的すいているモールが、大勢のセネガル人がものすごいおしゃれをして練り歩いています。モール内は、ディスコ系の音楽ががんがんかかり、クラブ状態。

夜には、いっちょまえに花火も打ちあがります。ご近所のレバノン人ご一家もダンスパーティーを開いてロケット花火などもあがっています。お祭り好きらしいセネガルらしくにぎやかな夜がふけていきました。

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ファトマ一族、マラブー見習い、アフリカに戻る若者たち

昨日金曜日は、コートジボワール事務所に勤めるセネガル人の友人のファトマがダカールに帰郷していて、彼女のお兄さん一家にお子さんが生まれたとのことで、命名式にお呼ばれしてきました。

ファトマは、セレール族というセネガルの北のほうの部族で、ファトマの一族は、ダカールに多いウォロフ族のつるっとした顔とは大分異なり、色も大分黒くて、一見ちょっと怒ったような厳しめな顔をしています(別に普通にいい人なんですが)。

仕事も忙しいし、お昼にちょっと顔を出して事務所に戻ろうと思っていたのですが、そうは問屋がおろさないのがセネガル。
1時半に訪ねると、一族全体に挨拶を済ませ、雑談をします。午前中の命名式で振舞われたというヨーグルトとミレのまぜもの(オートミールにヨーグルトがかかったようなセネガルの幼児食)を頂きます。
ファトマのお兄さんがフランス留学時代に出会ったという超美人なモロッコ人の奥さんが僕ら夫婦をえらい歓迎してくれて、いろいろな話をしました。彼女は外国からセネガルに嫁入りしてそれなりの苦労をして、ひさしぶりにガイコクジンを見てうれしかったのかもしれません。

お昼ご飯が出てきたのが午後3時半すぎ。
お昼のメニューは味付けご飯に柔らかく煮た羊がのった「チェブヤップ」。

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同じテーブルには、プル族(セネガル、モーリタニアから、チャド、スーダンにかけて散らばる遊牧民族)でマラブー(イスラム教指導者)になるべくダカールのイスラム学校で見習い中のお兄さん二人(写真に写っている人たち)と、ファトマの友人の息子さんでフランスのビジネススクールに留学していて皆が伝統服ブブを着ているなか一人だけTシャツにジーパンの若者、そして我々夫婦、という多様性にとんだ組み合わせでした。

マラブー見習いたちは、日本人の僕らが珍しかったらしく、日本の文化や電化製品について質問されました。マラブー見習いは、普段はアラビア語とウォロフ語で生活しているらしく、フランス語は僕と同じくらいのレベルで、なんとなく安心して話せました。

フランス留学中の若者は、「将来はボストン・コンサルティング・グループか、マッキンゼーのようなコンサル会社の南アフリカ事務所で働いて、いつかセネガルで起業したい」と熱く語っていました。マラブー見習いが同席する渋い席で、そんなコンサル会社の名前が飛び交うとは不思議な感じです。「今のヨーロッパはユーロ危機で先行きも暗いし、留学生への就職間口も狭くなっているし、そんなことならこれから経済的に伸びしろのあるアフリカ大陸に戻ってきて国のために働きたい」とのこと。

こうやって話して、ファトマ家を辞去したのが午後4時半。
希望のある若者の話を聞いて、心温まる気持ちで車を走らせていると、来年2月に迫った大統領選のキャンペーンに激突。道路が完全に封鎖されていて、裏道にぬけるまで大渋滞。たった1キロほど進むのに丸1時間を要しました。途中、無理やり僕らの車を追い越そうとしたセネバス(猫バスみたいに目がついていて、色々な柄やお祈りの言葉が書かれていてカラフル)がバランスを崩して、僕らの車に倒れかかってきそうになってひやっとしました。

