タイヤル族の起源

遠い昔、タイヤル族の起源は南投県仁愛郷であった。そこには一つの千年霊石があったが、それが突然割れて中から三人の人が出てきた。二人は男で、一人は女であった。彼等は石から出てきてから、太陽、高山、川、樹木を見た。一人の男と女は「この世界はこんなにもすばらしい。ここに住むことができる。この美しい景色を堪能することができる」と言った。
しかしもう一人の男はこう言った。「ここは昼はこんなにも暑い。人に害を与える野獣や蚊、昆虫もいる。こんな所に住むことは出来ない。私達は石の中に帰ろう」。他の二人の男女は言った。「ダメだよ。我々はもう出てきてしまったからには、ここに住まなければならない」。彼等はその男もとどまって共に生活することを望んだが、その男は聞く耳を持たなかった。彼らが注意していない時に、その男は千年霊石の中へ帰ってしまった。
残った一男一女がタイヤル族の祖先である。彼等はグプダを生んだ。彼はタイヤル族の頭目である。


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典型的な石生型民族起源神話です。でも場所は大覇尖山じゃなく南投県仁愛郷発祥村(瑞岩部落)になっています。タイヤル語でいうと「ピンセブカン」とか「ピンスブカン」とか発音するようです。


タイヤル族はその起源伝承によって三系統に分けられています。
1「ピンスブカン」系統
2大覇尖山「パパックワカ」系統
3白石山「ブノホン」系統


近年3の系統はセデック族・タロコ族として独立しまたので、現状では1、2の系統があるといえます。
で、烏来は1の系統です。
しかし1系統の神話にも大覇尖山は登場します。「ピンスブカン」で生れて、大洪水で大覇尖山「パパックワカ」へ移住した、という流れです。


『系統所属』「系譜」によれば烏来は「文山蕃」に属すると書かれていますが、本文54pではマカナジー(キナジー)蕃に属する、のか?台湾原住民研究の悩みは部落名や系統名が時代によって全部異なっている上に、いくつも呼び名があったりすることです。

まあ烏来(うらい)は音による命名らしいので当たりがつきやすいほうなんですけどね。

最後に登場する「頭目グプダ」ですが、『系統所属』によるとButaという英雄が異民族を征服したという伝承があるらしいので、たぶんそれのことだと思います。

『生蕃伝説集』「キナジー蕃」の口碑によると巨石から現われた男女の男の名が「マブタ」だったとありますね。世代が違いますが、「最初の男」が「ブタ」を名乗る人物だったという認識は共通していると思われます。
「ブタ」「グプタ」「マブタ」。恐らく烏来が属する集団の共通の男性始祖の名前として伝承されてきたものなのだと思います。


ただ、タイヤル族には世襲制首長制度はないので、「頭目」というとちょっと違う気がする。「始祖」か「先祖の英雄」と考えたほうが妥当だと思いますね。


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石生神話ですが、男二人女一人が石から生まれたということになっていますね。
同じタイヤル族の同じ石生神話でも、男女一人ずつという事例も多いです。また南オウには「四人の男女」という説もあるようですが、註書されているだけなので詳細は不明。


「数がいい加減」という意味では射日神話と同じ。レヴィ=ストロース以後の神話研究者にとっては苦しい研究対象です。「神話だから非論理的なのだ」とは言えませんからね。


『生蕃』に載る屈尺蕃の神話では男神一人、女神二人が天から降臨したという伝承がありますが、その話では女神の一人が帰ってしまったなどということはありません。降臨後性交の起源神話につながりますが、女神は別に嫉妬したりもしない。

男一人女二人はありなのに、男二人女一人が成立しないのはなぜなのか?

これは「世界に一夫多妻制はあるのに、多夫一妻制がほとんどないのはどうして?」という疑問に対する答えと同じ回答で解けるでしょう。

A.一人の男性は同時に何人もの女性を妊娠させることができるが、一人の女性が妊娠している場合男が他にたくさんいても意味がないから。
だから女の方が価値があるわけですね。


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しかし男女一人ずつという伝承の方が多いわけですから、男二人女一人タイプには単なる数の問題だけではない、特殊な意味があるはずです。


男二人女一人タイプで石の中に帰ってしまう男は、この世界に住みたくないと言って帰っていきます。逆に言えば残った二人はこの世界に住みたいと思って残った。
人類起源神話なのに、生れることを選んだ人間と拒んだ人間がいるわけです。


死の起源神話に「バナナ型」と呼ばれるものがありますが、それも選択が関わってきます。「バナナを食べるか、石を食べるか?」という選択。

タイヤル族の死の起源神話では自分或はある人物に対して「糞尿を塗るか、塗らないか?」という選択が提示されます。
まあこれは「バナナ型」とは言えませんが、人間の選択によって死が生じたという意味では同じです。


ということは、この民族起源神話も「選択によって生が生じた」ということを語る伝承なのかもしれません。この世界を嫌う人間はこの世界では生きられない。そういうメッセージがあるのかも?


タイヤル族の死生観というのは結構厳しいものがあります。
「男とは戦うために生れ、戦った男だけが死後楽園へ行ける」。こういうと大げさに聞こえますが、タイヤル族の霊魂観に関する伝承でははっきりとそう主張されています。


死だけでなく生すらも選択によって生じたというのは、厳しい死生観の反映なのかもしれません。