2006年02月08日
長期間未更新のお詫びとblog移転に係る件
以前からこのページをご愛読頂いた皆様へ
長い間、当blogを留守にして申し訳ありませんでした。
夏以降、僕の人生に少なからぬ影響を与える出来事が2,3あり、
長期間に渡り筆(?)を置いておりました。
この期間決して多忙だった訳ではないのですが、
それまで外向きに発散されていた何かが、
ある日を境に内向きに流れ込むようになり、
今日までのような状態となっておりました。
ただこの期間を決して無駄にしていた訳ではなく、
様々な本を読み、また他の方がつけておられるblogを読み、
また自分文章を読み返し、内省を行い
自発的にまた何かしらの文章を書いてみたいなと思い立ち
本日筆をとる次第と至った訳であります。
まだ本格的にという訳にはまいりませんが、
今まで溜め込んだものを徐々に吐き出していけたらと
思料しております。
またこれにあたり下記アドレスにblogを移転しました。
http://earthpathfinder.blog22.fc2.com/
継続性の乏しい僕ではありますが、
今後ともお付き合いいただけたら幸甚です。
以上 取り急ぎ
長い間、当blogを留守にして申し訳ありませんでした。
夏以降、僕の人生に少なからぬ影響を与える出来事が2,3あり、
長期間に渡り筆(?)を置いておりました。
この期間決して多忙だった訳ではないのですが、
それまで外向きに発散されていた何かが、
ある日を境に内向きに流れ込むようになり、
今日までのような状態となっておりました。
ただこの期間を決して無駄にしていた訳ではなく、
様々な本を読み、また他の方がつけておられるblogを読み、
また自分文章を読み返し、内省を行い
自発的にまた何かしらの文章を書いてみたいなと思い立ち
本日筆をとる次第と至った訳であります。
まだ本格的にという訳にはまいりませんが、
今まで溜め込んだものを徐々に吐き出していけたらと
思料しております。
またこれにあたり下記アドレスにblogを移転しました。
http://earthpathfinder.blog22.fc2.com/
継続性の乏しい僕ではありますが、
今後ともお付き合いいただけたら幸甚です。
以上 取り急ぎ
2005年08月03日
旅行と読書
今日は旅行に出る2日前。すなわち僕は明後日よりウズベキスタンに
ちょっとした旅行へと行ってきます。
本当にささやかな旅行ではあるけれども。
そのような訳で僕は今週、
就業後せっせと旅行の準備をしています。
今日は旅行に持ってゆく本の話。
この時期、僕はどのような本を旅行に持ってゆくべきか
非常に思い悩むわけです。
夜寝る前のようにたっぷりと時間があるときに読む長編の小説と
遺跡や街のカフェで雰囲気に浸りながら読める短編小説やエッセーを
それぞれ一冊ずつ。
旅行中に読む紀行文や旅行記も素晴らしいのですが、
僕が旅行中に読みたい本は、
読み進めるにつれ自己の精神がゆっくりと
ゆっくりと深層心理に向かって落ち込んでゆくようなものなのです。
というわけで、今日も帰りに書店にいき
作者と本のあらすじとにらめっこをしながら
旅の相棒を探すことになるのです。
2005年07月29日
天秤
2005年07月26日
夕闇の侵食
沈み往く夕陽に臨むと僕は時間があまりにもゆっくりと流れているような感覚に囚われる。
一日の中で最も空間の変化が大きな時間帯。
最も激しく、そして美しい変化を知覚し処理することが
僕の時間の流れを狂わせるのかもしれない。
ひどく粘土の高い液体の様にゆっくりと
闇が光を侵食していく光景。
多くの場合、それは僕の深層心理に
大切に保管されてしまうのである。
そして、ありふれた日常を送っている僕の心に
ある日突然、周期不定の間欠泉の如く
何処かで見た夕陽の光景が湧き上がってくる。
苦しいほどに切なく
でも何故か懐かしい感情を伴って。
「ひどく永い間ご無沙汰しているじゃないか?」
普段、一山いくらで自分の時間を切り売りしている僕には
その感情による刺激は強すぎるのだ。
もぐらがはじめて仰ぎ見る太陽のように。
そんな時は決まって
パソコンのディスプレーが
ほんの少し滲んで見える。
気のせいかな。
2005年07月25日
樹華に僧
本当に不思議なことだが、僧に花という取り合わせは不思議とよく似合う。
女性と花の取り合わせに匹敵するくらいに。
男性と花の関係は必ずしも親和性の高いものではないはずだ。
でも男性に僧という属性が付与された瞬間、
その関係が光輝くものに変化するのは何故だろうか?
恐らくそれは、
僕の中に観念として存在する釈迦牟尼が、
僧という客体を媒介として
まるで既視感の如く
僕の脳裏に蘇るからではないだろうか?
満開花の下、
少し自慢下にポーズを取る小僧。
もし彼が仏に帰依していないのであれば
万国共通どこにでも生息する少し生意気な少年だったであろう。
僕は彼から釈迦牟尼を感じたのではなく、
彼によって自分の中にイメージとして存在する
釈迦牟尼に気付いたに過ぎないのだ。
憎らしいほど花が似合う少年。
僕はそんなことを考えながら
彼への小さな嫉妬をごまかした。
2005年07月21日
祈
祈りの本質はその対象と自分との間に横たわる
果てしなく長い距離を埋めることにあると思う。
有限で不完全な人間の願いを彼らに届ける為、
人々は祈りという名の船に乗り込み遥かなる航海に旅立つのだ。
人々はその不完全さ故、
波頭の先にたどり着けぬままことごとく航海に失敗する。
それは同時に人間が人間である証とも言えるかもしれない。
大海原に残されるのは持ち主がいない願いだけ。
そして純度が低い願いは
人知れず次々に水底に沈んで逝く。
しかしながら天文学的確率の元
極めて純度が高い願いのみが
ひどく気の遠くなるような距離をうめることができるのかもしれない。
僕は静かに祈りを捧げる女性を見ながら
そんな他愛もないことを考えた。