夜は、同僚のガーナ人サム、モロッコ人のカバジさん、新人アナリストのセネガル人のフージャを我が家に呼んでディナー。妻が腕をふるって日本食を作ってくれみんな大喜び。

セネガル人のフージャは、最近フランスの某銀行から1本釣りした逸材で、お昼にあった若者と同様に「これからは自分の国の発展のために働きたい」と語っていました。

こういう若い人たちの話を聞くと、アフリカの潮目が変わってきていることを感じます。
ハーバードで出会った僕と同年代のアフリカ人たちは、アフリカに戻りたいと口ではいいながらも実際先進国を離れられないか、先進国のいい待遇を泣く泣く捨てて義務感や気負いみたいなものを背負ってアフリカに戻ってきている感じでしたが、ひとまわり年下の人たち(20代の人たち)は、もっと自然体でアフリカで働きたいと思っている。もちろん、今のユーロ危機が彼らの背中をアフリカに向けて押していることは間違いないと思いますが。

でも、このスタンスの違いはかなり大きいと思います。今の20代のような自然体なスタンスのほうが長続きすると思うし、彼らが活躍をする年代になれば、更に若い人たちが自然についてくるんじゃないかと思います。そういうインパクトが田舎の村々に届くのは大分先じゃないかと思いますが、少なくとも経済の核になる大企業は彼らの力でもっと競争力を持ちえるんじゃないかと思うし、アフリカ経済のポテンシャルを阻んでいる腐敗や旧習を無理のない形で変えていけるのは、こういう若者の数がクリティカル・マスに達したときなんじゃないかと思います。

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写真は、南国風のクリスマス・オーナメント。Joyeux noel a tous!

南アフリカとロンドンの旅

ここ数週間、コートジ、南アフリカ、ロンドンと出張ラッシュでした。
入社した頃は出張がうれしかったのですが、最近は出張は少なければ少ないほどいい、と思う今日この頃です。やっと、ダカールに戻ってきて、落ち着いた日々を過ごせるのは本当にうれしいです。NYで勉強中の妻も冬休みでセネガルに戻ってきているので、年末はセネガル国内旅行などもしようと思っています。


コートジボワール案件は、アビジャンでの対面交渉とそのあとの電話会議などなど、白髪が増えるくらいの瀬戸際交渉が続き、なんとか予備的タームシートにサイン。最後はマネージャーも狩り出して交渉し、気合勝ちしました。これからフルのタームシートの交渉、環境アセスメント、契約書類の交渉と続きますが、やっと投資に向けての第一歩を踏み出せました。はじまったときは「こんな案件片手で3ヶ月で片付けてやる」と思っていたのに、西アフリカでディールを進めるのは本当に難しい!お祝いにチームで食べにいったチェブジェン(セネ飯)がまたおいしかった。

南アフリカで社内カンファレンスに出てきました。3年に一回、在アフリカ事務所のスタッフ全員が集まるという壮大な会議なのですが、「このくそ忙しい時期に社内会議なんてやめてくれ」と渋々参加したのですが、ひとつうれしいサプライズがありました。それは、『「One Team, One Africa」という価値観を体現してアフリカに貢献している職員ランキング』で第2位に選ばれたこと。普段は社内評価なんてくそくらえ、クライアントに評価されてなんぼ、と思って働いているのですが、この賞はうちの会社のアフリカ部門450人の投票に基づく結果なので、すごいうれしかったです。アフリカ各地の同僚たちから祝福されて、この2年間アウェイで戦ってきた苦労が報われた感じで、やっとアフリカのチームメンバーとして認められたんだなあという実感がわきました。

また、カンファレンスを抜け出して同僚と食べにいったTボーンステーキがめちゃくちゃうまかった。西アフリカにいると鶏肉や羊肉はおいしいのだけれど、おいしい牛肉はなかなか食べられないので、最高でした。


南アフリカのあとは、一瞬だけ週末ダカールに戻り、ロンドンへ。
アフリカを中心にコーヒーなどのコモディティーを輸入している商社の投資前調査(ディーディリジェンス)でした。アフリカ企業のディーディリだと、地元の市場を走り回り、自分の足で情報を稼ぐ、というやり方が多いのですが、今回はとても洗練された先進国企業なので、情報もすべて会社側が出してくれて、めちゃくちゃ楽なディーディリでした。ただ、普段製造業系のビジネスを見慣れているせいで、商社のビジネスモデルが全然わからず(取引するコモディティーの量と、取引マージンが、収益のドライバーらしいのだが、いまいちどういう要素でそれらが動いていくのか、簡単そうでなかなかわからない)、経営陣から聞いた色々な情報を一生懸命消化中です。

