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村松伸『中華中毒』

作者は建築が専門で、そこから都市構造の問題などにも入っています。
第一部は北京紫禁城や園林などについての考察。まあ漢族の美的道徳的空間規範について、とでも言いましょうか?
第二部は「中華中毒」。近世を中心にベトナムのフエ・韓国のソウル・江戸・首里城・清代皇帝たちの避暑地であった熱河を北京の紫禁城との比較を通じて相違をあぶりだしていきます。タイトルになっていることからもわかるように、この本でもっとも価値があるのはここだと思います。しっかりと現地に出向いて、その感覚をも含めた論述は非常に面白いです。

しかしこれを読んで改めて思ったのは、日本は江戸時代に既に中華圏ではなかったのかもしれないということです。江戸について書いた章のタイトルは「東夷のシノワズリ」。「シノワズリ」とは18世紀頃ヨーロッパで流行った中華風美術様式のこと。まあ「中華趣味」と訳しても大過ないでしょう。無論私も立派なシノワズリ。中国服とか結構持ってるし着てるし。

「東夷のシノワズリ」は江戸時代に朝鮮からやってきた朝鮮通信使の記録を軸に話が進みます。当時朝鮮は自ら「東方礼儀之国」と称して中華文明の優等生であることを自認していました。でもって彼らは日本人を「東海の野蛮人」として常に見下してきたわけですが、今でもその志向性は全く変わっていません。特に朝鮮通信使が日本で非常に歓待され、当時の知識人が彼らの元に殺到し教えを請うたという事実から「日本人は当時から我々を尊敬し敬っていた!我々は当時から圧倒的に優れていたのだ!」と言い立てること壊れたレコードの如くです。まあ、最近は「鉄砲技術の開拓のため」とか別の理由も考えられてはいるようですが、普通に考えると格上の国が格下の国に何度も使節を送るというのは変なんですけどね。

確かに中華的尺度で言ったら当時の日本は変な髪形の「野蛮人」に過ぎないのですが、問題はそこで終わらない。江戸時代、確かに漢学も流行りましたが、国学も蘭学も負けず劣らず流行ってますよね?官学としては儒教中心だったことは確かでしょうが。文学でも絵画でも庶民文化が非常に発達した時期でもあります。
つまり、「東の野蛮人は当時から多趣味だった」、ということです。その一つが「中華趣味=シノワズリ」だったに過ぎないとも言えるでしょう。

そう考えると、もしかすると江戸知識人の中華観というのは、「南の中華」であった当時のベトナムや「中華文明の優等生」だった朝鮮よりも、どちらかと言えば乾隆帝を頂点とした清の知識階級=満族のそれと近かったのかもしれない、とふと思いました。避暑地・熱河には江南の風景を模した「漢族的景勝地」と国教であったチベット仏教の「チベット的仏閣群」が共に存在していたといいます。スケールとか、首都:避暑地とか、無論違いのほうが大きいのですが、「中華の下にいない」というか「選択としての中華」が可能であったという点に両者の中華観の近親性があるようにも感じるのです。まあ中華的に見れば落第であることは確かですね。

ベトナムと朝鮮の王権は共に中華を規範としていた点で非常に似通っています。
しかしこの本によるとベトナムグエン朝は東南アジア全域に影響力を保持し諸隣国から朝貢を受け、清からの呼称「越南」を嫌って「大清」の国号に習って「大南」を僭称し、中華圏では中国皇帝しか作ることのできない「天壇」を築いて祭天儀礼まで行ったといいます。
一方朝鮮王朝には朝貢国もありませんし、国号は漢民族が半島に赴いて「朝が鮮やか」と言ったところからつけたというのが有力で、天壇は1897年大韓帝国として清から独立するまで明清に遠慮して造ることはありませんでした。また景福宮の建築様式は格としては中華皇帝の親王がなる「郡王」のレベルでしかないとか。英国で言えば「イギリス国王」ではなく「プリンス オブ ウェールズ」レベルってことですね。

ちなみにこの二国は建国神話の方向性も違ってます。岩波人類学講座『神話とメディア』にある論考にまとめがありますが、朝鮮は中国とはつながらない檀君神話をとりますが、一方で周時代の箕子が半島に文明をもたらしたという儒教的な歴史観に結ばれて、やはり文化的には「中華文明の優等生」です。
しかしベトナムの祖・雄王は中国古代神話の神農につながるとされていて、中国側の言説上に展開するという意味で拭い去れない影響はあるものの、「黄帝の孫」である中国に対してそれよりも古く別系統である神農の孫を主張したことにその気概を感じざるおえません。18世紀のベトナムのとある思想家は儒教的文明化を批判し、文明以前の王民融和というある種老荘思想的な楽園像をベトナムの国家イメージとして誇りさえしたそうです。
さらに言えば、ベトナムはその国土を「龍」として見ていて、これも中国に対する強烈な対抗意識を感じさせます。一方半島では「虎」と言ってます。もちろん南北あわせてです。

「南北」、といえば両国ともWW2以後民主主義陣営と社会主義陣営によって南北に引き裂かれた歴史を持っていますね。しかしここでも両者は対照的。
ベトナムは人々の意思によってアメリカに勝利し統一社会主義国家を立ち上げましたが、半島はいまだ南北に分断されたままです。まあ経済的に言えば韓国は先進国ですから現状では成功した国家に入るかもしれませんが、北朝鮮同胞は苦しんでます。ベトナムは今経済的にかなりやばかったりしてこちらも苦しんではいると思いますが、国が分断されているわけじゃありませんから後は経済政策の問題でしょう。どちらが幸福かは私にはわかりません。

・・・前近代の都市論や神話から近代以降の国家のありかたを問うのは不公平かもしれませんが、両国の現状を見るに無関係とは言い切れないように思ったりもします。