3日間だけの滞在でしたが、ビジネススクール時代の旧友に会えたり、クライアントにおいしいレストランに連れて行ってもらったり、久しぶりの先進国気分も満喫できました。

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ダカールに戻って真っ先にやるのが空手。今回の土曜練習は、カオラックからダカールに上京した協力隊員さん(青学空手道部OGで、青少年活動の一環としてカオラックで空手を教えている)が参加してくれました。やはり日本人と練習する空手は最高!師範や子供たちも正しい基本に心を打たれた様子で「トレ・ボン・カラテ」といってました。隊員さんだけにウォロフ語もちゃんと話せて、セネガル人たちの心を一気にわしづかみしてました。さすがです。

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タバスキ 2011

ラマダーン(断食月)の終了から一定期間後にタバスキ(一般的なムスリム世界では、EIDという呼び方のほうが通じるかも)という犠牲祭があります。
いままで何度も書いていますが、タバスキは日本のお正月並みの大イベントで、タバスキで食べる羊を買えないとセネガル男児としての面目が丸つぶれで、タバスキ前数週間は人々はお金の工面に走り回り、犯罪も増えるほどです。

こうして迎えたタバスキ。僕は、過去2年間タバスキの時期に出張が重なっていて、セネガル3年目にて初めてのタバスキです。

空手仲間のエル・ハジさんの家にお呼ばれしてきました。エル・ハジの家はグラン・ダカールと呼ばれるダカールのへそ、東京でいうと下町みたいな場所にあります。亡くなったお父さんが二人の奥さんがいて、こじんまりとした3階建ての建物が二世帯住宅(?)みたいになっていて、第一婦人の家族と第二婦人の家族が一緒に住んでいます。エル・ハジは第二婦人の子供で、更にそのお姉さんたちが結婚して子供がいたりするので、総勢20人近くの大家族です。

僕が到着した昼過ぎには羊のシメは終わっていて、台所に大量のお肉が用意されていました。なんと5匹の羊をさばいたとか。

写真左の方がエルハジのお母様

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羊の肉を切りさばくエルハジ。後ろの甥っ子君はやたら嬉しそうなんだが、その更に後ろに羊の内臓や頭が。。。

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エルハジのお姉さんご一家

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引かれていく羊。羊をしめたあとは皮などの不要なものは穴のなかに埋めるのですが、写真右側の木の根元にその穴を埋めたところが見えます。

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待ちに待ったお食事開始。
まずは羊の焼き肉を食べた後、2時間ほどおいて、羊をタマネギソースであえたのをフランスパンにはさんで食べます。肉も脂もこれでもか、というくらい硬い。。。普段ゴミみたいなのを食っている羊だろうから、仕方ないか。

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親戚の子供たち

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子供たちと遊び飽きた我々は、ひたすらテレビをほげーっと見ます。セネガルの男どもは、テレビを見て寝正月的に過ごすのが正しい過ごし方のようです。コートジボワールのドラマとセネガルのドラマを立て続けに2時間ほど。セネガルのドラマはウォロフ語でまったくわからんのだが、要所要所をエルハジがフランス語で解説してくれる。タバスキの羊を買うために主人公が会社の金を横領する、というものすごい筋立てのドラマで、ダカール市内の知っている場所がロケ地になっていたりして、えらい面白かった。

日暮れ時になると、子供たちは新調したセネ服(ブブ)を着て通りに繰り出します。なんでも子供たちはこの日ご近所からプレゼントがもらえるのだとか。

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エルハジご一家とお祭り気分を味わって、なんだか晴れやかな気分になりました。

セネガル3年目突入

9月をもって、セネガル生活3年目に突入しました。

ちょうど2年前、ダカールに引っ越してきた頃、フランス語も全く話せなくて何もかも大変で、ほんときついなあと思っていたのが、つい昨日のようですが、時が流れるのははやいものです。

うちの会社は通常は3年駐在すると次の赴任地に移るケースが多いので、おそらくこれがセネガル最後の一年になると思います。フランス語圏アフリカで思い残すことがないように、頑張ってプロジェクトを進めたいと思います。


今年の入って大きな変化は、フランス語堪能なナイジェリア人上司「おかん」がアメリカに戻ってしまったので、自分がチームリーダーとして仕切らねばならない案件が増えてきたこと。自分の成長のためにはすごいうれしいことなのですが、フランス語力は本当に課題です。今のところ、フランス語がしゃべれるアナリストをつけてもらって、自分もだましだまし片言フランス語で話しつつ、必要に応じて通訳してもらっています。

今年後半の山場になる案件は、コートジボワールの畜産会社の投資案件を取ってきて、交渉して、クローズまで持っていくこと。第一回の交渉は、ディール全体のストラクチャーや、株式のバリエーションについて、なかなかいいディスカッションができたので、うまく次のステップにつながりそうです。このまま進むと10月くらいにデューディリ(投資前の実地調査)にいけそうなので、久々にコートジボワールを訪問して、去年末以来の大統領選をめぐる政治的混乱のあと、人々の生活や経済がどういう風に回復しつつあるか、自分の目で確かめるのが楽しみです。

また、先週、7月に会ったニジェールのミルク会社のCEOじきじきの電話が入りました。最近の世界的な食料価格高騰で原料の粉ミルクの価格がうなぎのぼりで、一方ニジェールみたいな貧しい国では価格が上げ辛いので、マージンが圧迫されている、これを機に思い切ってバランスシートをリストラしたいから協力してもらえないか、という内容。こういう要請に応えられなきゃ男がすたるので、すぐにチームを組成して動きます。地元の女性アントレプレナーがガレージからはじめて、安価なタンパク質を提供しているこの会社、つぶれちゃいけない会社というのは確かにある!と思います。やる気がそそられる案件です。

去年手掛けていた案件は、ナイジェリアのファーストフードチェーンへの投資と、セネガルの食品会社への投資が両方ともクローズしました!これらの会社への資金の払い込みの手続きなども着々と進んでいます。
これで、アフリカに来て4件の投資をクローズしたことになるので、なかなかのペースだと思います。


* * *

9月に入って、夏の間、各地にバカンスに行っていた友人たちが戻ってきて再会できるのも、楽しみのひとつ。

ラマダーン(断食月)中瀕死の状態だった空手道場も9月に入ってフルオープンしたし、日本人補習校が再開して、久々に子供たちの元気な姿が見れたのもうれしい。土曜の夜は、我が家に友達8人くらいが集まってワイン・料理持ち寄りパーティーをにぎやかにやりました。ギニアビサウに出張していた友達が買ってきてくれたポルトガルワインもおいしかったし(ポルトガルの白ってどれも爽やかな味がする)、みんなが持ち寄ってくれた料理も美味でした。

残り1年、がっつり仕事もしつつ、生活も思いっきり楽しみたいと思っています。




(写真は、お気に入りの海の見えるレストランからの景色。雨季が終わりに近づき町全体の緑度が一気に増した)

ラマダーン(断食月)、はじまる

セネガルは8月2日をもってラマダーン(断食月)に突入しました。人口の90%以上を占めるムスリムの人々は、これから一ヶ月間、日が昇ってから(6時ごろ)、沈むまで(7時半過ぎ)、一切の飲食ができません。食べ物だけじゃなくて、この暑さの中、水も飲めないのがすさまじすぎます。。。

ラマダーン初日。空腹のせいか、合流車線で絶対に激突するタイミングで出てくる車がいたり、まわりを見ずにふらふらと大通りを渡っているセネガル人がいたり、危険この上なし。夕方の空手の稽古も、参加者は基本をちょっとやってダウン。やっぱ日中まったく水が飲めないのはめちゃくちゃきついんだろう。師範にいたっては空腹のあまり椅子の上で居眠りしている。自分だけご飯が食べられて水が飲めているのが本当に申し訳なく思います。

ラマダーン二日目、同僚のモロッコ人宅で日中の断食明けの夕食に招待されました。アルジェリア人、チュニジア人などひとしきり北アフリカの人々が集まっています。日没時間の7時42分きっかりにディナースタート。一日の渇きを癒すべくグラスの水をぐっと飲んで、二種類のモロッコスープが出てくる。なつめやし、焼き菓子などのスウィーツも並ぶ。あと、なぜかゆで卵も前菜に。そのあと数種類のサラダが出てきて、メインは巨大な羊のステーキ。締めは、モロッコ茶、緑茶、数種類の焼き菓子、パンケーキ、ヨーグルト、とめくるめくデザートが続く。夜中過ぎまで、胃がもたれるくらいゆっくりゆっくり沢山の食べ物を食べていく。たらふく食べて、流暢に流れるフランス語もほとんどわからないし、だんだん意識がもうろうとしてくる。
「たくさん頂きました、ありがとう」というと、「これだけ食べれば君も明日からラマダンできるよ、ハートの問題だから」といわれるも、丁重にお断りします。

ラマダーン五日目の土曜日、午前中空手の練習に参加。普段の土曜日は子供と大人の合同練習なのですが、来ているのは子供たちばかり。子供たちは断食をしなくていいので、ぴんぴんしているのです。師範は体力を温存したいのか、師範代のお兄さんに全権を委任。でも、師範代のお兄さんは断食・断水をしているのですよ。ぴんぴんしている子供たちに基本や型を教えたり、大声でどなったりして大変そう。朝からそんなに体力を使ったら喉が渇いて一日もたないよ。。。とかわいそうに思ったので、途中から僕が交代して指導を担当。セネガル人の子供たちには、「だまって俺のついてこい」式の指導は通じず、言葉でちゃんと説明しないとわかってくれないから、片言のフランス語を操りなんとかこなします。大人はまったく水を飲んでいないので、僕もそれに付き合って練習中は水を飲まないことにしています。真夏の体育館でこれをやると本当に瀕死になります。本当にふらふらになり、最後、型の練習のときの雲手(ウンスー)の一回転ジャンプで途中で墜落しそうになりました。。。
練習が終わって、車を駐車場から出して、みんなから見えないところまでいって、ペットボトルの水を一気に飲む。水ってこんなにうまかったかと思う。でも、師範代のお兄さんは、練習が終わっても、日没まであと約7時間水が飲めないわけだから、大丈夫なんだろうかと、とても心配になりました。

ラマダーン、おそるべし。。。
世界中のラマダーン中のイスラム教徒のみなさんに心からのエールを送ります。。。

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(この写真のフォトクレジットは、以前セネガルを旅しにきたTさん)

仕事は、セネガルの食品企業投資案件、クロージングに向けて大詰めです。重箱の隅っこの数箇所の論点は残るものの、お互いにとってフェアな条件に煮詰まってきて、あとは社内判断を待つのみです。週明けにクローズできる見通しで、クロージングを見届けたら、僕は金曜朝の便で日本に帰ります。いよいよ夏休み!


***

日曜午前中は、ドライブを兼ねて写真を撮りに行きました。

このモスケ付近は、僕がもっともダカールらしいと感じる場所。ここはダカールでは、一番きれいなビーチなんじゃないかと思います。モスケの後方に大統領が20億円かけて建立した通称バカ像が見えるのも渋いです。

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モスケの海岸に羊と一緒に水浴び行く子供たち。

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週末といえば、ラマダーンにかかわらず、グルメ。

週末のオープニングを飾るのは、カーボベルデ(セネガルの沖合いの島国)在住のご夫妻から頂いた、なかなか手に入らない幻のお酒!サトウキビから出来たラム酒のようなお酒で、アルコール度数43度。黒糖の香りがほのかに残っていて、まるで高級な黒糖焼酎を頂いているような上品な味。ダカールのJICAの友人たちと有難く賞味しました。カーボへの出張帰りに運び屋をつとめてくださったTさんにも感謝です。

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金曜の夜にブルギバで食べた羊の炭火焼き。タマネギとの相性が抜群。ちなみに、マリではこれと同じ食べ物が、地中でスロークックされて新聞紙にくるまれて出てくる(以前のエントリー参考)。

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グルメの番外編は、先日ダカールを訪ねてこられた大学時代の空手部の先輩からお土産で頂いた「食べるラー油」。これ、ご飯がとまりません。先週後半は夕食を作る時間がないくらい忙しかったので、ご飯と食べるラー油と味噌汁で生きてました。まじ、これだけで生きていけるくらいおいしいっす。

ちなみに、隣のあやしい黒い飲み物は、「モルト」という黒ビール的な味がする炭酸飲料。甘いです。これを飲んでいると、「ギネス」を飲んでいる豊かな気持ちになって、しかもノンアルコールだから体調もよく、最近はまっています。こういうことしているから、最近お酒が弱いんだろうな。。。

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二度泣きの街 – 「おかん」、ダカールを去る

ダカールのような土地にいると、新しく赴任してくる人を迎え、去り行く人を送る、というのは日常茶飯事です。

今回ダカールを去るのは、このブログにもよく登場したナイジェリア人上司の「おかん」。
当社の西アフリカチームが誇るタフ・ネゴシエーターで、アメリカのIVYリーグの大学を出て、某投資銀行で石油・鉱業向けのアドバイザリーをNY・ロンドン・シンガポールで経験した後、当社のチャド事務所(!)に入社、その後、南アフリカ事務所を経て、ダカール事務所に勤務、マリ・セネガルなど難しい西アフリカ諸国で数々の投資案件をクローズしてきた猛者。
この度、うちの会社のCEOからスペシャル・アシスタントをやってくれ、という声がかかり、ワシントンDCの本部へ転勤になることに。


「おかん」の仁徳は半端ではなく、送別会も、会社でのまじめな送別会と、友人宅でのオールナイトパーティーと、二段構え。

第一弾での送別会では、普段は頼りがいのあるキャラなのに、みんなへの挨拶の途中で泣いてしまった「おかん」。ダカールは到着したときは生活のセットアップがあまりに大変で涙がちょちょぎれたけれど、去るときも去り難く涙が出るもんなんだなあ、と思いました。まさに「二度泣きの街」ダカール。日本で二度泣きの街といえば札幌だと聞きますが、ダカールもかめばかむほど、札幌に負けないくらいの魅力があるように思います。

土曜の夜は、第二弾のオールナイト・パーティー。夜10時半集合とは名ばかりで、人々が集まりだしたのは夜中過ぎという完全なるセネガル時間。僕も夕方昼寝をして、レッドブルを飲み、満を持して参戦。のりのりのコートジボワール音楽で、しかもラマダーン前最後の週末なので(ラマダーン中はクラブは基本的に営業しない)、みんなテンション高かったです。朝型の僕は午前3時をもってダウン。この手のパーティーは月一で精一杯です。。。

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(コートジボワールのある曲がかかった途端、全員で一斉に踊りだす、いきなりでこの揃い方はお見事!)


「おかん」は、ダカールについて本当にお世話になった上司なので、とても寂しくなります。クライアントの心をつかんで離さない人間的魅力と迫力があったし、真剣な交渉をしていても、時折西アフリカ風のゆるいギャグを交えて場をなごませるスキルも秀逸でした。また、アフリカ経験ゼロの僕にとって、生き字引のような存在感もでかかった。

「おかんの知恵袋」みたいな金言も数々あって、マリ、セネガル、コートジボワールにまたがる融資案件をやっていたときに、「あんた、この辺じゃ動産を担保にとったらあかんよ、なんかあったらスポンサーはトゥンブクトゥー(マリの奥地の町)あたりに動産を隠してしまうおそれがあるからね。基本は不動産担保だけど、内戦が起こったら不動産の価値もなくなる。だから、マリ、セネガル、コートジボワールなら、内戦リスクが少なくて、融資先が倒産した場合裁判所が迅速に動いてくれるマリで担保を取ろう」、などと、現地事情を熟知した意思決定は見事でした。

また、ディール以外にも、南アフリカで同僚が誘拐されたときに、誘拐犯と電話交渉して救出したこともあって(僕はデスクが隣なのでその交渉の一部始終を聞いていた)、このときは声のトーンも普段より一層落ち着いていて、誘拐犯を刺激しないように冷静に交渉を進め、無事解放が決まったときには、「おかん、一生ついていきます!」と思いました。


それにしても、世銀のマネージング・ディレクターのンゴジ女史(最近ナイジェリアの財務大臣として母国に戻ることを発表)や、エゼクウィセリ世銀副総裁など、ナイジェリアの女性陣はパワフルな方々が多いのはどうしたわけでしょう。「おかん」は普段から、「ナイジェリア女性は、日本のなでしこと同様に、謙虚でおくゆかしくあることをしつけられている」と力説していますが、それだけではない、きっとなにか特別な要素があるに違いありません。この辺は今度「おかん」とゆっくり話してみたいと思います。
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